海水浴
 
居間の前でいらいら行ったり来たりしているジェットに、バスケットを抱えて通りがかった張々湖が軽く舌打ちした。
 
「邪魔アルね、ジェット!…ヒマなら、手伝うヨロシ!」
「だああ〜っ!弁当なんてノンキに運んでる場合かよっ!ちっくしょう、ピュンマのヤツ…」
「…は?」
 
首を傾げ、張々湖はジェットの後ろからひょいっと居間を覗き込んだ。
 
「何かオカシイことアルか?準備してるだけアル」
 
こんなとこで人の邪魔してるあんさんよりずっと…と言いかけた張々湖の鼻を、ジェットはぐい、とつかんだ。
 
「な、なにするアル〜っ????」
「うるせぇっ!おめーにはわかんねーのかよっ?!このアブナさが…っ!」
「…あ…ぶ…?」
 
バスケットを置き、鼻をさすりながら張々湖はもう一度居間を覗き込んだ。
…さっぱりわからない。
 
居間では、上半身裸になったピュンマが、同じくパンツだけの姿になったフランソワーズを膝に座らせて、背中に日焼け止めクリームを塗ってやっている。
他に人影はない。いつもと変ったところもない。
 
「別に何もオカシクないね…あのクリーム、ちゃんとコドモ用のアルし…」
「アイツ、脱がせやがったんだぜ…っ!おまけに自分も…」
 
張々湖は呆れ顔でジェットを見上げた。
 
「脱がせないでどうやってクリーム塗るアルか…だいたいアンタ、フランソワーズに泣かれたアルやろ?」
 
…う。
 
「ピュンマはコドモの扱い上手アル…きっといいお父さんになれるアル」
「…本気で言ってるのか?」
 
それには答えず、張々湖はどっこいしょ、とバスケットを持ち上げ、さっさと玄関へ向かった。
 
 
 
フランソワーズに最初に水着を買ってきたのは、ジェロニモだった。
声も出せずにいる仲間達に、彼は淡々と、その必要性を語った。
一緒に海岸で遊んでいるとき、フランソワーズが頭から波をかぶってびしょ濡れになってしまったのだという。
 
「波をかぶった…って…そんなところで遊ばせたら、危ないじゃないかっ!」
 
気色ばむジョーに、ジェロニモは言った。
 
「危ないことはない…コドモは、素直な気持ちで海に触れる…海の精霊、喜ぶ。」
 
…とにかく。
 
波をかぶってからというもの、フランソワーズが海に入りたがるようになったのは間違いのないことだった。
 
ジェロニモが買ってきたのは、黄色いごくシンプルな水着だった。
遠くからも目につくように、というのが選んだ理由らしい。
彼の目的はそもそも、彼女と海の精霊の交感を見守る、というところにあるのだから、それでいいのだが。
 
彼女の水着については、ジェットにはジェットなりの考えがあった。
アルベルトにもアルベルトの考えがあったし。
考えというなら、ピュンマにも、グレートにもあったのだ。
 
張々湖は砂浜で食べる弁当には何がいいか、ということしか考えられなかった。
イワンは、眠っていた。
ギルモアは苦笑しながらも目を細めて、毎日増えていく色とりどりのコドモの水着を眺め…
 
ジョーが何を考えているのかは誰にもわからなかったが…
週末、みんなで海水浴に行くことが決まった日。
彼は黙ってコドモ用の日焼け止めクリームを買ってきた。
 
いつもは、彼女を海岸の散歩に連れて行く者が、自分の選んだ水着を着せていき、水遊びをさせるのだが…
今度は、本格的な海水浴に行こうというのだった。
研究所前の浜ではなく、名の通った海水浴場へ。
 
