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困る記念品

残照(本文)
 
003に恋人ができそうなんだよな、と話す002を、009はぼんやり見やった。
 
「お?はは、知らなかったのか?そーかショックだよな悪かった」
「どうしてきみがそんなこと?」
 
ジェットは昨日ニューヨークから着いたばかりだった。
 
「信用できないってか?ソースは004さ」
「…004」
「003がな、相談したんだってよ」
「…嘘だね」
「へ?」
 
009は002をとがめるように見た。
 
「そういう冗談、よくないよ…フランソワーズだって、アルベルトだって迷惑だ」
「なんで嘘なんだ?俺様を信じられないのか?ってまあ、信じたくないか、それもわかるがな」
「アルベルトが、フランソワーズに相談されたことを君に漏らすわけないじゃないか」
「…なに?」
「僕ごときに見破られるような嘘なんてつかないでくれよな」
「……」
 
ばたん、と居間のドアが閉まった。
 
「う〜む」
 
002は思わず腕組みし、唸った。
 
失敗だったか。
そうだよな。こんなんで焚きつけられるヤツなら、そもそも、もう少しどうにかなってるんだろうし。
 
 
 
002は結構しつこかった。
その後、003の恋人…というところまでいくかどうかは本当のところ、わからないんだけどな、と前置きしてから、彼は僕に結局言いたいことを全部話したのだった。
 
相手はフランス人の科学者。
BGに拉致されて働かされていたところを、僕たちに助けられた。
直接助けた覚えは僕たちにないんだけど、つまり僕たちが彼のいた基地をツブしたどさくさに紛れて脱出に成功した…らしい。
ただ、そのとき、ひどい怪我を負ってしまって、車いすの生活を余儀なくされている。
サイボーグ手術をすれば歩けるようになるんだけど、彼はそれを望まなかったのだという。
 
で、それがどうして003と結びつくのかというと。
彼の父親が、第一世代サイボーグの開発に当たっていたのだそうだ。
 
その人はもう他界している。
全てを捨ててBGに身を投じ、家族と連絡をとることも一切せず、最後まで研究所にこもって組織に忠誠を尽くした。
 
彼は、なぜか003に親切にしてくれた。
本当に、妹のようにかわいがっていたらしい。
だから、003も彼を慕っていた。
僕が生まれるよりずっとずっと前の話だ。
 
「あの島で彼女が笑ったのは、アイツといるときだけだったな」
 
002はしみじみ言う。
 
003が長い眠りから覚めたとき、その人はもうこの世にいなかった。
彼女はひどく悲しんで…後を追うんじゃないかと、002や004は心配したという。
 
で、その人の息子が…そういうわけで怪我をして。
彼の才能を惜しんだ彼の恩師が、手術についてギルモア博士に相談をもちかけた…とき、003もたまたまそこに同席していたとかで。
そんな話は聞いたことがなかったけど。
 
「写真で見ただけだが、似てたぜ…親子だから当たり前だけどよ。003が何も感じなかったとは思えないんだよな」
 
そんな、メロドラマみたいな話があるもんか。
グレートが書きそうだよな、こういう脚本。
 
僕はそれ以上このことを考えなかった。
でも。
 
数週間後、002と入れ替わるようにして、その人は本当にこの研究所に姿を現した。
サイボーグ手術を受けるために。
003が説得したのだという。
 
002は全部本当のことを言ったわけじゃない…んだと思う。
そんな、メロドラマみたいな話があるわけない。
 
でも、彼の話の一体どこまでが嘘で、どこまでが本当なのか。
僕は、だんだんわからなくなっていった。
 
 
 
よく考えてみれば当たり前だったのだけど、その人はもう中年といっていいぐらいの年齢だった。
002が、003の「恋人」なんて言うから、つい若い男を想像してしまった。
 
003は、かいがいしく彼の世話をし、話し相手になっていた。
僕も、仲間に入ることがあった。
 
彼の名前はロジェ。穏やかな人だった。
話題が豊富で、楽しい。
それに、何かにつけ、さりげなく細やかな気配りをしてくれる。
側にいるだけで、温かい人柄が伝わってくるような、優しい人だ。
 
