もー、あくまで3至上主義者視点なのだった(しみじみ)
平ゼロでは、009に対するヒロイン、という003の位置づけが微妙に緩くなったのだと思う。
それまでのどの003も、もちろん「009の恋人」ではなかったが、それは恋物語が描かれなかったから、というだけのことであって、位置づけは間違いなく009のためのヒロインとして003はいたのだった。
それが、平ゼロでは崩れた。
崩れてよかった、というか、21世紀なんだから当然だったのかもしれない。
平ゼロにおいて003は、何の立場も役割も物語から与えられることがなく、ただの登場人物として009に想いを寄せる。
ってことは、ごく当然のこととして、003は始めは彼のことをよく知らないのだから、彼に冷たかったり無関心だったりするのだ。
ただそれだけのことで、あっという間に(倒)やっぱり003は009を好きになってしまうのだけど、そのときはもう遅い。
彼女が009にとって特別な存在であると、物語は定めなかったのだ。
……が、繰り返すが、21世紀なんだからそれも当然……なのだった。
そんなわけで、3至上主義者はあらためて「003ってなんだ?」ということを考えざるを得なくなった(しみじみ)
そのひとつのきっかけが音響魚雷なのだった。
私は、本当の意味で戦士として戦っている003は平ゼロだけなのではないかと思っている。
というのは、原作も含め他の作品では、戦士としての003が敵にシビアに攻撃される、というシチュエーションがないのだった。
例えば、新ゼロの最終話で、敵地に乗り込んだ003がロボットに襲われるシーンがある。首なんか絞められちゃうので、一見シビアに見えるけど、瞬く間に009が駆けつけて助けてくれるのだった。
これは、003の戦いというより、009が003を助ける、というシーンだと言える。
で、概ね戦闘シーンにおける003の在り方というのはソレだったりするのだ。
彼女は009(や他の仲間)を補佐する。それは敵との戦いとは違う。
彼女は敵を倒す必要がないし、そもそも攻撃のターゲットともならない。そんなはずはないのだけど、そういうつくりになっている。
ついでに、言うまでもないけれど、さらわれて人質になる(倒)とかいうのはヒロインの仕事であって戦士として攻撃されているのと少し違う(しみじみ)
要するに、平ゼロが他と違うのは、003がサイボーグ戦士003として正しく(汗)敵に攻撃され、当然、009(や他の仲間)に助けてもらえないという事態が生じている、というところであり、その典型が音響魚雷なのだった。
それまでの作品でも、003の索敵能力を封じようとする敵の動きはあった。が、それは直接003を攻撃して沈黙させるのではなく、そもそも彼女の能力が通じないように対策を施しておく、という類のものだった。それはそれとして、対策として間違っていない。
が、敵は眼前で仲間に指示を出している003に集中攻撃を浴びせ、それを止めようという発想を持たなかったし、仮にそうなってもそのときは前述したように003は009に守られる者となっているので、別の意味で攻撃は成立しないのだった。
そのお約束を、音響魚雷は砕いた。
003はリスクを負いながら戦う者とならざるを得なかった。いつでも安全に見聞きすることが当然、ではなくなったのだ。
そして、もちろん、戦いというのはそういうものだ。むしろそれまでの003は超能力を一方的に振るう者であり、だからこそヒロインであったのだとも言える。
実質的に、003がハッキリとそういう攻撃を受けた平ゼロのエピソードは一つしかない。が、それは彼女が脇役の戦士であることを思えば、単に描くだけの尺がなかったということであって、こういうエピソードはひとつあれば十分なのだった。
あとは私たちの方で、きっといつもああなんだろうなーと想像することになる。
同じ意味で「ノイズ」も平ゼロではっきり表現されたモチーフだったと思う。
003が敵の何らかの妨害によって索敵できない、ということは、前述したが、これまでにもあった。しかし一方で、それが彼女に「ノイズ」として苦痛をもたらす、という描写は平ゼロの他にはほとんど見られない。
と、考えていくうちに3至上主義者は困惑するのだった。
私はたしかに003の活躍を望んでいたし、009に対するヒロインってだけじゃつまらないー(怒)とも思っていた。
でも、それってこういうことだったのか……!(汗)結構シビアです(汗)
3至上主義とは、どういうことだったのか。
要するに003を「お姫さま」のバリエーションのひとつとして愛するということだったのか。
そうだったのかも……というより、そんなことすら考えたことはなかったのが、それまでの私だった(しみじみ)
そして、考えたところで何がどうなるというわけでもないのだけど(涙)
でも、お姫さまでなくても003は作品の中で生き生きと動くことができる、ということに気づいたのは、或る意味心強いことなのだった(しみじみじみ)
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