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  3   第1章 溜息
 
 
やれやれ、と、PCの電源を落とし、ジョーは伸びをした。
ギルモアに頼まれたデータ整理に、つい没頭してしまった。
ふと時計を見上げ、しまった、と肩をすくめる。
 
夕飯の時間はとっくに過ぎていたし、この分だと、フランソワーズも何度かのぞきに来ていたに違いない。
彼女は、こういうとき、直接ジョーに対して不満をぶつけることはまずない…が、ギルモアが研究に没頭して食事も睡眠もなおざりになってしまうときの、あの溜息を思い出してみると。
 
たぶん心配をかけちゃったな、と思う。
謝っておきたい気はかなりするのだけど、彼女が不満らしい様子を見せない…たぶん、見せないように努力してくれている…のに先回りして謝るのも却って失礼かもしれない。
 
地下室を出て、階段を上がる。
そのまま2階の寝室に向かおうとしたジョーはふと足を止めた。
リビングから灯りが漏れているのに気づいたのだった。
 
「…フランソワーズ」
 
イワンを抱いてソファに座っていたフランソワーズは、驚いたように振り返った。
 
「ジョー。終わったの?…お疲れさま。何か食べる?」
「いや…ごめん、遅くなって…でも、君…」
 
こんな時間にどうしたんだ、という問いを、ジョーは危ういところでのみこんだ。
もし、自分を待っていてくれたのだとしたら、どうしたんだ、も何もない。
が、フランソワーズは困ったように微笑すると、そうっと腕の中の赤ん坊を揺すり上げるようにした。
 
「え…?イワン?どうかしたのかい…?」
「…なんだか、ぐずっていて」
「今、夜の時間…だよね」
「ええ。風邪でもひいたのかしら…でも、熱はないみたいだし」
 
母親らしい仕草でイワンの額にそっと頬を寄せるフランソワーズを、ジョーはぼんやり見つめていた。
 
「あ…やっぱりおなかすいた?…何か、サンドイッチでも作るわ…」
「え…でも」
「イワン…ちょっといい子で待っていてね」
 
優しく囁きながら、フランソワーズはイワンをそうっとクーファンに戻そうとした…が。
彼女の胸から離された途端、穏やかだった赤ん坊の寝顔は微かにゆがみ。
ジョーが、あ、と思ったときには、もうイワンは低い泣き声を立て始めていた。
 
「あら…イワンったら。今日はどうしちゃったのかしら…」
「フランソワーズ、いいよ、ホントに…このまま寝るつもりだったんだから」
「…でも」
「それより…君こそ大丈夫かい?この調子じゃ今夜はロクに眠れないんじゃ…」
「大丈夫よ。もうすぐ寝付くと思うわ…このごろ、こういうことが多いの」
「そう、なのか…でも、どうして…」
「どうしてかしら。…イワンも、夜の時間はフツウの赤ちゃんだってこと…かしらね」
 
笑ってお休みなさい、と告げるフランソワーズに、ジョーも微笑を返し、リビングを出た。
そういえば昔、施設の赤ん坊がよく「夜泣き」をしていたっけ…などと思い出す。
たしかに原因はよくわからないようだった。
 
夜泣きをするのは赤ん坊のごく一時期だ、という話も、そのときちらっと聞いたことがある。
が、その「ごく一時期」というのは、イワンの場合、どのくらいの時間になるのか。
 
そう思い至り、ジョーは思わず瞠目した。
イワンの一日は、フツウの赤ん坊の約一ヶ月…なのだ。
それなら…つまり。
いや、でも。
 
それならそれで、彼自身がどうにか「対策」を考えてしまうのかもしれない。
きっとそうするだろう。
自分のためにフランソワーズが心身を削ることを、イワンは絶対に望まないはずだから。
 
 
 
果たして、イワン…001は、覚醒するや否や「対策」を練り始めた。
フランソワーズはもちろん、ジョーも、彼に何も語りはしなかったのだが、当然のことながら、001に対して何かを「語る」必要などない。
 
