帰郷


 
暑いとき冷たい食べ物というのは嬉しい。
ちょっと贅沢だという気もしないでもないけど。
特に、この張々湖飯店の「特製冷やし中華」は格別で。
もちろん、僕も大好きだ。
…だけど。
 
ちゅる。
 
「あのさ、ジョー?」
「…ん?」
 
ちゅるちゅる。
 
「おいしいかい?」
「うん。」
 
ちゅるちゅるる。
 
「…それは、いいんだけど」
 
ちゅるるるるるるるるる。
 
「その、食べ方…」
 
…ちゅ。
 
ジョーは顔を上げた。
目を丸くして、ピュンマを見つめる。
 
「…食べ方…って?」
「いや…すまない、言いがかりみたいなものなんだ。麺類をそうやって食べるのは日本人の文化の一環だってよく承知してるつもりだし…だから…その」
「…ああ。」
 
なんだ、という笑顔でジョーは何度もうなずいた。
 
「ごめん…つい油断しちゃった…フランソワーズやアルベルトと一緒のときは気をつけてるんだけど…」
「言われたこと、あるのかい?」
「口で言われたことはないけど…なんていうのかな…目で」
「…目か」
「うん、目なんだ」
 
ジョーは箸を器用に使って、麺を小さいひとかたまりにまとめ、持ち上げた。
 
「…上手だね」
「練習したわけじゃないけど……」
「結構…気、使ってるんだ」
「そうでもないよ…たしかに…こうやって食べるより、つるつるっていった方がおいしいような気はするし、ちょっとカッコイイ…とも思うけど。ええと、エドッコっていうのかなぁ…」
「エドッコ?…あぁ、宵越しの銭は持たない…ってアレのことか」
「ヨイゴシの…何?」
 
また目を丸くしたジョーに、ピュンマは苦笑して、なんでもない、と手を振った。
 
「邪魔して悪かった…気にしないですませてくれよ」
「うん…待たせちゃってるね…ごめん」
「いや…楽しいよ、君が食べるところ見てるのって」
「…え?」
 
ジョーは不思議そうに首を傾げた。
 
「フランソワーズにも、そう言われたなぁ…」
「…それは、また別の意味なんじゃないのか?」
「そうかな?」
 
おいおい。
「そうかな」…ってなんなんだ?
 
ピュンマは懸命に笑いをかみ殺した。
 
まったく。
相変わらずだな…君は。
 
「安心したよ」
「…何が?」
「いや…ゴメン、今度こそもう邪魔しない」
「そうだ…ピュンマ、明日、ヒマ?」
「あ?…ああ…会議は今日で終ったから…明日と明後日はオフだよ…ちょっと研究所にも寄らせてもらおうと思ってるんだけど」
 
ジョーは嬉しそうににこにこした。
 
「だったらさ、一緒にドライブ、行かない?」
「ドライブ?君と?」
「僕と…」
 
歌うように言いながら、カウンターの向こうで忙しそうにくるくる動いている亜麻色の頭を目で示す。
 
「…フランソワーズ。明日、休みなんだ、彼女も」
 
…あのさ、ジョー。
 
軽く深呼吸し、おもむろに口を開こうとしたピュンマに、ジョーは無邪気に続けた。
 
「…あと、イワン」
「イワン?!」
 
 
 
見慣れたクルマがホテルの正面玄関に停まった。
後部座席の窓が開き、フランソワーズが親しげに手を振る。
 
トランクに荷物を放り込み、助手席に乗り込むと、クルマは静かに滑り出した。
 
「荷物…入った?」
「うん…ありがとう。そんなに大きくないし……やあ、フランソワーズ。昨日はゆっくり話せなかったけど…元気だったかい?」
「ええ…あなたも元気そうね、ピュンマ…働き過ぎてるんじゃないかって心配してたわ」
「働き過ぎ?僕が?」
 
