1
玄関に出たジョーは、目を丸くした。
改まったスーツ姿のグレートが立っている。
「ど…どうしたんだい、007?」
「上がらせてもらうぞ…博士は?」
「…いるけど」
さっさとリビングへ向かうグレートを、ジョーは慌てて追いかけながら尋ねた。
「お店、忙しいんじゃないのかい?」
「まあな」
「フランソワーズも、今日は休みの予定だったのに、急に呼ばれて行ったんだよ」
「俺が急に休暇をとったからだ」
「…へ?」
なんじゃなんじゃ?と迷惑そうに研究室から出てきたギルモアと、きょとんとしているジョーとを見比べ、深々と溜息をつきつつ、グレートは言った。
「博士…009。相談したいことがあってね」
2
相談したいこと…というのは。
フランソワーズのことだ、とグレートは言った。
もっと率直に言うと、彼女のチャイナドレスのこと。
「チャイナドレスが、どうかしたのかい?…似合ってたと思うけど」
「やはり着るのはイヤだと言い始めたのかね?」
グレートはまた溜息をついた。
「そりゃ…アレを着てくれと最初に頼んだのはこっちだ。今更こんなことを言うのは筋違いなんだが…だが、009…お前は平気なのか?」
「平気…って」
「それにギルモア博士!アナタは一応彼女の父親のようなものじゃないんですか?」
「な、な、なん…じゃと……」
ギルモアは鼻を真っ赤に染めて、烈しくうろたえた。
「ば、ばかなコトを言っちゃいかん…!ワシが…ワシがあの子の父親じゃなどと…そんな…罪深いコトを…ワシは…ワシは…!」
「…いやそうじゃなくて、博士、その」
グレートは頭をかかえた。
ジョーがいたわるようにギルモアの両肩を抱き、そっとのぞきこむ。
「何をおっしゃるんですか、ギルモア博士…博士は、僕たちの父さんと同じだ…僕もそう思っています」
「ゼ、00…9…!…ジョー!」
「だぁああああああっ!!!!!」
いきなり大声を上げたグレートに、二人は飛び上がった。
「なんっなんだ、アンタらは…ッ!俺の言いたいことがどーしてわからないんだ???」
「…グレート?」
グレートは立ち上がり、むやみに拳を振り回した。
「彼女にあんな格好、いつまでさせとく気だっ?店の中だけじゃない、行き帰りだってあのままだろ!張大人は商売のコトしか考えてないし、当のお嬢さんは、まあ…その、時代の感覚がズレてるから気付いちゃいないようだが、近頃じゃ店にわざわざ彼女の写真を撮りに来るヤツらまでいるんだぞっ!」
「写真…?」
「へえ、すごいな…!それじゃ、フランソワーズ、モデルにスカウトされたりするかもしれないよね!」
「な、ん、だ、とおおおおおおっ????」
グレートは持ってきた紙袋から一冊の雑誌を取り出し、ジョーの顔に押しつけるようにした。
「見ろ、009!日本じゃ、こーゆーのをモデルというのかっ???」
「…え」
広げられたページに目を落とし、ジョーは何度も瞬きした。
「こ、これって……!」
「なんじゃ?」
のぞきこんだギルモアは首をかしげた。
「よく写っとるが…顔を隠してしまうというのはどういうことじゃ?あんなにキレイな娘じゃというのに…」
「え、ええと…博士、そうじゃなくて」
ようやくジョーの顔色が変わったのを見届け、グレートはさらに深く溜息をついた。
3
とにかく見に来い、と言われ、グレートに引きずられるようにして、ジョーは張々湖飯店に入った。
一人じゃいやだよ、とゴネるジョーを、俺は急用ってことにして無理矢理休暇をとったんだ、入れるわけないだろう、とグレートは突き放した。
「あら、ジョー!」
チャイナドレス姿のフランソワーズはすぐジョーに気付いた。
振り返り、嬉しそうに微笑むと、手際よくお手ふきと水を運んできてくれる。
「ごめん、忙しいときに」
「ううん、いいのよ、嬉しいわ…何にいたしましょうか?」
「う〜んと…」
「ラーメンセット?」
「う、うん…それ」
