平ゼロ
 
 
002は首を傾げた。
003が、ぼーっとコックピットに座っている。
それ自体はさほど不思議なことではないが。
 
「おい!」
「……002。驚いた。どうしたの?」
「それはこっちのセリフだぜ。何ぼーっと見てやがった?」
「何も……何も、見て……なんか」
「フン。やっぱりな……見てたのか」
「あなた、人の話、聞いてる?」
「おう。よーく聞いてるさ。ソレにかけちゃ、俺は昔から有名でね」
 
呆れ顔で黙り込む003をちら、と見やり、002は軽い調子で言った。
 
「009、だろ?……あんたが見るモノといえば、大体ソレだ」
「……見損なわないで。仲間をのぞき見なんて」
「わかってる。あんたはそんな女じゃねえ。だが、仲間、ならって話だ。……ヤツは違う」
「おかしな絡みかたをするのね。何か、気に入らないことでもあって?」
「フン、気に入らないことなら数え切れないほどあるぜ?だが、今一番気にいらねーのは、その009さ」
「……」
「あの野郎、もしかしたらこの星に残る、とか言い出すかもしれないぜ」
「そうかも、しれないわね」
「……おい」
「私は、いいと思うわ。彼がそれを望むなら」
「おい、ちょっと待て……オマエ、何を見た?」
 
両肩を強くつかまれ、003は微かに眉をひそめた。
その碧の眼に何の表情も浮かんでいないことに気づき、002は思わず息をのんだ。
 
「……何も見ていないわ。本当に、人の話をきかないのね、あなたって」
「003。……待てって!オマエは……オマエは、それでいいのか?」
「それで…って?」
「009さ!……アイツがこの星に残ることになっても……」
「あなたは…イヤなの?」
「何っ……?」
 
大きな溜息を聞こえよがしにつくと、003は立ち上がった。
もっと静かなところ、ないかしら……とつぶやきながら。
 
 
 
やはり、002には気づかれてしまう。
昔から、そうだった。
 
「若いオトコノコに片思いして嫉妬に狂ったあげく、のぞき見がバレて逆切れなんて……みっともないおばあちゃんだこと」
 
口に出してそう言ってしまうと、少し気持ちが楽になるような気がした。
本当に笑い出したくなっているのに気づき、003はようやく肩の力を抜いた。
 
「でも、年寄りをナメたら駄目よ……ちゃんとする。するべきことは、するんだから」
 
私にできることなら全部する。
おせっかいだって、お説教だって。
 
覚悟なさいね、009。
あなたが強情だということはよくわかっているけれど……その点では私だって負けないわ。
おばあちゃんの底力を見せてあげる。
 
 
 
なに、これ……?と目の前に置かれた書類の束を見つめ、不安そうに目を上げた009に、003は澄まして言った。
 
「サバに協力してもらって、集めたデータよ」
「だから……何の……?」
 
ざっと見たところ、メカやエネルギーや……つまり、物理系の研究らしいものではない。
むしろ、生物学……というか。
 
「そうね……おおざっぱに言えば、種間交雑に関するものよ」
「シュ、カン……?」
「交雑……って言い方には抵抗があるけれど、地球の言語では他の言い方がなくて、仕方ないのよ……つまり、異なる種同士が生殖行動を行って、子どもを作ることについての研究ね」
「異なる……生殖、行為…って?ええと、003、どうしてそんな……」
「サバの話だと、宇宙レベルの活動ができるようになったヒューマノイドでは、珍しいことではないそうよ。たとえば、私とサバでも子どものできる可能性はかなり高いんですって」
「な……な、なにを、言ってるんだよ…?」
「始めは、難しいんじゃないかと思っていたのだけど……そうでもないのね。私たちが異なる民族の間で結婚するのとそれほど感覚は違わな……」
「003っ!!」
 
珍しく声を荒げた009に、003は大きく目を見開き、口を噤んだ。
 
「何を考えているんだ、この忙しいときに?!……008も004も、君とサバがなんだかとても真剣に調べものをしているからって……相談があるのを後回しにしたりしていたんだぞ」
「……え」
「個人的な趣味の研究だって、息抜きなら構わないさ!それぐらいのことでごちゃごちゃ言いたくはないけど、でも……!」
「別に、趣味でやっていたわけじゃないわ……必要なことだから」
「必要……?」
「そうよ。あなた、ここに残るんでしょう?……タマラさんと」
「へ……っ?!」
「それが、どういうことだか、わかってるの?」
「な、何……何、言って……」
「もちろん、タマラさんの方が圧倒的に知識が深いってことは想像できるわ。ファンタリオン星の歴史だって、地球とは比べものにならないし……でも、本当に何も知らなかったら、やっぱり不安になるんじゃないかしら」
「……不安って。誰が」
「あなたよ」
「……」
「そうね、たしかに趣味でやっているのかもしれないわ。でも、あなたっていつも自分のことは後回しだし……だから最後に、できることはしておいてあげたいの。気にしないでいいわ。自己満足だから」
「003……最後って、何?……もしかして、本気で言ってるのか?」
「……」
「僕が、ここに残ると?……ゾアとの戦いを捨てて、この星に残るって、君は本気で思うのかっ?!」
「……009」
「いいかげんにしてくれ!……僕を、見くびるな!!」
 
