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白百合・本文
 
「フランソワーズ、誰か街に出てるのか?車が…」
「ええ、ジョーがさっき出ていったわ…サトシ君と一緒に」
「…ほう?」
 
首を傾げるアルベルトに、フランソワーズは楽しそうに言った。
 
「あの二人、すっかり仲良くなったみたい…サトシ君もおとなしい人だから、きっと気が合うのね…よかったわ」
「…よかった?…何が?」
「ジョーにお友達ができて…同じ年頃のフツウのお友達って、大切でしょう?」
 
オマエも同じ年頃なんじゃないのか?
…と言いかけて、アルベルトは言葉を呑み込んだ。
あまり安全な話題ではない。たぶん。
 
彼の心の声が聞こえたかのように、フランソワーズはふと振り向いて微笑んだ。
どこか、寂しい笑顔だと、アルベルトは思った。
 
とにかく安全な話題ではないはずだ。
 
 
 
コズミ博士からの依頼を受けて、サイボーグたちは国際微生物学会議の護衛を秘密裏に行っていた。
会議には、彼の友人である大隅博士を中心とした、生物兵器開発への協力を拒否する研究者達が集結することになっていた。
 
「いろいろと難しい会議でな、不穏な動きが多い…大隅君も何度も危険な目にあっておる…特に、彼は一人息子のサトシ君の安全を気遣ってのう…」
「それでは、息子さんまで巻き込まれてしまったのかね、コズミ君?」
「この間、誘拐されかかったんじゃよ。大隅君は早くに奥さんを亡くしているから、家族といえばサトシ君だけで…」
「家族まで狙うなんて…ヒドイな」
「…そうね…その息子さんって…まだお小さいんですか?」
 
フランソワーズの問いに、コズミ博士は首を振った。
 
「たしか、高校生じゃったから…君たちとそう変らない年齢じゃの…ワシも何度か会ったことがある。おとなしいが優秀な息子さんじゃよ…いずれ大隅君の頼もしい片腕になるじゃろうて…」
「うーむ…それでは、大隅君は、万一息子さんの身に危険が及べば、会議を放棄せざるを得んということか…」
「いや…それはしないじゃろう…大隅君は信念の人じゃからな」
「…でも、そうしたら…」
「大隅博士は、自分の信念のためなら息子さんを犠牲にしてもいい…と考えていらっしゃるんですか?」
 
コズミ博士は沈痛な面持ちで首を振り、ジョーとフランソワーズを見つめた。
 
「いいわけあるまい…じゃが、もし自分の研究が悪用されるようなことが起きれば、何万人もの人々を苦しめることになるかもしれない…大隅君にとって、この会議の成功は自分の命より重いんじゃ…それでも…息子を思う気持ちは、フツウの親と何も変るところはない…彼は苦しんでおる」
「それで…我々に…いや、この子達に協力してほしい…というわけか、コズミくん?」
「うむ…お願いできないだろうか、009…003。」
 
009は来日していた004に006・007を加えて、会議を妨害しようとする動きそのものを封じるため、駆け回った。
003は家政婦を装い、大隅家に入った。
 
コズミ博士の言葉どおり、大隅サトシは物静かで優しい少年だった。
高校2年生だという。
 
「…ええ、今日も異状なしよ…そっちは…うまく行ってる?」
「うん…ただ、ちょっと心配なのは…僕たちに動きを封じられて、相手が焦るかもしれない…ってことかな」
「…焦る?」
「もしかしたら、乱暴な手に出てくるかもしれない…まだ、そっちが襲撃されるような話はつかんでないんだけど…気を付けてくれ、003」
「わかったわ…あ。009…あの…ちょっと聞きたいことがあるんだけど…」
「…うん?」
「あの…あのね、日本では、学校にどんなお弁当持っていくものなの?」
「えぇっ…?!」
 
つい頓狂な声を上げてしまい、ジョーは慌てて辺りを見回し…受話器を手で覆うようにして声を潜めた。
 
「…どうして、そんなこと…?」
「サトシ君にお弁当を作ってあげたいんだけど…でもよくわからないの。四角いアルミの箱があるのよ…お弁当箱なんですって…それが大きいのと小さいのとあって…」
 
