2003/8/11



 
約束


 
「そろそろ、何か言うかなー?と思ってたよ」
 
穏やかな声。
きつく睨み付ける青い瞳を柔らかく受け止め、微笑する。
 
「もう、時間がないわ」
「…そう、だろうね」
 
二人は崖の途中にぶら下がっていた。
彼の右手は、崩れかけた岩から張りだした太い木の根を掴み。
左手は彼女の手を掴み。
 
肩に重傷を負って、だらんと下がっている、もう片方の彼女の指先からは、とめどなく流れる血が、底も見えない谷へと吸い込まれるように滴り落ちていた。
 
「足場にできるところは3カ所…わかる?」
「ずいぶん…危なっかしい感じだけど?」
「登れない、なんて言わせないわよ」
「…みんなは?」
「無事よ。近くにはいないけれど…敵さえ倒せれば、動けなくなっても、すぐ拾ってもらえるわ」
「…そうか。もうひとがんばり、だね」
「そうよ」
「で、僕が倒さなくちゃいけない敵はどれくらい?」
「集まってくるのは…この上から戦闘ロボットが12体、空から小型戦闘機が3機」
「加速装置…イカレてないかな?」
「私が見た限りでは大丈夫。でも…長い加速には耐えられないわ。こっちの時間でいうと…5秒ぐらいでカタをつけないと」
「5秒…か」
「たしかに簡単じゃないけど…あなたなら、できるはずよ」
 
009は003をじっと見つめた。
短い沈黙。
 
「指示は正確に出してくれないと、困るな」
 
黙っている003に、009は優しく続けた。
 
「今、君が言ったことを、君を庇いながらやるのは…たぶん不可能だ。ってことはさ」
 
003の頬は既に蒼白を通り越し、土気色に近かった。
青い大きな目だけが異様な光を湛え、見上げている。
 
「『はじめにこの手を離してから』そうしろ、ってことだよね?…省略するなよ」
 
やがて、彼女は静かに口を開いた。
 
「こんなときに、わかりきったことを言う必要はないでしょう」
「こんなときに、できもしないことを言うのもよくないよ」
「いいえ、できるわ…あなたなら」
「他の方法を考えよう。まだ時間はある」
「ないわ、009…もうそこまで敵が来てるのよ!このままじゃ…」
「このままでいるつもりはない…003、落着いて…頼むから諦めないでくれよ」
「諦めてなんかいない…あなたはあなたの、私は私のベストを尽くすだけ…生き延びるために」
「君のベスト…?ここから落ちて、下にたたきつけられるまでの間に、その体で何をするつもりなんだ?」
「なるべく、死なないようにするわ」
「なるべく、じゃ…困るな」
「あなただって、落ちればそれしかできないのよ」
「…だろ?」
「だから…!」
「駄目だよ、003…もう少し、マシな方法を考えるから」
「考えている時間は、もうないの…それに」
 
003は009の目を見つめ、ふと表情を和らげた。
 
「あなたにこんなこと言っても無駄だって…わかっていたんだけど…」
「……」
「困った人。どうして、そんなに聞き分けがないの?」
「フランソワーズ…?」
「…しかたないわね」
 
なにをする、と叫ぶより早く、003の銃から迸った閃光が009の左肩を貫いた。
ぐっと歯を食いしばり、009は一瞬離しかけた細い手首を、強く握り直した。
 
「ジョー!」
「…すっげー女…!」
「離して…っ!手を離しなさい、ジョー!!」
「ここまでヤラれたら…絶対離せないね。僕が手に負えないガンコ者だって、よく知ってるだろう?」
「009…!」
「駄目だよ」
 
傷ついた彼の肩から細かい火花が散っている。
力が思うように入らない手を震わせ、懸命に銃を構え直す003を、009は鋭く見据えた。
 
「銃を、捨てろ」
「……」
「捨てるんだ、003!」
 
青く潤む瞳に、不意に鋭い光が閃いた。
009は思わず叫んだ。
 
「やめろっ、フランソワーズ!!」
「頭を下げて、ジョー!」
 
咄嗟に首を縮めた009の髪を掠め、彼女が放ったレーザーは、崖上に構えていた戦闘ロボットを撃ち抜いた。
 
「…来た…のかっ!」
 
背後に迫る戦闘機の爆音に、009は振り返った。
同時に発射された機銃が、頭上の岩肌に着弾する。
 
「…加速…!」
「逃げて!!」
 
耳を貫く悲痛な叫びと同時に、009はスイッチを噛み、彼女の手を離した。
 
 
 
