1
僕と彼女は、長い間、最高のパートナーではあったが、男と女、ではなかった。
その大きな原因のひとつは、僕が、彼女……フランソワーズをいわゆる「女の子」だと思っていなかったから……だろう。
彼女は、僕が知る「女の子」というものとは大きくかけ離れていた……というより、似たところがひとつもなかったから。
だからといって、彼女を好いていなかったということではない。むしろ、彼女は僕にとってかけがえのない存在だったといえる。
サイボーグの仲間だから、ということではない。
彼女は、「仲間」とも、もうひとつ似たところがなかったのだ。
闘いの中で、僕たちは多くの人々に出会った。
その中には、もちろん「女の子」もいた。
彼女たちは皆、心優しく、けなげで美しかった。
僕は、彼女たちに惹かれ、彼女たちを守るために闘うことを惜しまなかった。
そして、フランソワーズは、そんな僕の傍らにいつもいた。
僕は、フランソワーズを彼女たちと比べたことなどなかった。
そもそも比べてみようと思いついたことすらない。
2
フランソワーズを悲しませることを承知で、あえて本当のことを言うと……あのとき僕は、ある事件で知り合ったその「女の子」に、淡い恋心といえるようなものを初めて抱いていた、と思う。
もちろん、抱いていたからといって、サイボーグである僕がそれ以上どうこう、ということはない。それはわきまえていた。
今になって思えば「わきまえる」ことができたのだから、その程度の思いだったのだ、ということなのかもしれない。
「わきまえる」ことができた僕は、事件が解決すると、ともあれ平静を装いつつ研究所に戻った。が、心中穏やかとは言い難かった。
「女の子」は、別れ際、「ありがとう、ジョー……さようなら」としか言わなかった。
それでも、だからこそ、彼女がその言葉にこめた万感の思いを、僕は切ないほどに感じ取っていたのだ。
ありがとう・さようなら。
要するに、それが僕……サイボーグ009というものなのだ、と僕は初めて悟った。
そのどうしようもない運命にも、今更になってそんなことを考えている自分にも、嫌気がさした。
研究所に戻ると、仲間達がささやかな「祝宴」をひらいていた。
事件自体は大団円ともいうべき解決をみていたのだから、それも当然のことだった。
今思うと、僕が荒れていることに、仲間達は気づいていたに違いない。もちろん、その原因にも。
彼らは、いつもよりも熱心に僕に酒を勧め、僕も勧められるままグラスを煽った。
そのとき、フランソワーズがどんな表情で、どんなことを話していたのか……いや、どこにいたのか、ということさえ、僕は覚えていない。
3
どれだけ飲めば、サイボーグである僕が酩酊できるのか、意識して試してみたことはないが、その晩についていえば、僕は酩酊していたし、そんな経験は初めて……でもあった。
ふと気づいたとき、僕はフランソワーズに支えられ、研究所の廊下をふらふらと歩いていた。
「もう少しよ、がんばってね」
不意に、涼やかで優しい声が僕に降った。
聞いたこともない、甘く懐かしい声だった。
まるで乾ききった砂漠で、冷たい泉の水を注ぎかけられたような、そんな気持ちになり、僕は、一気に覚醒した。
そして、なぜだかはわからない……それが、フランソワーズの声だとは思わなかった。
だから、僕は思わず尋ねたのだ。あなたは、誰だ、と。
フランソワーズは何も言わなかった。
それからは、彼女の支えなしで部屋までしっかり歩くことができた。
部屋の前に来たときには頭もはっきりして、ありがとう、すまなかったね、と彼女をねぎらうこともできた。
彼女は、ただ微笑してうなずき、おやすみなさい、と言った。
そのまま部屋に入り、着替えもせずにベッドに倒れ込む……つもりだった。
そうしていればよかったのだ。
が、頭が妙に冴えてしまったためだろう、ふと自分にまとわりつくアルコールのイヤな感じに気づいてしまった。
これを洗い落としてしまおう、と、僕はバスルームに入った。
シャワーを浴びると、気分はすっかりクリアになっていた。
たぶん、やれといわれれば戦闘機の操縦もできただろう。
サイボーグというのは、はかりしれないものだ。
その、おそらくはサイボーグの能力で、僕は廊下に妙な物音を聞いたのだ。
よりにもよって、このギルモア研究所に、しかも僕らサイボーグが全員揃っているときに、侵入者などいるはずはない。
が、いるはずのないものがもしいるのだとしたら……!