日本で暮らすようになってだいぶたつ。
いわゆる米飯の「お弁当」が売っているのをフランソワーズは知っていたし、見たこともあるはずだが…実際にアルミの弁当箱を前にして戸惑っているようなのだった。
 
「サトシ君は作らなくても大丈夫、気にしないでください…って言ってくれるんだけど…でも、できたらちゃんと作ってあげたくて…彼、体があまりじょうぶじゃないみたいだし…食べ盛りでしょう…栄養のことだって気になるわ」
 
教会では、弁当は寮母が用意したご飯とオカズをそれぞれが自分で弁当箱に詰めて作った。
どちらかというと質素な弁当だった…とジョーは思い返し、少々口ごもった。
 
「ええと…ね、そうだな…中身はどうするか決めてある?…うん。うん、そうか…それだけあれば十分だよ…うん。大きい方の箱にご飯を詰めるんだ…あ。サトシ君があまり食べない子だったら、小さい方のがいいのかなあ…」
 
その日の「定期連絡」の電話は1時間近くに及んだ。
次の日、フランソワーズは、彼がお弁当をキレイに食べてくれた…と弾んだ声でジョーに告げた。
 
 
 
009たちの不安は的中した。
会議を数日後に控えた大隅博士が自宅を離れ、会場近くのホテルに入った晩…事件は起こった。
 
妨害者たちはもともと大隅博士自身を拉致する計画だったらしい。
が、それをことごとくツブされ、追いつめられ…ほとんど捨て鉢な作戦を決行しようとしていた。
 
作戦…大隅家襲撃…の大筋を009たちが把握したとき、決行予定時刻はとうに過ぎていた。
慌てて大隅家にかけた電話は、既に通じなかった。
 
「…マズイな。もうやられてる」
「003がついてるし、大丈夫アルやろけど…」
「とにかく急ごう。009…」
 
振り返り、004は肩をすくめた。
009の姿は、既になかった。
 
 
「大丈夫、サトシ君…?」
「は、はい…すみません…」
 
苦しげに息を切らせているサトシを少し窪地になっている木の根本に座らせ、003は耳を澄ませた。
屋敷は既に炎上している。
深夜、怪しい物音に飛び起き、眠っているサトシを叩き起こし、寝間着のままで窓から抜け出した。
 
どうやら、敵の目的はサトシの拉致ではなく、殺害だったようだ。
自分たちが逃げ出したと気づかれていないことを、003は祈った。
武器はスーパーガンひとつ。
サイボーグやロボットはいなかったが、屈強な男が数人、武器を構えて駆け回っている。
自分1人なら何とかなるかもしれない人数だが、この少年を庇いながらだと…
 
「…っ!」
 
003は唇を噛んだ。
逃げた、と気づかれたようだった。
 
「サトシ君…よく聞いて。あなたは、ここに隠れているのよ…すぐに助けがくるわ…でも、絶対に自分から出ていってはダメ…!私の仲間なら、あなたがじっとしていてもここを必ず見つけ出せるし、あなたの顔も知っているから、何も言わなくても大丈夫。だから、誰かに呼ばれても返事をしてはダメよ…いい?」
「…003…アルヌールさん、あなたはどうするんですか?」
「できるだけ、あの人達を遠くへ引付けるわ」
 
003はふと表情を緩め、羽織っていたカーディガンを脱いで、彼の肩にかけた。
 
「ア、アルヌールさん…」
「震えてるのね…無理もないわ…でも、大丈夫…私たちを信じて」
「アルヌールさん…!待って、フランソワーズ…!」
 
慌てて立上がった…が、白い細い姿は振り返ることもなく、一直線に闇に呑まれていった。
サトシは肩にかけられたカーディガンを震える手でつかみ…ぎゅっと目を閉じた。
 
 
 