静かな闘いの末、持っていく水着はアルベルトの選んだ、ピンクに白のリボンとフリルがついたワンピースと、ピュンマが選んだ青白ストライプのセパレートに決まった。
 
彼女に着せるモノのことばかり考えていた仲間達は、一日海岸にいるのだから、生身の彼女には日焼け止めが必須だ…ということに気づいたジョーに感心した。
さすが…というかなんというか。
そして。
 
フランソワーズは海が大好きだ。
まして、初めての海岸…となると、現地ではもぉじっとしていないかもしれない。
 
ジョーはそこまで考えていた。
日焼け止めクリームは出発直前、研究所にいる間に塗っておいてやるべきだ、というリーダーの主張に、仲間達は再び感心しつつ、納得した。
 
…が。
 
いざ塗る段となると…これが意外に難航したのだった。
「お出かけ」の気配を感じ取ったフランソワーズは、朝起きたときから落ち着かなかった。
しかも、べたべたしたモノを体や顔に塗られることに、我慢強い彼女にしては珍しく、抵抗した。
 
ジェットは大泣きされて撃沈。
アルベルトも駄目。
グレートはハナから手を出す気もなく…
張々湖は弁当の準備にかかりきり。
ジョーは当然のように引いている…し。
 
結局、成功したのはピュンマだった。
 
 
 
ピュンマは、ぐずるフランソワーズを膝に抱いて、軽く揺すり上げ、あやし続けた。
小さく笑い声を立てるようになったところを見計らって、よいしょっ、と自分の方を向かせ、さりげなくクリームを手に取る。
 
さっと緊張したフランソワーズの目の前に、クリームをのせた指を見せてから…
ピュンマは、ソレを自分の鼻の頭にこすりつけた。
 
目をぱちくりさせているフランソワーズをぎゅっと抱き寄せてはしゃぎ声を上げさせながら、鼻にのせたクリームをわざと乱暴にぐるぐるこすって広げてみせる。
ますますはしゃぐフランソワーズの手をとり、自分の鼻に導くと、彼女はきゃあきゃあ言いながら、めちゃくちゃにピュンマの鼻をこすりはじめた。
 
すかさずクリームをチューブから出してみせると、フランソワーズは小さい手を伸ばし、クリームをとって、ピュンマの頬にぺたっとつけた。
 
ぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬり。
 
熱中するフランソワーズの頬に、今度はピュンマが少しだけクリームをのせた。
彼女は一瞬きゅっと目をつぶり…次に大きなはしゃぎ声を上げた。
 
「よ〜し、おかえしだぁ、フランソワーズ〜!」
 
ぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬり。
ぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬり。
 
顔から首。
たいがい塗り終わったところで、ピュンマはばっとTシャツを脱ぎ捨てた。
大はしゃぎでクリームをとろうとするフランソワーズの両手をつかみ、「ばんざ〜い」をさせてから、彼はすばやく彼女のシャツをはぎ取り、小さい手にクリームを少しだけのせてやった。
 
ぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬり。
ぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬり。
ぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬりぬり。
 
あぁっという間に、腕、胸、お腹、背中、足…とクリームを塗り、置いてあったビキニを着せ、さっきはぎとったTシャツをかぶせる。
 
「よぉ〜し、おわり!…おりこうだったな、フランソワーズ?」
 
ピュンマはフランソワーズをぎゅっと抱きしめ、額にキスして、膝から下ろした。
興奮さめやらぬ様子でまとわりつくフランソワーズの手をとり、居間から出る。
 
「…あれ?ジェット?」
「……」
「そうだ、フランソワーズのサンダル、玄関にあったっけ?」
「しらねえよっ!」
 
足音荒く遠ざかるジェットに、ピュンマは首を傾げた。
ピュンマをじーっと見上げていたフランソワーズもそれを真似た。
 
 
 
