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四周目


  1   初恋(平ゼロ)
 
 
寝過ごしてしまった。
 
階段を駆け下りながら、ジョーは慌てていた。
なんとなくイヤな覚えがあるのだった。
 
 
「ジョー、起きて…!コーヒーもオムレツも冷めちゃうわ!」
 
あれは…たぶん、フランソワーズの声だったのだと思う。
さらに、ぐいぐい揺すぶられたような気がするし、夢うつつの中、その手を思い切り振り払おうとしたような気もしたりするのだった。
もちろん、気がするだけで、実際は振り払ったりしてはいないのかもしれないけれど。
でも、もし振り払っていたら。
 
あまり自信はない。何しろ眠っていたのだ。
しかし。
ごん、とかいう鈍い音が聞こえたりしなかっただろうか。
 
もし、自分の力で彼女を振り払っていたら、彼女は間違いなく壁までとばされたはず。
 
まさか。
まさか、僕は。
 
 
飛び起きたとき、部屋には誰もいなかった。
耳を澄ましても何も聞こえない。
トーストのいいにおいがしている。
 
「フランソワーズ!」
 
思わず叫んだ。
通信も開いた。
が、どちらにも反応はない。
 
完全に怒らせてしまった……のなら、まだいい。
まさか、寝ぼけた僕に壁にたたきつけられて、頭部を強打して、そのままメディカルルームへ直行、とか。
 
ジョーは身支度もそこそこに部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。
まず、湯気の気配がする台所へ。
が、誰もいない。
 
ぐらぐら沸騰しているやかんの火を止め、ジョーはそのまま食堂へ入った。
 
……いた。
 
フランソワーズが、食卓の端に新聞を少しだけ広げ、じーっとうつむいている。
全然動かない。
ジョーはおそるおそる声をかけた。
 
「あ、あの…フランソワーズ…?」
 
ケガじゃなさそうで、よかった。
でも…ということは。
怒ってる……んだよな。
 
「ごめん…せっかく起こしに来てくれたのに、寝ぼけてて…それに、僕、ひどいことした…んだよね、たぶん…痛かった?」
 
返事がない。
どうしよう。
 
「フランソワーズ、ごめん…!」
「え…っ?」
 
いきなり、フランソワーズが顔を上げた。
ぼうっとジョーを見つめ、瞬きする。
 
「あ…おはよう…009」
「……」
「やっと起きたのね…お寝坊さん」
「ご…ごめん…」
 
とりあえずむやみに頭を下げる。
フランソワーズが曖昧に微笑した…ように見えた。
 
「ご飯、できてるわ…食べてね」
「…うん」
 
フランソワーズは優しく言うと、新聞をたたんでラックにしまい、食堂を出て行った。
 
叱られなかった。
ふーっとため息をつき、ジョーは皿にかかった覆いをはずし、座った。
オムレツがすっかり冷たくなっている。
 
もっと叱られるかと思ったけど。
あきれちゃったのかな…きっとそうだ。
 
もぐもぐパンをつめこみながら、ジョーはぼんやり思った。
彼女の様子がおかしいと、そのときはまだ気づいていなかった。
 
 
 
フランソワーズが変だ。
 
そう言い出したのは張々湖だった。
いつものように元気にウェイトレスをしているのだが、どこかおかしい。
 
「おかしいって?」
「何となく…ネ。笑顔に迫力がないヨ」
「…迫力?」
 
わかるような、わからないような。
黙っているジョーに、張々湖は電話の向こうで大げさなため息をついた。
 
「アンタに聞くのは無駄だったかネ、やっぱり…」
「やっぱり……って」
「もう少しフランソワーズのコト、ちゃんと気にしてあげてほしいネ…一緒に住んでるの、アンタだけネ」
「は、博士だって…いるよ」
「博士はダメダメ…!あん人は研究に夢中で、女の子の気持ちなんて、てーんでわからないネ」
「そ、そんなの…僕だって同じだよ」
 
張々湖はまたわざとらしいため息をついてみせた。
 
「とにかく、気をつけてほしいネ…明日から休暇をとれ、言うといたから、あとは頼んだヨ」
「へっ?…あと…?」
「どこかドライブでもつれていって気晴らしさせるネ!」
「気晴らしって…待てよ、張々湖!もしもし…もしもしっ?」
 
電話は一方的に切れた。
ジョーは呆然と受話器を置きながら、片手で髪をむやみにかき回した。
 
気晴らし…?
ドライブ…?
女の子の気持ち…?
 
