1
「しまったっ!」
思わず呻き、009は振り返った。
003が、地面を転がるようにして、襲いかかる機銃から必死に逃れている。
その腕に、しっかりと001を抱きしめて。
「…チクショウ!」
即座に加速装置のスイッチを入れ、二人を狙い撃ちしていた敵を叩いた。
気を配りながら戦っていたはずだったのに一瞬死角ができたらしい。
「怪我はないか、003?!」
「え、ええ」
さっと身を起こした003は気遣わしげに腕の中をのぞき込んだ。
「…ふ…ふぇ…っ、ふぇ…」
赤ん坊は震えるように身をよじり、鼻声を鳴らしている。
「ああ…ごめんなさい、イワン…怖かったわね…もう大丈夫よ…」
「まだ…寝ぼけてるのかな?」
009がのぞき込むと、001は003の胸に顔を埋めてしまった。
同時に、003は息を呑み、小さく叫んだ。
「イワン…!怪我してるわ…!」
「ホントだ…!」
後頭部から血が流れている。
擦り傷…ではなさそうだった。
「弾が…かすったのか?」
009は緊張しながら001を抱き取ろうと両手を伸ばした…が。
赤ん坊はいやいやをするように一層強く003の胸にしがみついた。
大丈夫…か。
目は覚めているみたいだ。
009はほっと肩の力を抜いた。
目を覚ましているなら、001は傷を自分で治すことができる。
思ったとおり、少しずつ傷口がふさがっていくのがわかった。
攻撃は一段落したようだった。
仲間たちがばらばらと集まってくる。
「大丈夫か〜?!」
ああ、と手を振り、009は立ち上がった。
「撃たれてただろう?003と001は…?」
「私は大丈夫…でも、001が」
「…うわ」
「ひどいな…狙い撃ちだね、これは」
一番に駆けつけた002と008が眉を寄せた。
「狙い撃ち…001を?」
「…ああ」
009もうなずいた。
「あいつら、頭部を狙ったんだな」
「うん…これだけ執拗に狙われると、003では荷が重くなるね…001が眠っているとき、誰がつくことにするか、もう一度検討しなおした方が…」
「…ひどい。」
低い怒りのこもった声に、男たちは思わず振り返った。
001を抱きしめた003がゆっくり立ち上がる。
「ひどいわ。こんな小さな赤ちゃんを狙い撃ちするなんて…許せない…!」
「00…3?」
いや、赤ちゃんとは言っても、彼はある意味最強のサイボーグなわけで、だから、敵もそれなりに…
…と、言いかけた008は、賢明にも咄嗟に口を噤んだ。
002と009はもとより硬直している。
こんな表情の003を見るのは初めて…だった。
こんな表情というのは、つまり。
「…009!」
「…えっ?」
「逃げようとしてる…追うわよ!」
「追う…って、ええと…003?」
「001をお願い!」
008に001を押しつけるように渡すと、003は駆け出した。
「ちょ、ちょっと待てよ、003…!」
「何してるの、009?!…早く!!」
002は、戸惑っている009を無言で前に押し出した。
「002…?」
「いいから行け…!俺たちは後から追う」
「で、でもそれなら作戦を立ててからみんなで…」
003がぴたっと立ち止まり、ものすごい勢いで振り返った。
「009…っ!?」
「…ホラ行けよ馬鹿!」
突き飛ばされるように押されて、009は瞬きしながらも走り出した。
「ったく…最強のサイボーグが聞いてあきれるぜ。危機管理能力のないヤツ」
「本当だね…」
008も苦笑した。
「で、お嬢さん、飛び出しちまったが…俺たちはどうするよ、参謀さん?」
「どうする…って…後を追うしかないなぁ…これじゃ作戦もなにも…」
「作戦なんて必要ない」
突然頭の中に響いた落ち着き払った声に、二人は目を丸くした。
「へ?」
「001…?大丈夫なのか?」
のぞきこむ008の問いには答えず、001は言った。
「とにかく、勝てばいいのさ…違うかい?」
いいえ。
違いません。
二人は何となく天を仰ぎ、ココロでつぶやいた。
2
そういえば、どこかの神話に戦いの女神ってのがいたよなあ…と009はぼんやり思った。
すごい。
とにかく、すごい。今日の彼女は。
003の前に立ちふさがった敵を加速して倒し、振り返ると、009は尋ねた。