ゆっくり、ゆっくり…003が落ちていく。
気力の全てを振り絞って、009は彼女から視線を引きはがし、岩肌を蹴り、戦闘機の銃口を狙った。
 
間近に迫っていた2機にレーザーを撃ち込む。
残る1機もその爆発に巻き込まれる位置にいた。
…が。
 
「馬鹿な…!」
 
009は目を疑った。
最後の戦闘機の機銃はことごとく、落下する003に向けられていた。
 
何も考えられなかった。
火を噴き始めた戦闘機の翼を蹴って方向を変え、飛ぶ。
 
「フランソワーズ…っ!!」
 
無数の弾丸が、彼女に吸い寄せられていく。
あいつらが速いか、僕が速いか…
 
…僕だっ!!
 
落ちていく003を捉え、抱え込むのと同時に、背中を凄まじい衝撃が襲った。
 
「ーーーっ!!!」
 
009は歯を食いしばった。
急激に霞む視界の端に、亜麻色の髪が映る。
 
(困った人。どうして、そんなに聞き分けがないの?)
 
「…フランソワーズ…っ!!」
 
009はカッと目を見開き、頭上を睨んだ。
今の攻撃で、崖が大きく崩れた。
無数の岩と一緒に、足場を失ったロボットが3体、落下していく。
 
あと…3秒…ぐらいはもつんだったっけ?
 
落ちてくる岩に次々飛び移り、かろうじて崖上に着いた。
ロボットが8体。
003が1体倒し、崩れた崖と一緒に3体落ちた。
数は合っている。
 
この数なら何とかなるかもしれない…が。
加速を解いたら、終わりだ。
同時に、この体が加速に耐えられる時間内で、ロボットを全て倒し、離脱しなければならない。
その時間を超えたら…
自分こそが彼女の命を脅かす危険な存在になってしまうかもしれない。
 
009は003を抱いたまま、ロボットの中枢部に次々とレーザーを撃ち込み、走った。
 
あと、2体…!
 
損傷部が限界に近づき始めている。
懸命に心を落ち着け、銃を構えた。
 
これで、終わりだ…っ!
 
最後のロボットにトリガーを引いた瞬間、損傷部の温度が急激に上がるのを感じた。
素早く加速を解く。
 
同時に、凄まじい音と爆風の中に放り込まれていた。
気が遠くなりかけたとき。
腕の中に、ふっと柔らかく温かい感触が戻った。
009は反射的に、それを深く胸に抱きしめ、抱え込んだ。
 
耳をつんざくような音も、衝撃も、烈しい痛みも、潮が引くように遠のいていく。
胸に抱えた優しい感触だけを感じながら、彼は意識を失った。
 
 
 
「…あ」
 
目を開けると、辺りには硝煙が立ちこめていた。
地面が、ある。
…重い。
 
003はハッと我に返った。
体の上にあった重みが、静かに滑り落ちる。
 
「…ジョー?!」
 
悲鳴のような声を上げ、003は夢中で上半身を起こした。
倒れたまま動かない009の背中に懸命に手を伸ばし…触れる。
 
「…っ!」
 
流れ込んできた凄まじい量のエラー情報に、003は息をのんだ。
 
無数の弾痕を刻み、ずたずたになった防護服。
破れた皮膚のあちこちから機械が露出し、火花を散らしている。
体全体が今にも燃え上がりそうな高温…もちろん意識はない。
 
こんなひどいダメージは見たことがない…わ。
お願い…ジョー、しっかりして…ここは、どこなの…?みんなは…?
 
大量の失血で、003も立ち上がることができなかった。
倒れそうになるのを必死に堪え、透視を始める。
 
少し離れたところで沈黙するロボットの残骸。
大きく崩れた崖。
谷底で燃えている戦闘機。
 
これを…ジョーが…?
ひとりで…どうやって…?
 
あれから…自分が、彼の背後のロボットを撃ち落としたときから、どれだけの時間がたっているのか。
ぼんやり考えかけ…気づいた。
 
私がまだこうして…生きているのだから…!
 