静かだった。
サトシは、木々の間から漏れる月の光を見上げた。
 
あれから…30分もたっただろうか。
003は戻らない。
「仲間」が来る気配もない。
辺りは闇と静寂に包まれていた。
 
サトシはカーディガンを片手にしっかり握り、静かに立上がった。
 
あてもなくさまよい始めて、しばらくしたとき。
彼は、ハッと耳を澄ませた。
…頭の上の方から、話し声と、微かな物音がする。
 
静かに身を伏せ、音を立てないように進む。
…やがて。
そうっと伸ばした片手に、何か冷たいものが触れた。
拾い上げ、月明かりにかざし…彼は息を呑んだ。
 
ずっしりと重い…見たことのない形の銃だった。
 
そのとき。
押し殺した声が耳に飛び込んだ。
苦しげな…女性の声。
 
彼は唇を堅く噛み、銃を握りしめ…手探りで目の前の斜面を登り始めた。
 
 
「どうやらいっぱい食わされたらしい…たぶん坊やは今頃コイツの仲間に確保されてるはずだ…さんざん俺たちの邪魔をしてくれた例のヤツらにな」
「…どうする?」
「どうもこうもない…失敗だ。しばらく隠れていた方がいいだろう、俺たちも」
「…畜生…っ!」
 
低い罵声とともに、鈍い音がした。
 
「フン…見ろよ、泣きもわめきもしねえ…こんな可愛い顔して、おっかないお嬢さんだ」
「何してる…?早く始末しろ。すぐ仲間が来るぞ!」
「そう簡単には来ないだろう?…ただ殺すのは勿体ないじゃないか」
「…呆れたヤツだな…ぐずぐずしていると命を縮めるぞ。まあいい、俺たちは行くからな」
 
いくつかの足音が素早く遠ざかるのと同時に、布を引き裂く音が響いた。
荒い息づかい。
弱々しい少女の声。
 
サトシは我を忘れて斜面を駆け上がり、銃を構えながら怒鳴った。
 
「その人に、触るな!」
「…何っ?!」
 
無我夢中で叫びながら、闇雲に音のする方へと銃口を向け、引き金を引く。
 
「この、小僧…っ!」
 
ばらばらと足音が集まり、同時に肩を熱いものが貫く。
思わず悲鳴を上げ、銃を取り落とした瞬間、強い風に打たれた。
地面に叩き付けられるように倒れるサトシの前を、鮮やかな黄色いマフラーが横切った。
 
「…ウ…」
 
呻きながらやっとの思いで体を起こすと…男達は、1人残らず倒れていた。
 
黄色いマフラーの主は、倒れた男達の傍らに立っていた。
懸命に銃を握りなおそうとする男の手を、黒いブーツが無造作に踏みつける。
…絶叫。
 
「だめっ、009…!」
 
鋭い声が飛んだ。
マフラーが翻る。
 
「殺してはダメ…!その人たちに話を…聞かなくては」
「もう、その必要はない、003…計画は全てつぶした。終ったんだよ」
「だったら、なおさらだわ…帰りましょう。この人たち、動けないもの…あとは警察に」
「……。」
「…ジョー。」
「…わかったよ、フランソワーズ…立てるか?」
「ええ…サトシ君を、お願い…肩を撃たれているわ」
「うん」
 
少しずつマフラーが近づいてくる。
ふわっと抱き上げられ、サトシは息を呑んだ。
 
マフラーの主は、優しい顔立ちの少年だった。
 
 
 
会議は無事に終了した。
が、家を焼かれ、傷を負ったサトシは大隅博士の希望もあって、新しい家が建つまでの間、ギルモア研究所にとどまることになった。
 
コズミの言葉通り、彼は優れた科学者としての資質を持っていた。
ほどなく、彼はギルモアの研究に並々ならぬ興味を示し、熱心に質問するようになった。
ギルモアも、彼との会話を楽しんでいるようだった。
 
サトシは、ジョーともごく気さくに話した。
サイボーグになってから、自分と同じ年頃のフツウの少年と気楽に話すことなどなかったジョーが、戸惑いながらも明るく彼と冗談を言い合っている様子に、仲間達はこっそり微笑していた。
 
 
「で、買い物って…何だい?どこに行けばいい?」
「…うん…」
 
サトシはしばらくためらい、そっと運転席のジョーをのぞいた。
 
「実は…ちょっと、君に相談したくて」
「…相談?」
「うん…研究所では…話しづらいことなんだ。でも、もう時間もないし…」
 
 
二人はファーストフード店に入った。
紙コップのコーヒーをすすりながら、ジョーは何となく物珍しげに辺りを眺めていた。
こういう店に入るのはひどく久しぶりだという気がする。
フランソワーズと出かけるときは、大抵もう少し落着いた感じのカフェに入る。
 