「きみ、そんなに悔しかった?」
「…え?」
「イワンが、撃たれたこと…さ」
「当たり前じゃない…!」
003はぎゅっと唇を噛んだ。
こみ上げた烈しい怒りで、白い頬にさっと朱がさす。
何ともいえない美しさに、009は思わず微笑した。
「何が、おかしいの?」
「いや…さあ、もう少しだ。頼むよ、003」
促されて、003は表情を引き締めた。
張りつめた横顔。
じっと遠くを見つめる青く透明な瞳。
「ロボット兵の一団が守りを固めてる…10体。さっきのと同じタイプよ」
「サイボーグは?」
「いないわ。これで終わりね…でも、急がないと!もう、司令官は脱出艇に乗っているわ!」
009は再び微笑した。
「O.K.…きみはここから戻って、みんなと合流するんだ」
「でも!」
「後は僕がやる。急ぐんだろ?」
「私は、足手まといだって言うの?」
返事はなかった。
あっという間に009の姿は消え、次の瞬間、烈しい爆発音が続いた。
同時に、脳波通信が入る。
〈003…!すまないけど、コントロールルームを探してくれ!脱出艇が出る前に、ゲートを閉めてほしいんだ!〉
〈009…?!〉
〈ちょっと手こずってる…脱出艇まで手が回らないと思う、ゴメン…必ず助けに行くから、頼む!〉
〈わかったわ…任せて!〉
素早く辺りをサーチし、003は駆け出した。
自爆装置が作動したのか、あちこちで爆発が起こり始めている。
背後の壁や天井がみるみる崩れ、退路がふさがれていくのがわかる…が、恐怖は感じなかった。
009が必ず助けに行く、と言ったのだ。
彼は、必ずくる。
だったら、自分も…彼の信頼に応えなくては。
003は、がれきと硝煙と炎の中を駆け抜けた。
コントロールルームの扉が見えたとき、異様な音が耳をかすめた。
「いけない…っ!」
咄嗟に床に伏せたのと、扉がすさまじい勢いで吹き飛ばされてきたのと、ほとんど同時だった。
爆風がおさまるのを待ち、003は慎重に身を起こし、サーチを始めた。
部屋の内部では、巨大な機械のあちこちが大破し、火花を散らしていた。
コントロールルームは、もはや機能していないようにも見える。
…が。
「あれだわ…!」
まだ生きている回路のうち、一つが脱出口のゲートにつながっていた。
003は一瞬の迷いもなく、スーパーガンを撃ち込んだ。
部屋全体が悲鳴を上げた。
轟音が辺りを包み、天井が落ちてくる。
入り口も、がれきでふさがれ…
…た、と思ったとき、体がふわっと浮いた。
「さあ、帰ろうか…フランソワーズ」
不意にまぶしい光を浴びて、003は思わず目をつぶった。
そのままでも、わかる。
自分はもう、基地の外にいて…そして。
009の腕に抱かれている、と。
「…加速装置って…スゴイのね」
「うん…?」
薄く目を開けると、009が不思議な微笑を浮かべ、じっと見つめていた。
「きみの方がずっとスゴかったと思うけどな」
「…ジョー?」
なりふりかまわず子を守ろうとする、母の美しく猛々しい瞳。
野生の獣のように、しなやかで危険な…雌の肢体。
009は003を強く抱き寄せると、その耳に唇を寄せ、囁いた。
「ありがとう…助かったよ」
いきなり、息ができなくなり、003は目を見張った。
彼の唇が重なっている…と気付いたときには、口づけは更に深くなっていた。
何がなんだかわからない…が、体から少しずつ力が抜けていく。
懸命にもがいた。
「可愛いね、フランソワーズ…」
「…ジョー…?」
「まだ…みんな、来ないよ…さあ、おとなしくするんだ」
「ど…どうしたの…?待って…お願い、イヤ…!」
009は、003を岩陰にそっと抱き下ろし、口づけを繰り返しながら、ゆっくり押し倒していった。
なすがままにされているのに、それでも恥じらいに身をこわばらせ、抵抗しようとする仕草が愛しくてたまらない。
戦いの女神のようだった彼女が、腕の中で愛らしい少女に変わっていくのを、009は痺れるような歓びとともに感じていた。
君がいけないんだ。
あんなに…きれいで、優しくて、炎のようで。
今更そんな顔して泣いたって駄目だ、逃がさない。
僕の、フランソワーズ…!