書類の束を思い切り003に投げつけると、009は部屋を飛び出していった。
入れ替わりに入ってきた004は、立ちすくむ003をしばし見つめてから、ぽん、と亜麻色の頭に軽く手を置いた。
 
「坊やに叱られたらしいな……珍しいじゃないか」
「……ええ」
「で?何をやらかしたんだ…?」
「おせっかいをちょっと。……ごらんのとおり、失敗したわ」
「……フン?」
 
首をかしげつつ、散らばった書類を集めていた004は、ほどなく、ぎょっとしたように手を止めた。
 
「オマエ……これ」
「……」
「これが、おせっかい……か?」
「ええ」
「それで、坊やに叱られたのか」
「ええ」
「当然だ、バカ」
「……そうらしいわね」
 
心なしか肩を落とした後ろ姿を見送りながら、004はさて、と腕組みし……しばし思考にふけってみたものの、何がどうなっているのかさっぱりわからない。
 
「ったく、オンナってやつは……」
 
ようようつぶやいたものの、どう続けたものかもわからないことに気づき、004は小さく舌打ちした。
 
「今度ばかりはオマエに同情するぜ、009」
 
 
 
その夜のことだった。
話がある、と思い詰めた表情の009に声をかけられ、予想はしていたものの、003は思わず深呼吸した。
やはり先を越されてしまった……が、準備はもうできている。
 
――おせっかいは失敗したけれど、まだお説教があるもの。
 
そう、心に言い聞かせた。
負けるわけにはいかない。
 
イシュメールのどこかで話すのだろうと思っていると、009はためらうことなく外に出た。
そのまま、慣れた様子でどんどん歩いていく。
暗闇でも初めての道でも、怯むことなどありえない003だったが、落ち着き払った足取りで進む彼の背中を負ううちに、どこか心細くなっていくのだった。
 
――あなたなら、すぐこの星になじめるわね。
 
その心の声が聞こえたかのように、不意に009は足を止め、振り返った。
 
「こんなところまで連れてきて……すまない」
「……いいえ」
「君に、見せたいものがあるんだ」
「え…?」
「ああ、出てきた……見えるかい?……ほら、あそこに」
「……あ!」
 
草むらの奥で、無数の水色と緑色の光がゆらゆらとうごめき、点滅している。
 
「あれは……ホタル?」
「そう…みたいだね。地球のとそれほど変わらない。君の言う、異種ってやつかな」
「……きれい」
 
彼の言葉にこめられた棘には気づかないふりで、003はそうっと草むらに近づき、光へと手を伸ばした。
 
「こんな生き物もいるなんて。本当に美しい星だわ……」
「……ああ」
 
そのまま無言で光の乱舞を見つめる003の両肩を、009はそっと抱きしめた。
が、どんなに近くにいても、手の届くところにあっても、この少女をとらえることはできないのだと、009は改めて思わずにはいられなかった。
この、光をとどめておくことができないように。
 
「003。聞いてほしい……僕は、この星に残ったりしない」
「……」
「たしかに、タマラには残ってほしいと頼まれたし……みんなにそのことで心配をかけたこともわかってる。僕は、ちゃんと説明しなかったからね。でも、説明する必要はないと思っていたんだ」
「ええ。説明なんかいらないわ……あなたは、あなたが望むことをすればいいのよ。それが、私たちの望みでもあるのだから」
 