「あの…」
 
サトシは思い切ったように顔を上げ、ジョーを見つめた。
 
「実は、アルヌールさんのことなんだけど」
「うん…?」
「…あの人は…君の…その…君と、恋人…同士なんだよね…?」
 
ジョーはしばらくきょとん、とサトシを見つめ…不意に大声を上げた。
 
「え、え、えぇっ?!」
「違うの?」
「あ、あの…いや…ええと…だから、その……」
「…ごめん。こんなこと聞かれても困るよね…黙っていようと思った。でも…どうしても…諦めきれなくて…」
「サトシ…?」
「怒らないでほしい…君たちの邪魔をするつもりなんてないから…ただ、このまま黙って別れて、二度と会えなくて、あの人に忘れられてしまうんだと思うと…気が変になりそうなんだ…」
 
あの…人。
あの人って…だからつまり。
 
サトシは耳まで真っ赤になって、うつむいている。
ジョーは慌てた。
 
「あの…あの、君、誤解してるよ…僕たちは…僕と彼女とは、そんなんじゃ…ない」
「…え?」
「だから…ええと、もちろん…彼女は大事な仲間だよ…家族と同じだ。でも、恋人…ってわけじゃ」
「そ…そうなのかい…?」
「うん。」
 
ジョーは一生懸命うなずいた。
サトシはよくフランソワーズとも親しく話し込んでいる。
万一、自分が彼女を恋人だと言っている…みたいな話が、彼からフランソワーズに伝わったりしたら、困る。
すごく困る。
 
サトシは目を丸くして、ジョーを見つめ…大きくため息をついた。
 
「…なん…だ…」
「誰かに…そうだって聞いたのかい…?」
 
何となく気になって尋ねると、サトシは首を振った。
 
「いや…君たちを見てて、そんな気がしたんだ…それだけだよ」
 
ほっと息をつくジョーに、サトシはしみじみ言った。
 
「それに…僕は、うらやましかった、君が…だからかもしれないな」
「…うらやましかった?」
「うん…ごめん…気を悪くしないで聞いてくれるといいんだけど…うまく言えないけど、僕は…あの人を守れる男になりたいんだ。あのとき、本当にそう思った。」
 
…あのとき。
 
ジョーは反射的に噴き出しかけた感情を懸命に押さえつけた。
 
あれぐらいのこと、なんでもない…と、後でフランソワーズは笑った。
しかし、彼が駆けつけたとき。
 
彼女は、体の自由を奪われ、男にのしかかられていた。
服は引き裂かれ、体中に痛々しい傷を負わされて…
 
そして、あの…手。
 
彼女の制止でかろうじて思いとどまったものの、今でも不意に凶暴な感情がわき起こることがある。
彼女を弄ぼうとした、汚らしい手。
あの手が、今もこの地上のどこかにあるのだと思うと、たまらない気持ちになる。
 
「僕は、何もできなかった…君が、助けてくれなければ…あのまま…あの人が踏みにじられて…殺されるのをただ見ているしか…!」
 
ジョーはハッと顔を上げた。
持ったこともない銃を懸命に構えていた彼の姿が蘇る。
もし、自分が彼の立場だったら……
 
そう考えて、ジョーは愕然とした。
思わず、彼の肩を強く掴んだ。
 
「あんなことは…二度と起きないよ。きみを狙う奴らはもういないんだ」
「…うん。ありがとう、ジョー」
 
サトシは弱々しく微笑んだ。
 
 
 
二人は所在なさげに身を寄せ合うようにして、明るく華やかな店内を歩いていた。
ところせましと並べられたアクセサリーの数々。
 
サトシが、研究所を離れる前に、フランソワーズに「お礼」をしたい、というので、その品物を選ぼうというのだった。
僕にはそんなのわからない、とさんざん抵抗したジョーだったが、泣かんばかりに頼み込まれて、結局ついてきてしまった。
 