どこまでも広がる白い砂浜。
点々と見える色とりどりのパラソル。
行き交う水着の人々。
屋台からおいしそうな食べ物の匂い。
 
目を丸くしているフランソワーズの手を引き、ピュンマは用心深く歩いた。
研究所前の浜と違って、結構いろんなモノが落ちている。
 
ジェットはすっかり機嫌を直して、水着姿の若い女性を品定めしていた。
 
パラソルを担いで先頭を歩いていたジョーとアルベルトが場所を決めると、張々湖とグレートが慌ただしくビニールシートを広げ、ジェロニモが荷物を下ろす。
 
「すごい…人だな…」
「うん…海水浴場は大体こんなだよ…」
 
ジョーは仏頂面のアルベルトに気づき、くすっと笑みをもらした。
 
「でも、こういうトコロだから楽しい…ってこともあるかもしれないし」
「う〜ん…ま、浜が広いのは結構なことアル…それに、研究所の前に比べたら波も静かネ…フランソワーズ、さっきからまん丸の目してるアルよ、遊ばせてあげるヨロシ」
「そうだな…じゃ、お城でも作ってくるか…ジョー?」
「…僕は…ここにいるよ」
 
遠慮がちに優しく言う少年に、ピュンマは少し顔を曇らせ…微笑むと、フランソワーズを抱き上げて浜に向かった。
その後をジェロニモがシャベルとバケツを持って続く。
 
「…何、無理してるんだ、オマエ?」
 
冷ややかな声に、ジョーは苦笑した。
 
「無理なんて…してないよ」
「これだけガチャガチャしているトコロにいるんだ…いつもと違って、オマエのことなんか、そう気にしないと思うがな」
「…そう…かもしれないけど…でも」
 
ジョーは曖昧に微笑むと、傍らのバッグからビニールのかたまりを取り出した。
 
「なんだ?それ?」
「…浮き輪」
「フランのか?」
「…ウン。ここなら波が静かだから、泳げると思う」
 
つぶれたビニールのかたまりに息を吹き込み続けるジョーに、アルベルトはフト首を傾げた。
なかなかふくらんでいかない。
 
「…それ…空気入れかなんか使ってやるんじゃないのか?」
「そう…みたいだね」
 
大きく深呼吸してから、ジョーはまた笑った。
 
「なんとかなるよ…空気入れより、僕のほうが強いし」
 
強い…ってなんだ?
 
アルベルトは心でつぶやいた…が、口には出さなかった。
 
 
 
