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四周目


  2   約束(新ゼロ)
 
 
初めてのことではない。
といって、慣れることもできない。
 
003が負傷するのはそれほど珍しいことではなかったが、今回はひどかった。
ギルモアが一昼夜に及ぶ手術を彼女に施したことなど、少なくとも009の記憶では一度もない。
 
その一昼夜…手術を待つ時間は、永遠にも感じられた。
それでいて、このまま続いてほしいという願いも心の奥底にあった。
最悪の結果…彼女の死を告げられるよりは、マシだと思った。
 
誰も口には出さない。
が、手術の時間が長引けば長引くほど、希望が薄れていくのをどうすることもできなかった。
仲間の中で一番生身に近い彼女だ。
長時間の手術に耐えること自体が難しいのではないか。
 
…大丈夫。
 
009は、何度も心にくりかえしていた。
半ば、呪文のように。
 
彼女は、どんな苦しみも深い傷も…乗り越えて、戦ってきた。
大丈夫だ。
絶対、大丈夫だから。
 
手術が成功したとギルモアが告げたとき。
009は、弾かれたように処置室へ飛び込んでいった。
 
「003…!」
 
白いシーツを体にかけられた003は静かに首を傾け、微笑んだ。
009と、その後ろに続々集まった仲間たちに。
 
…が。
透き通りそうな青白い頬に、009は絶句した。
喜びが急速に冷え込んでいく。
仲間たちが口々に呼びかける明るい声を遠くに聞きながら、009はただ彼女の大きな目を見つめていた。
 
 
 
避けられている。
傷の痛みが和らぎ、薬の副作用も治まったころ、003は漠然と思っていた。
 
仲間たちは足繁く処置室を訪れては、話し相手になってくれたり、何くれとなく世話を焼いたりしてくれる。
こうして負傷するたび、力のない自分を実感しては申し訳ない気持ちになる…ことも確かなのだけど。
それでも、仲間たちの心遣いは温かく、嬉しかった。
 
しかし。
ただ一人、一度も彼女を訪れない仲間がいた。
009だ。
意識を取り戻したとき、003は朦朧とした中で、彼の声を聞き、彼の青白い顔を見たような気がした。
仲間たちも、どこか取りなすように、手術を待つ間、憔悴しきっていた彼の様子をあれこれと教えてくれた。
 
 
心配…かけすぎちゃったのね。
あんなに強いヒトなのに…自分の痛みなら、何とも思わないヒトなのに。
他人の痛みには、敏感すぎるほど敏感で。
 
力が欲しい。
私の弱さが、あの人を傷つけるのなら。
 
 
そう口に出したわけではなかったし、そんなそぶりを見せたつもりもなかった。
が、何となく沈んでいた003に、ある日008がしんみりと言った。
 
「今回は、君のおかげで助かったんだよ、003…戦いっていうのは、力だけでするものじゃない…いや。僕たちの戦いは、もともと破壊を目的にしているわけじゃない。そのことを思い知らされた。」
 
ぽつり、ぽつりと語る008の姿に、003ははっと胸をつかれた。
彼は、故郷の人々に罵られ、石を投げつけられたことがあった。
神にそむいた化け物として。
 
「僕たちは神なんかじゃない。この力で人々を守る…なんて、おこがましいことを考えてはいけないと思う。僕たちにできることは…ただ、愛することだけなんだ、きっと。母親が子供を愛するように…ね。」
 
それはそれでおこがましいかな、と008は笑った。
 
「たぶんあのとき、君はあの赤ん坊と母親を傷つけない…ってことしか考えてなかったんだと思う。愚かだといえば愚かだ。そうだろう?だって、君があそこであの人たちを庇って死んだところで…敵がそっくり残っているのなら…結局、あの親子は殺される。君の犠牲は無駄になる可能性が高かった。でも、君はそんなことを考えてはいなかったんだと思うし…だからこそ、君の行為は村人たちの心に届いた。」
 