《僕が夜泣きをする…っていうのは、たしかに君たちにとっては少しばかり微笑ましいようにも思えることなのかもしれないね…でも》
 
覚醒して2日後、001はギルモアと003、009を研究室に集めた。
そこで、彼が語り始めた「夜泣き」の「分析結果」は意外なものだった。
 
《実をいうと、何が起きているのか…僕にもちゃんとわかっているわけではない。僕がそれを知ろうとすると、何かに阻まれるんだ。僕の力が…跳ね返される感じがする》
「君の力が…跳ね返される…って?」
 
ジョーは思わず眉を寄せた。
001の「侵入」を阻む…それを可能とするものがいるというなら…それは。
 
《そう。そんなことができる人間を、僕は一人だけ知っている。その人間が、たぶん今も生きている…ということも》
「イワン!…まさか」
 
ハッと顔を上げたギルモアを制するように、001は淡々と続けた。
 
《僕は、むしろそうであってほしいと思っている、ギルモア博士。正体不明の、未知の存在が敵として現れたのだというよりも…相手がガモ・ウイスキーであるなら、勝機は十分にある》
「ガモ・ウイスキー…って…イワン、それはあなたの!」
《もちろん、父親だ、003…もっとも、僕にとって、それは君が思うような存在ではないけれど。はじめに言っておこう。僕は、君たちとは違う。…特に、ジョー。》
「…イワン?」
《君と僕とは、ある意味似ているのかもしれない…でも、根本が違う。僕には両親がいない。なくしたのではなく、はじめからいないんだ。…それがどういうことか、君にわかるだろうか。いない者を慕うことはできない。僕は、君とは違う。心配は無用だ》
「イワン…イワン、でも…!」
 
堪えきれず、フランソワーズは中に浮かんでいた001を腕の中に抱き取り、そのまま固く抱きしめた。
 
「それでも…私たちは、あなたのお父様をただ敵だと思うことはできないわ…世界でただ一人の…あなたのお父様を」
《その感情は危険だ、003…だからこそ、僕ははじめに…》
「危険なのは承知さ、イワン…でも、僕たちには多少の危険なら引き受けることのできる力がある…仲間として、それだけは信じてほしい。君には迷惑、かけてしまうことになるんだろうけどね」
《迷惑だな。君たちが危険に陥ることを僕は望んでいないし、まして、そのために君たちが傷つくようなことになるのなら…》
 
不意に001の体がふっと軽くなった気がして、003は彼を抱きしめる腕に思わず力を込めた。
 
《苦しいよ。フランソワーズ》
「あ…ごめんなさい」
「とにかく…じゃな」
 
ようやく気を取り直したギルモアが、重々しく咳払いをした。
 
「まだ、何もハッキリわかったというわけではない。ガモ君が何かをしているというのなら…それがどこで行われているのかを、まずは割り出さなくては…001、君の力が跳ね返されるという地点をまず特定しようではないか」
《そうだね…まずそこから始めよう、博士…009。みんなに連絡をとっておいてくれたまえ…今すぐに戦闘になるということではないと思うけれど》
「…わかった」
 
何か言おうとする003を静かに制して、009はしっかりとうなずいた。
 
 
 
「なくしたんじゃなくて…いない…か」
「…ジョー?」
 
はっと顔を上げるフランソワーズを宥めるように抱き寄せ、ジョーはごめん…とつぶやいた。
しばらくそうしていると、腕の中で小さな溜息が落ちた。
 
「私…イワンのこと、なにもわかっていなかったんだわ…」
「フランソワーズ?」
「ただ…かわいくて。かわいがっていれば…それでいいんだと思って…本当のママじゃないけれど、いつかそうなれるかもしれない…イワンもきっとそれを喜んでくれるって…勝手に思いこんで」
「勝手に、なんて…それは違うよ、フランソワーズ…そんなこと、言っちゃダメだ」
「…でも」
「君は…イワンのママだよ…イワンにはじめから両親がいないというなら、なおさらだ…君がいなければ、イワンは何も知らなかった…僕のように」
「ジョー…?」
「イワンは、自分と僕とは違うと言った…たしかに、その通りだと思う。でも…もし、慕う気持ちが少しもなかったとしても…欲しいと思ったことすらなかったとしても…君が彼に与えたものは、彼を幸せにしていたはずだ」
「……」
「僕にはわかる。僕が欲しくてたまらなかったものを、君がくれたから…君だけが、くれたから。…だから、わかるんだ。君がイワンに与えているものは…イワンを幸せにしているよ。必ず」
 