大きな砂山の前にちょこんとしゃがんだ青白セパレート。亜麻色の髪。
護るように立つ黒い肌の青年と赤褐色の肌の大男。
遠くからでも結構目につく。
 
膨らんだ浮き輪を大きく振って、ジョーは足早に彼らに近づいた。
ビクン、と振り返ったフランソワーズの前に浮き輪を置き、そのまま海に走っていく。
 
呆然としているフランソワーズに、ピュンマは笑って浮き輪をかぶせてやった。
 
「ジョーが膨らましてくれたんだね…少し泳ごうか、フランソワーズ?」
 
 
水が胸のあたりに来たところで、ジェロニモは立ち止まった。
 
「このへんで…いいだろう」
「そうだね…」
 
ピュンマも用心深くうなずいた。
足の立たないところで泳がせるのは初めてだったが…
フランソワーズはごく上機嫌で浮き輪につかまっている。
 
「水がコワくないんだな、フランソワーズは」
 
満足そうに言うピュンマに、ジェロニモもうなずいた。
 
「この子は、水の精霊と話ができる」
 
水の精霊…ね。
 
ジェロニモの言うことが自分にわかっているのかどうかは怪しかったが。
ゆらゆら光る水面を見ていると、どうしようもなく心引かれる…のは確かだ。
 
「少し…泳いでこようかな…」
 
つぶやいたピュンマに、ん…と、ジェロニモがうなずこうとしたとき。
 
「ふ…ふ、ふぇえええええええ〜〜〜ん……!!!!」
 
たった今まで嬉しそうにぷかぷか浮いていたフランソワーズが、火がついたように泣き出した。
 
「ど、どうしたんだ、フランソワーズ?!」
 
慌てて引き寄せたが、フランソワーズは烈しく身をよじって泣き続ける。
鋭い目で辺りを見回していたジェロニモの眉が上がった。
 
「アレ…か?!」
「…え…?」
 
ジェロニモが指さした先に、半透明の丸いものがいくつも浮いている。
クラゲだ。
いつのまにか、クラゲの群れに近づいてしまっていたのに、二人は初めて気づいた。
 
「し、しまった…!刺されたのか、フランソワーズ?!」
 
ピュンマが顔色を変えたとき。
 
ざっぱん。
 
突然、大きな波しぶきがあがった。
 
「ぅわあっ?!」
 
咄嗟にフランソワーズを庇い、波を懸命にとらえながら、ピュンマは凄まじい速さで水中をゆく影を認めた。
自分以外に、あのスピードが出せる者といったら…
 
「ジョーかっ?!」
 
再び波しぶきがあがり…びしょ濡れになった茶色の髪を額にはりつかせた少年が水面から顔を出した。
 
「ご、ごめん…大丈夫?」
「何、考えてるんだ、君は…?!悪ふざけにしても…」
「…ピュンマ。ちがう」
 
ジェロニモはピュンマをおさえ、また海面をぐるっと指さした。
クラゲの群れが消えている。
 
いっそう烈しく泣き出したフランソワーズにちらっと目をやり、ジョーはすまなそうに言った。
 
「ごめん…君たちの周りにクラゲがいるのに気づいて…ちょうど囲まれるみたいになってたんだ」
「…あ。それ…じゃ」
「脅かして、ごめん…もうすぐお昼だから…戻るまでに、機嫌直してあげてよ…僕は、少し離れてるから」
 
寂しげな微笑を投げ、ジョーは砂浜に上がっていった。
 
「大丈夫…どこも刺されていない」
 
まだくすんくすん言っているフランソワーズを浮き輪から抱き上げ、念入りに肌を調べていたジェロニモが言った。
ピュンマはようやく息をついた。
 
「で、でも…だったら、フランソワーズ…どうして泣いたんだろう?」
 
…まさか、水の精霊とケンカしたわけじゃ。
 
 
 
昼ごはんが終って、今度はジェットとグレートがフランソワーズを連れて行った。
ジョーがふらっと戻ったときは、ジェロニモとピュンマは泳ぎに行き、パラソルの下には昼寝の張々湖とアルベルトだけが残っていた。
 
「オマエ…飯は?」
「大人に少しもらっておいたんだ…ちゃんと食べたよ」
「…フン」
 
不機嫌そうにそっぽを向くアルベルトが、何かをたたもうとしているのに、ジョーは気づいた。
 
「あ…それ…」
「……」
「そっか。着替えたのか、フランソワーズ…あのピンクの水着…可愛いよね」
「…当たり前だ」
 
そうだった。
アルベルトが選んだのだった。
 
去年の夏。
フランソワーズは、結局海に入ろうとしなかった。
彼女はいつも青いサンドレスを来て、麦わら帽子をかぶって、波打ち際で遊ぶといっても、せいぜいサンダルを脱いで、足首のあたりまでを波に濡らすぐらいで…泳いだことなどなかったのだ。
当然、水着姿を見たこともない。
 
一度だけ、テレビの海水浴のニュースをじーっと見ていた彼女に、君も、行ってみたい?ときいてみたことがあった。
かなりの勇気をふりしぼって言ったのだけど。
フランソワーズは笑って、こともなげに首を振った。
 
水着が…アレだと、恥ずかしいわ。
 
怪訝な顔になったジョーに、彼女は困ったように説明した。
 
私がいた時代では、あんな水着、なかったわ…あれじゃ、まるで裸と同じじゃない?
 