母子を槍から庇い、身代わりになった003の姿に、村人の態度は一変した。
その気配を察知し、また、サイボーグたちの激昂から逃れるように、圧制者は瞬時に姿を消した。
それこそ、奇跡のように村に平和が戻った。
 
「僕は…いや、僕たちは、到底君のようにはできないよ。君がいてくれるのは心強い。だから、君自身が強くなる必要なんかない。むしろ、君を守ろうとすることで、僕たちが強くなれるってことが大切なんだ。たぶん、009も…」
 
はっと003が顔を上げたのに気づき、008は優しく微笑した。
 
「…009も、そう思っているよ、きっと。ただ、今は…」
「今、は…?」
「いや…ふふ、ごめん、とにかく大丈夫だよ、003。君さえイヤでなければ、折を見て009に声をかけてやってくれ」
 
声をかける…と言っても、思うように動けないうちは、009が訪ねてくれない限り、どうしようもない。が、008の言葉は不可解ながらも、003の気持ちを和らげてくれた。自分の負傷を、無意味ではなかったと言ってもらえたことが、無性に嬉しかった。
 
 
 
肩で息をしながら、009は波頭を睨んだ。
…まだ、遅い。
 
加速装置を稼働させれば、大抵の危機は乗り越えられる。が、スイッチを入れなければ、加速装置は稼働しない。その判断が一瞬でも遅れれば、取り返しのつかないことが起きうるかもしれないのだ。
 
自分は、あの男が、003たちめがけて槍を投げつけるのを見た。そのとき、すぐに加速装置のスイッチをいれていれば、彼女を傷つけることはなかった。
あと、2秒…いや、1秒早ければ。
 
サイボーグ手術により、009の反射神経は常人とは比べものにならないほど鋭い。それでも、あのときは間に合わなかった。
機械の性能には、おのずと限界がある。今より反応速度を速めようと思うなら、生身の部分…脳で制御している部分を「鍛える」しかない、と、009は思った。
 
009は、深夜ひそかに研究所を抜け出し、岩に砕ける波を相手に訓練を始めた。
もっと、速く。もっと、強く…ひたすらそれだけを念じながら、予測不可能な波の動きに挑み続けた。
とはいえ、「神々」の調査に追われる日々の中、そもそも、彼らにそんなことをしている時間の余裕はない。僅かな休息時間を削っての訓練だった。
 
休息時間を削って…というより、休息することができなくなっていた…のかもしれない。眠ろうとすると、たちまちあのときの堅く目を閉じた003の青白い頬が、血の匂いが、どんどん冷たくなっていく肌の感触が、絶え間なく009を苛むのだった。
「訓練」で動けなくなるまで体を酷使すれば、かろうじて眠ることができる。眠る、というより倒れる…という方が正確だったかもしれない。
 
いつのまにか、息をのむほど明るい月が天高く上り、地上を皓々と照らしていた。
しかし、009の目は、ただひたすら、向かってくる波の無数の飛沫だけを追い続けていた。
砕ける波をかいくぐるように避け、ダッシュすることを繰り返す。何度も、何度も。
 
「訓練」を始めてから1時間ほどたったときだった。岩から岩へと飛び移りながら、素早く加速装置のスイッチを入れようとして、ほんの僅かバランスが崩れた。たちまち岩場に叩き付けられ、一瞬、意識が遠のく。
やがて、ゆっくり頭を振り、のろのろと体を起こそうとしたとき。
 
ぎこちなく乱れた足音に、009は思わず身をこわばらせた。
 
 
 