サイボーグ手術といっても、ギルモア博士から見れば、ごく簡単なものだったようだ。
彼がそれを拒んできたのは…何よりも、罪の意識から。
自分が…そして、父親が犯した、大きな罪。
 
「私、ロジェに言ったの。たしかに、私たちを改造したあの人たちは、罪を犯したんだわ。でも…それはもう、取り返しのつかないことよ。だから、もし、そこから…少しでも誰かが幸せになるカギが見つかるのだとしたら…私は、そのカギを使ってほしい。彼は、自分の足のことしか言わないけど、彼の手術のデータが、また別の人を救うことになるかもしれないでしょう?」
 
003は、手術の日、明るい表情で僕に話した。
僕も、彼女の言うとおりだと思った。
 
「あの人が…ロジェのお父さんが、死んでしまったと聞いたとき…私も死にたいと思った」
「…フランソワーズ?」
「だって…ひどいじゃない?私は…死ねないのに…年を取ることもないのに」
「……」
「でも、なんだか…ロジェに会ったら、安心したわ。彼は、あの人に本当にそっくりよ…もちろん、同じ人ではないけど…人間ってね、命をつないでいくことができるんだなあって、思った。だから、あの人は、ロジェの中で今も生きているし…これからもずっと生き続ける…そうしたら…それなら私も、生きていていいのかな…って」
「…うん」
「手術、うまくいくといいな」
「大丈夫だよ…ギルモア博士だからね」
「…そうね」
 
死にたいと思った、なんて。
そんな風に微笑みながら、さらっと言えるきみはやっぱり強い。
 
それでいて、きみがつらかったとき、側にいることができなかったのを、歯がゆく思う。
どうせ、僕がいても…何もできなかったに違いないのだけど。
今と同じだ。
 
「ジョー」
「…ん?」
「私がいなくなったら…あなた、困る?」
 
不意打ちだった。
僕は黙ったまままじまじと彼女を見つめてしまった。
ふっと、彼女が笑った。
 
「ごめんなさい、何のことかわからないわね…あのね、ロジェには…小さい坊やがいるんですって…今、施設に預けられていて」
「…施設に?」
 
知らなかった。
でも、そう言われてみれば…そんなことがあってもおかしくない。
 
「彼…結婚してたのかい?」
「ええ…でも、BGに監禁されていた間に、奥さまが亡くなられて」
「それで…子供は、施設へ…」
「今度、5歳になるんですって。写真を見せてもらったわ…とても可愛いの。リュックって言うのよ」
「それじゃ、手術が終わったら、息子さんを引き取れるのかい?」
「そうするって、言ってたわ」
「そうなんだ…よかった…!」
 
つい、滑稽なくらい弾んだ声が出てしまった。それに、少しだけだけど、涙も。
ちょうど風が吹いてきたから、前髪をもてあましているようなふりをしてごまかした。
 
だって、僕にはその子の寂しさが…よくわかるような気がしたから。
そして、もし、あんなに優しいお父さんが、迎えにきてくれたら…どんなに…
 
「…私…手伝いに行こうかなあ…って、思ってるの」
「手伝い…?」
「私も小さい子供の世話なんて、どうしたらいいかわからないけど…でも、家事ぐらいならできるわ…ロジェの生活が落ち着くまで、できることがあるなら、したいと思うの」
「できること…って。彼のところで、その…家政婦になる…ってこと?」
 
003はにこにこしてうなずいた。
僕は、あっけにとられた。
 
「なんで…きみが、そんなこと」
「だって、フツウの家政婦さんを雇うのは…はじめのうちは難しいんじゃないかしら…体のこともあるし」
「……」
「私なら、足のメンテナンスのお手伝いもできるし…それに、事情をよく知っているわ。よけいな気を遣うこともないでしょう?彼がリュックのいいお父さんになるには…大変なことも多いと思うの…だから」
「でもきみが、そこまですることないんじゃないか?」
 
