1
大海原の中に、ぽつん、と浮かぶ島。
人が住んでいるようにはとても思えない荒れた島だったが、ガモ・ウイスキーはそこにいるはずだった。というか、その近辺に、人間が生きていられそうな場所が他にない。
003が透視すると、その島の地下には「研究室のようなもの」があるらしい。
あるらしい、というのは、そのスペースは彼女の透視能力を拒絶する何かに覆われているから 、で。
そして、001の能力を阻んでいる「壁」も、ソレときれいに一致するようなのだった。
「でも、わからないわ…それに覆われているスペースは、本当に狭いのよ。そうね…このコックピットぐらいかしら?」
「そんなに小さいのかい?」
「ええ。もちろん、その外側に簡単な居住スペースのようなモノはあるわ。それから、北側の洞窟の奥に、とても小さい…旧式の飛行機も。でも、戦闘機能のようなものはついていない… たぶん、ガモ博士が島の外に出るときに使う…ただの移動用飛行機じゃないかしら」
「ううむ…わからんの。たとえば、ワシなら…そのスペースで研究をするのは…無理じゃのう 。ガモくんは、いったい何をしているのか…」
考え込むギルモアに、009が尋ねた。
「ガモ博士の専門は、生体工学ではなく、ESP開発…なんですよね?…もとより、それほど設備の必要でない研究なんでしょうか?」
「いや、そんなことはないと思うが…」
何となく沈黙が落ちる。
それを破ったのは、もう何度となく、空から島を偵察してきた002だった。
「とにかく、そろそろ実際に乗り込んでみてもいいんじゃないか?…003、要するに、あの島には警備システムも何もないんだろう?」
「…ええ」
「待てよ002。だからこそ、なんだかイヤな感じがするじゃないか…そうだろ、009?」
「そうだね、008。僕も…そう思う。ガモ博士が今している…そして、僕たちにわかっていることは、001と…それから、003の力が通用しない、ごく小さな空間を作っている…と いうことだけだ。…いったい、何のために?」
「いや。正確にいえば、003は関係ないだろう。たまたま、来てみたらそうだった…というだけさ。こうやって来てみなければ、ガモ博士が何をしているのかなんてことは、俺たちには …いや、誰にもわからなかったんだからな。ということは…」
《そのとおりだ、004。彼の目的は、僕にココを教えること。僕をココにおびき寄せること …それだけ、にちがいない》
001の静かなテレパシーに、サイボーグたちはまた黙り込んだ。
003は覚えず、001を抱く腕に力を込めていた。
《そうだとすると。きっと、問題は、彼ではなく…僕だ》
「…001?どういうことだ?」
《僕の力は、君たちとともに戦う中で、おそらく、少しずつ強くなっている。彼は、そのことを予測していた。だから、 彼は、僕がその力を身につけたときはここに来い、と告げるために…それだけのために、この 『壁』を作ったのだろう。そして、僕は、それに気づいた。つまり、彼が望むだけの力を、身につけたのだ。ようやく、 時が満ちた、ということさ》
「001。君は…どうしたいんだ?」
《僕を、『壁』の中に連れて行ってほしい、009。すまないが、僕の力が効かない以上、自分でテレポートすることはできない。だが、003が言ったように、島に君たちを攻撃するような設備や武器は一切ないと思う。君たちが、そこにただ僕を連れて行く、ということそれ自体は、ごくたやすいだろう》
「そんな…ダメよ!」
003が悲鳴のように叫び、001をぎゅっと抱きしめようとした…が、001は彼女の腕をするりと抜け、009の前にテレポートした。
《君に、連れて行ってほしいんだ。009》
「…イワン」
《君でなければいけない。僕があの『壁』の中に入ったら、何が起きるかわからないのだから。もし万一、僕が、心ならずも世界に仇なす存在になりはてたときは…君の力で、僕を殺してく れたまえ》
「……」