肩からの出血は止まっていない。
おそらく、あれから3分もたっていないのではないか…と、003は思った。
 
それなら…みんなに見つけてもらうには、まだ…時間が…
 
とうとう体を起こしていることができなくなり、003は009の傍らに倒れた。
懸命に彼の手に指を絡め、握りしめる。
異常な高熱を発し続けるそれが、あの優しい手と同じものとは到底思えない…けど。
…それでも。
 
ごめんなさい…あなたを、守れなかった…
 
静かに目を閉じたとき。
 
《009ーっ!どこにいるっ?!…003!》
 
頭を強く殴りつけるような通信が入った。
003は大きく息を吸い、叫ぼうとした…が、声がでない。
 
《ン…?003かっ?…生きてるんだな、どこだ?!…おい、003っ!…聞こえてたら返事しやがれ、助けにきたんだぞっ!》
 
…助けに。
 
003は懸命に目を開き、赤い鳥の姿を捜した。
 
《……002…!》
「…っと、003…!O.K.…無事なんだな?俺が見えるか?」
《見えるわ…》
「よし…じゃ、誘導してくれ…この煙じゃ何が何だか…003?まだおねんねするなよ?…博士が、準備万端で待ってるから、もう少しの辛抱だ…怪我してるんだろ、大丈夫か?」
《私は…大丈夫。でも、ジョーが……ひどいの、お願い…早く…!》
「…だろうな、派手にやったみたいじゃないか…よし、じゃ…まず009の処置…だな。博士に…」
 
《…ち…がう…003……が》
 
「…ジョー…?!」
 
003は思わず彼の手を握り直した。
 
が、009は身動きひとつしないまま、横たわっている。
握り返すこともしない。
 
でも……今のは……
 
《003…!おい、オマエも無事じゃない…ってことか?どうしたんだ?!》
 
003はぼんやり空を見上げた。
聞き慣れた音。
硝煙の向こうに黄色いマフラーがたなびき……
長い赤毛、鷲鼻の青年が、こちらを見て何か叫んでいる。
 
そこで、彼女の意識はとぎれた。
 
 
 
ドルフィンに運ばれたとき、009の人工心臓は既に止まっていた。
ギルモアと仲間たちに叩き起こされた001が不眠不休で蘇生治療すること丸2日。
研究所に戻り、地下でメンテナンスを受けること更に2日。
 
ようやく容態が落着いた、とギルモアはサイボーグたちに告げた。
 
一方、003の治療は008と004が担当した。
出血のため一刻を争う状態ではあったものの、深い傷はその1カ所だけだったこともあり、その後の経過は早かった。
 
「009が一体どうやったのか、見当もつかないね…ロボット12体、戦闘機3機…だろ?で、崖の途中にぶらさがってる状態で襲われて、しかも動けない003を庇って…敵を全滅させただけでも十分スゴイけど、彼女にかすり傷ひとつつけなかった…ってのが…信じられないよ、とても」
「…まったくだ。手に負えないヤツだぜ」
 
003の穏やかな寝息を確かめるように聞きながら、004は低く言った。
その声に、何か苦いものが混じっているような気がして、008はふと顔を上げ、004を見つめ…目を逸らした。
 
そうだね、アルベルト。
いつも、誰でも、こうして大切な者を守れるとは限らない。
でも…だからこそ、僕たちは。
 
「003…明け方には、目を覚ますかな…?」
「目を覚ましたら、ベッドにしばりつけておかなくちゃならんだろうな、このお嬢さんは」
「それに関しては、君に任せたよ、004?」
「…なに?」
 
008の黒い目がおかしそうに輝いている。
 
「僕じゃ、とても太刀打ちできないからね。ジョーは無事なのかって質問攻めにされて、会わせてくれって責められてさ…たぶん、泣かれる」
「俺なら平気だってのか?」
 
笑いをかみ殺している008をじろりと睨み、004は唇をゆがめた。
 
 
 
急ぎ足で玄関に駆け込み、003はまっすぐ地下へ急いだ。
ほんの僅かな時間といえばそうだが、久しぶりに研究所を無人にしてしまった。
無人…というか。
正確に言えば、眠り続ける009と001がいるわけで。
 
003が普通に歩けるようになるまで回復しても、009の意識は一向に戻らなかった。
しかし、昨夜念入りに彼の状態をチェックしたギルモアは、ようやく、もう大丈夫…明日のうちに目を覚ますだろう、と請け合った。
 
「目が覚めたら、一応正常に動けるはずじゃ…まあ、少し戸惑うかもしれんがの…食事も普通にさせてやってかまわん」
 
そうフランソワーズに言い置き、ここのところ欠席を続けていた会議へとあたふた出かけた…のだが。
ほどなく、忘れ物をした、と電話をかけてきた。
彼を駅まで乗せていった002はそのまま東京に向かってしまっていて。
他の仲間もちょうど出払っていたところで。
 
