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発展編


  13   帰還(超銀)
 
 
 
そして、ぼくはかえってきた。
みんなの、ところへ。
 
 
 
やっぱり私たちは離れてくらしましょう、と言い出したのはフランソワーズの方だった。
パリ郊外に二人で住むための家を探し始めた矢先だった。
困惑するジョーに、彼女は笑った。
 
「なんだか、本当のことだと思えなくなってしまったのよ」
 
それでは理由にならない。
 
「あなたとくらすのがイヤだというわけではないの。それに…」
 
私が愛しているのはあなただけよ。
これからも。
あなたが、どうなのかはわからないけれど。
 
僕だって君だけを、と言いかけたジョーはふと口をつぐんだ。
フランソワーズが吹き出した。
 
「信じてほしい。僕は…僕だって、君と同じ気持ちなんだ。でも…僕はどんな形であっても、君に嘘をつきたくない。それだけは、しない。だから…君に未来を誓うことはできない」
「わかってるわ」
 
誓いなんて、いらない。
あなたに、そんなものは必要ないから。
私にも。
 
「私、研究所に入るの」
「…研究所…?ギルモア博士の?」
「ええ…ギルモア博士がね、コズミ博士はいい人だけどせっかちすぎる…ってこぼしていらしたわ。本当はあの古い研究所で、静かにゆっくり好きな研究をしながらくらしたいってお思いなのよ…だから、お手伝いしようと思って」
「お手伝い…って。それじゃ、バレエはどうするんだ?」
「続けるわ…前、研究所にいたときもそうだったでしょう?あのバレエスタジオ、まだあるかしら…?」
「…なにか、あったのか?バレエ団で…?」
 
不意に表情をひきしめたジョーに、フランソワーズは微笑んで首を振った。
 
「すごく引き留められたわ…私、幸せだったと思う」
「引き留められた…って、まさか…!」
「昨日、退団してきたの」
「フランソワーズ!」
 
ジョーは彼女の両肩を強くつかんだ。
のぞき込んだ青い瞳はいつもにもまして澄んで美しい。
 
「愛しているわ、ジョー。私…」
 
それ以上聞くのが、なぜか恐ろしい気がした。
ジョーは力任せにフランソワーズを抱きしめ、唇を重ねた。
 
 
 
「どうして、つかまえておかなかったんだ?」
 
ジェットはお茶をもって入ってきたフランソワーズに出し抜けに尋ねた。
 
「つかまえて…って…?」
「009だ」
 
吐き捨てるような言い方に、フランソワーズはふと目を伏せた。
 
「知ってるの…どうして…?」
「フン、俺たちをナメるなよ…山奥に引っ込んだってな、見えるものは見えてるんだよ」
「…ごめんなさい。心配、かけてしまったのね…それで来てくれたの?」
「んなわけないだろ…俺はメンテに来たんだ」
 
フランソワーズは、さっきまでジェットが読んでいた雑誌を床から拾い上げた。
F1レーサー、島村ジョー失踪の謎…が、数ページにわたって特集されている。
 
「オマエ…本当に何もしらないのか?」
「ええ…」
「…オンナ、なのか?」
 
フランソワーズは驚いたように顔を上げ、ジェットを見つめ、柔らかく微笑んだ。
 
「女性と一緒にいることは間違いないと思うわ…でも、それ以上のことは」
「…くそっ…なんなんだ、アイツ…!」
「危険な目にあっていなければいいのだけど…でも、これだけ連絡がないのだから…もしかしたら」
「…やばいことになってるかもしれない…のか?」
「わからないけれど…危険になればなるほど、ジョーは私たちを遠ざけようとするでしょう」
「俺たち、はな…でも、オマエは…!」
「私たち…よ」
「フランソワーズ」
「待つことしかできないのって…つらいわね」
 
それほどつらそうでもなくつぶやくフランソワーズに、ジェットは舌打ちした。
 
「今度のことは、オマエが悪いぜ、フランソワーズ」
「…え?」
「アイツがやっと一緒になる気になったのを…オマエ、はねつけたっていうじゃねえか」
「誰がそんなこと言ったの?」
「誰も言わねえが、そういうことだろう…?仕返しのつもりか?オマエらしくねえ」
「仕返し…って」
 
