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二周目


  1   初恋(新ゼロ)
 
 
その女の子は、毎朝7時に、孤児院の前を通り過ぎていった。
 
僕はまだ小学生だった。
朝、門の周りを掃除するのが仕事で。
もちろん、そんな仕事が楽しいはずなかったから、いつも適当にすませていた。
 
5月だった。
というのは、誕生会をしてもらった次の日だったから。
いつものようにいいかげんにほうきを振り回していて、その子にぶつけてしまったんだ。
 
セーラー服を着た、長い三つ編みの女の子だった。
 
びっくりした僕に、彼女はにこにこ笑って「おはよう。ごくろうさま」と言って…
通り過ぎていった。
 
何も言えなかった。
とにかくびっくりした。
 
「…それで?」
「それから、話とか…したのかい?」
「次の朝から彼女が、『おはよう』って言ってくれたんだけど…僕は駄目だった」
「駄目…?」
「うん…困ってさ…結局掃除を大急ぎですませて、彼女が来たときは、かくれているようにしたんだ」
「はははっ!」
「009らしいアルねえ〜!」
 
そ…そうかな?
 
「いやいやいや、いい話じゃないの…俺は好きだよ、少なくとも002の話よりは心があったまるね」
「うるせえな、おっさん…!」
「さて…!それじゃ、いよいよ紅一点にご登場願いますか」
「え…私…?」
「そうそう。君なら、いろんな話があるだろう?」
「003、モテたアルやろからねえ〜」
「そんな…そんなこと、ないわよ…話なんて、ないわ」
 
彼女は、困ったように天井を見上げた。
でも、それぐらいで引き下がる仲間たちじゃない。
僕だってさんざん渋ったのに、結局…
 
「だって、私…男の子と知り合いになる時間なんてなかったもの。レッスンばかりしていて」
「踊りのパートナーとかいるだろうが」
「そんなこと考えているような雰囲気じゃなかったわ…いつも夢中で」
 
困り切った表情の彼女が少しかわいそうになった。
助けてあげようかな、と口を開きかけたとき。
彼女は、不意に少し頬を染めて微笑んだ。
ついドキっとしたのは、たぶん僕だけじゃない…と思う。
 
「私、子供だったし…男の人って、素敵だなあって本当に思ったのは、みんなが初めてよ」
「……」
 
静まりかえった部屋に赤ん坊の泣き声。
彼女はあら、とつぶやいて、踊るような足取りで出ていった。
 
「…おい」
「どうなんだよ、アレ?」
「どう…って。フランソワーズは、ああいう子だっけ、そういえば」
「まったくだ…やられた…な、ざまァねえ」
「…いてっ!」
 
なにするんだよ、と、僕はやっと我に返ってジェットを振り返った。
 
「いてっ、じゃねえっ!いいか009?『かわす』ってのはああやるんだ、よーくおぼえとけ畜生っ!」
 
 
 
平和なのはいいことだ、もちろん。
でも、この平和が本物でないことは言うまでもない。
奴らは、まだ暗躍を続けているのだから。
 
僕たちはたぶん、根っからの戦士なんだと思う。
もとからそうなのか、そう……作られてしまったのかはわからないけど。
いつも何かと戦っていないと、退屈になってしまうのかもしれない。
 
初恋の思い出を語ろうじゃないか、なんて言い出したのは007だった。
はじめは誰も相手にしていなかったけど…
とにかく退屈だったんだ。
 
始めてみると、意外に面白かった。
もちろん、みんな少しずつ嘘やごまかしを混ぜてるってわかったけど。
だからこそ、面白かったのかもしれない。
僕たちはそうしないと「思い出」を語ることなんてきっとできない。
…つらすぎるから。
 
僕の話は、話としては本当だった。
ただ…それは「初恋」とはいえなかったと思う。
毎朝通り過ぎる彼女が…優しく声をかけてくれた彼女がまぶしかったのは間違いないけれど。
 
まぶしくて、結局逃げた。
それじゃ恋にはならない。
 
僕の初めての恋は…苦かった。
いや…苦いだけではなかったけれど。
 
夢のように幸せで、切なくて…
でも、やっぱり夢だった。
そう思い知らされた、苦い思い出。
それでも…何も残らなかったわけじゃない。
二度と恋なんかしないって、そのときは思ったけれど。
 
そんな話、誰にもできない。
本当のことなんて…誰にも。
みんなだって、そうだろう。
 
でも、フランソワーズの話だけは…あれを話といっていいかどうかはともかくとして…本当だと思った。
002はカマトトだとかなんとか、ぶつぶつ言ってたけど。
彼女を見てればわかることじゃないか。どこがカマトトだって?
よくそういうこと、平気で言うよな。
 
僕は少しほっとしていた。
やっぱり、紅一点…っていうのは何かと難しいのかもしれない。
 
あんな風に…僕たちと同じように話せ、というのは酷だと思うし。
かといって、彼女だけ特別扱い、というのも何となく居心地が悪い。
聞いてみたいけど…聞くのはなんというか…ちょっと遠慮してしまって。
 