「アルヌールさん…いつもコレ、してるよね?」
 
サトシは色とりどりのカチューシャを指さした。
 
「うん…」
「使ってもらえるものがいいよね…」
「うん…」
「それとも、リボンがいいかな…」
「うん…」
「うん、じゃなくて…ジョー、頼むよ…!」
「ご、ごめん」
 
すがるように見つめられて、ジョーはひたすら困惑した。
 
「髪型、変えてもきっとキレイだよね…」
 
つぶやきながら、サトシはおそるおそる紺のリボンのついたバレッタを手に取った。
 
「大きいなあ…」
「これで、髪の毛をまとめるんだ、きっと…」
「…うん」
 
少年達は覚えず頬を赤らめていた。
亜麻色の髪をアップにしたフランソワーズのうなじを、つい想像してしまう。
 
「…どうして」
「…え?」
 
サトシは切なそうに息をついた。
 
「どうして、あんな人がいるんだろうなあ…」
「……。」
「あんなに…きれいで、優しくて…つらい思いをしているのにそんな様子、少しも見せなくて」
「……。」
「自分があの人につりあう男になれるなんて、とても思えない…ホントは諦めるべきなんだ…君もそう思うだろう、ジョー?」
「…それ…は…」
 
ジョーもなんとなくため息をついた。
 
「お弁当だって…すごく嬉しかった。僕には、母親の記憶がないから…もちろん、今までのお手伝いさんだってお弁当は作ってくれたけど…でも、彼女のお弁当は全然違ったんだ」
 
サトシは、笑わないでよ、と前置きしてから言った。
 
「すごくおいしかった…のもそうなんだけど、ナプキンがね」
「…ナプキン?」
「うん…弁当箱が大きいナプキンで包んであったんだけど…それが、彼女が作ってくれたモノだったんだ。端っこがキレイに縫い取りしてあって…僕のイニシャルも刺繍してあって」
 
お弁当箱をナプキンで包む、というのは、ジョーが彼女に聞かれるまま答えたことだった。
それらを手作りするのもアリだ、ということも。
でも。
イニシャルを刺繍する…とまで、自分は言わなかったと思う。
 
「あれは、僕の宝物だよ…ずっと大事にする。二度と彼女に会えなくても」
 
頬を少し火照らせているサトシをちらっと見やり、ジョーはもう一度ため息をついた。
 
宝物…か。
 
彼女から何かを貰ったこともないし。
彼女に何かを贈ったこともない。
そんなこと…思いつきもしなかった。
 
ぐるっと店内を見まわしてみる。
華やかで、きらきらした細かい光がちりばめられているようなディスプレイ。
でも、彼女に似合うものなんて、簡単には見つからないような気がした。
 
 
結局、何も決められないまま、二人は店を後にした。
まだ日はあるから、と落胆するサトシを慰めながら、ジョーはふとほのかな芳香に顔を上げた。
 
…花屋だ。
 
サトシも、あ、と小さく声を上げ、ジョーをのぞいた。
 
「花…かぁ…!アルヌールさん、花、好きだよね…」
「うん…たぶん」
「そうだ、花にしよう!」
「…え?今買うのかい?」
 
勇んで花屋に入ろうとするサトシに、ジョーは慌てた。
サトシは笑いながら首を振った。
 
「下見だよ…君の意見も聞きたいし」
 
 
 
「どう思う、ジョー?」
 
サトシの声に、ジョーはハッと振り返り、口ごもった。
店に入ってすぐ、真っ白な百合の大束に目を奪われ、ぼんやりしていたのだった。
 
すらりとした花姿。
どこまでも白く清浄な花弁。
凛とした美しさが、戦場の彼女と重なった。
そして、限りなく甘い香り…
 
「アルヌールさんにぴったりの花って、どれかなあ…」
「…うん」
 
熱くなった頬をうつむいて隠しながら、ジョーはさりげなく百合から目を離した。
 
「この…ピンクの、可愛いな…」
「…うん」
「こういう、かごに入ったのもいいよね」
「…うん」
「だから、うん、じゃなくてさ…!」
「……。」
 
言葉が出てこない。
 
さっきの店とは違う。
今度は彼女にぴったりの花を見つけた…と思った。
でも、言えなかった。
 
なぜ言えないのか、よくわからない。
 
困惑しきった顔で店内を歩き回っているサトシに、心でこっそり謝ったとき。
不意に、サトシが叫んだ。
 
「これだ…!」
「?!」
 
ジョーは大きく目を見開いた。
頬を紅潮させ、目を輝かせたサトシが愛おしそうに触れているのは、あの百合の大束だった。
 
「こんな大きいの…邪魔になるかな…いや、大丈夫だよね…あの家、大きいしさ」
「……。」
「アルヌールさんって、こんな感じなんだ…僕にとっては。今はとても手が届かない人だけど…でも」
 