009は一瞬唇を噛み、深呼吸した。
 
「それを聞いて……安心した。だったら……」
「この星に残りなさい、009」
「003…!」
「タマラさんに頼まれた、なんて。ひどいことを言うのね。彼女はあなたを愛しているのに……そう言われたでしょう?」
「…フランソワーズ」
「ごめんなさい。……聞いていたの。でも、あなたもいけないわ。嘘をつくなんて」
「嘘なんかついていない!……タマラが僕をどう思っていても、僕の気持ちに変わりはないし、彼女の気持ちを君たちに説明する必要だってないだろう?」
「いいえ、あなたは嘘をついているわ」
「……」
「あなたはね、本当に欲しいものをいつも逃してしまうの……どうしてかわからないけれど。私、長い間ずっと……そういうあなたを見てきた」
「フランソワーズ」
「この星で、タマラさんとなら、あなたは幸せになれる……この星には、あなたを必要とする人がたくさんいる。やることはいくらでもあるわ。やりがいのある仕事ばかりよ。そうして、いずれ、彼女が言うように……子どもだって生まれるでしょう。あなたが、ずっと家庭に憧れてきたことを、私、よくわかってるつもりなの」
「待ってくれ、フランソワーズ……それなら……君……君たち、はどうなんだ?僕がいなくても平気だというのか?これからの戦いに……僕は必要ない、とでも?!」
「……ええ」
「君こそ、嘘をつくな!僕がいなければ、君たちは……!」
「そうね、きっと負けるわ。想像もつかない恐ろしい敵ですもの……でも、あなたがいたら、どうだというの?」
「え…!?」
 
009は、思わず003の体を向き直らせ、正面からその瞳をのぞき込んだ。
見つめ返す碧は美しく澄み……しかし、何の表情も浮かんでいない。
第一世代、と呼ばれていた頃の彼女が……自分の知らない彼女がここにいるのだ、という気がした。
震えそうになる声を、009は懸命に抑えなければならなかった。
 
「だ……から……だから、君は、僕に残れ、というのか……?どうせ、かなわない敵だから……帰ることなどない戦いだと、わかっているから……?」
「そうよ。9人死ぬのも8人死ぬのも、変わらないわ」
「……フランソワーズ」
「今のあなたには、心から悲しんでくれるひとがいる……つながる未来も見えている。だったら……どのみち、自分の本当の望みなんてわからないあなただから……最後に、私を信じてみてほしいの。あなたは……ここに残るべきなのよ」
「き……みは……本当……に?」
「お願い。……ずっとあなたを見てきたおばあちゃんの最後の願いなのよ。聞きわけてちょうだい、009……?!」
 
突然、突き飛ばされると同時に、焼けるような痛みが叩き付けられ、003は息をのんだ。
倒れそうになるのを懸命にこらえて打たれた頬を押さえ、大きく目を見開くと、009は苦しげに肩で息をしている。
まるで自分が打たれたように、今にも泣き出しそうな表情で、彼は呻いた。
 
「見くびるな、と……言っただろう……?」
「……ジョー?」
「僕を、009をそこまで見くびるのか、003!?……僕がいても負ける、だと?……ふざけるな!」
 
血を吐くような叫びに、003は身を堅くし、立ちつくした。
足が、微かに震えはじめる。
 
「思い出せ、フランソワーズ……僕が、負けたことがあったか?……勝てないことならあったかもしれない。でも、負けたことはない!……みんなを……君を、守れなかったことなど、ない!」
「……ジョー」
「僕が、いつ負けた?!いつ、君を守れなかった?!……僕は、戦うだけしか能のない男だ……君を…守ることしか……それしかできない男なんだ!でも、それだけは、やり通してきた!……違うか、フランソワーズ!?」
「ジョー……待って、私……」
 
思わず両手で顔を覆い足をふらつかせた003を、009は片手で抱き寄せ、もう片方の手で静かに銃を抜いた。
その銃を血の気を失った白い手に無理やり押しつけるようにして握らせ、009は低く囁いた。
 
「僕が必要ないなら、撃て。君が望むとおり、この星に残ってやる」
「……」
「君を守れない僕に生きる価値なんかない。撃てよ、フランソワーズ」
「ジョー……!」
「いらないんだろうっ!?…撃て!今、ここで僕の息の根を止めてくれ!……君の手で!」
「ジョー……ジョー!」
 
003は銃を取り落とし、夢中で009の胸にすがりついた。
 
「ごめんなさい……ごめん、なさい……ジョー……私……私、は……!」
「……フランソワーズ」
 
009は大きく息をつき、003を抱きしめたまま、ずるずるとその場に座り込んだ。
泣きじゃくる彼女の背を優しく撫でながら、思わず空を仰ぐ。
 
「かんべん、してくれよ……本当に……」
「……だって…」
「それでも、はい、って……言えないんだよなあ……君ってさ…」
「……」
 
――でも、好きなんだ。
 
そして、この期に及んでそう言うことができない自分も、要するに彼女と似たようなものなのだ……と、思いつき、009はまた息をついた。
 
 
 
出て行ったきりなかなか戻らない二人を、仲間たちはかなり心配していたらしい。
さすがに、キャビンにこもった003を追いかける仲間はいなかったが、009の方はなんだかんだと声をかけられたり、飲み物をもらったり、食べ物をもらったりし続けた。
 