なんだよ、心配なら自分でどうにかすればいいじゃないか!
どうして僕に押しつけ……
 
「ヒマだからじゃない?」
 
ぎょっと振り向くと、ゆりかごがふわふわ浮いている。
 
「…イワン!」
「君がいっちばんヒマそうなんだよ、今」
「そ、それはそうかもしれないけど…!でも、本当なのか、イワン?フランソワーズ、何か…」
「…さあ?」
「さあ?…ってなんだよ!君にはわかってるんだろ?」
「知らない。僕は君たちの心をむやみにのぞいたりしないからね」
「……」
「じゃ、僕は博士の手伝いをしてくる。博士、手ぐすねひいて待ってるみたいなんだよね、僕が起きるのを」
「……」
「あとはよろしく頼むよ、ジョー」
 
あとはよろしく…って。
なんなんだ、みんなして…!
 
「…ああ、そうだ」
 
いきなり目の前にゆりかごが現れた。
思わず後ずさりしたジョーに、赤ん坊はうんうんとうなずいてみせる。
 
「な、なんだよ?」
「あのね、ジェットを呼んでみたらどうかな?」
「…ジェット…を?」
「フランソワーズのことなら、彼がよくわかるから。きっと力になってくれるよ…じゃあね」
 
ホントに、なんなんだ。
赤ん坊が消えたあと、ジョーは思わず息をついた。
 
たしかに…ジェットなら、何かわかるかもしれない。
あの二人はいつも姉弟みたいにうちとけて話し合っていたし。
フランソワーズも、ジェットになら、ちゃんと悩みをうち明けて……
 
「ただいまぁ〜!」
 
ジョーはびくん、と顔を上げた。
お帰り…といいながら玄関へ向かう。
 
「寒かったわ…」
「あ…カフェオレ、あっためてあるよ」
「本当?ああ、うれしい…!」
 
ドアから冷たい空気が流れ込んできた。
フランソワーズが、風に吹き散らされて頬にかかってきた亜麻色の髪をうるさそうにかきやっている。
真っ白い、細い指。
 
素早く深呼吸して、目をそらすジョーの横で、フランソワーズは忙しそうに玄関に上がりながら、するっとコートを脱いだ。
今度は思わず息を止める。
 
いつもと…変わらないように見えるけど。
…でも。
 
「ジョー、カフェオレ・ボウルはどこ…?」
「あ!まだ食器洗浄機の中かも…」
 
ジョーは慌てて台所に走った。
走りながら、考える。
ジェットだって、今、新しい生活で大変なときなんだ。
呼んだりしたら、悪いし。
 
僕が、なんとかしよう、できるだけ…!
 
 
 
ドライブは、楽しかった。
それだけでは何も解決していないのだが。
 
ジョーはとにかくフランソワーズを観察しまくった…つもりだった。
彼女のほんのわずかな変化も見過ごさない…つもりだった。
けれど。
どう見ても、彼女がいつもと違っているようには見えない。
 
車をガレージに入れてから居間に入ると、先に戻ったフランソワーズはソファに沈み込むようにして眠っていた。
帰りはずーっと眠そうにしていた。そういえば。
 
「…あんなに、はしゃぐからだよ」
 
思わず笑みがこみ上げてくる。
そうっと柔らかい頬をつつこうとした…とき。
ジョーは、はっと息をのんだ。
閉じた長い睫毛が、濡れている…ように、見えた。
 
逃げるように台所に入り、フランソワーズが好きなココアと牛乳を出し、鍋に入れてむやみにかきまぜながら、ジョーは頬が熱くなるのを感じていた。
 
泣いて…いた?
どうして…?
 
数分後、トレーにカップをのせて入ってきたジョーを、ソファから起きあがったフランソワーズはいつもの笑顔で迎えた。
 
今日は楽しかったわ、ありがとう…という彼女の声が遠く聞こえる。
ジョーはただ、黙ってうなずいた。
 
 
その日から、ジョーは真剣になった。
前にもまして、フランソワーズの言動に注意を払い、彼女をじっと観察し続け…。
そして、ようやく…理解できたような気がした。
 
たしかに、彼女は少し変だ。
少しだけど、元気がない。
 
でも、いつから…?
 