「003…!なぜ…?」
 
振り返った彼の視線の鋭さに、003はたちまち動けなくなった。
咎めるようなかすれ声に、胸が痛む。
彼女は、懸命に深呼吸した。
 
「もう、休んだ方がいいわ、ジョー…」
「休まければならないのは君だ!どうして起きてきた?まだ……」
「…眠れなかったの…大丈夫、とてもゆっくり歩いてきたのよ」
 
009はぎゅっと唇を噛み、烈しい言葉が飛び出しそうになるのをかろうじて押さえ込んだ。
月の光が、彼女の肌を透き通るほど青白く見せている。あのときのように。
 
「……私の…せい?」
 
やがて、震える声が沈黙を破った。
009は答えなかった。
黙って003に近づくと、無造作に抱き上げ、研究所に向かって歩き始めた。
 
「…ごめんなさい」
「君が謝ることなんか何もない。とにかく、休むんだ」
「あなたも、休んでくれるなら…」
「…僕は」
「お願い、ジョー…」
「僕は、やらなければならないことをしているだけだ。そして、君が今しなければならないことは、体を休めて…傷を治して…」
「…ジョー!」
 
彼女の悲痛な声にも、009は表情を変えなかった。
研究所に入り、彼女を抱いたまま、静かに階段を上る。
やがて、ベッドに下ろされた003は、注意深く毛布をかけ直している009の腕を、そっとつかんだ。
 
「ジョー…」
「おやすみ、フランソワーズ…」
「いや…ここにいて」
「…フランソワーズ」
「お願い…!」
 
009はしばらく003の青い目をじっと見つめていた。
 
「ジョー、私……」
「…わかった。その代わり、ちゃんと眠るんだよ」
 
うなずき、目を閉じたものの、003の手はまだ009の腕をつかんだままだった。
009はその手を静かにはがし、そのままそっと握りしめた。
 
「これで、いいのかい…?」
 
003は返事の代わりに、ごく僅か、握り返す手に力を込めた。
一瞬、009の頬に微かな笑みのようなものが浮かび、すぐに消えた。
 
やがて、003が眠りについたのを確かめてから、009はそうっと彼女の手を離し、毛布の中に入れてやった。
もう、窓の外は明るくなり始めている。
009は深く息をついた。
 
僕は、本当はわかっているんだ…フランソワーズ。
どんなに強くなろうと、君を守りきれなくなるときはくる。必ずくる。
戦いが続く限り。
 
でも、僕は信じてもいる。
いつか、君が終わらせてくれる。この血塗られた日々を。
 
君の手のぬくもりが、僕に教えてくれる。
戦いは終わる。いつか、きっと。
人は、人を愛することができる…と。
 
だから、その日まで…いつかくる終わりの日まで君を守る。
それなら、きっと僕にもできる。
そのための、僕の力だ。
 
部屋に入り、ベッドに体を投げ出すと、久しぶりに吸い込まれるような心地よい眠気を感じた。
009はゆっくり目を閉じた。
 
 
 
それから数週間、009はそれまでになく長い時間を003と二人だけで過ごすようになった。彼女の枕元に積んであった北欧神話関係の本に興味を惹かれ、それについて語り合うようになったのがきっかけだった。
 
003はヨーロッパの神話や伝説に詳しく、009がどんな質問をしても丁寧に答えてくれた。もちろん、それは「敵」を知るために必要なことであり、戦いの準備…でもあったのだが、重い雰囲気ではなかった。
ともかくも、この話をしていれば、話題が尽きることはない…というのが、あまり話し上手ではないことを自覚している009にはありがたいことだったのだ。
 
神話や伝説というのも結構面白いモノなんだな……と思いかけた009は、すぐに、楽しさのモトは、003の話し方や表情そのものの魅力にあるのだろう、と思い直した。
が、更にその奥底に、自分の問いに優しく真剣に答えてもらえることへの深い喜び…が潜んでいる、ということまでには思い至らなかった。
009は子供が母親に問うように、無邪気に003に問い続け、自分がそうしていることにすら気づかなかった。それこそ、子供がそうであるように。
 
003の傷は、全治一ヶ月と診断されていた。その一ヶ月が瞬く間にすぎた頃、新しい事件が起こった。音楽会が「神々」によって襲われ始めたのだった。
003は、友人の父がウィーンで開こうとしている大規模な音楽会も狙われるのではないかと危ぶみ、会の中止を申し入れにいきたい、と言い出した。
それに異議を唱える理由はなかった…が、生憎、003と一緒にウィーンにすぐ向かうことのできる仲間は1人もいなかった。
 