フランソワーズはうつむいた。
 
もし…ジョーもそう思っているのなら。
いいえ、そんなはずない…でも。
 
「ジョーは、帰ってくるわ」
「…フランソワーズ」
「うまく…言えないけど、私、そう思ってるの。ジョーが私を…愛してくれているから、とか、そういうことじゃなくて…でも、そうね…はじめから彼が傷つかないですむ方法があるのなら…そうできるといいのだけど」
 
どうすればそれができるのか、私にはわからない。
私だけじゃない、彼にも…誰にもわからないのだと思う。
でも…もし、わかっているひとが…この世界のどこかにいたら。
 
いいえ、今はいなくても…
いつか。もし。
 
「仕返し…じゃないんだけど…」
「……」
「タマラさん…が生きていたらいいと…思うことはあるわ」
「…なに?」
 
フランソワーズはあ、と顔を上げ、準備ができたみたい…とつぶやくと、あっという間に背を向け、地下の研究室へと走っていった。
 
タマラが…生きていたら…?
何が言いたいんだ、アイツ?
 
 
 
「何か…気になる記事があるのかね?」
 
雨の降りしきる夜だった。
ギルモアは、さっきから新聞を広げたまま動かないフランソワーズに首をかしげた。
 
「…いえ」
「あの子が、帰ったら…」
 
フランソワーズははじかれたように顔を上げ、ギルモアを見つめた。
白髪の老人は穏やかな笑みを浮かべていた。
 
「あの子が、帰ったら…真夜中でもかまわないから、わしを起こすんじゃ…きっと無茶をしておるじゃろうから…な」
「…はい」
 
よいしょ、とつぶやき、ギルモアはソファから立ち上がった。
 
「おやすみ…フランソワーズ」
「…おやすみなさい、博士」
 
フランソワーズは再び新聞に目を落とした。
小さな訃報記事。
若い女性ライターの事故死がひっそり報じられている。
フランソワーズはずっと以前一度だけ、その女性ライターと話をしたことがあった。
パリのバレエスタジオの前で。
 
いきなり、フランソワーズ・アルヌールさんですね、と流暢なフランス語で話しかける日本女性にはじめは驚き、わずかに身構えた…が。
女性は、あわてて名刺を取り出し、自分はフリーのライターであること、今、島村ジョーについての記事を書こうとしているところだ、ということを素早く説明した。
 
「…島村…ジョー?」
「こんどデビューする、日本人のF1レーサーです…なんて、あなたはよくご存知だと思うのですが」
 
身を固くするフランソワーズに、彼女は苦笑し、紹介状を取り出した。
ジョーの直筆だった。
 
君のプライバシーに支障がない程度で、彼女の取材に協力してあげてほしい。
…と。
 
たしかに、質問は当たり障りのないことばかりだった。
「友人」として彼をどんなヒトだと思うか…彼のデビューに一言…
 
「つまり…島村氏を褒めてくださるとありがたいんです。女性のコメントがなかなかとれなくて…」
「褒める…んですか」
 
そう言われると、どう答えたらいいのか、戸惑った。
フランソワーズは考え考え言った。
 
優しくて…意志が強くて…嘘をつかないヒト。
自分のことはいつも後回しで…それから…
 
「…ごめんなさい。これぐらいしか…思いつかないわ」
「いいえ…助かりました。ありがとうございます」
「…でも」
 
自分が言ったのは、彼を少しでも知る人なら、誰でも思いつく程度のことのような気がした。
不安そうなフランソワーズに、彼女は笑って言った。
 
「あなたの…お話の仕方で、何となくわかってきました。島村氏の、なんていうか…人柄が。いい記事が書けそうです…思い切ってここまで来てよかった…ありがとう、アルヌールさん」
 
数週間後、彼女からその記事の掲載された雑誌が届けられた。
温かい記事だと、読み終わったフランソワーズは思った。
あの009の周りに、今こんなに優しい人たちがいるのだと思うと、ふっと心が和むような気がした。
 