ちらっとルームミラーをのぞいた。
碧の目がじーっと見ている。
 
…やだな。
機能チェックされてたりして。
 
自分の能力を疎む彼女だが、仲間のためとなると話は別らしく。
戦いに明け暮れていた頃、仲間のごく僅かな異常も、003は見逃さなかった。
 
「で、ジョー…どこに行くんだい?」
「ええと…」
 
ジョーは左手でハンドルを握り、正面を見たまま、右手でドアポケットを探った。
やがて、一冊の地図が突き出される。
 
「35ページ!」
「…ナビやれっていうのかい、僕に?」
「うーん…たぶん大丈夫。適当に走ってれば…」
「適当、ねえ…」
 
指定されたページを開くと、赤丸がつけてある。
 
「ここ…何なんだい?」
「ちょっと標高があるところで、涼しそうなの。それに、お花畑があるんですって…そこでお昼にして、少しゆっくりして……」
「ついでに昼寝して…とか?」
「ふふっ、イワンとジョーは…ね。」
「え、僕…?!」
「そうよ。だって……ねぇ、聞いて、ピュンマ。いっつも、すぐ寝ちゃうのよ、ジョーは…どこででも寝ちゃうの!」
「えぇ〜っ、そんなことないよ、なんだよ、それ?!」
 
くすくす笑うフランソワーズにつられて、ピュンマも微笑んだ。
 
いいな、こういうのって…うん。
 
「とりあえず、今は寝ないでくれよ、ジョー」
「寝るわけないだろ?もう、変なこと言うなよ、フランソワーズ…!」
 
 
 
辺りが田園風景になってきたころ。
ジョーは「休憩」と言って、車をコンビニエンス・ストアに停めた。
 
「疲れたかい…?運転代わろうか?」
「大丈夫だよ…休憩は…ほら、赤ん坊がいるからさ」
 
ジョーは笑って、ちらっと振り返った。
フランソワーズがイワンをチャイルドシートから抱き上げている。
 
カゴを持ち、店の中を慣れた足取りで歩くジョーについていきながら、ピュンマは大きく伸びをした。
 
いつも思うことだけど…この豊かさはどうだ。
僕たちは、どうしても分け合うことができないのだろうか。
豊かさを。貧しさを。
今、ここで考えても、どうにもならないけど。
 
「ピュンマ…どれにする?」
 
ジョーが飲み物の冷蔵ケースの前で振り返った。
 
「そうだな…と、あれ?」
 
後から店に入ったはずのフランソワーズがいない。
きょろきょろするピュンマに、ジョーは言った。
 
「大丈夫、フランソワーズは、甘くないお茶でいいから…どれがいいかなあ…」
「どこに行ったんだろう…?」
「たぶん、向こうの棚だよ」
 
ジョーが指さした方に数歩歩き、のぞいてみると…
たしかに、フランソワーズがいた。
イワンを膝に抱き、しゃがんでいる。
 
「…何やってるんだ、彼女?」
「う〜ん……」
 
答を選んでいるのか飲み物を選んでいるのかわからない調子でジョーは言葉を濁した。
 
「たぶん、イワンと話してるんだよ」
「イワン…起きてるのか?」
「寝てるはずだけど。コドモのお菓子のところにいるだろ?いつもそうだよ、フランソワーズは。見せてあげてるんだと思うな」
「見せてあげてる…?お菓子を?イワン、そんなものに興味…」
「…ないと、思う」
 
ね、どれにする…?と再びたずねられ、ピュンマはまた冷蔵ケースに向き直った。
そのとき。
何かが落ちる音と、小さな悲鳴がした。
 
CDのケースがひとかたまり、床に散乱している。
 
「…あ〜あ」
 
ジョーが肩をすくめた。
同時に。
 
「ごめんなさい…クルマに戻ってるわね」
 
イワンを抱いて足早に近づいてきたフランソワーズが、耳打ちするように告げると、くるっと背を向けて、店を出て行った。
 
「…まさか」
「うん…たぶん、イワンの仕業だよ…ねぼけたのかな」
「…タイヘンだな」
「ホントの赤ん坊に比べたら、これくらいなんでもない…ってフランソワーズは言うけど」
「彼女、ホントの赤ん坊なんて、知ってるのか?」
「え…?」
 
瞬きするジョーの前にピュンマはつと手を伸ばし、コーヒーの缶を取った。
 
「で、昼ご飯は…?買わなくていいのかい?」
「あ…うん、お弁当、持ってきたから。フランソワーズ、早起きしていろいろ作ってた」
「結構、マメなんだな……彼女」
「う〜ん…」
 