短い沈黙の後、澄んだ青い瞳がじっとジョーを見上げた。
その美しさに吸い寄せられるように唇を寄せると、彼女はふと横を向いてしまった。
 
「…フランソワーズ?」
「やっぱり…そうなのね」
「え…?」
「私は…あなたの…ママ、なの?…だから…大事に思ってくれるの…?」
「あ…」
 
ジョーはしばらく無言のまま、固まったように恋人を見つめていた…が、やがて、そうっとかがみ込むと、微かな溜息とともに、彼女の柔らかい耳たぶへ唇を落とした。
 
「どう…なんだろうな」
「触らないで…!」
「ゴメン…本当をいうと、僕にはよくわからないんだ、フランソワーズ…でも…でも、ね」
「…イヤよ…!もう、あなたなんて…」
「でも…ママに、こんなことをしたいなんて…したくてたまらないなんて…思わないんじゃないかな。フツウの男…なら……君、どう思う?」
「知らない…!キライ…離して…!」
「駄目だよ、離さない…言っただろう?やっと見つけたんだ…僕がなくしたもの」
 
欲しくて…欲しくて、欲しかったものを、見つけた。
君の中に。
慕って、慕って、慕いぬいて、やっと君にたどりついた。
だからもう、離さない。
絶対、離さない。
 
…そうだ。
 
たしかに、イワン、君は僕とは違う。
だから…僕は君を許すことができるんだろう。
 
彼女の胸に、君がいることを。
 
 
 
「何か」が起きているらしい場所を特定できたのは、それから5日後だった。
相変わらず、それが何であるか…は、001にもわからなかったのだけれど。
 
彼が覚醒していられる日数は、もう一週間を切っている。
「作戦」を実行するにはぎりぎりの時間だった…が。
何も手を打たないままで「眠り」に入るのも、また危険なことだ、と、集まった仲間達に001は言った。
 
《場合によっては深入りできない…かもしれないけれど…とにかく行くべきだ》
「…そうだ、ね」
「001。ウイスキー博士が絡んでいるらしいっていうのは…思念波からわかったことなのか?」
 
002の問いに、001はうなずいた。
 
《途切れ途切れだけど、強烈な思念だ…何かをしていることは間違いない。おそらく、彼の生涯の研究テーマだった、ESP開発に関わる…何かを》
「オマエを越える力をもった、新しいエスパーサイボーグを作ろうとしている…ということか?」
《それは、違うと思う…そういうモノの気配は感じ取れない》
「僕達の調査ルートからわかったのは…少なくとも、行われているのは兵器開発ではないらしい、ということかな」
「どういうことだ、009?」
「資金が動いていない。…というか、ウイスキー博士がどうやってその研究の資金を捻出しているのかさえわからない。そんな状態で何かの研究ができるとは到底思えないんだが…」
《あの男には、そういう常識が通用しない所がある…ギルモア博士ならよく知っているはずだ》
「あ?…ああ…いや…そう…かもしれんが」
《言ったはずだ、博士。気遣い無用だと。これからは特に、そういう余計な気持ちの揺れが、直接危険につながることになるかもしれない》
「…わかっているよ、イワン。大丈夫だ…行こう」
 
009は苦笑しながらクーファンから001を抱き上げ、003の腕に預けた。
 
「作戦を開始しよう。第一の目的は、001の力を阻んでいる『何か』を発見し、停止させること。第二の目的は、ガモ・ウイスキー博士の捜索と、彼が進めているプロジェクトの停止。ただし、作戦にかけることができる日数は、今日から最大で5日間。それまでに撤収を完了することが、全ての目的に優先する…それを、忘れるな」
「了解…!」
 
 
数分後。
夜更けの海を、ドルフィン号は音もなく進み始めた。
南を目指して。
 
001とギルモアが割り出したその地点は、かつてXポイントとよばれた、00ナンバーサイボーグ開発基地のあった「あの島」にほど近い場所だった。


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