ジョーがぼうっとしている間に、サトシは手際よく店員を呼び、予算を言い、届け先とその日時を告げ、支払いを済ませた。
店を出ると、サトシは満足そうに深呼吸した。
 
「ありがとう、ジョー…付き合ってくれて。助かったよ」
「いや…僕は、何も…花、いつ届くようにしたんだい?」
「送別会をしてくれるっていってたから、その前の日にした。こっそり僕の部屋に隠しておくんだ。」
「…そうか」
「きっと…呆れるだろうな、アルヌールさん…僕みたいな子供に好きだ、なんて言われても困るよね」
「そんなこと…ないよ。それに、年の差なんて、大してないじゃないか」
「…そう…かなあ…」
「そうだよ…!」
 
なんとなく声に力がこもる。
サトシは第一世代のことを知らない…はずだった。
 
 
 
何も始まりはしない。
あまりにもわかりきったことだったから、ジョーは何も言わなかった。
 
サトシはほどなく研究所を離れた。
 
送別会で、フランソワーズは贈られた百合の花束に歓声を上げ、目を潤ませた。
大事そうにそれを抱きしめながら、「ありがとう」と、サトシに囁いた。
でも、それだけのことだ。
何も始まりはしない。
 
張々湖を手伝って、後かたづけをしていたジョーは、フランソワーズとサトシの姿が見えないことに気づいていた。
しばらくして、ごめんなさい、全部やらせてしまって…と姿を現したフランソワーズの髪からは、微かに夜風の気配と潮の香りがした。
でも、それだけのことだった。
 
百合の花束はしばらくの間居間を飾り…やがて、彼女の部屋に移された。
強い香りは廊下にも漏れ、その部屋の前を横切るジョーの鼻腔をかすめた。
 
その香りもすっかり薄れた頃、サトシがアメリカに留学する、という報せがコズミ博士から入った。
フランソワーズは見送りのため、コズミ博士と一緒に空港に向かった。
ジョーは、仕事が入ったため、行かれなかった。
 
何も始まりはしない。
 
仕事から帰ったジョーは、空港から戻ってきた二人を駅に迎えに行った。
コズミ博士を送り届け、いつもの家路をたどる。
フランソワーズは、サトシがジョーによろしくと言っていた、としか告げなかった。
それ以上聞きたいことも、ジョーにはなかった。
 
彼女との年の差なんて、大したことはない…と、ジョーはサトシに言った。
その言葉に嘘はない。
第一、フランソワーズはこれから永い間この姿のままで居続けるのだ。
サトシにはそのこともわかっているはずだった。
 
でも、彼は第一世代については何も知らないままだった。
知っても、彼の気持ちは変らなかったかもしれない。
それでも…
 
「サトシ君…なんだか、立派になってたわ」
 
ぽつん、とフランソワーズが言った。
 
「立派に…?」
「ええ…着ているもののせいかもしれないけど…でも、男の子って、すぐ大人になるのね…驚いちゃった」
 
僕は、大人になれない。
 
反射的に、ジョーはそう思った。
そして、それは、フランソワーズも同じことだ。
時を止められた少女。
誰が彼女を愛そうと、その壁は越えられない。
何も始まりはしない。
 
ジョーはちらっとフランソワーズの横顔をのぞいた。
無性に、寂しいかい?と聞いてみたくなった。
 
でも。
もし、彼女がうなずいたら…自分にはなすすべがない。
 
ジョーは問いを呑み込み、ハンドルを握り直した。
 
フランソワーズの呼吸が微かに乱れている。
白い指が素早く目のあたりをはらった。
 
辛いんだ。そうだよね。
 
サトシは、きっときみを忘れる。
長い長い時間がかかるかもしれないけど、いつかきみを忘れて、他の人を愛するだろう。
きみが、どんなに彼を…愛しても、きみには、なすすべがない。
 
…本当に?
 