駅まで、クルマで往復30分強。
大丈夫だとわかっていても、009の側を離れるのは不安だった。
しかし、行かないわけにはいかず……
 
息を弾ませてメディカルルームへ駆け下り、扉を開けた003は、凍り付いたように立ちすくんだ。
誰も、いない。
 
「…009…?」
 
ややあって、彼女は我に返り、研究所の隅々へと目をこらし、耳をすませた。
 
「…あ…!」
 
数秒後、003は弾かれたようにメディカルルームを飛び出した。
一気に2階に駆け上がると、暗い廊下の真ん中に、幽霊のような白い姿がぼんやり立っている。
 
「…00…9…?」
 
ためらいがちに声をかけると、彼はゆらりと振り返った。
 
「……」
「ジョー…!」
 
夢中で駆け寄り、003は009の両肩を掴んだ。
 
「どうしたの?…ジョー、私がわかる…?」
「……」
 
不意に頬に触れられ、003は大きく目を見開いた。
 
なんて…冷たい指…!
 
反射的にその手をぎゅっと握りしめ、003はもう一度彼の名を呼んだ。
 
「ジョー…!」
 
ゆっくりと唇が動く。
震える声は、僅かにかすれていた。
 
「…00…3…?」
 
003は握りしめる手に力を込めた。
 
「そうよ…よかった…目が覚めたのね、ジョー…でも、急に歩いたりしては駄目…さ、戻りましょう…体のチェックをさせてちょうだい…それから…何か食べられそう?」
 
 
スープと半熟卵と、パン…それに、ヨーグルト。
いつもと同じ朝食を、009はごく静かに摂った。
 
「ごちそうさま…おいしかった」
「体の調子…変った感じはしない…?」
「うん…大丈夫…さっきのチェックでも、何でもなかったんだろう?」
「…ええ…よかったわ…でも、驚いた…帰ってきたらあなたがいなくて…あんなところに立っているんだもの」
「僕も…驚いたよ…目が覚めたら、誰もいないんだもの」
「…あ」
 
003はハッと009を見つめた。
 
「ごめんなさい」
「……」
「ごめんなさい、ジョー…そう…よね…」
「いや…たまたま、みんないないだけだ…って、すぐわかった…けど」
 
続く言葉をのみこむように口を噤み、ふうっと息を吐いてから、009はそっと聞いた。
 
「君は…大丈夫なの…?傷は…?」
「あ…ええ、もうすっかりいいわ…あなたの…おかげよ」
「…そうか。よかった」
「ありがとう…ジョー。ごめんなさい、ホントは最初にお礼を言わなくちゃいけなかったわね、私…」
「そんなことない…もともと、僕がドジを踏まなかったら…あんなことにはならなかった」
 
夢を見た。
 
ぬくもりが少しずつ失われていく優しい体。
儚く微笑んだ青い目が、睫毛の奥に隠れ…そして。
この手の中から、細い指がするりと滑り落ちる。
 
これは夢だと、自分に言い聞かせた。
何度も…何度も。
 
「ねえ、さっき…みんなを探していたの?どうして、あんな…」
 
優しい声。
003が気遣わしげに覗いている。
 
「居間にイワンがいたから、きっと君は出かけてるわけじゃなくて、上の部屋かベランダだと思って…でも」
 
009は再び口を噤んだ。
 
暗い廊下の途中で、急に恐ろしくなって…動けなくなった。
夢ではなかったのかもしれない。
十分あり得ることじゃないか。夢だと信じ込もうとしていただけで。
 
もし、君が本当に…
 
「…009?」
「いや…何でもない…なんか…ぼんやりしてたんだね…寝ぼけてたみたいだ。おどかして…ごめん」
 
どこか遠い目で微笑む009に、003は微かな胸の痛みを感じていた。
 
…嘘つき。
 
こんなに悲しい目をしているのに。
あなたは…いつも、何も教えてくれないのね。
 
 
 
009が目覚めた…という報せに006は勇み立ち、早速今夜全快祝いをする、と宣言した。
言葉通り、彼は午後には店じまいをして研究所に駆けつけた。
 
確かに、意識さえ戻れば、体は元通りになっているわけだから、かまわないわけだ…けど。
昨夜まで眠り続けていた彼をご馳走責めにするのはどうか、と003は首を傾げた。
…が。
忙しく材料の下ごしらえをしながら、006は言った。
 