ジョーはまた言葉を濁した。
首をかしげるピュンマに気づき、苦笑する。
 
「君が来てくれたからだよ、今日は」
 
 
 
花畑は…なかった。
 
正確に言うと、そこは花畑だった…のかもしれないし、もしかしたらこれから花畑になる…のかもしれない、といった場所だった。
 
「完全に時期を逃してるな」
「残念だったね…」
 
と、大して残念でもなさそうに、ジョーはうなずいた。
 
「でも、気持ちいいわ…ね、あそこに座ってお弁当にしましょうよ」
 
フランソワーズが少し離れた木陰を指さした。
 
 
いろいろ作っていた…というジョーの言葉どおり、フランソワーズが広げたバスケットからは、次々にいろいろな食べ物が取り出された。
 
「うん、おいしい…!フランソワーズ、ありがとう。作るの、タイヘンだったんじゃないか?」
「ふふ…だって、あなたに会うの、久しぶりだもの…少し、がんばっちゃった。でも、この春巻きとゴマ団子は張大人からの差し入れよ…冷凍しておいたのを揚げただけなの」
 
黙々と食べているジョーにちらっと目をやり、フランソワーズはピュンマに水筒を渡した。
 
「君たち…よくこうやって出かけるのかい?」
「よく…ってほどじゃないけれど…そうね、お休みが合うと、時々」
「イワンも連れて?」
「ええ…イワン、出かけるの好きみたいだから…」
「へえ…?」
 
不意にフランソワーズが手元のタオルを投げた。
おにぎりを持っていない方の手で受け取ったジョーが、さっきからもてあましていた指の汚れをそれにこすりつける。
 
「あなたは大丈夫?ピュンマ?」
「…ああ、油?…大丈夫、もうナメちゃった」
 
手をひらひらさせながら、ピュンマは笑った。
 
「リンゴむきましょうか。それとも、オレンジにする?」
「あれ?フランソワーズ、ブドウは?」
「昨夜、食べたのが最後だったのよ」
「…そうだっけ」
「いやぁね、すぐ、ないモノほしがるんだから、ジョーったら…!」
「そ、そういうわけじゃないよ…!ほしいなんて、言ってないじゃないか…」
 
しかし。
まぁ、なんだ?
ジョー、これじゃまるで…
…いや。
 
もしかしたら、僕だって同じようなもンなのかもしれないしな。
彼女にしてみればさ。
 
 
 
「いい眺めだね…思ったよりいいよ…!」
「うん…やっぱり、フランソワーズも連れてくればよかったかなぁ…?」
「そうだね…呼んでこようか?」
 
ジョーはう〜ん、と少しだけ眉を寄せた。
 
「時間的に、無理かな…?」
「無理…ってことはないんじゃないか?彼女だって、本気出したら、こんな山道…」
「結構、人が来ると思うんだ。僕たちだけなら、ひょいひょい登るの見られても、ヘンなガイジン…ってだけですむかもしれないけど、フランソワーズは…」
 
そうか。
たおやかな金髪碧眼の美少女が、赤ん坊抱いたままサルみたいに山道登っていく…ってのは、確かに、ちょっと。
 
「もっと早く来ればよかったな…イワンのおんぶ紐もちゃんと持って」
「そうだね…でも、君たちはまた来ればいいんだし」
「うん…そうだけど」
 
「花畑」を離れ、戯れにこの頂上を目指してから、1時間近くたっていた。
それこそサルのように山道を駆け下りながら、不意にジョーはピュンマを振り返った。
 
「ピュンマ…君は、家族と出かけたことって…あるの?」
「どうしたんだい、急に?」
「…うん…僕はさ、教会のみんなとこういう風に出かけたことはあるんだけど…ほんとの家族って、知らないだろ?それで…」
 