直接彼女に聞いてみればいいのだと、何度も思い、そして何度もやめようと思い直した。
たぶん、彼女はなんでもない、としか言わないし、そう言ったからには、その後はなんでもなく見えるように努力してしまうだろう。
彼女にソレをやられたら、もう自分はお手上げに違いない、とジョーは思う。
 
イワンの言ったとおり、ジェットを呼んだ方がいいのかもしれない。
それとも、アルベルトか。
いつの間にかそう考えている自分に気づき、ジョーは大きなため息をついた。
 
なさけない。
今、彼女の一番近くにいるのは、僕じゃないか。
僕が…そう思っているだけだとしても。
 
少し元気がない…のなんて、何でもないことかもしれない。
でも、何でもないことじゃないかもしれない。そんなの、誰にもわからない。
彼女自身にだって。
 
ジョーには、覚えがあった。
悲しみは、ほんの小さなほころびから始まる。
あっけなく消えてしまうこともあるけれど…いつのまにか、それが黒雲のように広がり、心を覆い尽くしてしまうことだってある。
 
それでも、僕には神父さまがいた。
神父さまは僕のことばかりかまっているわけにいかなかったから、そういつも助けてもらえたわけじゃなかったけれど…
でも、僕は、いつも神父さまに助けてもらった。
神父さまが助けてくれるって…僕はわかっていたんだ。
 
でも…君は。
誰も頼れず、いつまでも自分で抱え込んでいたら…
 
やっぱり、ジェットかアルベルトを呼んでみようか。
何かあってからでは遅いんだ。
僕にはわからない、何かを、あの二人ならわかるかもしれない。
同じ、第一世代の……
 
第一…世代…?
 
ジョーはハッと顔を上げた。
 
もしか、したら…
あの、朝。
 
どこかぼんやりしていた彼女の笑顔。
叱られると思っていたのに、叱られなかった。
 
「あ…おはよう、009」
 
そうだ。
どうして、「009」だったんだ?
 
彼女は…僕を起こそうとして、たぶんはねとばされて、たぶんスゴク怒って下に降りて…
それから…どうしたんだろう?
わからない。
僕が降りていったとき、彼女は顔を上げて…
そうだ、顔を、上げた。
…新聞から。
 
新、聞?
 
ジョーは家の外へ飛び出し、物置の戸をはねとばすように開くと、奥に置いてあった古新聞の束を引っ張り出し、縛ってある麻紐をひきちぎった。
 
 
 
踊れない。
体が、思うように動かない。
改造されてから、身のこなしは軽くなった…と思う。そう思っていた。
でも、それはただ、生身の頃の感覚を失っていた、というだけのことだったのかもしれない。
 
それとも、レッスンをすれば…取り返せるのかしら?
 
そう思った瞬間、フランソワーズはぱたん、と踵を砂地に落とした。
 
取り返す…って。
何を…?
 
ふっと気がゆるんだ。
涙が出そうになったとき、背後で動く影に気づいた。
ほとんど反射的に、鋭い声が出てしまった。
 
「誰…?」
 
すぐに影の正体を知り、彼女は後悔した。
ジョーが申し訳なさそうに姿を現す。
 
「ごめん。のぞき見するつもりじゃなかったんだけど」
「……」
 
やっぱり。
ここのところずっと、なんだか彼に「監視」されているような気がしていたのだった。
フランソワーズは深呼吸した。
 
「謝ること…ないわ。こんな踊り見られちゃうのは恥ずかしいけど…下手なのはあなたのせいじゃないもの」
「下手だなんて…!」
 
ジョーは驚いて首を振った。
 
下手だなんて、とんでもない。
こんなにきれいなモノ、僕は初めて見た。
 
そう言いたいのに、言葉が出てこない。
うつむいてしまったジョーに、フランソワーズは困ったように微笑した。
 
「オデット姫を踊っていた…ツモリだったの。ホントは一人で踊るところじゃないんだけど…」
「王子さまと、踊るんだ?」
「ええ…」
 
くすっと笑い、フランソワーズは優雅に片手を伸ばした。
海に向かって。
 
その先に、いるのだろうか。
彼女の手をとる王子が。
そう思うのと同時に、ジョーは自分のやや堅い声を聞いた。
 
「ムッシュ・エドモンと踊ったのは、それだったの?」
 
息をのみ、険しい目で見つめるフランソワーズを、ジョーはじっと見つめ返した。
長く重い沈黙のあと、フランソワーズは小さくうなずいた。
 
「…そうよ。たった、一度だけ」
 
 
 