「おいしいモノたくさん食べる、これ、生きるヨロコビね…009には、あぁ〜生きて戻ってよかった、ってしみじみ思ってもらわなくちゃ困るアル!」
「そう…ね。そうだわ…」
 
みんな、同じことを考えている…と、003は思った。
 
だったら…大丈夫。
私の力で、あなたを止めることができなくても…
みんなが…仲間がいるんだもの。
大丈夫。
 
あなたは、生きるのよ、ジョー。
 
 
宴会はいつもどんちゃん騒ぎで終る。
台所を片づけ、イワンにお湯を使わせてから、003はリビングに入った。
ソファに床に…男達が点々と転がり、寝入っている。
 
「もう…仕方ないわね…」
 
毛布をとってこようと、転がっている頭数を数え…003は首を傾げた。
一人、足りない。
 
 
「ここにいたのね」
「…003」
 
ベランダの手すりにもたれていた009が驚いたように振り返った。
 
「みんなつぶれちゃってるわ…あなたは平気なの?」
「ちょっと加減したよ…誰かさんに怒られるような気がしたから」
「…そう。よかったわ」
 
すましてみせる003の横顔を、009は優しく見つめた。
 
「疲れたんじゃないか…?君はまだ…」
「もう、大丈夫よ」
「君の大丈夫、は今ひとつ信用できないときがあるからなぁ…」
 
聞こえないふりをして、003は009から少し離れ、星空を仰いだ。
 
「きれいねえ…」
 
反応が全くない。
怪訝に思って振り返ると、009は微かに眉を寄せ、物思いに沈んでいた。
 
「…009?」
「……」
「009、どうかした?」
「…え?!」
 
もう…とため息をつきながら、003は探るように彼をのぞいた。
 
「まさか…どこか痛むところでもある?」
「…いや」
「本当…?あなたは…ちゃんと言ってくれないから…」
「大丈夫だよ」
「あなたの大丈夫の方が、よっぽど信用できないのよね…」
 
009が、ふっと微笑んだ。
 
「実は、ちょっと…いや、かなり痛むところがある…かな」
「え…?!」
 
驚いて見つめる003に、009は少し表情をひきしめてみせた。
 
「どうして、早く言ってくれないの?いつから…?!」
「…ずっと、だよ」
「もう…!信じられない…どこなの…?すぐ、博士に…」
 
009は003の右手をとり、そっと自分の左肩に当てて、笑った。
 
「…ここ。」
「009…?」
 
003は小さく声を上げ、唇を噛んだ。
バラ色の頬が一層赤く染まっていく。
 
「ひどいよね」
「……」
「まさか、君に撃たれるなんて…さ」
「……」
「僕は、君に指一本あげたことないと思うんだけど」
 
003はキッと顔を上げ、009を睨んだ。
 
「あやまらないわよ…!」
「フランソワーズ」
「絶対あやまらないから…あれは、あなたが悪いのよ」
 
009は肩をすくめ、つぶやいた。
 
「僕だって、許さないぞ…あんなこと…絶対だ」
「結構よ」
「約束してくれ、003…二度と、あんなことしないって」
「あなたって、ホントに人の話全然聞いてないのね…?」
「いいから…っ!約束しろよ…!」
 
強く引き寄せようとした腕から、彼女は羽のようにふわりと逃れた。
 
「イヤよ。でも…ありがとう…助けてくれて」
「フランソワーズ…!」
 
唇を微かに震わせ、見つめる009に、003はやがて静かに両手をさしのべた。
夢中でその手を引き寄せ、抱きしめる。
 
「意地っ張り…」
「あなたほどじゃないわ」
 
そうよ。
あなたほどじゃないわ、ジョー。
私が何をしても…あなたには敵わない。
あなたは倒れるまで戦い、守る人だから。
それを止めることは誰にもできない。
 
でも…だから、安心させてなんかあげないわ。
そんな約束、しない。
そうすれば、少しでも…少しでも、あなたが生きのびようとしてくれると思うから。
 
「いいさ、勝手にしろ…でも僕は、二度と君にあんな真似、させない」
「……」
「いいね?」
「……」
「聞いてるのか、フランソワーズ?」
「…あ!イワンが泣いてるわ…」
「フランソワーズ!」
 
003は押しのけるように009から離れ、部屋へ駆け込んだ。
その背中に、009は繰り返した。
 
「絶対…絶対だからな、フランソワーズ!」
 
…わかってるわよ。
ほんとに、意地っ張りなんだから。