それから、ほどなくジョーはレーサーとして成功し…
そして、あの戦いが始まったのだ。
 
 
訃報には、「交通事故」としか書いていない。
彼女は、ここ数年、社会派ライターとして活躍していた…ともあった。
胸騒ぎがする。
フランソワーズは、窓辺に立ち、雨が降りしきる暗闇に目をこらし…次の瞬間、息をのんだ。
 
「ジョー…?!」
 
 
 
外へ飛び出し、庭を駆け抜け、門を開ける。
ジョーが、立っていた。
 
「ジョー…」
「……」
「お帰りなさい…電話してくれれば、迎えに行ったのに…」
「フ…ラン…君、傘…は?」
 
かすれた声と同時に、冷たい手がフランソワーズの頬を探った。
思わず暖めるようにその手を両手で包み込んだ。
 
「こんなに、濡れて…風邪をひいてしまうよ」
「ずぶ濡れなのは、あなたよ…ジョー…入りましょう」
「……」
 
少し強くひっぱると、ジョーは素直に歩き出し、玄関に入った。
 
「待ってて…タオルを…」
 
手首を強くつかまれ、フランソワーズは振り返った。
同時に、呼吸ができなくなった。
抱きしめられているのだとわかったのは、数秒後だった。
 
 
ジョーは、何も語らなかった。
 
勧められるままシャワーを浴び、乾いた服に着替え、ソファにおさまって熱いブランデー入りの紅茶を飲んでいる様子は、いつもの009と何も変わるところがない。
 
「ごめんよ、こんな遅くに突然…」
 
と、はにかむ口調もいつものとおりで。
 
「けがは…していないの?」
 
ずっと注意深く彼を見つめていたフランソワーズは、念のため尋ねた。
彼は、笑ってうなずいた。
 
「しばらく…いてもいいかな?」
「もちろんよ…ここは、みんなの家でもあるんだから」
「うん…そうだね…でも」
「…でも?」
 
ジョーは両手で紅茶のカップをもてあそびながら、うつむいた。
 
「窓に、明かりがついているのを見るまで…もしかしたら…って不安だった」
「……」
「明かりがついていて…ああ、君はいるんだ…って、やっと…思って」
「…どうして、すぐ入ってこなかったの?」
 
ジョーはただ微笑を返した。
が、フランソワーズが、しかたがないわね…とため息混じりに立ち上がると、彼は少し不安そうに彼女を見上げた。
 
「…どこに、行くんだ?」
「あなたの部屋のベッドメイクよ…明日からは自分でしてね…今日は特別…少し待ってて」
「フランソワーズ」
 
とがめるように呼び止められ、振り返った。
振り返ってはいけなかったのだと…その晩、フランソワーズは何度となく思い返すことになる。
 
「君の部屋で、今夜だけ…駄目…かい?」
 
駄目かもしれない、なんて…本当は思っていないくせに。
 
フランソワーズは、立ち上がった彼の両腕に身を任せ、目を閉じた。
 
 
 
雨は、いつの間にかやんでいた。
 
死んだように眠るジョーの腕からそうっと抜けだし、フランソワーズはガウンを羽織って、窓辺へ歩いた。
空が白みかけている。
 
星が…少しずつ光を失い、空に吸い込まれるように消えていく。
ひとつ…また、ひとつ。
 
この研究所に来てから、晴れた夜には、必ず星空を見上げるようになった。
この無数の星の、遙か彼方に…宇宙の心がある。
そう、ジョーは言った。
 
そこには…全てがあった。
あらゆる憎しみが。あらゆる愛が。あらゆる力が。
僕は、一瞬、それと同化し、それと同じ力を持った。
 
彼の言葉を何度心で反芻しても、彼が見たもの…彼が感じ取ったものを想像することはできなかった。
もし、自分だったら…
そう思うと、底知れない恐怖に包まれた。
 
この無数の星がちらばる宇宙に…なんの拠り所もなく、放り出される。
ただ、勇気だけを胸に。
そんなことに耐えられるとは思えなかった。
自分だけではない。
誰だって…そう、あの圧倒的な力で宇宙を統べようとした暴君でさえ、耐えられなかったのだ。
 