僕は気配を殺し、ドアににじり寄り、素早く開け放つと……一気に脱力した。
とっくに自分の部屋に戻ったと思っていたフランソワーズが、壁にもたれるようにして座り込んでいたのだった。
4
なんだ、脅かすなよ……と思ったのは一瞬だった。
彼女の様子がおかしいことに、僕はすぐ気づいた。ぐったりと頭を垂れ、僕が立っているのにも気づかない……ということは、意識も……!
「どうした、003!……しっかりしろ!」
慌てて駆け寄り、抱え起こすと、強いアルコール臭がした。
と、いうことは、彼女もつまり酩酊していたのだった。
この状態で、同様に酩酊した僕を支えて、よく階段を上りきったものだ……と妙に感心しながら、でも、このままではいけない、と僕は考えをめぐらせた。
彼女……003は、改造度の低いサイボーグだ。どれくらい飲んだのかは見当もつかないが、万一、僕ら男どもと同じペースでやってしまったのだとしたら……!
そこまで考え、血の気が引く思いがした。
とりあえず、ギルモア博士をたたき起こして……!と立ち上がったとき、彼女が弱々しく呻いた。
「ごめん……なさい」
「…003。大丈夫か?……博士を呼ぼう。どうしたんだ、こんなに飲むなんて……」
「大丈夫よ……ごめんなさい」
「大丈夫でなかったら、どうする。いいから、来るんだ」
立てないだろうと思ったから、僕は迷わず彼女を抱き上げ、そうしながら素早く脈拍や呼吸音を確かめ……たしかに、大丈夫かもしれない……と、ようやく安堵した。
せめて水を飲ませようと思ったが、本当に大丈夫だと彼女が言い張るので、そのまま部屋へ運ぶことにした。歩ける、と抵抗されたが、そこは怪しいものだと思ったから聞き入れなかった。
それまで、彼女の私室に入ったことはほとんどなかった。
思いがけないほど、すっきりした、まるで男のような部屋だった。
それでも、窓辺には花が生けられ、趣味のいい絵が壁にかかっていたりもしている。
なんとなく感心しながら、僕はきちんとメイクされたベッドに彼女を抱き下ろした。
彼女はおとなしく横たわり、やがて、すうすうと静かな寝息を立て始めた。
やれやれ……と見回すと、サイドテーブルに、ガラスの水差しがある。
これに、冷たい水でも入れてきてやろうと思った。
5
僕は、どうでもいいところで、むだに親切なことをしたがる男らしい。
ハッキリそう言われたことはないが、仲間に仄めかされることがある。
そのときも、そういうことだったのだと思う。
水差しにたっぶり氷と水を入れて戻ると、さっきおとなしく掛け布団の中におさまっていたはずのフランソワーズが盛大に寝返りをうち、ベッドから転げ落ちそうになっていた。掛け布団は壁の方にくしゃくしゃと押しやられている。
誓ってもいいが、その様子を見ても、僕は、しょうがないなあ……と苦笑しただけだった。やんちゃな妹を見る兄の気持ちに似ていたんじゃないかと思う。
やれやれ、とベッドの真ん中に彼女を戻し、布団をかけ直そうとしたとき、呆れたことに、彼女が靴を履いたままだということに気づいた。
もちろんこれは、彼女というよりも僕のミスだ。
すまなかったね、と思いながら、僕は丁寧に彼女の靴と靴下を脱がせ、ついでに、明らかに皺になってしまいそうなスカートやら上着やらも脱がせてやった。
そこまでしなくてもよかったのに、ジョーの意地悪!と、明日の朝猛烈に抗議するだろう彼女の表情を思い浮かべ、こみ上げる笑いをかみ殺した。
彼女がするように綺麗に、というわけにはいかないにしても、せっかく脱がせたのを皺にしてはいけないと、服をハンガーに引っかけてから、押しやられた布団を直そうとかがみこんだ、そのときだった。
僕は、彼女の頬が変に濡れているのに気づいたのだ。
ぎょっとしたのは、こんなに汗をかいていたのか?と焦ったからだ。やはり、何か体調に異変があるのかもしれない。
