2010/3/9
エンジェル




 
「どういうことか、説明しろっ!!!!」
 
ジェットの罵声に答える者はいなかった。
答えることができるかもしれない唯一の者であるところの赤ん坊は、眠っている。
 
「ああもうっ!大きな声出しちゃダメだよ、ジェットっ!!!」
 
ジョーが叫ぶのと同時に、幼女はジェロニモの胸にぎゅっと顔を押し付けた。
 
「ほら…!泣いちゃった」
「お、お前だって大きな声出しただろうが、今っ!」
「ほ〜らほら、お嬢ちゃん…こっちを向いてごらん〜」
 
おどけた声に振り向くと。
グレートが百面相を披露していた。
おそるおそる顔を上げ、やがてじーーーっと見つめる幼女。
 
最後の涙が一滴、ぽろっと頬にこぼれ。
やがて、青い瞳が輝き始めた。
 
「よしよし…面白いだろう?ほらっ!!!」
 
笑い声。
男達はほっと息をついた。
 
「と、とりあえず…グレートに任せるネ…」
「そう…だな…寝かせてやれば…その」
「うん…もう一度寝ればもとに戻っているかもしれないし」
「…そうなのか?」
 
聞き返されて、ピュンマは肩をすくめた。
「もしかしたら…って思っただけさ」
 
 
 
もう一度寝て目覚めても、幼女は幼女のままだった。
 
朝から頭を抱えどおしだったギルモアは、気力を奮い起こし、彼女の検査をはじめた。
 
推定年齢2歳。
もちろん、人間。
サイボーグではない。
遺伝子は…フランソワーズ・アルヌールと一致。
 
ギルモアは結論を出した。
 
「彼女は、フランソワーズじゃ」
 
理由など見当もつかない。
が。
フランソワーズがコドモ…というか、幼児になってしまった。
 
「…お前…昨夜一体、彼女に何をした?」
 
真顔でアルベルトに問いつめられ、ジョーはうろたえた。
 
「な、何……って。ただ…フツウに…」
「フツウっ?!」
 
ジェットが爆発した。
 
「どうしてフツウなんだ、どこがフツウなんだよ、この状況が?あぁっ?!」
「そんなこと言われたって…僕にもわからないよっ!!」
「だからっ!…てめぇ、寝る前、彼女に何したのか、言ってみろっ!全部っ!!!」
 
ピュンマは無言でジェットの後頭部を殴り、沈めた。
 
「…そんなこと聞いても意味ないよ…たぶんね」
 
 
 
フランソワーズは、ほどなく彼らに懐いた。
母親を探してぐすることもなく。
 
彼女の記憶がどうなっているのかは、さっぱりわからなかったが…
そもそも、2歳児の記憶を追求したところで、何がわかるというわけでもない。
というのがギルモアの半ばなげやりな意見だった。
 
彼女は片言ながら話をする。
オムツもとれかけているようだった。
 
グレートが彼女の世話をした。
一番懐かれていたので。
 
お風呂もいっしょ。
ゴハンもいっしょ。
トイレもいっしょ。
 
「おじちゃん」の後をフランソワーズはてくてく追って歩き。
「おじちゃん」の腕に抱かれなければ眠らなかった。
 
「…なんで…よりによってグレートに懐くかなぁ…?」
 
しみじみ首を傾げるジェットに、張々湖は笑った。
 
「一番面白いアルからねえ!コドモってそんなものネ」
「…そう…なのか?」
 
そう言われてみると…フランソワーズは俺を見ると、必ず鼻に触ろうとする。
触らせてやると…喜ぶ。
それは嬉しそうに笑うので…
つい触らせてしまうのだった。
 
「私に懐くのは、おいしいモノあげるからアルし…ジェロニモは大きくて面白いのネ、きっと」
「…そっか」
 
ジェットはうなずいた。
 
ってことは…ピュンマは黒いから面白くて…イワンは赤ん坊だから親近感がある。
でもって、博士は…うん、あの鼻と髭だろう。
 
じゃ…アルベルト…は。
…まさか。
 
興奮気味の笑い声に、ジェットは振り向き、ぎょっとした。
フランソワーズが、アルベルトの右手をいじっている。
アルベルトは手袋を外していた。
 
「…ほら、穴が開いただろう?」
 
のぞいてごらん、と開いた5つの銃口を青い瞳に向ける。
フランソワーズはきょとん、と銃口を覗き込み。
やがて、嬉しそうに鋼鉄の指をつかみ、ぱくっとくわえた。
上機嫌ではしゃぐフランソワーズに、アルベルトも優しく笑いながら言う。
 