「たいした知り合いだったわけじゃないのよ。私が一方的に…そう、一方的に憧れていただけ」
 
フランソワーズは、海を見つめながら、つぶやくように言った。
 
エドモンは、フランソワーズが通っていたバレエ教室の講師だった。
彼女より5つ年上。
若く才能あるダンサーとして頭角を現し始めていた彼は、少女たちの憧れの的でもあった。
 
「私、一度バレエをやめようと思ったことがあったの。だって、とても自分に才能があるとは思えなかったから…それで、大学に進学して、電子工学を学ぼうって……それでも…やっぱり、あきらめきれなかったのね…レッスンは続けたのよ。そんなに時間はかけられなかったのだけど」
 
そんなとき、彼に声をかけられた。
雲の上の人だと思っていた彼に、繰り返し優しく励まされ、フランソワーズは僅かながら希望をつなぎとめるようになっていた。
 
「一生かなわない夢でもいいと思ったわ…とにかく踊っていたいって、そう思うようになったの。どうしてそんなことまで彼に話したのか、あまりよく思い出せないのだけど…でも、彼は私を笑わなかった…『かなわない夢なんかないよ、フランソワーズ』って…そう言ってくれた。踊ったのは…そのときよ」
 
かなわない夢なんかない。
あきらめないで、フランソワーズ。
いつか、君と舞台で会おう。今日のように。
いつか、きっと。
 
「それまで、待っているから…って」
「……」
 
フランソワーズは不意にあ、と小さく叫び、ジョーを見上げながら片手で口を覆った。
 
「ごめんなさい…!いやだ、私ったら…あのね、フランスの男性って女性にとても優しいものなの。相手が小さい女の子でも同じコトよ…そんなに深い意味のある言葉じゃなくて……」
「でも、彼は…待っていたんだよ」
「…え?」
 
ジョーはうつむいて、上着のポケットからフランス語でかかれた小型の本を取り出すと、栞をはさんだページを開き、フランソワーズに渡した。
 
 
私の初めての恋は、もう20才もとうに過ぎたとき。相手は妖精のような少女でした。
彼女は本当に才能のあるバレリーナでした。しかし、私たちが一緒に踊ったのは、たった一度だけ。誰も観客のいない小さな稽古場で、二人だけで踊ったのです。まるで夢のような踊りでした。あれほど甘く瑞々しい喜びを、私は現在にいたるまでしりません。
もちろん、それを最後にするつもりで踊ったわけではありませんでした。彼女もそうだったと思っています。が、それからまもなく、彼女は、私の前からふっつりと姿を消してしまいました。
比喩ではありません、本当に行方不明になったのです。
誘拐された、という噂も聞きました。今でも胸が痛みます。
でも、私はどこかで信じてもいるのです。彼女は、実は本当に妖精だったのではないか、いつかあのときのままの姿で私の前に現れてくれるのではないか、と。
かなわない夢などない。彼女は、きっとこの世界のどこかにいる。私はもう一度彼女に会える。
今でもそう信じています。
 
 
細かく震え始めたフランソワーズの肩に、ジョーはそっと手をのばしかけ…止めた。
本を抱え込み、うずくまるフランソワーズを、ジョーは黙って見下ろしていた。
やがて、震える声で、彼女はうめくように尋ねた。
 
「…どう…して…?」
「君の…様子が、少しおかしいと思った。そのとき、君が新聞を見ていたのを思い出して……」
 
隅々までその新聞を読みまくり、やがて、世界的に名高いダンサーだったというエドモンの死亡記事に気づいた。
彼について調べていくうち、回想録も見つけ出し、その一節にぶつかった。
年代も、場所も、ちょうどフランソワーズが誘拐される前と合致する。
 