……が。
それは、汗ではなかった。
さっき、廊下に座り込んでいたフランソワーズは、泣いていたのだ。
声も立てず、僕に気づかれないように。
もしかしたら、クリアなつもりでも、僕の意識はまだアルコールにやられていたのかもしれない。
どうやって、そういう思考へ転がり込んだのか、今となってはわからないが、そのとき、僕の脳裡にあるシーンが稲妻のように閃いた。
強い衝動……ほとんど怒りに近かったと思う……にかられ、僕は呻いていた。
「まさか……アイツに、何かされたのかっ?」
7
アイツ、というのは、もう名前も覚えていないが、その事件で僕たちと関わった若い男だ。美男子であることをのぞけば極めて平凡な男だったが、気は優しかったらしく、003にあれこれと気を配り、親切にしていた。
それについては、まあ、彼女に気があるんだろう、ぐらいの軽い気持ちでしか見ていなかった。
実のところ、003に一目惚れする男が珍しくないのを僕はそこそこ知っていたので、気にもとめていなかったのだ。
白状すると、そのときに限って彼のことを思い出し、しかも彼がフランソワーズに手を出したのかもしれない、なんて思いついたのは、僕自身があの女の子に心を惹かれていたから……だったに違いない。
男にそういう気持ちがふんだんにある、ということを、僕はいってみれば初めて自分の問題として痛感していたのだ。
ともあれ、僕のアタマは急速に彼に関するあらゆる記憶を呼び覚ましていった。
そして、結論として、彼がフランソワーズにありとあらゆることができるだけの時間とチャンスは十分にあった……と認めざるを得なかった。
それだけでも、僕は十分逆上していたに違いない。
さらに、ほどなく、僕は彼女の白い首筋に不自然な痣のような跡を見つけた。
一気に頭に血が上った。
震える指で彼女のブラウスのボタンをはずすと、滑らかな鎖骨の付近とふっくらした胸元にも、同じような跡が点々としている。
……間違いない。
そのときの僕の気持ちを、どう表現したらいいかわからない。
すさまじい混乱と、憎悪と、怒り。
それに混じって、透明な悲しみが押し寄せてきた。
アイツは、僕があの女の子にしたいと思っていたことを、フランソワーズにしたのだ。
僕には、自分を押しとどめる理由があった。が、アイツにそんなものはない。
そして、フランソワーズは……いったいどんな思いで、アイツを受け入れたのか。
愛していた、にちがいない。
だから、受け入れた。
僕のように、自分というものを「わきまえ」つつ、彼に身を任せたのだ。
そんなに……そんなに、君は、アイツを。
そんなに、愛していたのか?
僕は、おそるおそる指を伸ばし、彼女の首筋の痣に触れてみた。
切ない痛みが伝わってくるようで、思わず唇を噛み、目を閉じる。
そのままそっと首筋から鎖骨へと指を滑らせた。
そのとき、不意にフランソワーズが目を開いた。
青く澄んだ瞳が、僕を不思議そうに見つめ……深い湖のような色をたたえた。
やがて、その奥からみるみる涙が盛り上がる。
どう、して……と、彼女は言ったのかもしれない。
が、その微かな声を、僕は咄嗟に唇で塞いだ。
あとは、夢中だった。
8
夢中だったとはいっても、僕はかろうじて、最後の一線だけはどうにか踏みこたえたのだ。
僕の腕の中で明らかに戸惑いながら、フランソワーズは何度も切ない声を漏らした。
そのたびに僕の劣情は燃え上がった……が、一方で、僕の理性は僕を叱りつけてもいた。
恥を知れ、自分が何をしているのかわかっているのか?と。
今、僕が抱いているのは、フランソワーズ……003。
かけがえのない仲間。
天涯孤独だった僕に、奇跡のように与えられ、大切に守ってきた家族……僕の、妹。
僕は、何をしようとしている……?!