つい、かぶせるように言ってしまった。
フランソワーズは、時々僕をびっくりさせる。
まさか、本気でそんな突拍子もないこと…でも。
 
「そう…っか。そうよね…ちょっと、やりすぎかな?」
 
彼女は肩をすくめて笑った。
なんだか、寂しそうな笑顔に見えた。
 
 
 
手術は成功して、ロジェはフランスへ帰った。
しばらくして、彼から招待状が届いた。
 
正確に言うと、定期メンテナンスのためなんだけど…
彼は、それを新しい家庭へ博士を招待する、という形にした。
一緒に暮らし始めた、リュックという彼の小さい息子さんへの配慮だったのかもしれない。
 
001を006に預けて、003と僕も博士に同行した。
彼の家は、静かな田園地域にあった。
 
ロジェは、見違えるほど明るい表情になっていた。
リュックも、元気なかわいい男の子だった。
僕ともよく遊んだけど…003にはもっと懐いて、どこに行くにもついて回るようになっていた。
 
メンテナンスは順調に進んだ。
そして、一週間の滞在期間が終わって、明日日本に帰ろうという日。
僕は、博士に頼まれた用事を町ですませ、のんびり歩いて帰ってきた。
辺りはきれいな夕焼けにそまっている。
 
家が近づいてくると、ロジェと003が忙しそうに出たり入ったりしているのが見えた。
そういえば、お別れのパーティは庭でやるんだよ、と、リュックが嬉しそうに言ってたっけ。
 
大きな皿をもって出てきた003に、リュックが飛びつこうとして、家の中からロジェに叱られている。
僕は笑いながら手を振った。
 
「リュック!おみやげもってきたよ!」
「わあ…!」
 
走ってきたリュックに、町で買ってきたオレンジの包みを渡した。
「すっげー!」
「こら…!すっげーじゃなくて、すごい、だろ?フランソワーズに叱られるぞ」
 
何度か、彼女が彼の言葉遣いを直そうとしていたのを思い出して、僕はちょっと脅かすように言った。
リュックの笑顔がふっと消えた。
 
「…ぼくが、いいこじゃないから…おねえちゃん、いっちゃうのかな…」
「…リュック?」
「ジョー、お疲れさま…まあ、おいしそうね…!あら?」
 
スカートの裾にぎゅっとしがみついて、顔をうずめてしまったリュックに、003は首をかしげた。
 
「きみと離れるのが…寂しくなっちゃったんだよ、リュックは」
「…リュック」
 
彼女はそっとリュックの背中に両腕を回して、抱きしめた。
胸が…熱くなった。
 
僕は、夕暮れが嫌いだ。
わけもなく、泣きたくなるから。
 
いや…わけなら、あったんだ。
僕はきっと、こんな風に抱きしめてくれる腕が欲しかった。
何も聞かず、ただ抱きしめて…涙を拭いてくれる優しい手が。
 
でも、それは…どんなにほしがったところで、手に入らないんだということも、僕は知っていた。
だから、僕は夕暮れが嫌いになった。
 
「フランソワーズ、鍋はこっちのでいいかい…?」
 
庭に出てきたロジェは、堅く抱き合っている003とリュックの姿に息を呑み…その場に立ちつくした。
彼は二人を見つめ…僕を見つめた。
僕も、動けなかった。
 
 
僕は…夕暮れが嫌いだ。
 
どうせ夜になるなら…早くなればいい。
闇は、何もかも隠してくれる。
美しいものも…優しいものも…悲しいものも、全て。
 
 
 
リュックは、それからひとときも彼女から離れようとしなかった。
パーティが終わると彼女にしがみついたまま泣き出し、行かないで、と繰り返し…やがて、泣き疲れて眠ってしまった。
 
リュックを寝かしつけてから、003はようやく居間に戻ってきた。
彼女が何を言い出すか、僕には大体見当がついていた。
そして、彼女はやはりそう言った。
思い詰めた表情で。
 
「私…もう少し、ここに残っては…いけないでしょうか」
 
沈黙が落ちた。
ロジェは堅く唇を結んでいる。
何かに、耐えるように。
 
沈黙を破ったのは、ギルモア博士だった。
 
「003、君の気持ちはよくわかる…が、結局それは本当の解決にならんのじゃ…いずれリュックとは別れねばならん…かわいそうじゃが、これはリュックが自分の力で乗り越えなければならない寂しさなんじゃよ」
 