「もちろん、君の名前は出ていなかったけれど、若い才能あるバレリーナが、行方不明になる…なんて、そうある話じゃないと思った」
「…この…本」
「君が…持っていて。そう思って、手に入れたんだから」
 
フランソワーズは黙ってジョーを見上げた。
また涙がこぼれる。
ジョーは静かに言った。
 
「かなわない夢などない…僕も、そう思うよ」
 
 
 
玄関に入るなり、いきなり目を丸くしてまじまじと見つめるジェットに、フランソワーズは首をかしげた。
 
「どうしたの?」
「…い、いや」
 
ジェットは口をぎゅっと結び、無造作にくしゃくしゃの紙袋をフランソワーズにつきだした。
 
「みやげだ…坊やは元気か?」
「イワンのこと?それともジョー?」
「両方だよ」
「二人とも元気よ…おみやげって何?」
「つまんないモンさ」
 
紙袋を振ってみるとがさがさ音がする。
微かにハッカのにおいがした。
 
「まあ…!嘘ばっかり…!キャンディの食べ残しね?」
「ガキにはそれで十分だろ?」
「自分で食べなさいよ!ほしくて買ったんでしょう?」
「飽きちまったんだよ…お前も食うか?」
「イヤよ、こんなの…!」
「けっ、かっわいくね〜!相変わらずだな」
 
吐き捨てるように言いながら、ジェットは速くなる動悸に戸惑っていた。
なんなんだ、この女。
コイツ、こんなに……だったか?
 
「あ、ジェット…!やっと来たね…ギルモア博士、怒ってたよ、君が全然メンテナンスに来ないって」
「よぉ、坊や、元気そうじゃねえか」
「坊やぁ〜?」
 
ジェットはフランソワーズから紙袋をひったくると、憮然としているジョーに、ほら、やるよ、と手渡した。
 
「あ!『スーパーミント』だ…!これ、こっちじゃ売ってないんだよ…ありがとう、ジェット!」
「おう、どういたしまして、だ」
 
くすくす笑うフランソワーズをちらっとけげんそうに見てから、ジョーはキャンディを口に入れ、ごく自然にもうひとつ取り出すと、フランソワーズに手渡した。
 
「ありがとう、ジョー」
「……」
 
…なんだ?
 
じーっと見つめられているのに気づき、慌てて彼にもひとつキャンディを差しだそうとするジョーの額をジェットは思い切りこづいた。
 
「なにするんだよ〜!」
「うるせえ…!」
「ちょっと!ジョーを苛めないでちょうだい!」
「へいへい…わかりましたよ、マーマ」
 
小馬鹿にした口調に、フランソワーズはむっとして口を結んだ。
 
…気のせいか。
 
ジェットは心でつぶやいた。
 
気のせい…だよな。
なんだか、妙に色っぽくなったような気がしたんだが…コイツ。
まさか…なぁ。
 
「どうかした?ジェット?」
 
心配そうに尋ねられ、ジェットははっと振り向いた。
無邪気な茶色の目がのぞき込んでいる。
なんとなくため息が出た。
 
「なんでもねえよ…ったく、相変わらずの坊やだと思っただけさ」
「坊や、坊やってね…!僕はきみと同い年で……」
「経験が違うんだよ!いくら年食ったって、女一人抱いたことがねえヤツなんざ、坊やでたくさんだ」
「お、オンナ…?」
 
赤面し、絶句するジョーにふん、と鼻を鳴らしてみせ、ジェットは悠々と二階の客間へ向かった。
 
「なーにがオンナよ…覚えてらっしゃい、ジェット!メンテナンスのとき、ヒドイ目に遭わせてあげますからね!」
「…え?」
 
ぎょっと身を引くジョーにもきつい視線を投げ、フランソワーズはぷんぷん怒りながら、それでも台所に向かっていた。ジェットに、熱いコーヒーを煎れてやるために。
 
「あー!俺、アメリカンな!」
「わかってます!」
 
二階に向かって怒鳴り返すフランソワーズの大きな声にジョーは一瞬肩をすくめ、それからこっそり笑った。
可愛いよなあ、フランソワーズ。
 
…なんて、僕が思ってるのがバレたら、きっとタイヘンなんだろうけど。
いろいろ…さ。


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