不意に、我に返った。
あらん限りの意志の力をかき集めて、柔らかく熱く濡れた……限りなく魅惑的な彼女の中から指を引き抜き、同時にぐったりと力を失った彼女の体を抱きしめた。
僕は……いったい、何を。
泣きそうな気持ちで、ただ抱きしめていると、凄まじいまでの愛しさが押し寄せ、僕をあっけなく呑み込んでいった。
「ジョー……どう…して……」
「ごめん、フランソワーズ……でも、僕は」
君を……愛している。
なぜ、気づいてしまったんだろう……と、ぼんやり思った。
この痛みに比べたら、あの女の子に感じた、淡い失恋のような思いなど、何もなかったに等しい。
ああ、でも……わかっている。
僕は、サイボーグだ。諦めなければならない。
あの女の子も、フランソワーズも、同じだ。
諦めなければ……いけない。
この、愛しいものを。
それなら、なぜ、気づいてしまったのか……!
「……ジョー?」
柔らかい声に、僕はすがるようにフランソワーズを見つめた。
これ以上、心を奪われてはいけないと思いながらも、見つめずにはいられなかった。
やがて、僕は、僕自身の震える声が「君を、愛している」とつぶやくのをぼんやり聞いた。
そうして、その不思議な夜は終わった。
夜明け前、僕は眠るフランソワーズをベッドに残し、逃げるように研究所を抜け出し……自分のマンションに戻った。
9
それから僕は長いこと研究所を訪れなかった。
理由はあれこれ適当につけていたが、要するにフランソワーズを顔を合わせることが恐ろしかったのだ。
気づかなければよかった、といくら悔やんでも、気づいてしまったものはどうにもならない。
この思いを抱いたまま、彼女と今までのような関係を保つのは、苦しみでしかなかった。
それを受け入れる覚悟ができるまでには、やはり相当の時間がかかったのだ。
しかし、いつまでもそう言ってはいられない。
ある日、僕は意を決して、さりげなくいつものように研究所を訪れた。
すると、フランソワーズは意外なほど自然に……あの夜のことなど忘れたように、僕を迎えたのだった。
おかしいな、とちらっと思ったが、その理由はすぐにわかった。
彼女は奇妙な事件に巻き込まれかけていたのだ。
正体不明のモノから、不思議な花束が毎日届けられるのだという。
ものすごくいやな胸騒ぎがした。
が、僕はすぐに平静を装い、なんでもない風でその場をやりすごした。
何か恐ろしいことが起きようとしている、と直感したものの、その禍々しさを伝えてしまったら、彼女を徒に怯えさせるだけだからだ。
そうでなくても、彼女は不安そうだった。
おそらく、僕にしばらく研究所に留まってほしいと思っていたに違いない。
が、僕はそれに気づかないふりをして、早々に研究所を辞去した。
相手が動くのは夜……夜中か、夜明け前か。そんなところだろう。
そして、その時間に研究所にいるためには、もちろん、泊まらなければならない。
彼女のいる、研究所に……だ。
僕にはまるで自信がなかった。そんなことになれば、僕は、全てを忘れて彼女に溺れてしまうかもしれない。
それが許されないことであるのはもちろんだが、加えて、闘うべきときに闘うことができるのかどうかさえも、おぼつかなくなる……と思ったのだ。
研究所を出た僕が、すぐさま近くにあるその低い山に向かったのは、贈られた花束の中に、その辺りで今咲いているようなモノが何種類か混じっていたからだ。
贈られた花の種類は数限りなくあり、ヨーロッパで咲くようなものも少なくなかったから、あまりアテにはならない調査だったが、とりあえずできるのはまずそこからだ。
とにかく、何か始めずにはいられない焦りのようなものを、そのときの僕は切実に感じていた。
辺りは、闇に包まれていた。
その上、道は恐ろしく荒れていて、普通の人間なら歩くことなどできなかっただろうが、無論僕には関係のないことだ。