ピュンマはさらっとジョーの言葉をさえぎった。
 
「それを言うなら…僕には家族はいたけど、こういう風に『出かける』ってことは知らなかったな…そう、最後まで、ね」
「…あ」
 
小さく息をのみ、ごめん、と呟き、ジョーは黙ってしまった。
 
少し…いや、かなり意地悪だったかも。
 
「…悪い。気にしないでくれよ、ジョー」
「いや。ほんとに……ごめん」
「そうだな、君たちは……家族だよ、本当の。間違いなくね」
 
ジョーがいきなり、傾斜の真ん中で足を止めた。
そのまま、ずり落ちそうになる彼の腕を素早くつかみ、ピュンマは笑った。
 
「…なんだ。自覚ないのか、やっぱり?」
「だから…僕は、知らないから」
「知ってるかどうかなんて、どうでもいいことさ」
 
いきなり突き飛ばすように腕を放され、ジョーは少し足元をよろめかせた。
ピュンマが咽の奥で笑い、再び軽々と走り始める。
慌てて後を追う。
 
「どうでも…どうでもいいって、どういうこと?!」
「そういうことさ…!君は今、幸せなんだろう…?」
「…それは…でも!」
「そんなこともわからない…って言うなら、もう、君なんかと話はしたくないね」
 
よいしょっ、と呟き、ピュンマは岩を蹴り、木の枝に飛び上がった。
 
「面倒くさいな、やっぱり…ちょっと近道しないか、ジョー?」
「え…大丈夫か?迷わない…?」
「…あのさ。僕を誰だと思ってるんだよ?」
 
 
 
息せききって駆け下りてきた二人を迎えたのは、待ちくたびれて不機嫌になった少女ではなかった。
二人は、思わず顔を見合わせていた。
 
「……どこででも寝ちゃうって…キミのことじゃないか」
 
呟くジョーを、ピュンマは軽くつついた。
 
「上着…!かけてやれよ!」
「…あ!」
 
フランソワーズもサイボーグだ。
こんなことで風邪を引くとは思えないけれど…
ピュンマがそういう意味で言ったのではないということは、さすがのジョーでもわかる。
 
「誰か…通っちゃったかな、ここ」
「う〜ん…大丈夫なんじゃないか?通ったとしたら、立ち止まって動けないさ、特にオトコならね」
 
ジョーがほんの僅か険しい視線を向けてくる。
 
おお、やっぱり009だったか、君は。
安心したよ…って、いや、これは洒落にならないのかも。
 
「…どうする?起こすか?」
「う〜ん…よく寝てるよね…」
 
木陰に広げたビニールシート。
柔らかい草の上で揺れるゆりかご。眠る赤ん坊。
その傍らに、軽く体を縮めるようにして横たわり、すやすや眠っている少女。
 
絵のような眺めだな。
 
それに加えて、その二人を守るように、いとおしそうに見つめる若者。
うん、確かにいいよ。すばらしいね。
 
色気はないけど。
 
君たちが幸せそうでよかった。
絶対アテられると思ってたけど、それどころじゃない、大したもんだ。
降参するしかない。これは、降参だ。
 
ほんとに、君たちは…
 
「…家族、だな」
「…ピュンマ?」
 
囁くような声。
振り返るジョーに、ピュンマは繰り返した。
 
「これが、家族なんだよ…ジョー」
 
ジョーの頬に、少しずつ朱がさしていく。
やがて、彼はうつむいて、前髪の奥にその茶色の瞳を隠してしまった。
 
「そう、なの…かな?」
 
うつむいたまま、呟く。
 
「そうだと…いいんだけど」
「…ったく。君がいつまでもそんなだと、フランソワーズだって…」
 
ジョーは不意に顔を上げた。
はにかむような笑み。
 
「でも…でもピュンマ、内緒だけどね…僕、ときどき、張々湖飯店の常連さんたちに言われるんだ。フランソワーズを迎えに行って、待ってるとき。『本当に、よく似てるねぇ』…って」
 
…え?
 
「おかしいだろ…?似てるはずなんてないのに、僕たち…でも」
 
みるみる上気する頬。
茶色の目が切なそうに揺れ…僅かに潤む。
 
「なんだか…嬉しかった。すごく」
 
ちょ…っと、待てよ。
だ、だめだ…っ。
カンベンしてくれ、ジョー…!
 