《もっとも、そのとき君の力でそれができるかどうかはわからない。でも、君にできなければ、どのみち地上の誰にもできないだろう。他のみんなは、僕たちと一緒に島に上陸し、『壁』の外側に爆薬をしかけておいてほしい。そして、僕たちが戻らなかったときは…》
「すべてを爆破しろ…というのかい?何かが起きて、009にも止められなくなった君をそんなモノでどうにかできるとは思えないが…」
《…かもしれない。でも、我々は、常に最善を尽くすしかない》
「おいおい、待てよ、超能力ベビイちゃん?」
007が不意に割り込んだ。
口調はおどけているが、その表情に、いつもの明るさはない。
「我が輩は反対だぜ…なんでわざわざそんな危ない真似をする必要がある?ほら見ろ、ママが死ぬほど心配そうな顔をしているぜ?」
「そうよ、イワン…アナタはここにいてちょうだい。ガモ博士には、私たちが会って話をするわ…もし必要があるなら、研究室の爆破も私たちが」
《それでは意味がない…わかってくれたまえ、003》
「いいえ、ダメ…!わからないわ!」
《問題は僕だ、と言っただろう?…危険なのは、彼の研究ではなく、おそらく僕自身なのだ。 もし、あの島を破壊し、ガモ・ウイスキーを倒したとしても、いつか誰かが同じような何かを始める可能性は残る。僕は、僕自身について知る必要があるんだ。敵が、僕を作ったガモ・ウィスキーであるうちに…そして、君たちが僕の傍らにあって…僕を助けてくれるうちに》
重い沈黙の中、009がすっと001に両手を伸ばした。
素直にその腕に身を預ける001をしっかり抱き直し、009は仲間達をぐるっと見回した。
「001の言うとおりにしよう。それが、仲間としての僕達のつとめだ。違うかい?」
「でも、ジョー!」
「…大丈夫だよ、フランソワーズ」
「いや、009よ。大丈夫ではない可能性の方がずっと高いじゃろう…しかし…」
ギルモアは低く唸った。
「……しかし、他に方法はない。そうなのかもしれん」
2
予想したとおり、サイボーグたちが上陸しても、島には何の動きもなかった。
「これなら、夜にする必要もなかったかもしれないな…ガモ博士も、どうせ昼夜の区別なく研究に没頭しているんだろうしね」
「ガモ博士、こうやって001が近づいていること、わかってるアルかね?」
「…さあ、な」
「気づいていないんじゃないかしら…少なくとも、監視カメラのようなものはどこにもないわ」
「ガモ博士がどこかにいるか見えるかい、003?」
「…いいえ、009。居住スペースには誰も…それに、あまり生活している感じがないの」
「うむ。もともと、001がどう動くかは予想済み……たとえ、いつ来るのかはわからなくとも、そんなことはどうでもいい。ただそのときを待つだけだ。もともとそういう作戦なんだろう」
「…そうかもしれない。それじゃ、ここからは001を僕に……ん?…003?」
両手を伸ばして001を受け取ろうとした009は首を傾げた。
003が、001を抱きしめたまま離そうとしない。
構わず強引に抱き取ろうとすると、003は思い詰めた視線をまっすぐ向けてきた。
「お願いがあるの、009、001。私も一緒に連れて行って…あなたたちと一緒に、『壁』の中へ」
「なん、だって…?」
《それは、ダメだ…003。君には、危険が大きすぎる》
「危険?…危険って、何かしら。もしこの先、あなたたちが無事でいられなくなるような事がおきたら…そのときは、世界の終わりかもしれない。『壁』の中にいようが外にいようが同じ。そうじゃなくて?」
「…003」
「私も無関係ではないわ。『壁』は私の力も跳ね返している。私は超能力者ではないのに…これだけ警備に無頓着なガモ博士がそんなことをするのは、もしかしたらあの中に私に見られたくないモノがあるからかもしれないでしょう?」
《その可能性は低い、003。君の能力が封じられているのは、おそらく偶然にすぎない。彼がそれを狙っているとは考えにくい》
「…いいえ。私も一緒に行く。あなたを離さないわ、イワン…どんなことがあっても」