003が彼女でよかった。
本当にそう思う。
 
あんなふうに、素直に…自然に話してくれる女の子なんて、意外にいないよな。
彼女が003で、僕たちは助かっている。
些細なことかもしれないけど。
 
そんなことを考えていたから…たぶん、少しうきうきしていたのかもしれない。
001を寝かしつけて、部屋から出てきた003の胸に光るものにふと気づいて…つい指差して、声をかけてしまった。
 
「あれ…?かわいいね、それ」
 
次の瞬間、僕は思いきり後悔することになった。
びっくりしたように大きな目を開いて僕を見つめた彼女の頬が…みるみる染まっていったから。
 
「あ、ありがとう…」
 
目を伏せてつぶやいて…
そのまま、彼女は逃げるように走っていった。
 
オモチャみたいなブローチ。
七色のガラス玉と銀の針金でできた小さい花かご。
大事な…ものだったんだ。
 
直感だった。
 
今まで、しまっておいて…でも、こんなトコロまで持ってきて。
…そうだ。きっと。
 
大事な人にもらった、大事な思い出。
 
それは…
僕のしらない、幸せな女の子だったフランソワーズの。
 
 
 
紅一点は難しいのかもしれない。
他の仲間のことなら、こんな風に考えたりしなかったかもしれない。
でも、彼女は…女の子だから。
 
ここは、君のいるべき場所じゃない。
君の場所は他にある。
そう思わずにいられない。
 
もちろん、彼女にしてみたら、僕にこう思われることは心外だろう。
たった一度、思い出の品を身につけたからって、仲間にこんな風に絡まれたらたまらない。
僕はどうかしてる。
…でも。
 
似合っていた。
オモチャみたいなブローチだったけど。
 
あれが、本当の君だ。
…だったら。
 
彼女が、そのブローチをつけることは二度となく。
その代わり、彼女は何度か僕をじっと見つめて…目を伏せることを繰り返した。
 
いいから、もう。
話なんて、しなくていい。
僕が悪かった。
 
僕も、そのたび彼女を見つめて…でも何も言えず、目を伏せていた。
謝りたかった。
思い出に踏み込むつもりではなかったんだ。
でも、謝ったりしたら、よけいに彼女を傷つけてしまうだろう。
 
気まずい瞬間は本当に一瞬で…しかも、その回数は日毎に減っていった。
僕たちはソレについてとにかく無言で通した。
言葉が少なければ少ないぶん…時間が多くを解決してくれる。
僕はそう思っている。
 
いや。
僕たちの場合、時間だけじゃなくて…
やるべきこともたくさんあるわけだし。
 
やることは、たくさんあった。
とにかく…僕たちは…少なくとも僕は根っからの戦士だ。
戦っているときは、他のことを考えるゆとりなんてなくなる。
 
僕は…たぶん彼女も、ソレについてはすぐに忘れた。
実際、それどころではない日々が始まったから。
 
それでも、時折夢を見ることがあった。
 
幸せそうな笑顔の少女。
どこかで見たことのある…懐かしい…でも、見知らぬ少女。
 
見知らぬ…?
違う、彼女だ。
 
フランソワーズ。
 
夢の中で、僕はいつも動けない。
口もきけない。
ただ、彼女を見つめている。
 
彼女の笑顔は、僕の後ろに立つ男に向けられている。
僕は、それをわかっている。
 
僕の知らない男。
僕の知らないフランソワーズ。
幸せそうな笑顔。
胸に光る七色のガラス。
 
…そこで、目が覚める。
 
大きく深呼吸して…ゆっくり両手を持ち上げて…動けることを確かめる。
ついでに、声が出るかどうかも確かめようとするのだけど、それはあきらめなければならなかった。
喉の奥が苦しくて、無理に声をだしたら…きっと。
 
泣く理由なんかない。
もし、そんな日がきたら…きっと寂しいだろうけれど。
でも、泣いたりすることじゃない。
 
それに…そんな日はこない。
たぶん、こない。
僕たちの戦いに、終わりはない。
 
 
 
自分が何を言ったのか、なんて覚えていない。
どうやって彼女のもとへ走ったのかも。
 
ジェットによると、僕はゆうに半径1マイルにわたって響き渡るような声を上げたらしい。
神話の化け物が咆吼しているようだったという。
 
神話の化け物?
咆吼?
 
聞いたことあるのかよ?と思うけど、そんなことを彼に言っても仕方ない。
とにかく、僕がそんな声を上げて走ったのだと彼は言う。
それで、慌て者の敵なんかは、半分くらい、思わず撤退してしまったとかなんとか。
 
よくそんなこと考えつくよな。
ジェット・リンク。
 
とにかく…僕自身は覚えていないのだから、彼にどう言われても反論はできない。
たしかに僕は動転していた。
一般の人々に混じって偵察していたため防護服を着ていなかった003が、敵に発見され、機銃を浴びて、文字どおり…血まみれで倒れた。
ジェットだって、絶対何かわめいたに違いないんだ。
 
僕は、役立たずだ。
加速装置が何になる。
岩をも砕く怪力。
特殊コーティングの人工皮膚。
常人を遙かに越える五感。
深海でも真空でも活動できる鋼鉄の体。
 
それが、何になる?!
 