ぼくは、かえってきた。
みんなの…ところへ。
 
彼はそう言って微笑んだ。
そして、帰ってきた。
この、無数の星がちらばる宇宙の深奥から…なんの道標もなく。
 
 
帰還してすぐ、フランスで過ごしていたとき、彼がぽつん、と言ったことがあった。
 
あのとき…君が、見えた。
君しか、見えなかった。
僕は…君を目指して、もどってきた。
 
それなら…
私がしなければいけないことは、ただ、待つことだけなのかもしれない。
 
あなたにしか行くことのできない場所がある。
あなたにしか、救えない人たちがいる。
あなたにしか、できないことがある。
だから、あなたは…そこに行く。
 
私は…待っている。
ここで、燈火をたやさずに。
 
それは、きっとつらいことだけど。
でも、私にしかできないことなら。
 
それで…いいのよね。
ジョー。
 
 
 
結局、彼は研究所に滞在していた数週間、一度も自分の寝室で眠ることはなかった。
まるで、自分を刻みつけようとするように、夜毎彼女を抱き続けた。
誰にも渡さない…と、呪文のようにつぶやきながら。
 
「信じて…くれないの?」
「…うん」
 
あっさりうなずくジョーを、フランソワーズは目を丸くして見つめた。
 
「あきれた…」
「君だって…そうだろう?」
「…わかったわ、あなた、きっと身に覚えがあるのね」
「あるさ、もちろん…わかっているくせに」
「…いやなヒト」
 
君は、割にあわないことをしてくれている。
どうして、そうしてくれるのか、僕にはわからない。
わからないけど…
でも、僕はもう、君なしでいられない。
君を奪われたら、生きていけない。
 
僕は、タマラに生き返ってほしい、と願ったのだろうか。
わからない。
 
でも、君は言った。
僕は、きっとそう願ったにちがいない…と。
だから、いつかきっと、僕はもう一度彼女に会うだろう…と。
君はいつものように微笑んで、そう言った。
 
君は…割にあわないことをしてくれている。
 
タマラに会えたのかどうかはわからない。
会えたような気もする。
会えなかったような気もする。
これから、会えるのかもしれないという気もする。
 
もしかしたら…
 
鋭い痛みとともに僕は思い出す。
僕が守りきれなかった人たちを。
彼女が、そうだったのかもしれない…と。
 
誰にも言えない…僕の痛み。
君は知っているのか。知らないのか。
どちらでもいい。
どちらだとしても、この痛みを消してくれるのは…君だけなのだから。
 
僕の道標。
僕の燈火。
 
そこに帰れば、何もかも忘れて眠ることができる。
どんな傷の痛みも、泡のように消えていく。
だから、僕は…生きていける。
どんな場所でも、どんな戦いの中でも。
 
でも、割にあわない。
君は、それでは幸せになれない。
そして。
君を幸せにできる男は、きっとどこにでもいるだろう。
 
だから、僕は。
 
「来週…発つことにした」
「…そう」
「一緒に…来るかい?」
 
フランソワーズは、笑って…首を振った。
 
「いいえ…待っているわ…ここで」
「…うん」
「あなたについていくことは…できないもの」
「…フランソワーズ」
「でも、いつか…そんなヒトに会えるといいわね」
「え…?」
「あなたといつも一緒に歩いていけるヒト…あなたが…探しているヒト」
 
そんなヒトは、いない。
どこにも。
 
そう…君に誓えればいいのに。
無限の宇宙…そのどこにも、そんなヒトはいなかったのだから。
僕は、それを知った。
はっきりと。
 
僕が見たのは、君だけだった。
 
僕の道標。
僕の燈火。
僕のフランソワーズ。
 
…でも。
もし、僕が願ったのなら。
あの王女の復活を願ったのなら。
そして、君がそれを知っているのなら…僕は、やはり、旅立たなければならない。
まだ見ぬ彼女を探すために。
 
君を…ここに残して。
 
「そうしたら…君は、どうするの?」
「そうしたら…って?」
「もし、僕が…君の言う、『探しているヒト』に巡り会えたら」
 
君は、驚いたように目を見張って。
優しく微笑んで。
こともなげに言った。
 
「そうしたら…私は、自由になれるわ」
 
そうだね。
その通りだ…フランソワーズ。
でも。だから。
 
僕は、帰ってくる。
必ず。
 
君を…逃がしはしない。
 


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