Top ゆりかご 更新記録 案内板 基礎編 発展編 二周目 三周目 四周目 五周目
発展編


  1   溜息(原作)
 
 
それもまた、文化の違いというものだろう、とアルベルトは僕に言った。
 
みんなに妙に気を遣われているような気がしたのは、出逢ってしばらくしたころだった。
戦いが一段落して、コズミ博士の家で世話になっていたころ。
暗殺者の襲撃を漠然と予想しながらも、僕たちは束の間の休息に浸っていた。
 
 
「あとは私がやるから、009」
 
朝ご飯の片づけを手伝っていたら、フランソワーズがにっこり言った。
 
「少し休んだ方がいいぞ、009」
 
頼まれた買い物を張々湖に渡していると、通りすがりのピュンマが言った。
 
「おまえ、先にメンテしてもらえ。あの島でギリギリまで戦ったのはおまえなんだからよ」
 
博士に呼ばれて立上がりかけたジェットが不意に振り向いてマジメな顔で言った。
 
…なんだろう?
 
 
夕食のあと、居間でぼんやりテレビを見ていた。
がさがさ、と新聞を乱暴にたたむ気配に振り返ると、アルベルトが険しい顔で僕を見ていた。
 
「なんなんだ。オマエは?」
 
怒っている…みたいだ。
 
「…え、ええと…僕…かい?」
「何が気に入らない?言っておくが、オレたちに日本人風のコミュニケーションは通用しない」
 
僕は目を白黒させた。
 
 
極力西欧風のコミュニケーションに努めた結果、僕はようやく事態をのみこんだ。
それは、溜息。
 
僕は、むやみに盛大な溜息をついていたらしいのだった。
気づかなかったけど。
 
 
アルベルトいわく。
むやみに溜息をつく、というのは、周囲への配慮に欠ける行為なのだという。
言われてみればわかる。
たしかに、誰かが溜息ついてたら、心配だもんな。
 
したがって、人前で溜息をつく…なんてのは、それはもう、よっぽどの場合なわけで。
 
特に、僕を心配していたのはフランソワーズだったそうだ。
彼女はあの島での戦いを通じて、僕のことを、人並み外れて強く優しく辛抱強く心正しい少年…だと判断したらしい。
その僕が溜息をつくんだから、大変な大変なことなんじゃないかと思ってしまって。
それで僕が何も言わないものだから、彼女も遠慮して何も聞けず、ただ心配を募らせて……
 
呆然と天井を仰ぐ僕を、アルベルトは少し面白そうに見つめた。
 
「まあ…そういうのも、文化の違いってヤツなんだろうな。ってことはお互いさまだ。気にするな」
 
フランソワーズにはオレが話しておくから、とアルベルトは笑った。
でも、それ以前の問題として、彼女の僕に対する認識には相当の間違いがあるわけで。
それもなんとかしてもらいたかった…のだけど。
 
灰青色の目からどうしても消えない、漠然とした笑いの色に、僕は言葉をのみこんだ。
 
どうせ誤解なんだし。
彼女も、そのうちおいおいわかるだろう。
そうしたら、あのときイワンに聞いた僕の経歴だって改めて思い出すだろうし。
 
いいか、別に。
 
 
 
ハーシェル博士急死の報せにロンドンに飛び、それからずっと。
僕たちは、もう何日も図書館に通い詰めだった。
 
「ファラオの呪い」についての文献はもちろん、一見、何が関係あるのかわからない資料まで。
ギルモア博士の作ったリストは膨大だった。
 
せっぱつまった作業ではなかった。
第一、まだ大きな事件が起きたわけでもない。
 
でも、不安は膨らむばかりだった。
長年の戦いで身につけた勘が、僕に告げる。
これは、ただごとではない。
 
その思いはフランソワーズも同じだったと思う。
あと一週間でイワンが目覚めるのだが、それを待っていてはいけないような気がしていた。
 
ギルモア博士の奮闘ぶりも、まさに超人的だった。
親友の思わぬ死と、禍々しい予感とで、博士は相当追いつめられていた。
 
博士は、いつも僕たちを戦いから遠ざけようとしてくれる。
出来る限り、最大限の努力を注いで。
 
もし、ハーシェル博士の命を奪った病が、新種のウィルスによるものなのだとしたら、既にその道の専門家たちが血眼になって研究にうちこんでいるだろう。
博士はともかく、僕たち素人が何をしたところで無駄なのかもしれないけど…
それでも、僕たちはじっとしていられなかった。
手遅れにならないうちに。
その思いに突き動かされて。
 