全然同じじゃない、と思ったけれど…
あまり強く主張するのは何か下心があると思われるような気がして、何も言えなかった。
 
ビキニは無理にしても…
こういうのなら、君でも着る気になったのかもしれないな。
 
アルベルトが選んだ水着を見たとき、ジョーはそう思った。
少なくとも、このフランソワーズは着る気になってるわけで。
ジェットが選んだ赤いビキニまで着たわけで。
 
女の子の水着姿をしみじみ眺めたことなどなかったけれど…
こうしていると、なんとなくぼんやり考えてしまうのだった。
 
彼女なら…水色のワンピースなんて似合いそうだな。
色が白いし、髪の色もよく映えるし。
恥ずかしがるかもしれないから、あの…よく知らないけど、腰にひらひらする布を巻けるやつにして。
 
もし…もしも、だけど…僕が君に水着をあげて、それを君が気に入ってくれてたら…
君は、泳いでみる気になったのかな。
君が泳ぐのは、いつも戦場だった。
あの…赤い服に身を包んで。
 
キレイで静かな海を、普通の女の子みたいに泳ぐのを…君は喜んでくれたかもしれない。
もし、僕が…
 
「おぉ〜いっ!アルベルト…ジョー!!」
 
あたふた砂を蹴り飛ばして走ってきたグレートの怒鳴り声に、ジョーは我に返った。
 
「なんだ…?やかましい」
「フ、フランソワーズが…っ!」
「…え?!」
 
途端に顔色を変えた二人の前で、グレートはがっくり膝を落とした。
 
「消えちまった〜!」
「な…ん…だって?!」
 
 
 
どうしてそんなことになったのか、というと。
どうしてなのか、グレートにもジェットにも説明がつかなかった。
 
強いていえば、この二人は前の二人ほど用心深くなく。
もちろん、こんな人混みの海水浴場にはなじみもなく。
さらに言うと、二人とも、ちょっとした興味を惹かれる他のものに出くわしていて…
それがたまたま重なったというか。
 
とにかく。
 
グレートが冷たい生ビールを飲み干し、ジェットがその日見た中で一番の美少女にウィンクを投げ、ふと気づいたら、そこにいたはずのフランソワーズがいなくなっていたのだった。
 
「いなくなった、ですむかっ!君たちはいったい…」
 
激怒するピュンマを、ジョーが押さえた。
 
「よそう…それより、早く探さないと…」
 
…そうだ。
心配なことはいろいろある。
 
「僕は、監視所の人に連絡してくる。迷子を預かるところにも。ジェットは空から…は無理だよね、アルベルトと一緒に砂浜を探してくれ。ジェロニモとグレートは店の中や駐車場の方を。ピュンマは…」
 
ジョーは一旦言葉を切り、軽く息を吸ってから、短く言った。
 
「…海を」
「…009」
 
重い沈黙を、張々湖の明るい声が破った。
 
「さ、急ぐヨロシ〜!私はここにいるアルね!フランソワーズ、賢い子アルからして、自分で戻ってくるかもしれないアル!」
「うん…そう…だね。そうだ…ありがとう、張々湖」
 
伏せられていた茶色の眼がぱっと上がり、仲間達を見回す。
 
「…行こう!」
 
 
 
探し始めてから30分。
フランソワーズは見つからなかった。
 
ジョーの依頼を受けて、海水浴場には何度となくアナウンスが流れた。
 
「ピンクの水着に金髪の、2歳ぐらいのお嬢さんが迷子になっています…」
 
かなり目立つコドモのはずなのだが。
スピーカーから聞こえるアナウンスはかなり音が割れていて、聞き取りにくい。
 
笑いさざめく人たち。
大声で何か叫びながらビーチボールを追う若者達。
走り回る子供達。
 
「フランソワーズ…!フランソワーズ…っ!」
 
必死の形相で叫び、駆け回りながら、ジョーは目が合った人を片っ端からつかまえて、彼女の姿を見なかったか、尋ね回った。
ほとんどの人が同情…或いはそれ以上のキモチで答えてくれたのだが…手がかりはなかった。
 
どう…して…?
 