信号が赤に変った。
静かにブレーキを踏み、ジョーはため息をついた。
 
「ごめんなさい…ジョー」
「…うん」
「変ね…もう、会えないんだと思ったら、急に……」
「…うん」
「涙もろいのって、おばあちゃんの証拠かもしれないわね」
 
弱々しく微笑む彼女に、ジョーは懸命に微笑を返した。
 
きみは、おばあちゃんなんかじゃない。
きみは、彼の愛にふさわしい人だ。諦めないで。
 
こぼれそうになる言葉を押さえ込み、ジョーはぐっと唇をかみしめた。
 
…諦めないで。
 
諦めたら、きみは楽になれるのかもしれない。
でも、そんなきみはきみじゃない。
きみには、いつも光を目指して顔を上げていてほしい。
 
何も始まらないことを、僕は知っている。
きみが光を目指し、愛を求め、傷つくのを僕は見ているしかない。
 
それでも…僕は、きみを見ていたいんだ。
 
 
 
「お帰りなさい、ジョー…!」
 
弾む声と一緒に、フランソワーズが飛びついてくる。
その温かい体を抱きしめながら、ジョーは軽く目を閉じ、亜麻色の髪にそっと鼻を埋めた。
硝煙が立ちこめる闇の中で、ずっと、ずっと焦がれていた香り。
 
「ジョー、怪我はしていないの…?」
「うん…大丈夫だよ」
「よかった…イワンの作戦に間違いはないと思うけど…でも、心配だったわ…一人でなんて」
「そうだろうと思ったから、なるべく早く片づけてきたんだよ」
「…まあ!余裕ね」
 
家の中がなんとなくひっそりしている。
けげんそうなジョーに気づき、フランソワーズは僅かに頬を染めた。
 
「今日は、みんな留守なの」
「…そうか」
 
気を遣ってくれてる…ってわけだ。
 
仲間の思惑通りになるのは少々癪だったけれど、ジョーは素直に感謝した。
今夜は、ほんのひとときも彼女を手放したくない…と思っていたから。
 
 
すぐにでも寝室へ連れ込もうとするジョーをてひどく撥ねつけ、ゆっくりシャワーを浴びてきたフランソワーズは、ジョーがバスルームに入ったのを確かめてから、彼の部屋を訪れた。
手に、一本のシャンパンを抱えて。
バスルームから髪を拭きながら出てきたジョーは、そのリボンのついた瓶に目を丸くした。
 
「あれ…?フランソワーズ、飲んでなかったの?」
 
フランソワーズはくすくす笑った。
 
「あなたと一緒に開けたかったの…ね、乾杯しましょう?」
 
金色の液体を二つの華奢なグラスに注ぎ、軽く合わせる。
一口飲んでから、ジョーは優しくフランソワーズに尋ねた。
 
「舞台…どうだった?うまく、踊れたかい?」
「ええ…成功だったと…思うわ。まだまだだけど、今の私にできることは全部できたと思う」
「そうか…見たかったな」
「…すぐ寝ちゃうくせに…!」
「そんなことないよ…!その、少なくとも…きみが踊っているときには」
 
可笑しそうに笑うフランソワーズを僅かに目を細めて見つめる。
フランソワーズは空になったジョーのグラスに、二杯目を注いだ。
 
「いつも、ありがとう…嬉しかったわ…これ」
「…うん」
「もう、有名よ…あなたの贈り物」
「え…?」
 
ちょっとたじろぐジョーに、フランソワーズはいたずらっぽくシャンパンの瓶を振ってみせた。
 
「だって…フツウ、公演のとき届けられる贈り物って、花束でしょう?…このせいで、はじめはバレエ団の人達に誤解されたんだから…私がよっぽどの酒豪なんだろう…って」
「そう…か。ごめん…花の方が…いいのかな。やっぱり…」
 