そうかもしれない。
でも。
その寂しさを乗り越えることなんて、本当はできない。
僕は…知っている。
 
僕は、何も知らずに育った。
母親の温かさを。
でも、リュックは。
 
一度与えられたものを奪われるのと、一度も与えられないのと、どちらがより残酷か…なんて、考えても仕方のないことかもしれない。
でも……
 
「誰でも、いつかは別れなければなりません」
 
不意に、ロジェが口を開いた。
 
「出会った者は…いつか、必ず」
「…ロジェ…?」
「ギルモア博士、ジョー…身勝手だということは、十分に承知しています…でも」
 
ロジェはぱっと顔を上げて、僕を見た。
まっすぐな視線にたじろいだとき。
彼は、言った。
 
「フランソワーズを、しばらくの間…私に預けてくれませんか?」
「…預ける…?」
 
ギルモア博士が首をかしげた。言葉の意味を計りかねたのだろう。
でも、言葉なんて、どうでもいい。
僕は、彼の言いたいことを一瞬で理解した。
 
「しばらくの間…というのは…私の命がある間…とお考えになってください」
「ロジェ…その…それは、つまり…?」
 
ギルモア博士は狼狽していた。
僕は思わず003を見やった。
彼女は大きく目を見開いて、ロジェを見つめていた。
 
「でも、ロジェ…私は…!」
「そうだよ、僕は無茶を言っている。でも、わかってほしい、フランソワーズ…僕にはきみが必要だ。リュックにも。きみでなければ駄目なんだ。方法は、これからゆっくり考えよう。それがどんなに難しいことでも、二人で一緒に考えて…乗り越えていこう」
「ちょっと、待ってください!」
 
やっと声が出た。
体が震えている。
僕は、混乱していた。
 
「二人で…乗り越える、なんて…どうしてそんなことを簡単に言えるんですか?あなたはフツウの人間だ…!サイボーグ手術といっても、精巧な義足をつけたのと変わらない…彼女とは違う!」
「…ジョー」
「あなたも、リュックも、いつかは彼女を置き去りにしてしまうんですよ!それがわかっていて、どうしてそんな…!」
「…ジョー、待って…!」
「あなたは、勝手だ。それに、卑怯だ!リュックの思いを利用して…いや、それだけじゃない、あなたはお父さんの…」
「009!」
 
張りつめた厳しい声に、我に返った。
碧の澄んだ瞳が、燃えるような光を放っている。
 
僕は、彼女のそんな目を…それまで、見たことがなかった。
怖いくらい、美しい目だった。
003は、静かにロジェに向き直った。
 
「ロジェ…それは、無理よ」
「フランソワーズ」
「私だって、そうできたら…あなたの言うとおりにできたら、どんなにいいだろう…って、思うわ」
 
何も見えなくなった…気がした。
僕は、暗闇の中で、ただ彼女の声をたどるように追いかけていた。
 
「でも…私はあなたに迷惑をかけてしまう…リュックにも」
「フランソワーズ、それは」
「ありがとう、ロジェ…でもね、リュックのことを考えてあげて…私、リュックは…自由にしてあげたい」
「自由…に?」
「私から……ううん、あのひとの…罪…から」
「…フランソワーズ」
 
ロジェは絶句したように口を噤んだ。
ギルモア博士も、みじろぎもせず、うつむいていた。
そして…僕は。
 
「だから、もう少し…もう少しだけなの。私をここに…あなたの側に置いてほしい。あなたが、あなたにふさわしい…リュックのお母さんにふさわしい人とめぐりあえるまで…それまで、私を…」
 
不意に、僕の脳裏にさっき見た夕焼けが広がった。
優しい腕がそっと抱きしめるのは…いつも。
いつも…僕ではない。
 
そうなのか、フランソワーズ!?
 