 
…でも。
3回目だ。
 
僕は目だけこっそり持ち上げて、正面に座っているフランソワーズをちらっと覗いた。
彼女は一心不乱で資料に見入っている。
…でも。
 
大きな溜息をこれで3回。
それから、小さいあくびを2回。
 
ギルモア博士は気づいていない。
すさまじいまでの集中力だと思う。
 
どうしようか、迷っていると…また溜息。4回目。
もう堪えられない。
僕は思いきって顔を上げた。
 
「大丈夫か、フランソワーズ?」
 
僕の声に、フランソワーズは驚いたように目を上げ、ばつの悪そうな顔をした。
でも、そんなことに構っていられない。
 
「なんだかすごく疲れているようだけど…今日は、これでやめようか?」
 
フランソワーズはちょっと目を見張り、それから微笑んで首を振った。
ギルモア博士は、本から目を離さない。
 
「…大丈夫よ、ごめんなさい」
 
…大丈夫なもんか!
 
僕はフランソワーズを睨んだ。
 
彼女が溜息をつくことなんて、めったにない。
まして、僕の前では。
 
もっと甘えてくれたっていいと思うこともある。
でも、彼女は決して弱音を吐かない。
…そう。
 
甘えてくれたっていい、と思いながら…僕は彼女に感謝もしている。
もし、彼女がこれだけ辛抱強いひとでなかったら…僕は、今頃。
 
彼女はうつむいて、とぎれとぎれに言い訳を始めた。とても恥ずかしそうに。
 
僕に気づかれたことを恥じているんだ。
自分の弱さを。
 
彼女がそう思うことはわかっているから、僕だって、いつもはこんなツッコミしない。
でも、ものには限界がある。
 
夢を見て眠れない…とかなんとか。
彼女の言い訳は続く。
 
そんなこと、どうだっていい。
夢の話なんかでごまかされない。
 
あのツタンカーメンの棺に供えられていた花が気になったからかもしれない…なんて、一生懸命夢の分析をしてみせるフランソワーズ。
いじらしくて、痛々しくてたまらない。
どうして、君はそんなに強がるんだろう。
 
でも、無理に遮ったりしたら、きっと怯えさせてしまう。
僕は溢れそうになる言葉を懸命に押さえつけていた。
 
もう、いいから…とにかく休もう。休んでくれ。
花なんて、どうでもいい。それより…
 
…花?!
 
僕の脳裏に、ツタンカーメンのミイラと、その胸に供えられた紅花が鮮明に蘇った。
 
「花…花だって?!」
 
フランソワーズが口を噤み、僕を見上げた。
強い光が僕をよぎった。
間違いない。
根拠はまだないけど。
この予感は、きっと…
 
「花だ!」
 
僕はもう一度強く言い、フランソワーズの持っていた資料を取り上げた。
 
ギルモア博士がゆっくり顔を上げた。
その目をしっかり見つめながら、僕は自分の考えを説明した。
博士の目にみるみる生気が戻った。
 
大丈夫。
これで、大丈夫だ。
 
 
 
食事のとき、フランソワーズは明日のエジプト行きの飛行機がとれた、と僕たちに告げた。
とりあえず博士とイワンとぼくたち二人だけで向かうことにしていた。
一応、グレートとアルベルトとピュンマには連絡だけしておいた。
 