いきなり、けたたましく笑い出したピュンマに、ジョーはびっくりして身を引いた。
 
「な、何だよ、ピュンマ…!」
「な、何…って、フフ、何って、こっちが聞きたいよ…ホントに…ホントに君って…君たちってさ…!」
「笑うなよ……!」
 
笑うなって、それは無理だよ、ジョー…!
ああ、でも…安心した。
安心する、君たちと一緒にいると。
 
ずっとこのままでいられればいいのにな。
それはできないことだろうけど。
…いや。
 
このままでいられなくなっても。
きっと変らない。
君たちが、僕たちの灯であるということだけは。
 
「それじゃ、イワンは…?どっちの息子ってことになってるの?まさか君の…」
「声が大きいよ、ピュンマ!」
 
フランソワーズには内緒なんだから…!と、慌てるジョーに、また笑いがこみ上げる。
 
内緒だって…?
自分が誰と暮らしてるのか、わかってるのかい、ジョー?
マジメに003に内緒事を持とうなんて思うの、きっと君だけだよ。
…ほんとにさ。
 
 
 
「そうそう、ホントのことネ…!フランソワーズは、気づいてないアルやろけどな」
「…訂正しないのかい、大人?」
「あの二人、きょうだい…ってことにしといた方が、店の売り上げには何かといいアルのよ…看板娘、イメージ大切アルからねえ!それに、ジョーも、あれで結構女性客に人気アルからして…」
 
なるほど。
さすが、張々湖。
 
「でも…それって、バレたときの反動が大きいんじゃないかい?」
「大丈夫ね、バレる前にどうせまた、店をたたむようなこと起きるアル、きっと」
 
…う。
 
「シビアだな…大人は」
「シビアでないと、商売もサイボーグもやってられないね!」
「それはそうだけど…でも、簡単にたたむ、なんて言わないでくれよ…僕は、この店、すごく好きなんだからさ」
 
この店も…今の暮らしも。
この、ささやかな安らぎも。
 
「簡単に?とんでもないね!ワタシ言ってるのは、バレるのとどっちが早いか、いう話よ!」
「…え?」
「ワタシ、あと10年は、ここで店やるアルよォ〜!」
「10年…?!」
 
10年は…長すぎるだろ、さすがに。
…と言い切れないような気もするのがコワイんだけどね、たしかに…彼らの場合。
 
「なぁに、何も心配いらないね」
「心配なんかしてないよ」
 
苦笑するピュンマに、張々湖は上機嫌で饅頭の包みを差し出した。
 
「ほい!できたね、飛行機で食べるアル!」
「ありがとう…おいしそうだなぁ!」
「当然よ!…体、大事にするヨロシ」
「…うん」
 
店の前にクルマが停まった。
 
「あ、来た来たアル〜!」
 
張々湖が言うのと同時に、戸が慌ただしく開いた。
茶色の髪の少年が飛び込んでくる。
 
「…ごめん、ピュンマ、遅くなっちゃった…!」
「大丈夫、まだ余裕あるから…」
 
それじゃ、と張々湖に手を振り、クルマに乗り込む。
 
「ホントに…大丈夫?」
「ああ…慌てなくていいよ」
「ごめん…出がけに、イワンがちょっと暴れて…」
「暴れて…?」
 
ふと表情を引き締めたピュンマに、ジョーは急いで首を振った。
 
「いや、違うよ…予知とかじゃなくて…なんていうのかなあ…寝ぼけて意地悪するんだ」
「意地悪?イワンが?…君に?」
「うん」
「どうして?」
「う…ん……わからない、けど」
 
奇妙な沈黙が落ちた。
ジョーの頬が心持ち赤く見えるのは、気のせいか。
…それとも。
 
ピュンマはことさらのんびりした調子で言った。
 
「まあ…ほどほどにしておくんだな…」
「えぇ…っ?」
「そういうのって、そもそも、コドモにはよくないし…特にイワンには、こたえるのかもしれないしね。寝てても、わかっちゃうんじゃないのか?」
 
懸命に言葉を探している様子の少年に、ピュンマはまじめくさって続けた。
 
「あんまり遠慮するのもヘンだけど…或る程度、時と場所を選んで…」
「よしてくれよ!僕たちは、そんなんじゃ…!」
「信号、赤だよ」
 
慌ててブレーキを踏み、そのまま唇を噛みしめている横顔は、もう耳まで真っ赤に染まっている。
懸命に笑いをこらえながら、ピュンマは心でつぶやいた。
 
 
ほら…ね、大人。
やっぱり、10年は長すぎるって。