藪を押し分けながら、僕は難なく歩き続けた。
……そして。
「……こんなところに」
思わずつぶやいていた。
山中に祠があるのは珍しいことではないが、それは美しい小さい鳥居の奥に据えられた、立派な石の祠で、いかにも由緒ありげなモノだった。
その辺りにそういうモノがある、と聞いたことはなかったように思う。
次の瞬間。
「何か」を感じ、僕は咄嗟に加速装置のスイッチを噛んだ。
それは、殺気のような、精神波のような……でも、それとはどこか違う、ただ凄まじい「力」であることだけは感じられる「何か」だった。
そして、同時に、僕は意識を失った。
加速装置が間に合わなかったのか、効き目がなかったのか、それは今でもわからない。
それ以前に、結局何が起きたのか、ということさえ、わからないのだけれど。
ともあれ、次に意識を取り戻したとき。
僕は、暗い部屋の中にぼんやりと立っていたのだ。
そこは、ギルモア研究所……フランソワーズの私室だった。
10
それからの時間と、僕がとった行動とを、筋道立てて説明することはできない。
僕はただ、烈しく燃えさかる欲望に身をまかせ、眠るフランソワーズに襲いかかったのだ。
身を焦がすすさまじいまでの欲望と同じくらい強く、彼女に姿を見られてはいけない、と僕は感じていた。
だから、背中から彼女を羽交い締めにし、まず口を塞いだ。
驚きと恐怖の中で、彼女は烈しく抵抗しながら何度も僕の名を……僕の名だけを呼んだ。声は聞こえなかったが、唇から伝わる振動で感じとれた。
それがぞくぞくするほど嬉しかったから、僕は彼女の夜着をはぎ取り、できるだけいやらしく彼女の肌に指を、舌を這わせた。
彼女がもがき、絶望すればするほど、僕の胸は妖しく震え、欲望はいっそう燃え上がった。
そんなに……愛しているんだね。
でも、もう遅い。その愛は許されないものだ。
君は、今日から僕のものになる。
フランソワーズは堕ちなかった。
いくら責め立てても、あの夜のように彼女の泉が熱くあふれ出すことはなく、僕の指はあくまで冷たくはね返され、拒まれた。
それが嬉しくて、愛しくて……憎らしかった。
僕はちろちろと彼女の耳朶を舐めながら、熱い吐息を吹きかけ、囁いた。
声は出なかった……が、彼女がそれを聞き取っていることを、僕は知っていた。
強情な娘だ。
それなら、もっと……もっと可愛がってやるまで。
底なしの快楽に堕ち、狂うがいい!
しかし。
僕が施すどんな愛撫にも、フランソワーズは苦しげに身をよじり、助けて、と、ただ僕を呼び続けるだけだった。
まだ、その名を呼ぶのか!
まだ、辱めを受けたいか!
凶暴なモノが僕の中でふくれあがり、弾けた。
フランソワーズが声にならない悲鳴を上げる。
僕は彼女の口を塞ぎ、身動きひとつできないように押さえ付けたまま、耳朶に、首筋に、両の乳房に、そして、柔らかい花びらとその傍らのひそやかな真珠にと、容赦なく襲いかかった。
それでも、彼女の蕾は堅く閉ざされたままだったのだ。
灼熱の憤怒が体を駆け抜け、僕はついに彼女を強引にこじ開けながら、僕自身をあてがい、力任せにねじこもうとした。
そのとき。
押さえ付けていた手が僅かにゆるんだ……のかもしれない。
彼女の悲痛な声が、突然、僕を打った。
「やめて!……ジョー、助けて……っ!」
全ての力を振り絞ったかのような叫びの後、彼女はぐったりと力を失った。
同時に、僕の体から、あらゆる熱と欲望が一気に引いていった。
「――あ……あ?!」
僕は、震えながら、思わず自分の両手を見つめた。
そこにあるのは、ただ二本の腕と……十本の指。
……しかし。
たった今まで、僕は彼女の魅惑的な肌のありとあらゆる敏感な場所を同時に責め立てていた……はずだ。
彼女の口を塞ぎ、彼女の体を押さえ付け、なが……ら?
どう……やって……?