そう問いつめればよかったのかもしれない。
行かないでくれと泣きながら彼女を抱きしめればよかったのかもしれない。
リュックのように。
僕も…彼と同じ、寂しい子供にすぎなかったのだから。
 
翌日、僕は、ギルモア博士と一緒に日本へと発った。
003をその家に残して。
 
 
 
研究所には、004がいた。
メンテナンスのために、戻っていたのだった。
 
003がロジェのところに残った…と聞いても、彼は特に顔色を変えなかった。
もしかしたら、僕にそうと気付くだけのゆとりがなかっただけかもしれないけれど。
 
そのころのことを、僕はきちんと思い出すことができない。
毎日何をしていたのかとか…何を食べたかとか…いつ眠ったとか。
 
僕は、ただ…ひたすら、海の向こうに焦がれていた。
それが、生きることの全てだった。
 
オマエは彼女を愛していたんじゃなかったのかと、僕に詰め寄った仲間もいたらしい。
それに対して、どんな返事をしたか…覚えていない。
それどころか、そんなことを問われた記憶すらない。
 
何をしていても、霧の中を歩いているようにしか感じなかった。
僕が、はっきり自分を取り戻すのは…一日に一度だけ。
真っ赤な夕焼けが海と空を染める…そのときだけだった。
 
僕は、毎日、陽がすっかりおちてしまうまで、海岸に立っていた。
赤く染まった海と空と…その彼方とを見つめていた。
辺りが、闇に閉ざされるまで。
 
そんな日々は…実は、それほど長く続いたわけではなかったのかもしれない。
とにかく、そうやって夕焼けを見つめている僕に話しかけたのは、004だったのだ。
 
「いつまで…そうしているつもりだ?」
 
いつまで…?
 
僕は、ぼんやりと振り返った。
 
いつまで…だろう。
彼女は、戻ってくる…と言った。
戻ってくるしかないから。
でも、それは…いつなんだろう。
 
「あいつは…過去にとらわれている」
「…アルベルト…?」
「もっとも…俺たちは、そうやって生きるしかないのかもしれないが…」
「……」
「ロジェの父親はな、彼女の…たぶん初めての…男だった」
 
彼の言葉の意味を理解するまで、数秒かかった。
わけのわからない衝撃と一緒に、急に頭の中から靄が晴れていくような気がした。
004は、僕の目をじっと見つめながら言った。
 
「彼は、003を愛していた。おそらく…彼女も、彼を愛した」
「…アルベルト」
「だが、それが…何になる?どんなに愛し合ったとしても、どうにもならない。あの島を出ることはできなかった。いつか出ようと思ってはいたのかもしれない。脱出計画を最初に考え始めたのは…彼だったのだから」
「なん…だって?」
「001が後から教えてくれた。結局、彼がひそかに計画を練り始めたところで、急遽サイボーグ計画は凍結され、俺たちは冷凍処理されたから…実現はできなかったが…な」
「003は…フランソワーズは、そのことを…?」
「知らないだろう。002も…博士も知らない。知っているのは001と俺と……お前だけ…ってことだな」
 
004は僕の両肩を強くつかんだ。
 
「もし、脱出できていたら…あの二人は、きっとどこか…静かな田舎ででも暮らしたんだろう…もしかしたら、子供にも恵まれたかもしれない」
「…アルベルト」
「オマエが見てきたのは…そんな光景だったんじゃないのか?」
 
穏やかな風景。
小さな家。
愛する人の笑顔と…天使のような子供と。
 
「だが、それは幻だ。彼女が愛した男は死んだ。そして、彼女はまだ生きている」
「アルベルト…?」
「俺には、どうしてやることもできない…俺も、過去にとらわれて生きるより術のない人間だ。だが…彼女には、オマエがいる…違うか、009?」
「…僕…が?」
「アイツを抱きたいと思わないのか?…彼が…ロジェの父親がしたように」
 
熱いものが喉元にこみ上げてくる。
すさまじいまでのその勢いに、僕は思わず両手で口を覆い、うめき声を上げていた。
 
抱きたいとは…思わないのか?
 