「バカだな…こんなモノ食ってもうまくないぞ…」
 
ぶるっと身震いして、ジェットは二人に背を向けた。
なんか…怖い。
何が怖いのか…わからないが、めちゃくちゃ怖い。
 
「アルベルト…意外に子煩悩アルのねエ…」
 
…違う。
違うって、大人。
 
「アブナイよ…!あんなことして」
 
不機嫌きわまりない呟き。
ジョーがむくれている。
 
さっき、フランソワーズを抱き上げようとして、大泣きされたばかりだった。
 
「あんなモノで遊ばせたら、情操教育にもよくないし」
「おぉ?難しい言葉、知ってるアルねえ、ジョー?」
「冗談言ってるわけじゃないっ!」
 
ジョーの声が聞こえたのか聞こえていないのか。
アルベルトはどっこいしょ、とフランソワーズを抱き上げた。
 
「よし、今日はおじちゃんとお風呂に入るか?」
 
おじちゃんの膝にはもっともっと面白いモノがあるんだぞぉ〜と、アルベルトはフランソワーズに囁いた。
青い目がまんまるくなる。
 
「アルベルトっ!!」
 
ありったけの怒りがこもったジョーの声に、ふとフランソワーズが振り向いた。
 
視線が、ぶつかる。
数秒後。
 
「ふぇええええええええ〜〜〜ん!」
「フ、フ、フランソワーズ…!ち、違うよ…君に怒ったわけじゃなくて…泣かないでよ〜!」
 
おたおた近づこうとすると、フランソワーズはますます泣きじゃくり、アルベルトにしがみついた。
アルベルトは、よしよし…とフランソワーズを揺すり上げ、ジョーを睨んだ。
 
「怖くない怖くない…おじちゃんと行こうな?ほら、見てごらん〜」
 
銃口をひらひらさせながら、アルベルトはバスルームへ向かった。
呆然と二人を見送るジョーに、ジェットが気の毒そうに話しかけた。
 
「そういや、お前のカラダって…面白いトコロがないもんな、全然」
 
 
 
イワンが起きるまで…あと10日。
それで…何かわかればいいんだけど。
 
ジョーは深いため息をついた。
そうだ。イワンなら、何かわかるかもしれない。
 
あの夜…イワンが寝付いた夜。
久しぶりにフランソワーズを抱いて…愛した。
 
一緒に住んではいるけれど…仲間たちが訪ねてきていて、イワンも起きているとなると、彼女は忙しい。
本当に久しぶりだった。つい夢中になって。
彼女も…優しかった。
 
満ち足りた気分で眠りにつき、目覚めたら…腕の中に彼女がいない。
かわりに、幼児がいた。
大きな青い目をぱっちりと開き…
 
次の瞬間、火がついたように泣き出した。
 
あれから…ずっと。ずっとだ。
みんなにはなんだかんだ言って懐いてるのに…
僕だけ。
僕のことだけ、彼女は怖がる。
目が合っただけでも泣きそうになって。
 
コドモには…懐かれる方だと思ってたんだけど。
どうしてだろう。
 
…いや、それより。
 
みんなどうかしてる。
フランソワーズの機嫌をとることにばっかり夢中で。
根本的問題から目を反らしてるじゃないか。
 
もし…もしこのままだったら。
 
僕たちは…どうなる?
 
 
 
フランソワーズは砂場で無心にシャベルを使っている。
昨日、グレートが買ってきた新しい赤いシャベル。
 
公園に行こう、と張り切り、いやがるジョーも無理に連れ出しておいて。
グレートは不意に姿をくらませてしまった。
 
何考えてるんだ、グレートは。
 
ジョーはこっそり息をついた。
 
今は、ああやって夢中で遊んでるからいいけど。
早く帰って来てくれないと…
僕と二人で取り残されたと気付いたら、またわんわん泣かれるのになぁ。
 
ベンチに腰掛け、膝の上で頬杖をつき。
ジョーはぼんやりフランソワーズを眺めていた。
 
彼女は一心不乱に穴を掘っている…というか、掘っているつもりなんだろう。
ぎこちない手つきで。
その手が、ふと止まった。
亜麻色の小さな頭が持ち上がり…止まる。
 
…ん?
 