のろのろと身を起こした。
僕の体の下で、無惨な姿にされた彼女がぐったりと横たわっている。
――僕が、やったのだ。
歯を食いしばった。
そうしていないと、大声で叫んでしまいそうだった。
とにかく、このままにしておくことはできない。
僕は意識を失ったフランソワーズに衣服を着せ直し、ベッドを整え、寝かせてやった。
見回すと、窓が開いている。記憶はなかったが、どうやら僕はそこから忍びこんだらしい。
窓とカーテンをしっかりと閉め直し、静かに廊下へと抜け出した。
足音を忍ばせて研究所を出ると、僕はすぐ加速装置のスイッチを入れた。
11
辺りは、まだ漆黒の闇……だった。
僕は加速したままやみくもに走り……いつのまにか、あの祠の前に立っていた。
が、不思議だとは思わなかった。
さっき、小さいながらも美しいと思った鳥居はぼろぼろに朽ち果て、その奥の石の祠もほとんど崩れかけている。
それも、不思議だとは思わなかった。
僕はためらうことなく両手を組み合わせ、振り上げると、渾身の力で祠をたたきつぶした。
一瞬のうちに崩れたソレが、ついにひとかたまりの砂になるまで、僕はしつこく拳を振り下ろし続けた。
全身がずっしりと重い。
わけのわからない疲労感に襲われ、のろのろ歩いた。
山を下り、舗装道路に出た頃、ようやく頭が少しずつはっきりしてきたような気がした。
いったい何が起きたのか。
何か、禍々しいことに巻き込まれた、ということは間違いない。
しかし、おそらく……僕は、勝ったのだ。
少なくとも、負けはしなかった。
そして、それができたのは、フランソワーズが力を貸してくれたから……。
「……フランソワーズ」
ふと立ち止まり、目を閉じてつぶやいた。
泣きたいほどの懐かしさが胸に広がっていく。
たとえ、触れることが許されないのだとしても……
「フラン…ソワーズ…?!」
突然、乱れた足音が聞こえ、僕は、あ、と息をのんだ。
ほどなく、白い夜着のまま裸足で走るフランソワーズを見つけた僕は、半ば体当たりするように彼女を抱き留め、そのまま堅く抱きしめた。
可哀相に。
どんなに、怖かっただろう。
自責と後悔の思いに責められながらも、しっかりしなければ、と僕は自分を叱った。
あの恐ろしい時間、フランソワーズは絶望の中で僕を呼び続け、それだけを支えに、けなげに戦い抜いたのだ。
その僕こそが自分を襲った化け物だと知れば、彼女がどうなってしまうかわからない。
僕は、自分でも驚くほど素早く「009」に戻った。
そして、それは成功した……と思う。
怯えきって、それでもようやく安心したように僕にすがり、泣きじゃくる彼女を抱きながら、どうにもならない愛しさがこみ上げてくるのを抑えられなかった。
不意に、ハッキリと理解した。
僕は彼女を奪われるところだったのだ。永遠に。
他ならぬ、僕自身の手で。
そうはさせるものか、と強く思った。
たとえそれが、許されないことだとしても。
ともすれば溢れそうになる激情を抑え込み、僕は平静を装った。
あれは「なかった」ことなのだ、と懸命に自分に言い聞かせた。
僕は……そして、彼女も、全身全霊をかけて闘い、それを勝ち取ったのだから。
研究所に帰ろう、と言うと、フランソワーズはあの澄んだ目で僕を見上げ、首を振った。
……それなら。
僕は、深い喜びに震えそうになる声を抑えなければならなかった。
「僕の部屋に行くよ。いいかい?」
フランソワーズはうなずいた。
彼女がうなずくことを、僕はわかっていたのだと思う。
闇にわずかな光の気配が現れ、朝が近づく頃。
僕は、僕の部屋のベッドで、フランソワーズを抱いた。
生まれたままの清らかな姿になった彼女の、柔らかく熱く濡れた花びらを初めて散らし、大切に……何度も貫いた。
そのたび彼女は、甘く切なく僕の名を呼び、その声で僕を更に酔わせたのだ。
愛している、と言いたかった。
言うべきだった、とも思う。
が、その夜僕が繰り返したのは、ただ「誰にも渡さない」という言葉だけだった……のだという。
12
それからというもの、まるで人が変わったように……と仲間達は冷やかした……僕はフランソワーズを手放せなくなった。
と言っても、それほど何かが変わったというわけでもないように、僕自身は思っている。
思えば、彼女と出会ってからというもの、僕が彼女を手放したことなどなかったのだ。
そう言うと、フランソワーズは可愛らしく唇をとがらせ、そんなことはない、と言う。
僕は、いつも他の女の子ばかりを見ていた、それがどんなに寂しかったか……と言うのだ。