「ふふっ、いつもそれよね…張大人、ラーメンセットひとつ…!大盛りにしてあげてね」
なんだか、前見たときより、ずっとウェイトレスっぽくなっているなあ…と、ジョーは感心した。
濃いピンクのチャイナドレスも本当によく似合っている。
二つのお団子に巻き上げた髪だって、清潔な感じで。
実際に見ると、こんなに明るくてキレイな働き者の女の子じゃないか。
チャイナドレスだって、つまりは仕事着なんだ。
別にいやらしくなんかない。
なのに、どうして、あの写真はあんなに……
ジョーは溜息をついた。
それとなく店内を見回してみる。
たしかに男性客が多いような気もするが、平日の昼間だからそもそもこんなものなのかもしれない。
常連らしい客は、フランちゃん、と彼女を親しげに呼んでいる。
それだって、別にイヤな感じはしない。
でも、あの写真は……
たぶん、隠し撮りだ。
どうやったのかはわからないけれど。
客を装って、そういうコトをするヤツがいるってことなんだろう。
たしかに、かなり不愉快な写真だった。
もちろん、盗撮自体が犯罪になるわけだけど、それだけじゃない。
要するに、彼女を「チャイナドレスの女の子」としか見ていない視線がきわめて不愉快なのだ。
一人の女の子…人間として見ようとしていない。
そういうヤツを斥けるため、グレートの言うとおり、チャイナドレスを着るのはやめろ、と言った方がいいのかもしれない。
僕の言うことなら素直にきく…って、そんなはずないとは思うけれど。
…でも。
僕は、知ってる。
君は…働きたがっていた。
お金が欲しいんじゃなくて…戦場以外の場所で、誰かの役に立ちたいと思っていた。
君はこんなに楽しそうに働いている。
張大人やグレートを助けているだけじゃなくて…
ほら。
みんな、君に嬉しそうに笑いかけてる。
君の笑顔から元気をもらっている。
チャイナドレスだって、本当はそれと同じなんだ。
…どうしよう。
4
ぼーっとしているジョーの鼻先に、おいしそうな匂いの湯気がふわっと漂ってきた。
「おまちどおさま…ジョー?どうしたの?」
「…え?」
フランソワーズは心配そうにのぞき込んだ。
「大きな溜息ついてたわ、今」
「そ…そうかな」
「なにか、心配事?」
心配事といえば…そうだけど。
黙ってうつむいているジョーに、フランソワーズは寂しそうに微笑んだ。
「ごめんなさい、よけいなこと言って…のびちゃうわ、早く食べてね」
「…うん」
やっぱり…言えない。
強がっていても、君はずっと一人で戦ってきたんだ。
今、やっと…こんなふうに、自分の美しさを隠さなくていいって…思えるようになったのなら。
こうやって、安心できる場所ができたのなら…
僕は…
僕は、その場所を守りたい。
君を、守りたい。
そうだ、溜息ついてる場合じゃない…!
深呼吸して、勢いよく割り箸を割った瞬間、ジョーはすさまじい物音に飛び上がった。
向こう側でテーブルが倒れ、コップが床に落ちて砕けた。
「このやろうっ!」
作業着姿の中年男性二人が、若い男の襟をつかみ、床に押し倒していた。
「ど、どうしたんですか?」
「何、何アルか〜?」
「店長!コイツ、隠し撮りしてやがったぜ!」
一人が叫ぶ。
「ホラ、出せよ、この野郎…っ!と、待てっ!」
ポケットに隠したものを取り上げようとして、捕まえていた力がゆるんだらしい。
男は、力任せに二人を振り払い、立ち上がって店の出口に突進した。
…が。
「は、離せ…!離せぇっ!!!」
「…ジョー!」
ジョーは片手で男の腕を後ろにねじり上げ、片手で上着のポケットを探って、小型のデジカメらしいものを取り出した。
「でかした、兄ちゃん!」
「店長!早く警察!」
怒鳴られて、張々湖は慌ただしく電話へと走った。
「コイツ…!この間から怪しいと思ってたんだ!よくも俺たちのフランちゃんを…」
「ったく、ふてぇ野郎だ!薄気味悪いツラしやがって…!」
ええと。
俺たちの…フランちゃん?