ずっと止まったままの頭に、ジョーは首をかしげ…
その向いた先を追った。
 
…あ。
 
若い母親たちが、楽しそうに子供を遊ばせていた。
 
シャベルが、砂の上に落ちる。
ふらっと立ち上がろうとしてよろけたフランソワーズに、ジョーは駆け寄った。
 
「…フランソワーズ!」
 
さっと抱え上げ、走り出す。
公園から駆け出し、走って走って…
 
砂浜にたどりつき、ジョーは懸命に呼吸を整えた。
胸の中をそっとのぞきこむと。
青い目が怯えた色をたたえ、揺れている。
ぎゅっと抱きしめた。
 
「きっと…きっと元に戻してあげるから…だから!」
 
小さな鼓動が腕に伝わる。
ああ…ダメだ…気付いてしまった…見てしまったんだ、君は。
 
遠い記憶。
いつのことか…わからない。
でも、僕も気付いた。
 
「神父さま…どうして、僕にはお母さんがいないの?」
 
どうして、なんて…誰にも答えられない。
神父さまも答えられなかった。
その代わり…優しく僕の頭を撫でて…それから、強く抱きしめて…
 
大丈夫…君にはちゃんとお母さんがいる。
君が覚えていなくても…僕は知ってる。
会えなくても…記憶はなくても。
 
それに…それにね、君には僕たちが…僕がいるから。
いつも、そばにいるから。
僕たちはずっと一緒だ…一人になんかならない。
 
信じて。泣かないで。
信じよう。
…そうだ。
 
僕も信じる。君と一緒に。
信じてみる。
だから…泣かないで、フランソワーズ。
 
彼女は、泣かなかった。
 
大きな青い目を見開き、震えるジョーの前髪にそっと触れ…
微かに、笑った。
 
 
 
「それで…?誰も一歩も近づけないのか?」
「だって…すっごい緊迫感アルよ!」
「そうそう、触らぬ神にたたりなし…ってやつ?」
 
やめとけ、と止める仲間にかまわず、ジェットはそっと居間のドアを開けた。
 
ソファにジョーが座っている。
身じろぎもせずに。
 
彼の膝の上で、フランソワーズが無心におしゃぶりをいじっていた。
 
やがて。
ぽろっとおしゃぶりが落ちる。
 
フランソワーズが身を乗り出し…膝から落ちそうになった瞬間。
 
加速装置でも使ったような勢いで、ジョーは彼女を抱え直し、おしゃぶりを拾い、彼女の手に持たせた。
所要時間2秒。
そして、またじっと動かなくなって。
 
「…なに…やってんだ、ジョーのやつ…?」
 
そうっと居間のドアを閉め、ジェットは張々湖に尋ねた。
 
「わからないアルねえ…散歩から戻ってから、ずっとああね…」
「いや、俺が気を遣って、ふたりだけにしてやったのさ…そしたら…どうやら泣かなくなったらしいんだけどな…だって、あいつ…フランソワーズを抱いて戻ってきたんだから…」
「でも…スゴイ顔だったよね。がちがちに緊張しててさ」
「そうそう!…いつ泣かれるか、ハラハラしてたアル、きっと!」
 
ジェットは口の中でつぶやいた。
「変な奴ら…」
 
ジョーは、子供の扱いがうまい。
教会で慣れていたせいかもしれないが。
大抵の子供は彼に懐く。
あやし方だって、実に見事なもので。
 
それが…なんでフランソワーズが相手だと、ああなっちまうかなぁ?
いいじゃねえか、少しぐらい泣かれたってよ…
変な奴ら。
…いつもと変わりゃしねえ。
 
数十分後。
もう一度そっと居間を覗いた仲間達は、ソファの上で眠る少年と、その膝で眠る子供に、目を丸くした。
 
「そっと…しておいてあげるアル」
 
ジェロニモが抱えてきた毛布をピュンマが静かにかけてやり。
アルベルトは子供の柔らかい頬を軽くつついて言った。
 
「よかったな…今夜はこの兄ちゃんと風呂に入るんだぞ」
 
 
 
食堂に夕食の支度が整い、二人を起こしに行ったピュンマは、居間のドアを開け、首を傾げた。
…誰も、いない。
 
毛布もなくなっている。
ソファに、子供の服がくしゃくしゃになって落ちていた。
 
「…ジョー?フランソワーズ…?」
 
ピュンマは服を手に、居間を出て、階段に向かった。
 
 
 
「も、元に…戻った…アルか?!」
「あぁ…たぶんね」
 
ピュンマは大きくため息をついた。
 
「とにかく、食べよう…うまそうだな〜!」
「ちょ、ちょっと待てよ、ピュンマ…戻った…って…その」
「そうじゃ、何か異常がないかどうか、彼女を調べなくては…!それに原因もまだ…」
「いいからっ!博士も座って召し上がってくださいっ!!」
 
珍しく声を荒げるピュンマに圧倒され、一同はおとなしく食卓についた。
 
「…今、彼らに声をかけても無駄ですからね」
「…し、しかし…そのぉ…」
「どーしてもって言うんなら、博士がご自分で迎えに行ってください。でも…どっちにしても、食べるのが先です」
「う…うむぅ…?」
 