「見つかるといいけれど…エジプト紅花」
 
ふとフランソワーズが不安そうにつぶやいた。
ギルモア博士は微笑んでうなずいた。
 
「大丈夫…そう珍しい花ではないからの」
 
ゆったりとパイプをふかす様子に、僕はほっとしていた。
久しぶりに見る、博士の笑顔だと思った。
 
食堂を出るとき、博士はフランソワーズより早くイワンを抱き上げた。
 
「今夜はわしがこの子をあずかろう…オマエはゆっくり休みなさい」
 
笑っていたけれど、博士の目には有無を言わせない光があった。
フランソワーズは申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
 
 
 
さすがに、マズイと思う。
朝になって、万一博士に気づかれたら…
 
でも、身を起こそうとするたびに、彼女の白い肩がぴくん、と揺れる。
動けなかった。
…いや。
もし、彼女がぐっすり眠っていたって、動けなかったかもしれない。
 
…なんて、可愛いんだろう。
 
僕はそうっと亜麻色の髪に指を埋めていった。
 
 
こんなことをするつもりで彼女の部屋を訪ねたわけではない。
誓ってもいい。
僕はただ、あの溜息のあと、一生懸命言い訳をしていた彼女がなんだかとても気になって。
 
疲れたときは疲れた、と言ってほしかった。
僕は…情けないけど、色々なことに鈍感すぎる。
その自覚はある。
だからこそ、自分で自分を守ってほしい。大事にしてほしいと思った。
 
彼女の部屋で、ベッドに並んで腰掛けて、精一杯の思いを込めて話し続けた。
それから、うつむいたままの細い両肩をそっと抱いて、こちらを向かせようとした。
…が。
彼女は僕を見ようとしない。
 
「フランソワーズ…わかってくれたかい?」
 
しばらくの沈黙のあと、微かに空気が震えた。
小さい声。
 
「…それだけ?」
 
それだけ…って?
 
きょとんとしている僕に、フランソワーズは弱々しく微笑んだ。
 
「…ううん…ごめんなさい…わかったわ」
「フランソワーズ…?何か…あるのか?」
 
彼女は黙って首を振るだけだった。
不意に、やりきれない思いがこみ上げてくる。
 
「わかった…って、わかってないじゃないか!…言いたいことがあるならちゃんと言ってくれって、今、そう言ったばかりだろう?!どうして、君は…!」
「…ごめんなさい…そうじゃないの…あの…私…」
 
フランソワーズは真っ赤になってうつむいてしまった。
でもそれきり何も言わない。
 
これは、ダメだと思った。
こうなったら、彼女は頑として口を開かない。
ホントに…意地っ張りなところがあるから。フランソワーズは。
 
諦めて立上がろうとしたとき。
僕の耳に、微かな…消え入るような溜息が届いた。
 
ぷつん、と何かが切れた。
 
僕は、立上がりかけた勢いのまま彼女に向き直り、思いきりその華奢な体を押し倒した。
上がりかけた小さい悲鳴を唇で塞ぐ。
 
わからないなら…わかるまで離さない。
僕にとって、君がどれほど大切なひとなのか。
 
君が隠すなら、僕は暴いてやる。
小さい偽りも…ささやかな強がりも。
 
君の笑顔を曇らせるもの。
君を不安にさせるもの。
どんな小さなものだって、許さない。
 
 
 
眠り続ける彼女の髪を撫でながら、そうっと頭を動かして、時計を見た。
あと…3時間。
 
もういい。
ここでこのまま、君の眠りを守ろう。
 
僕は強い男ではない。
ホントのところ、優しいわけでもないし…このとおり、辛抱強くもない。
もちろん、正しい人間なんかじゃない。断じて。
 
もう、君には全部わかっていると思う。
今夜だって…わかったよね。
 
それでも、君がこうして僕の腕で眠ってくれるなら…
僕は、君の眠りを守るよ。
 
本当は、全ての悲しみから…苦しみから、君を守りたい。
君が溜息なんてつかないように。
いつも笑っていられるように。
 
でも、それはできない…きっと僕にはできないから。
せめて、君の眠りを守りたい。
守らせてほしい。
 
おやすみ、フランソワーズ。
…よい夢を。
 


前のページ 目次 次のページ

Top ゆりかご 更新記録 案内板 基礎編 発展編 二周目 三周目 四周目 五周目