「兄ちゃん、もうしばらくの辛抱だ、しっかり捕まえとけよ!」
「は、はい…!」
サイレンが近づいてくる。
ジョーはなんとなく溜息をついた。
5
警察の取り調べは結構長くかかった。
サイボーグたちの身分を証明する法的な書類については、001が工作済みだったので、その点心配はいらないはずだったが…
ジョーは何となく落ち着かなかった。
やがて、店の奥からフランソワーズと張々湖、それに警官が二人出てきた。
思わず立ち上がったジョーと作業服の中年男性たちに、フランソワーズは大丈夫よ、というようにうなずいた。
「それでは…お手数かけました、これからもお気をつけて。ご協力、ありがとうございました!」
「いいえ…お世話になりました」
「ご苦労さんネ〜!」
警官を送り出すと、張々湖は、や〜れやれ〜!と、椅子に座り込んだ。
「で、なんだって…?」
「どうやら、盗撮マニアだったらしいヨ…ったく、油断も隙もあったもんじゃないね!」
「本当ね…びっくりしちゃった」
フランソワーズは肩をすくめると、作業服の男性たちに微笑んだ。
「ありがとうございました…お仕事に…遅れてしまったでしょう?」
「なんの!フランちゃんのためなら…なぁ?」
「そうそう!あーゆーヤツはドコにでもいるけどな、俺たちがいる限り、この店には一歩も入らせないぜ!」
「まあ…!」
「ホントさ…なぁ、兄ちゃん?」
いきなり背中を叩かれて、ジョーは我に返り、深々と頭を下げた。
「あ、ありがとうございました…!」
「…ジョー?」
「いいってことよ…!じゃな、店長、フランちゃん!」
「あ…は、はい、また…お越しください…!」
フランソワーズも丁寧にお辞儀をして、二人を見送った。
研究所に向かうクルマの中で、不意にフランソワーズが、深い溜息をついた。
はっと振り向くと、彼女は夜風に髪を遊ばせながら、ぼんやり海を眺めている。
「フランソワーズ…?」
「あ…?」
「今日は…疲れたよね…帰ったら、僕がお茶を入れるよ」
「…ありがとう」
ふと空気がゆるんだ気がした。
短い沈黙の後、フランソワーズは小さい声で言った。
「今度から…この服、やめるわ」
「…え?」
「警察の人にも…言われちゃった。こちらが悪いわけじゃないけど…この服は、やっぱり…ちょっと…って」
「……」
「私もね、始めはそう思って…恥ずかしかったんだけど…でも、だんだん…楽しくなってたの」
「……」
「そういう隙に、つけ込まれちゃったのね、きっと…」
「そんなことない…!」
ジョーは思わず叫ぶように彼女をさえぎった。
驚いて振り向くフランソワーズの視線を感じ、頬が熱くなる。
でも、これだけは。
「君は何も悪くない。その服だって、すごく似合ってるのに…!」
「…ジョー」
「あのオジさんたちだって、そう思ってた…君をとても大事にしてただろう?きっと、店にくる人のほとんどは僕たちと同じで、君に会うのが楽しみで、君から元気をもらってるんだ…ほんの少し、ヘンなヤツが混じってるからって、負けちゃダメだ…あの人たちも、俺たちがいる限り…って、そう言ってたじゃないか」
「……」
「店にいる間は、ああいう人たちが君を守ってくれるよ…だから僕は、店まで君を送り迎えする」
「…え?」
「ヘンなヤツって…いろんなトコロにいるからね…でも、それを怖がって、何もできなくなるのは、ヘンだ」
「……」
信号が赤になった。
クルマを止め、そっと隣をのぞき込むと…フランソワーズは柔らかく微笑していた。
「…ありがとう」
「フランソワーズ」
「ありがとう、ジョー…嬉しいわ」
6
でも。
結局、フランソワーズがあのチャイナドレスを着ることは、その後なかった。
僕が送り迎えするという申し出もあっさり斥けられ、彼女は相変わらず電車とバスを乗り継いで張々湖飯店にでかけた。
そして、僕が、店で働いている彼女の姿を見ることも、もうなかった。
新しい戦いが始まったから。
グレートが言うには、チャイナドレスをやめた後、フランソワーズはごくあっさりした白いエプロンをかけて働いていたらしい。
それはそれで、人気があったんだとか。
そうだよな。
もともと、あの店に来る人たちは、ドレスが目当てだったんじゃない。
フランソワーズが好きだったんだから。
ばかばかしいから、誰にも言わないけど…
たぶん、あのオジさんたちは、この戦闘服を着たフランソワーズのことだって、きっと大好きになるだろう。
ここで、彼女を守ることができるのは…僕だけ、なんだけどね。
なんだか…ひどく懐かしい気がする。
みんなに愛されている君を、溜息をつきながら見ていたあの時間が。
…俺たちのフランちゃん、だってさ。
「…009?」
張りつめた君の声に、僕はうなずき、銃を握り直した。
「準備はいい?」
「ああ。どこから来る?」
「…西から。さっきとほぼ同じ規模の部隊だわ」
「了解。カウントしてくれ」
「7、6、5……」
ぎゅっと握りしめると、君の手は冷たかった。
大丈夫だよ、フランソワーズ。
一緒に帰ろう。
また、あの町へ。
「3、2、1…今よ!」
君の手を握って、一気に躍り出る。
銃弾の飛び交う戦場へ。
「僕から離れるな、003…!」
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