それには答えず、フランソワーズは夢見るような眼差しで呟いた。
 
「夢のような舞台だった。上手な人ばかりで…特に、オーロラ姫…!あんな風に踊れたら、いいでしょうね…」
「…オーロラ姫?…なんていう舞台だっけ?」
「『眠れる森の美女』よ。オーロラ姫は主役なの…ホントに素敵だった」
「できるよ、きみにだって…いつか、必ず」
「ふふっ…ありがとう…そう言ってくれるの、あなただけよ…」
「…フランソワーズ」
「あ…ごめんなさい…そうよね…諦めないんだったわね…」
「…うん」
 
ジョーは片手でフランソワーズを引き寄せ、そのまま唇を重ねた。
ベッドに倒れ込む。
 
「ねえ…フランソワーズ」
「…え…?」
「…覚えてる…?」
「何…を?」
 
首筋に熱い唇が寄せられる。
フランソワーズは甘い吐息をもらした。
 
「向こうでね…懐かしい人に…あったよ」
「誰…?」
「当ててごらん…当てたら、許してあげる」
 
切なく喘ぐ彼女に愛撫の雨を注ぎながら、彼は優しく囁いた。
 
 
10
 
フランソワーズの口から、サトシ、という名はついに出なかった。
 
会った、と言っても、向こうは気づいていないだろう、とジョーは思った。
自分の方は姿が変っていないわけだから、気づかれてもおかしくない状況だったけれど。
 
あの出来事自体は、彼にとって忘れられるものではないかもしれない。
でも、あれから数十年の年月がたっている。
その中で、「009」の姿が記憶の彼方に押し流されてしまったとしても不思議ではない。
 
初老の紳士となった彼は、妻を伴っていた。
上品な物腰のその女性は、フランソワーズとは似ても似つかない、東洋人だった。
 
 
腕の中で眠りについたフランソワーズの髪を撫でながら、ジョーはぼんやり天井を見上げた。
やがて、そっとサイドテーブルのグラスに手を伸ばし、気の抜けたシャンパンを口に含んだ。
 
きみに、花束を贈ることは…できないんだよ、フランソワーズ。
一番贈りたい花が…もう僕にはないから。
 
僕にできるのは、ほんの束の間、きみを酔わせることだけ。
闇の中で、ほんの束の間、はかない幻を見せることだけ。
…それでも、僕は。
 
彼女の呼吸が微かに変った。
思わず髪を撫でる手を止めると、睫毛が震え、その奥から碧の瞳がのぞいた。
 
「…起こしちゃった…かい…?」
「……」
「ゆっくりお休み…少し、無理をさせてしまったね」
「…夢…見たわ」
「そう…いい夢だった…?」
 
フランソワーズは幸せそうに微笑んだ。
 
「ええ…オーロラ姫を踊っている夢…」
「そうか…よかった」
 
眠れる森の美女。
たしか、魔法をかけられて、時を止められたお姫様の話だ。
 
「王子さまと踊ったわ…最後の、結婚式の踊り…」
 
フランソワーズは甘えるようにジョーの胸に顔を埋めた。
胸が、微かに痛む。
可哀想な、フランソワーズ。
 
「もし…王子が」
「…え?」
「もし…もしも、王子が悪いヤツに負けてしまったら…オーロラ姫は眠ったままなんだろうか?」
「…ジョー」
 
フランソワーズはじっとジョーを見上げ、微笑んで首を振った。
 
「いいえ…あなたは…負けないわ。誰にも」
「…うん」
 
そうだね。
そうだよ、フランソワーズ、その通りだ。
僕は、負けない。誰にも。
 
…だから。
 
ジョーは飛び起きるように体を起こした。
シャンパンの瓶を掴み、残りを口に含むと、フランソワーズを抱き寄せて唇を重ねた。
そのまま彼女の口中に香り高い酒を流し込み、再び体を重ねていく。
 
だから、きみを酔わせてあげる。
きみに、幸せな夢を。
 
僕は、誰にも負けない。
きみを離さない。
目覚めさせない。決して。
 
きみはずっとここで…
時を止められた闇の城で、僕と暮らすんだ。
いつか目覚める日を…めぐりあう愛を夢見ながら。
 
せめて、幸せな夢をあげる。
だから、フランソワーズ…
 
僕を、許して。
 
 
更新日時:
2004.02.11 Wed.
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Last updated: 2013/8/18