その日は、よく晴れていた。
が、まだうっすらと肌寒く、車での送り迎えを拒否して外出したギルモアのコートが少し薄かったのではないかと、フランソワーズは何となく気を揉んでいた。
日が長くなってきた……とはいえ、午後の日差しにそれほどの暖かみはない。
帰りは強引にでも迎えに行った方がいいかしら……と思いかけたとき、フランソワーズは外にタクシーの停まる音をとらえていた。
咄嗟に素早く「目」を遣い……次の瞬間、フランソワーズは驚きのあまり、拭いていた皿を取り落としそうになっていた。
ギルモアは……一人では、なかった。
「……ギルモア博士?」
「その赤ん坊、どうしたアルか?」
一斉に視線が集まるのを感じ取ったように、赤ん坊は火がついたように泣き出した。
慌てるギルモアの腕から赤ん坊を受け取り、あやしながら、フランソワーズも怪訝そうにギルモアを覗いた。
「博士……今日は、会議に出かけられたのでは?」
「うむ。……すまない、フランソワーズ……どうしても……言い出しにくくてな。そのぅ……実は、今日はこの子を迎えにいったんじゃよ」
「……博士?」
ギルモアはゆっくり深呼吸し、久しぶりに集結したサイボーグたちを見渡した。
「この子は……009の……ジョーの、子供じゃ」
「な、なんだって……?!」
ピュンマが思わず叫び、はっと口を噤んだ。
アルベルトも鋭くフランソワーズを見やった。
「ジョー……の……子供……?」
再び烈しく泣き出した赤ん坊を、フランソワーズは呆然と見下ろした。
同時に、001のテレバシーが響く。
『僕が、見つけた』
「見つけた、だと、イワン?!……何言ってるんだ、君は?」
『009と002が死んだことは間違いない。……でも、君たちは……いや、僕自身も、そのことに納得なんてできなかった。だから、僕は、探した。彼らの……痕跡を』
「……イワン」
『それこそ、世界中を探したよ……そして、この子を見つけたんだ』
「いや、だから、イワン、見つけたって……虫や魚じゃないんだぞ!第一、母親はどうなってるんだ?……まさか、誘拐したわけじゃ……」
気色ばむピュンマをギルモアが慌てて遮った。
「や、その心配はいらん……この子は孤児じゃ……施設にいたのをわしが後見人となって引き取ったんじゃよ」
「……孤児……って」
『フランソワーズ、この子、おなかが空いているみたいだよ……ミルクを飲ませてあげて』
「え、ええ」
夢から覚めたようにはっと顔を上げ、フランソワーズは泣きわめく赤ん坊を抱いて居間を出て行った。
やがて、グレートがすとん、とソファに腰を下ろした。
「まあ……イワンでも博士でもどっちでもいいですよ。要するに、あの赤ん坊と引き合わせるために、こうして俺たちを呼び寄せたってわけだ……だったら、早いところ説明してほしいもんですな」
「う……うむ。無論じゃ」
ギルモアは大きく息をつき、額の汗をぬぐった。
『僕が説明するよ、博士……あの子の名前は、ジョー・シマムラ。間違いなく、009の子供だ。もちろん、DNAも確認済み。でも、おそらく009は自分に子供がいるなんて、思いも寄らなかっただろうな……母親は……君たちが知る必要ないし、知ってもどうにもならない。そもそも、母親の方も、子供の父親が009だとは思っていなかったみたいだし』
「……イヤな話になりそうだな」
『それほどでもないさ。……とにかく、彼女は子供を産んですぐに亡くなった。彼女には身寄りもこれといった友人もなかったから、子供は施設に預けられた。ジョーという名前は……まあ、要するに僕がちょっと細工してつけ直しちゃったんだけど。ついでに姓もシマムラにしておいた。後が面倒じゃないようにね』
「あの子は、いくつアルか?つまり、その……」
『ふふ、数えることはないよ、006。009が彼女と接触したのは僕たちと出会うほんの少し前……まだ、彼がサイボーグではなく、ただの島村ジョーだった頃のことだ』