突然、狂おしい思いが奔流のように僕に襲いかかった。
 
そうだ、違う。
僕が、欲しかったのは…夕焼けの中で優しく抱きしめてくれる腕じゃない。
そうじゃ、なかった。
 
僕が、欲しかったのは…闇の中でうねるきみの体だ。
柔らかい、熱い、やさしいきみ。
その中に僕を埋め込んで、抱きしめて。
きみの吐息を…僕を呼ぶ声に酔いしれて。
 
与えられたかったんじゃない、奪いたかったんだ。
そうだ…だったら…!
 
僕は、夢から覚めたような目で004を見た。
 
…のだと、彼は後で笑った。
本当に…手がかかる坊やだと。
 
 
翌日、僕は誰にも言わず、研究所を後にした。
あの家に向かって。
 
与えられたかったんじゃない。奪いたかったんだ。
だったら。
 
もう、何も怖くなかった。
彼女が誰を見つめていても…僕を拒んだとしても。
僕は、もう待っていなくていいんだから。
 
フランソワーズ。
きみが欲しい。
早く、この腕にきみを抱きたい。
 
もう、何も怖くない。
僕はただ、きみをつかまえるまで…きみに追いつくまで、走るだけなんだ。
追いつけなくてもかまわない。僕は走り続ける。
この命が、尽きるときまで。
 
 
 
009が差し出した写真を受け取り、003は嬉しそうに微笑んだ。
 
「まあ…リュック、こんなに立派になったのね…」
「大学生になるそうだよ」
「お父さんにそっくりじゃない…?」
「…そうかな?」
 
009は003の手からそっと写真を取り上げ、テーブルに置いた。
撫でるように軽い口づけをひとつ、彼女の頬に落としながら。
 
「ねえ、ジョー…私…私ね、あなたに話していないことが…あるの」
「…なんだい?」
「ロジェの…お父さんのことよ」
 
思い詰めたように顔を上げた003は、009の表情に瞬きした。
彼は、笑いを押し殺しているように見えた。
 
「ジョー…真面目な話なの…聞いて」
「うん…聞くよ…でも」
「…でも?」
 
いきなり抱き上げられ、003は小さい悲鳴を上げた。
 
「昔話の前に…してもらいたいことがあるんだ」
「ジョー、ちょっと…おろして…!」
「何週間ぶりで帰ってきたと思うんだい?ずっと…君のことばかり考えていたんだよ」
「嘘ばっかり…冗談はやめて…ジョーったら…!」
「いいから…たまには言うこと聞いてくれよ…ね?」
「たまには…って、あなた、いつだって…!」
 
続く言葉を唇でふさぐ。
 
そう、いつだって…きみは僕のものだ。
 
「ジョー…イヤよ…お願い、聞いて…私……」
「終わったら聞くよ…いいからもう黙って」
「…あ…ン…もう…!」
 
別に聞いたってかまわないよ。いくらでも聞こう。
君の…昔の恋の話。
でも、その前に僕を受け止めて。
 
「ダメ…夕ごはんの支度…しなくちゃ…」
「…いらないから、そんなの」
 
もがく彼女を抱きしめながら、どこかの母親が子供を呼んでいるのを、009は遠く聞いていた。
外は美しい夕焼けに染まっている。
 
寝室にも夕日が差し込んでいた。
美しい瞳にわずかな抗議の色を浮かべる恋人を投げ出すようにベッドに横たえ、彼は無造作にカーテンを引いた。
上着を脱ぐのももどかしく覆い被さり、白い胸を開く。
そっと顔を埋めると、切ない吐息が暗い部屋を満たした。
 
…夜が来る。
 
きみが咲く。闇の中で。
僕の腕の中で。
 
欲しいものは全部夜の中にある。
僕の腕の中に。
 
フランソワーズ、君も…そうだろう?
 
だから、僕はもう…夕焼けを見ない。
 
どこまでも歩いていこう、闇の中を。
それが、僕たちの今なのだから。
何も恐れなくていいんだ、フランソワーズ。
 
僕たちの行く手には、朝が待っているから。
どんなに遠くても、必ず…それは待っているのだから。
 
 
更新日時:
2004.08.16 Mon.
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Last updated: 2013/8/18