ピュンマからは、何も連絡が入らない。
…いや、入ったら…そのときは。
 
ジョーは堅く唇を噛みしめ、首を振った。
ピュンマがどんな気持ちで探しているかを思えば、余計なことを考えている場合ではない。
一刻も早く、彼女を見つけ出して…彼の苦しみを終わりにしなければいけない。
深呼吸して、頭を振り上げる。
 
しかし。
これだけ探し回っているというのに、何の手がかりもない…ということは。
しかも、探している自分たちは常人ではない。
 
コドモの足で、この時間内に行けるところなら、探し尽くしている。
…ということは…まさか…!
 
ジョーは踵を返して、駅のある方へ走った。
 
誘拐されたのなら、クルマを使っているはず。
あれから30分…もうこの辺りにはいないだろう。
警察…はキライだけれど、そんなことを言っている場合ではない。
届けないよりは届けた方がマシかもしれないし。
 
町中に駆け込み、交番を探し始めたとき。
ジョーはハッと立ち止まった。
 
コドモの泣き声がする。
まるで、火がついたように泣き叫ぶその声は。
 
「フランソワーズ!」
 
叫ぶなり、ジョーは、声に向かって矢のように走った。
 
 
 
「ど…どうしたんだ、急に…?」
「泣かない、泣かない…すぐ、お母さんのところに連れていってあげるから…」
「…まさか、どこか痛くしたのか?おなか…かな?」
 
突然泣き出し、懸命になだめても一向に泣きやまない幼女を囲み、若者達は慌てていた。
 
「オマエが調子にのって氷なんか食わせるから…!」
「な、なんだよっ!オマエたちだって止めなかっただろ?可愛いって盛り上がって…」
「とにかく、急ごう…しょうがない、抱っこして…」
「抱っこォ?!…どうやるんだよ?」
「俺、やったことないぞ…」
「いいから…!早くしないと、病気だったらどーするんだよっ!…ン?」
「…なン…だ?」
 
いきなり現われ、肩で息をしている茶色の髪の少年に、彼らは目を丸くした。
 
「…その子を…離せ…!」
 
優しげな顔立ちにそぐわない、少年の地を這うような声に、ケンカ慣れしている…という自覚もそれなりにある彼らではあったが…少々ひるんだ。
そして。
少年が現われた途端、幼女はますます烈しく泣き始めた。
 
「聞こえないのか?…その子を、離せっ!」
「ふ、ふ、ふぇええええええ〜〜ん!!!!!!」
 
金色に髪を染めた若者が一人、幼女を背中に庇うようにして一歩前に出た。
 
「なんなんだ、オマエ…?デカイ声出すんじゃねえっ!…怖がってるじゃねえかっ!」
「…な…っ!」
 
ジョーの胸の奥で、何かがぷつん、と切れた。
アタマが真っ白になりかけ、拳を握りしめたとき。
 
「ふぇっ、ふぇっ、ふぇえええええええ〜〜ん!!!!!!」
 
フランソワーズはますます声高く泣きながら、ふらふら歩き出し…
 
…ジョーの足にしがみついた。
 
「…フ…フラン…?!」
「…なんだ?オマエ…その子の親戚か?」
「ふぇええええええええええ〜〜〜ん!!!!!!!!」
 
若者達は思わず両耳に指を突っ込み、顔をしかめた。
 
「…でも、ないらしいな…似てないし…」
「第一、この子、完全にガイジンじゃねえか…日本人の血なんて、これっぽっちも…」
「とにかく…!ケーサツに行こうぜ…!」
「…なっ!」
 
ジョーはキッと若者達を睨んだ。
 
「警察…だって?!」
「イヤなのかよ?…だったら渡せねえな…ここんとこ、物騒な世の中だし…オマエみたいな優しそうな顔してるヤツが、実はトンでもないヤツだったりすることも…」
 