「で?……あのわからずやに、一発キメてやったのか?そうなんだろ?」
「……どうだろう」
「は?」
「君も004も……003とつきあい長いんだよなあ……尊敬する」
「お、おいおい、どういう意味だ、009?」
「どうって……なんだか、もう。なんかさ、全然気が抜けないんだよね」
「……」
「疲れた。……休ませてもらうよ」
「お、おう……?」
 
あっけにとられ、009の背中を見送りながら、002は首を傾げた。
振り返ると、004も眉をひそめ、難しい表情になっている。
 
「アイツ……やっぱりココに残ったほうがよくないか?」
「……さあな」
 
 
 
――全然、気が抜けない。
 
004が、009のその言葉を思い出したのは、数日後だった。
突然、ダガス軍団がファンタリオン星に襲来したのだ。
 
出発を目前にしていたイシュメールに向かい、サイボーグたちは走った。
応戦するにも、地上からではどうにもならない。
 
「009!急げ、キリがないぞ!」
「……わかってる!」
 
あらゆる表情を押し殺した声で、004は009を叱咤した。
こういうとき、なまじ加速装置がある彼は、どうしても目先の「救助」に走ってしまう。その気持ちは痛いほどわかるが、今、ここにいる一人を助けるために費やした時間で、あと十人の命が失われるかもしれないのだ。
 
「ん?……待て、003はどうした?」
「…なにっ?」
 
008の指摘にぎょっとして振り返ると、たしかに003の姿がない。
002が舌打ちした。
 
「あいつ……!タマラたちの誘導をしてから来るとか言ってやがったが……と、009!」
 
ものも言わず009が姿を消すのと同時に、008が叫んだ。
 
「30秒だ、009!……それ以上は待たないぞ!」
「……そりゃ、無茶だろ、アンタ?」
 
 
 
駆けつけた009に、最初に気づき、振り返ったのはタマラだった。
 
「ああ、009……!」
「――タマラ、危ないっ!」
 
009は思わず叫んだ。
同時に、背後から放たれたレーザーに貫かれ、タマラは声を失った。
倒れる彼女に更に無数のレーザーが襲いかかろうとしたときだった。
突然、物陰から小柄な赤い影が素早く飛び出し、タマラを抱きかかえながら、地面に転がった。
 
「タマラさん……!」
「よせっ!…出るな、フランソワーズ!」
 
009は加速装置を噛み、庇うようにタマラに覆い被さった003に思い切り体当たりしてはね飛ばし、そのまま二人を両脇に抱えこむや、離脱した。
 
「ほう。……30秒だ」
「マジか?!」
 
二人の女性を両脇に抱え、現れた009に、002は目を剥いた。
一方、落ち着き払って彼女たちをちら、と見やった008は痛ましそうに005を見上げ……005も重々しくうなずいた。
 
「サバ、003の手当を……009。気の毒だが、タマラの方は……もう」
「……」
「出撃するぞ…!」
 
004が振り返り、叩き付けるように怒鳴る。
009は静かに顔を上げ、うなずいた。
 
 
 
眼を開けると、赤茶色の瞳がのぞき込んでいる。
ああ、やっぱり……と、003はひそかに息をついた。
 
「気がついたね……気分はどうだい?」
「……あまり」
「そう、だろうね……もう少し休むといい」
「009……タマラ、さんは…?」
「……ごめん」
 
水を持ってくるよ、と立ち上がる彼の表情は、前髪の奥に隠れて見えなかった。
いたたまれない気持ちになり、003は思わず待って、と言ってしまった。
 
「どうした…?」
「あ、あの……」
 
素早く耳を澄まし、既に宇宙を航行中だということに気づいた。
あれから、どれくらいたったのだろう。
 
「まだ、あの攻撃から一日もたっていないよ」
「……」
「やつらは殲滅した……地上の犠牲も、大きかったけれど」
「……」
「たしかに……僕たちは、勝てないのかもしれないな。君が……言ったとおりだ」
 
009の声は微かに震えているように聞こえた。
やがて、細い声が沈黙を破った。
 
「あなたは……負けなかったわ、009」
「……003?」
「私を……守ってくれた」
「……」
「それなのに、ごめんなさい。……私、タマラさんを助けられなかったわ」
「……フランソワーズ」
 
不意に、熱いものにすっぽりと包まれた。
意地っ張り、と耳元で言われたような気もする。
が、よくわからない。
 
泣いているのが自分なのか、009なのかも……003にはわからなかった。
わからないほど、強く抱きしめられていた。
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