最強の、万能サイボーグ009の腕の中で、彼女がみるみる生気を失っていく。
冷たくなっていく。
僕は科学の粋を集めたというこの腕で、ただ彼女を抱きしめることしかできなかった。
 
それしかできないなら、ひたすらそうするだけだ。
何も見えなかったし、何も聞こえなかった。
いや…見たくなかったし、聞きたくなかった。
 
結局、僕は気を失ったらしい。
正確に言えば、005が僕を殴りつけて、僕の腕から003を引きはがして、博士のところに運んだのだという。
 
…とにかく。
 
とことん役立たずだった僕が目を覚ましたとき、僕の腕の中に彼女はいなくて…
僕は砕けた色ガラスのかけらを堅く握りしめていたのだった。
 
 
 
僕の手のひらに光るガラスを、彼女は不思議そうに眺めた。
 
「これ…?」
 
身を起こそうとする彼女をそうっと押さえ、僕はそれを握らせた。
 
「衝撃で壊れたのか…僕が握りつぶしちゃったのか…よくわからない。とにかく…ごめん」
 
怪訝そうな彼女の目がふっと大きくなった。
 
「これ…!もしか…したら」
「…うん」
 
あの、ブローチだ。
間違いない。
 
「大事なものだったんだろう…?」
 
彼女は、申し訳なさそうに僕を見上げた。
横たわったまま。
 
「撃たれたとき、何か胸のところで音がしたわ…これが砕ける音だったのね…あなたが壊したんじゃないわ」
「…そう…なのかな…よく…覚えていないから」
「博士が、おっしゃったでしょう…?体中撃たれていたけれど、急所だけはどうしてか、無事で…それで助かったって…」
「……」
「もしかしたら、コレが私の身代わりになってくれたのかもしれないわね」
 
黙っている僕に、彼女はふっと顔を曇らせた。
 
「ごめんなさい…心配、かけて」
「…いや」
 
たしかに。
コレが彼女を守ってくれたのかもしれない。
役立たずの、僕の代わりに。
 
そう思ったとき。
不意に、何か、ふっきれたような気がした。
そうだ。
君は、帰ればいい。
 
何があったのか、僕は知らない。
でも…
でも、君を嫌いになる男なんているだろうか。
いるわけない。
 
彼は君を愛して…愛し合って。
別れたのはたぶん…きっと、君がサイボーグになったことと関係がある。
他には考えられない。
そうでなければ、君を手放す理由なんて、どこにもない。
 
君は、帰ればいい。
君が初めて愛した人のところへ。
 
僕は、君を守れない。
守ろうと思っていた。
でも。
 
サイボーグの力が何になる。
君を守ったのは、僕じゃない。
こんな、ガラスの…かけら。
 
こんなものでも、君を守れるんだ。
…だったら、君は。
 
恐れることなんて、ない。
君は生きていける。
その人と…きっと、幸せに。
 
「これは…ね」
 
ささやくような彼女の声。
思わず耳をふさぎそうになるのをこらえた。
 
何でも、聞くよ、フランソワーズ。
もう、本当のことを言っていいんだ。
 
君だけは、いつも、光の中で。
いつも本当のことを話してくれ。
本当の…幸せな話を。
そして、笑って。
 
その笑顔が誰のためであっても。
…君だけは。
 
「宝物だったの」
「…うん」
「おかしいでしょう…?」
 
僕は、やっとの思いで微笑んだ。
黙って、首を振った。
声が出せなかった。
 
「初めて…舞台に立った記念だったの…ママが、くれたのよ」
「……」
「私ね、ずっと本物の宝石だと思ってて…笑われちゃった」
「……」
「…ジョー?」
 
君があわてる気配がする。
何をあわてているのか、ぼんやりわかった。
「ママ」だ。
僕には母親の記憶がない…から。
 
君の青い目が一心に僕を見つめている。
迷うように揺れている。
僕を傷つけたと思っているんだね。
そうじゃない…そうじゃないから。
 
そう言おうと思うのに、声が出ない。
今声を出したら、きっと…
 
こらえていたつもりだったのに、僕の頬に温かいものが流れる。
…まずい。
 
君の青い目がうるんで、僕を見つめている。
今にもこぼれそうだ。
君は僕だけを見つめている。
一生懸命…一生懸命に。
 
ごめん、フランソワーズ。
そうじゃないんだ。
 
僕は、流れる涙をとめることも口を開くこともできずに、ただ君を見ていた。
どうしよう。
どうにかしないと。
…だって。
 
背中に、荒っぽい足音の気配がする。
ジェットだ。
 
僕が君を泣かした…って、きっと言われる。
間違いない。
なんとかしないと。
 
なんとかしないと。
早く。
 
僕はあわてて涙をぬぐって、深呼吸した。
そっと指を伸ばす。
君の最初の涙が転がる。
 
「何、泣いてんだ、003?!」
 
…遅かった。


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