「まあ、ある意味、それは正解…かもしれんな」
 
不意に凍るような声が降った。
振り返ると、アルベルトがこれ以上ないといった仏頂面で立っている。
 
「娘が…世話をかけたようで…すまなかった」
「ア、アルベルト…!」
「いくぞ、ジョー」
 
まだジョーの足にかじりついて泣いているフランソワーズを慣れた手つきで抱き上げ、立ち去ろうとしながら…アルベルトはふと若者達を振り返った。
 
「何か…礼をしたいが」
「…えっ?!」
 
凍り付く空気。
若者達はそれぞれ必死にかぶりを振った。
 
「…そう…か。本当に、世話になった…ありがとう」
 
無言のまま、まだ微かに震えているジョーをうながし、アルベルトはさっさと歩き始めた。
 
「ア…アルベルト」
「ジョー、オマエ、ちょっと離れて歩け」
「…え?!」
「馬鹿…!オマエがいるから泣きやまないんだよ」
 
フランソワーズは相変わらずわんわん泣き続けていた。
道行く人々のほとんどが一瞬足を止め、振り返る。
 
ジョーはあ、と立ち止まり…軽く唇を噛むと、走り出した。
 
 
10
 
アルベルトが頗る不機嫌だったのは、ピンクの水着にくっついた、氷イチゴの染みのせいだった。
 
「…ったく…!何の考えもナシに、こんなもん食わせやがって…あの馬鹿野郎ども」
「でもさ…要するに、その人たちは、フランソワーズが迷子になってると思って、町の交番に連れていってくれるところだった…わけだよね?」
「それで、途中で氷イチゴ買ってやったり、こんなモン買ってやったりして…時間食ったってわけか?」
 
ジェットは、フランソワーズが握りしめていたオモチャの笛をぴいぴい吹き鳴らしてみせた。
 
「うるさいアルよ、ジェット…ったく!ホントに非常識アルね、今時の若いモンは…!」
「言葉、通じないと思ったからだ…悪気はなかった。きっと」
「まぁ…とにかくよかったよ…いやぁ、寿命が縮んだぜ、実際…」
「全部縮んだ方がいいアルよ、アンタ!もともとアンタのせいアルね…!馬鹿は死ななきゃ直らないアルからして…」
「何おぅ?!」
 
フランソワーズは、ジェロニモの膝に抱かれてぐっすり眠っている。
ジョーはそっと立ち上がり、パラソルに手をかけた。
 
「そろそろ…帰ろうか」
「…あ、ああ…」
 
 
海岸線が少しずつ赤みを帯びてくる。
研究所へ向かう道に入ったとき、ジェットがぽつりと言った。
 
「ジョー…起きてるか?」
「…うん?」
 
二人は、オープンカーで仲間達の乗ったバンを追いかけていた。
ジョーが乗り込むとフランソワーズが泣くので、クルマは2台必要だった。
 
「オマエ、また余計なコト考えてるだろ?」
「…余計な…コト?」
 
赤毛の青年は、ふん、と高い鼻をさらにそびやかすようにした。
 
「見もしらねえ怪しいオトコどもに、おとなしくくっついていって、食い物やオモチャも貰って平気なくせに…なんで自分には懐かねえのか…とかさ」
「…ジェット」
 
ジョーは運転席のジェットを思わずまじまじと見つめ…ふと微笑んだ。
 
「ごめん…心配…してくれてるんだ。でも…」
「俺な、ずっと考えてたんだけどな」
「…え?」
 
ジェットは真っ直ぐ前を見つめながら言った。
 
「フランは…オマエが近づくのがわかったから…泣いたんだ。たぶんな」
「……」
「泣いたから、オマエはフランを見つけることができた」
「…ジェット」
「昼間のクラゲのときも、泣いたそうじゃないか、アイツ」
「それは…!まさか」
「いや…そうだと思うぜ、俺は…アイツ、なんか、勘みたいなモンで、オマエが近くにいるのがわかるんだよ…それで、泣くのさ…オマエに教えるために…私はここにいる〜っ!…ってな」
「…まさか」
 