「……なる、ほど。だから、俺たちが知る必要はない、ということか」
『まあ、そういうこと……何か、異議はあるかい?』
004が唇をゆがめた。
「それについては異議なし、だ……たしかに、係累が全くないってなら、唱えようがないしな」
「そうね、問題はこの後ヨ……博士、つまり、あの子を育てるつもりアルか?」
「……うむ」
「誰が?博士が?……まさか!」
「言っておきますがね、ギルモア博士……フランソワーズをあてにしてるのなら、あんたはやっぱりとんでもない人でなしですぜ?」
『彼女をあてにはしていないよ……僕がなんとかできる。その目処が立つまで、ちょっとかかったんだ』
「……イワン」
『僕には、この子に対する責任がある』
淡々と語る001の言葉に、サイボーグたちは黙り込んだ。
「――責任、ね。……それを言われると辛いよ。さすが、僕らの策士……相変わらず抜け目がないな、君は」
『……ありがとう、ピュンマ』
「お……泣き止んだか?」
グレートが腰を浮かした。
サイボーグたちも、フランソワーズの腕の中ですやすや眠る赤ん坊に注目した。
「ミルクを飲んだら、すっかり落ち着いたみたい……いい子ね」
「ジョーに……似てるアルかね?」
「わからないわ……でも、かわいい」
フランソワーズは愛しげに赤ん坊を揺すり、ささやくように言った。
「ジョーに会わせてあげたかった……どんなに喜んだかしら」
「……そう……アルかねえ?」
「うーむ……いや、たしかに……あのノンキな御仁なら、無邪気に喜んだかもなぁ……」
「うん。それで、ジェットに罵られるんだよ、きっと」
「イワンの言うとおりよ。私たちには、責任があるわ。どんな事情があったとしても、009なら……ジョーなら、きっとこの子を見捨てはしなかった。サイボーグにならなければ……いいえ、なっていても、生きてさえいれば……私たちの犠牲になって、あんなことに……ならなければ……!」
「……フランソワーズ」
この耳で聞き取れなかった、あなたの最後の言葉。
この目で覗けなかった、あなたの最後の心。
でも、あなたは……確かに何かを伝えようとしていたわ。
それが、この子だというのなら。
「この子は、ここで育てましょう……私が世話をするわ」
「……おい、どうするんだ、イワン?」
『ウーン……あてにはしていなかったけど、彼女がそうしたいっていうなら、僕は反対しない』
「この野郎……!やっぱりイヤなヤツだよ、君は!」
忌々しそうに吐き捨てながらも、ピュンマは頬がわずかに緩むのを押さえきれなかった。
他の仲間もたぶんそうに違いない……と思いながら、彼は、赤ん坊を抱くフランソワーズの穏やかな横顔を黙って見つめていた。
数ヶ月後。
仕事から帰ったアルベルトは、郵便受けに薄いエアメールを見つけ、ふと目を細めた。
日本からだった。
《ジョーは1才になりました。とても元気です。でも、イワンとは大違い!普通の赤ちゃんを育てるのって、大変なのね。アルベルト、喜んでもらえると嬉しいのだけど……私は今日、ジョーの母親になりました。》
「ジョー・シマムラ・アルヌール……か。それにしても、なんだ、この写真は?」
同封されていた写真の中で、何か白い大きなモノ……食べものらしいが……を背負わされて、それでも上機嫌な子供がぺたん、と床に座っている。
日本流の1才の祝い方だというが、そもそもあの研究所には変わり者の外国人しかいないではないか、怪しいものだ。もし009が生きていれば……いや、生きていたとしても、アイツはただ困ったように笑うだけだったろうが。僕は子供の頃、こんなことしてもらえなかったから……とか、つぶやきながら、嬉しそうに。
アルベルトは苦笑し、写真を愛しげに指で弾いた。
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