《君は、感傷的になりすぎている。考えたまえ、003。君がついてきても、足手まといになるだけだ》
「それでいいわ。私は、あなたの足手まといになるために行きたいの。あなたは言ったわね、イワン…本当に危険なのは、ガモ博士ではなく、あなた自身だ…って」
004がふ、と笑った。
「…なるほど。たしかにそうかもしれねえな…001よ。それに、003が足手まといなのはこっちにとっても同じことだ。彼女は一番逃げ足が遅いんでね」
「言いたいことはわかるアルけど、そういう言い方ないアルよ、004」
「いや…たしかに004の言うとおりだ。で、お前はどう思うんだ、009?」
「…どう…思うって。僕は…」
009は改めて001を抱きしめる003を見やった。
いつも見慣れたその姿は、いつもそうであるように、本当の母子と何も変わるところがない。
彼女を連れて行き、未知の危険にさらすことは、もちろん009の本意ではなかった。
が、001を…この赤ん坊を、他でもない自分が若い母親の胸から引き離すことになるのだと思うと、心が揺れる。
「お願い、ジョー。私たちを…離ればなれにしないで。イワンを、私からとらないで!」
「…フランソワーズ」
わたしの、ぼうや…!
突然、かなしく澄んだ声が009の心を貫いた。
009は凍り付いたように003を見つめ…やがて、小さくうなずいていた。
「…わかったよ、フランソワーズ」
「…ジョー」
「イワン、彼女も一緒に行く…それが、僕が君をあの『壁』の中に連れていく条件だ」
しばらくの沈黙のあと、溜息のようなテレパシーが流れた。
《…しかた、ないな》
「ありがとう、ジョー…イワン…!」
「それじゃ…行こう。003、001を頼む」
「…はい」
003は001をそっと抱き直し、優しく頬ずりをしながら涙を隠した。
3
『壁』の入口は、何の変哲もない木の扉だった。
が、やはり001も003も中の様子をうかがうことはできなかった。
各所へ散り、爆弾を仕掛け終えた仲間達が集結すると、009は001を抱いた003を背後に庇いながら、ゆっくりと扉のノブに手をかけた。
「しっかりやれよ、親父」
「…もう、002ったら…!」
低く咎める003に軽く目配せを投げてあしらうと、002はじっと009を見つめた。
009も肩越しに強い視線を返した。
僕に、それができるのなら。
その力があるのなら。
この命を捨てても…二人を守ってみせる。
「行ってくる。…後は、頼んだぞ、みんな!」
「ああ。まかしときな…!」
ノブがかちり、と音を立て、あっけないほど簡単に回る。
静かに扉をわずか開き、中を素早くうかがうと、009は003の肩を抱き、音もなく向こう側へと滑り込んだ。
「…これ、は…?」
思わずつぶやき、009は003の肩を確かめるように更に抱き寄せた。
辺りは闇と沈黙に包まれている。
フツウの暗闇なら、或程度きくはずの彼の目がまったくきかない。
彼女の肩から伝わる感触で、009は、003にもやはり何も見えていないのだということを悟った。
「フランソワーズ。絶対に、僕から離れるな!」
堅く001を抱きしめた003が、微かにうなずく気配がする。
009は足を止め、二人を庇うようにしっかりと抱き寄せた。
…親父、か。
002のおどけた言葉が胸に蘇る。
この闇の向こうに、001の血を分けた「父親」がいる。
しかし、彼は父ではない…と001は言う。
それなら。
僕が、君たちを守る。
この、僕の腕で。
009は頭をもたげ、闇を見つめた。
フランソワーズ。
君が、001の母であることができるなら。
僕は、彼の父親になる。
その力が、僕にあるかどうかはわからない。
…でも。
ガモ・ウイスキー博士、僕は負けない。
あなたに負けるわけにはいかない。
この腕に抱きしめたぬくもりが、幻ではないことを確かめるために。
僕の、かけがえのない家族のために。
そして……僕自身のために。
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