…が。
突然、003が頓狂な声で叫んだ。
「イワン…?!」
驚いて手をゆるめた隙に、彼女は魔法が解けたように009の腕からすり抜け、起きあがると、駆け出してしまった。
まるで、子猫だ。
仲間たちの気配が近づいてくる。
009は思わずため息をつき、ゆっくり立ち上がった。
仕方ない…な。
でも、今夜は…必ず。
僕をこんなにしたのはきみなんだから、きみに鎮めてもらうしかない。
許さないよ、フランソワーズ。
まだミッション中…といえばそうなのだが。
自分がその気になれば、場所を選ぶ必要はない。
009は深呼吸を繰り返してから、仲間たちの元へ歩き始めた。
3
ドルフィンは次の戦場へと向かっていた。
一旦、研究所に戻る…という案もあったが、001が起きているうちに、攻撃を進めておいた方がいい…という結論に、結局は落ち着いた。
「001…まだぐずっているのかい?」
心配そうに振り返った008と006に、002は肩をすくめてみせた。
「ああ…ママから片時も離れようとしないぜ、甘ったれが…ったく、アレのどこがエスパーなんだか」
「仕方ないアルねえ…001、今日は凄く怖い思いしたアルからして…」
「トラウマ…か?まあ…そういうこともあるんだろうな」
「本当に…そう思うかい、002…006?」
「うん?」
二人はけげんそうに008を見た。
彼は、何か深く思いに沈んでいるようだった。
「001はただの赤ん坊じゃない。たとえば…今日、003はあれだけ烈しく戦ってるんだ。いつもよりずっと体力も消耗しているはず…本来なら、ゆっくり眠らせてやらなくちゃいけないだろう?」
「まあ…そうだな。それがわからない001じゃない…って言いたいのか?」
「でも…そうは言っても001、やっぱり赤ちゃんアルからして…きっと撃たれて痛い思いしたこと、よっぽど怖かったネ…ママに抱かれて安心したいアルよ」
「そう、なんだろうけどね」
「…008?」
008はふと天井を見上げた。
「001が眠りに入るまで、あと2週間…それまでにこの作戦、片づくかどうか。時間的にはぎりぎりだな」
「たしかに…だが、万一間に合わなくても…何とかするさ」
「…うん」
「何、考えてるアルか、008?」
「…いや」
何も言わないでおこう、と008は思った。
自分の考えが当たっているとは限らないし…仮に当たっていたとしても、どうにもならないことだし。
それに、とにかく、001に間違いはないのだ。
今日もそうだったわけで。
「009は…どうしてる?寝たのかい?」
「いや…アイツも何だか冴えちまってるみたいだな。見張りに立ってるぜ」
「いっくら休んだ方がいい、言っても聞かないネ…強情アルからねえ、009は…」
「…だがよ」
002はにやっと笑った。
「俺は、結構イイ感じだと思うぜ?何て言うか、アイツの目…マジになったときの目なんだよな」
「…ふうん?」
「下手に休む必要なんかねえな。ほっといた方がいい…まるで野生の狼だ。滅多にないことだが、アイツがああなってくれると…まあ、頼もしいぜ」
「……」
たとえば。
野生動物には…思いがけないほど凶暴化するとき、というのがあったりするわけだ。
コドモを連れている雌がソレだし。あと。
発情期の雄とか。
「…008?」
002のいぶかしげな声に、008は考えるのをやめ、ああ、と微笑んだ。
「オマエも…少し休んだ方がいいだろ?ここは俺が見るぜ」
「うん。ありがとう…そうさせてもらうよ、002」
どうやら…長丁場になりそうだもんな。
2週間じゃカタはつかないらしい。
そういうコトだろ、001?
008は足音を忍ばせて、コックピットへ向かった。
入り口から中をのぞくと、009が一人、身じろぎもせず、闇を映し出すモニターをにらむようにして立っている。
たしかに…002が言ったとおり。
背中を見ているだけで、並々ならぬ気迫がうかがえるような気がした。
うん、コレなら大丈夫だろう。
001が眠っても、こっちの攻撃力は落ちない。
心配なのは、003の睡眠不足だけど。
でも、まぁ、そうか。
夜泣きのお守りの方が彼の相手よりは楽かもしれないわけで。
なるほど。
やっぱり、敵に回したくないな。絶対に。
君は…恐ろしい男だよ、イワン・ウィスキー。
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