それはそうかもしれない、どのみち、君は断じてその子たちと比べられるような……同じ場所にいるような存在ではないのだから。
彼女たちを見ていたのなら、僕は決して君を見なかっただろう。
そう説明すると、フランソワーズはますます機嫌を損ねた。
でも、実を言うと、彼女が機嫌を損ねることを僕はそれほど恐れていない。
損ねた機嫌を取り戻すためにあれこれ試みるのが結構楽しみだからだ。
あの夜のことをその後、僕たちはあえて口にしなかった。
が、全てが終わっていることだけは伝えたくて、僕は彼女に、もう二度とあの花束は届けられないだろう、と言った。
そのとき、彼女はふと思いついたように言ったのだ。
以前に、小さな蛇を助けたことがある……と。
たとえば、僕が壊したあの祠が、実は蛇をご神体としたものだった……なんていうのは、いかにもできすぎた話だ。
実際には、いくら調べても、あの付近に神社だの祠だのはなかったし、かつてあったという話も見つけ出すことができなかった。
それだけではない。
もう一度あの場所に行こうと、僕は何度か試みたのだが、できなかった。
山に分け入ると、僕が加速して走った跡がくっきりと残っていた。
が、そこをどんなにていねいに辿って探しても、それらしい場所が見つからないのだった。
あの晩。
全てをなかったことにする、と僕が心に決めた……そのとおりになったのかもしれない。
ただ、そういうことなのだと、思っている。
そして、なかったことにする、といえば。
もっとどうでもいいことだが、僕をあれほど逆上させたあの痣の疑惑は、その後あっさりと解けてしまった。
何ということはない、僕が毎晩のように……どんなにしつこく彼女を責めようと、あんな痣は残らないということに、ほどなく気づいたからだ。
では、僕が見たあれは何だったのかというと……実を言うと、わからない。
フランソワーズは、体に痣ができたことなど、サイボーグにされてからは経験がない、と言う。
ちなみに001は、何もかもが、彼女を手に入れるために僕の心が作り出した幻影だったのだ、と言う。
花束の説明はどうつけるんだ、と言うと、彼はこともなげに笑った。
「それだって君がやったことだ。君ならその気になればできちゃうだろ、009?」
無茶苦茶なことを言う。
が、たしかに不可能ではない……かもしれない。
001の真意は、そんなことは忘れてしまえ、ということだったのだろうから、とりあえず、彼の言うとおりだったのだと考えることにしている。
で、なぜ001がこのことを知っているのか、というと。
どうやら、ギルモア博士が探らせたらしい。
もちろん、愛娘が不良息子にたぶらかされたことを心配しての親心、みたいなところだろう。
この頃では、なぜ結婚しないのかとどやされる。
さっさと自分たちの所帯を持って独立し、落ち着いたらどうだ、と仲間に説教されたこともある。
実を言うと、したいのは山々なのだけれど、肝心のフランソワーズが渋っているのだ。
たぶん、誰にもそうは見えないだろうから、責められるのはもっぱら僕なのだが。
彼女がソレを渋るのは、僕と一つ屋根の下で、しかも二人きりで、昼も夜も一緒に暮らす……なんてことになったりしたら身が持たないかもしれない、とひそかに恐れているからだ。まったく、失礼な話だが。
彼女がそんなことを博士や仲間に打ち明けるはずもないから、誰も真実を知りはしない。
とはいえ、そろそろ動いた方がいいのかもしれない。
例の祠について調べていたとき、僕はいくつか、神と人間の娘とが夫婦になる、という話を見つけた。その多くが、何というか……つまりは略奪婚、いやがる娘を神が無理矢理かどわかす、みたいなやり方だったのだ。
そういうことか……?と、フランソワーズに問うわけにもいかず、でもそういうことなんだろうな、と思い始めている。
で、ひそかにあれこれ計画を立てているのだ。
馬鹿だなーと我ながら思うけれど、嫌がるフランソワーズをこの手で拉致し、監禁するところから始まる新婚生活……というのを想像すると、正直、ものすごくわくわくする。
もっとも、僕が暴走を始めるよりも、フランソワーズが僕のプロポーズをごく普通に受け入れる方が、結局は早いだろうと思う。
現実とは、その程度のモノだろう。
たしかに退屈だが、だから幸せが損なわれるというわけでもない。
もちろん、僕はそれで十分満足だ。
考えてみたら、そもそも、退屈な人生とはほど遠いところにいる僕たちなのだ。
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