考え込むジョーを横目で確かめ、ジェットは得意そうに笑った。
 
「アイツ、そういう女だったじゃねえか…そういう風に考えとけばいいのさ…!」
「…キミには、かなわないな」
 
苦笑するジョーのアタマを左手で小突き、ジェットは最後のカーブのハンドルを片手で切った。
 
 
11
 
「ジョー…ちょっと、いい?」
「…フランソワーズ?」
 
遠慮がちなノックに、ジョーは首を傾げた。
こんな夜遅くに…なんだろう。
 
ドアをあけると、フランソワーズが少し困ったような、恥ずかしそうな様子で立っていた。
 
「どうしたの…?」
「あの…あの、ね…来週…海水浴に…行くでしょう…?」
「……うん」
 
なんとなく嫌な予感がして、ジョーは思わず身構えた。
 
「それで…あなたに貰った……水着なんだけど…」
「…あ」
「買ったお店の名前、覚えてる…?それから…できたら、レシートも…」
 
ジョーは瞬きして…次の瞬間、頬が熱くなるのを感じていた。
 
「あ…ええと…」
「ごめんなさい…!」
「そ、そんな…あやまらなくて…いいよ…待ってて」
 
ジョーはうつむいたフランソワーズの両肩を優しく叩いてから、部屋に入った。
こんなことになると思っていたから、レシートはちゃんととっておいた。
「絶対、気に入られるはずですわ…!」と力説した女性店員に、それでも取り替えは可能かどうか聞いて、頼み込んでおいた。
…大丈夫なはず。
 
「…はい。これ…」
「あ、ありがとう…あの…ジョー」
「気にしないで…初めてなんだよね…少しでも、気にいったのを着てくれた方がいいよ…僕は、その…」
 
君が水着で泳いでいるのを見たかっただけ…とかいうと、なんか凄く邪な感じがする。
ええと、そうじゃなくて…なんて言えばいいんだろう?
つまり、僕はただ、君が…
 
「そ、そうじゃないの…!気に入らないんじゃないのよ、ジョー!…ただ…その…サイズが…」
「…え?」
「ちょっと…ね、サイズが…うまく合わなかったの…試着しないと、駄目ね…やっぱり…」
「あ…。そ、そう…なんだ」
「ブラウスと同じでよかったはずなんだけど……ごめんなさい」
「う…ううん…だから…その、気にしないで」
 
レシートを受け取り、フランソワーズは顔を上げ、爪先立つと、軽くジョーの頬に唇を当てた。
 
「ありがとう…ジョー。とっても嬉しかった…海水浴、楽しみにしてるわ」
「う、う、うん…」
 
おやすみなさい、とドアが閉まった。
そのままふらふらとベッドに倒れ込み、天井を見つめながら、ジョーは頬に残った柔らかい感触にぼんやり酔っていた。
 
サイズが…合わなかった…のか。そうか。
ムズカシイんだな…女の子の服って。
 
大きすぎたのかな…?
それとも。
 
「わわわわわっ!!!!」
 
ジョーは慌てて飛び起き、深呼吸した。
 
それは…その、なんだ。
気になると言えば気になるけど…
フランソワーズにそんなこと聞いちゃ駄目だぞ…絶対に駄目だっ!
そんなことしたら…
 
枕をたぐり寄せ、ぎゅっと抱きしめる。
 
「わぁ〜。でも…やっちゃいそうだな〜!」
 
情けない声で呟き、ジョーは目を閉じ、アタマをぶんぶん振った。
 
ある意味野生的なまでの009の勘が的中するのは、その数日後。
人気も途絶えた、美しい浜辺でのことになる。
 
更新日時:
2003/08/11

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Last updated: 2003/8/11