わかったようなわからないような。
…とりあえず、わかった気はしているのだが。
 
仲間たちは黙々と食事をとり続けた。
 
「しかし…なんだな、妙な話だよな…?イワンが目覚めるまで…俺たちには打つ手なし…にしてもだ」
「そ、そ、そうアル…ね…急に子供になったり大人に戻ったり…無茶苦茶アル」
 
ジェットがふとフォークを持つ手を止めた。
 
「そっか…ってことは、結局あいつだけ…フランと風呂に入れなかった…わけだな…気の毒に」
「どこが気の毒なんだよっ!」
 
ピュンマが、だんっ、とテーブルに両手をつき、立ち上がった。
食べ終わった自分の食器をさっさと集めて、台所に向かう。
アルベルトが微かに笑った。
 
「風呂なら…今頃入ってるんだろうよ」
 
 
 
結局…何がどうなっていたのか、わからないままだ。
イワンの仕業じゃなかったみたいだし。
 
ピュンマにはさんざん怒られた。
そりゃ…僕も、あのときの僕はどうかしてたと思う。後から考えたら。
元に戻った彼女にちゃんとした検査もうけさせないで、いきなり…なんて。
 
でも…ソファで目が覚めたら、腕の中に…元通りの彼女がいたんだ。
一糸まとわぬ姿で。
 
どうかしてたけど…どうかしたくもなるよ。
だって…もしかしたら、二度と会えないかもしれない…なんて思っていたんだから。
 
二度とこんなことはごめんだから…何とかして原因は突き止めないと。
それにしても…気になるのは、どうして彼女が僕にだけ懐いてくれなかったのか…ってこと。
もう、どうでもいいことなんだけど。
彼女に聞いても…不思議そうに首を振るだけで。
 
イワンが考え考え言うには。
それはたぶん…僕が、僕だけがあの小さいフランソワーズを疎んじていたからだって。
そんなはずない…けど。
 
でも…そうなのかもしれない。
 
みんな、小さいフランソワーズは…天使のようだったと目を細めて言う。
僕もそう思う。
 
くるくるカールした金髪。
大きな青い瞳。
バラ色の柔らかい皮膚。
片言で人なつこく話しかける声とか。
 
たしかに…天使みたいだった。
 
みんな、何かにとりつかれたみたいに、彼女のために小さいドレスやおもちゃやリボンや…いろんなものを買ってきて。
 
今、フランソワーズは、笑いながらそれを大事にしまい込んでる。
いつか、赤ちゃんが生まれたときに使うんだって。
…よくそんなことが言えるよなぁ。
 
僕は。
小さい彼女に何も買ってあげなかった。
そんな気持ちになれなかったんだ。
ただ…悲しくて。
 
僕が欲しいのは…天使じゃなくて、君なんだもの、フランソワーズ。
 
 
波と戯れていたフランソワーズがふと足を止め、振り返った。
ジョーの心の声が聞こえたように。
 
「…ど、どうした…?フランソワーズ?」
「…ええ」
 
少し不安そうに辺りを見回す彼女に、ジョーは眉を寄せた。
 
「…どうしたんだ?」
「あ…ううん、なんでもないの」
 
フランソワーズはほっと息をつき、微笑んだ。
 
「ねえ…私…子供になっていたとき、ここに来たこと…ある?」
「…思いだしたの?」
 
フランソワーズは、子供になっていたときのことを覚えていない。
案の定、彼女は首を振った。
 
「いいえ…でも…なんだか、そんな気がしたの。あなたと…ここにいたような気が」
 
返事ができなかった。
フランソワーズはまた笑った。
 
「そんなはずないわよね…私、泣いてばかりいたんでしょう?…あなたが怖くて」
 
ジョーは深呼吸した。
 
「…うん。そう…カンベンしてほしかったよ」
「ふふ、ごめんなさい…」
 
くすくす笑うフランソワーズに歩み寄り、そっと抱きしめ…ジョーはその髪に口づけた。
 
僕は、一人じゃない。
…君も。
 
どんなときも…何があっても。
僕たちは、二度と一人になんかならない。
そう、信じてる。
 
ここで…君に誓ったように。
僕は、信じてる。
 
君が、母さんを知らない僕を包んでくれるなら。
僕は、母さんに会えない君を抱きしめよう。
僕たちは、一人じゃない。もう、二度と。
 
信じているから。
だから…ここにいて、フランソワーズ。
僕は、母親なんかいらない。
天使だっていらない。
 
君が、いてくれれば。それで。
 

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