「1人で行きます」
「…しかし」
「あの音楽祭には世界中から大勢の人たちが集まるんです。危険すぎるわ。万一攻撃を受けたら……」
「そこだよ、003。そうなる可能性のある音楽会なら、当日に限らず、何らかの彼らの攻撃を受けるかもしれない…万一のとき、君1人では…」
 
008の言葉に、003はきゅっと唇を結んだ。
 
「しかし…だからといって、手をこまねいているわけにもいかない」
「…004!」
 
たちまち気色ばむ009をちらっと見やり、004は淡々と続けた。
 
「万一何かあったら、俺たちが至急駆けつける…そういう態勢でいくしかないだろう。ちがいますか、ギルモア博士…?」
「ううむ…しかし、003はまだ傷が治ったばかりで…」
「治ったんですもの…問題ありませんわ」
「危険が大きすぎる。僕は反対だ!」
 
強い口調に、サイボーグたちは一斉に009を振り返った。
009は厳しいまなざしを003に向けながら続けた。
 
「僕たちが至急駆けつける…といっても、本当に何かが起こったら、到底間に合わない。君には荷が重すぎる。スッツ氏には、電話と書面で音楽会の中止を依頼して、君は002たちと一緒に…」
「電話や手紙ではこんな大変なこと、説得なんてできないわ。それに、これは私にしかできないことよ。たしかに、何かあったとき、私では力不足だけれど…でも、それはどこにいても…みんなと一緒にいても、同じことでしょう」
「…そうだな」
 
004は重々しくうなずいた。
 
「たとえ目の前にいたって…間に合わないときは間に合わない。この間のようにな」
 
息をのむ仲間たちを004はゆっくりと見回し、最後に009の強い視線を受け止めた。
009はぐっと拳を握りしめた…が、何も言わなかった。
 
「…頼んだぞ、003…じゃが、気をつけてな…無理はいかんぞ」
「はい、ギルモア博士」
 
003はうつむくギルモアを励ますように笑顔を向けた。
 
 
 
空港に003を見送りに行った009は、遠ざかる細い背中が人混みに紛れ、見えなくなっても、その場を離れることができなかった。
凛と顔を上げ、迷いのない足取りで歩く彼女の後ろ姿を、美しいと思った。
 
この少女が、僅か数週間前、死の淵をさまよっていたなどと、誰が思うだろう。
まして、その華奢な体に無数の傷が刻まれている…などと、一体誰が。
 
行かせたくない。
ややもすると、彼女に駆け寄り、連れ戻したくなる衝動を009は懸命に押さえつけた。
これが、君の……僕たちのさだめなら。
 
「大丈夫よ…約束するわ」
 
さっきの003の言葉が耳の奥で鈴のように鳴る。
彼女は、真剣な表情で009を見上げ、言った。
 
「私は、003だもの…みんなのように力はないけれど」
「…フランソワーズ」
 
遮ろうとする009を目で押さえ、彼女は微笑した。
 
「約束するわ。何があっても、あなたを待ってる。間に合わないなんてこと、ないのよ、ジョー…信じて」
 
この間だって…あなたは間に合ったわ。
だって、私はこうして生きている。
 
曖昧にうなずく009の頬に軽くキスを残し、003は遠ざかっていった。
行かせたくない。
でも。
 
009は長く息をつき、目を閉じた。
 
そうだね、フランソワーズ。
僕も、約束する。
それが僕のさだめなら。
 
必ず、君を守る。
どんなに君を傷つけても苦しめても…僕が必ず助け出す。
 
君が、君だけがいつか終わらせてくれるだろう。
こんな悲しみも、苦しみも。
それなら、僕はその日まで。
 
約束しよう。
それができるのは、僕だけなのだから。
きっとできる。
 
その日まで、僕は君を守る。
そのための、僕の力だ。


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