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  1   わかれ(2006)
 
 
勧酒   干武陵
 
勧君金屈巵
 
満酌不須辞
 
花発多風雨
 
人生足別離
 
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 
 
井伏鱒二『厄除け詩集』より
 
 
 
 
 
少年が大事そうに差し出したのは、クリスタルカットのウィスキーグラスだった。
 
「これ…ジャッカの宝物だった。ピュンマにもらったものだ…って言って。だから、返すよ」
「…そうか。ありがとう。でもこれは…そうだな、お前が持っていろ」
「…え」
 
ピュンマは微笑した。
 
「オマエはジャッカの遺志を受け継ぐ男になるんだろう?だったら、俺はオマエにそれを贈り直すよ」
「で、でも…」
「オトナになるまで、大事にしまっておいてくれ。いつか、オマエと一緒にそれで酒が飲める日がくるのを楽しみにしている。ジャッカとそうしたようにね」
 
少年はこわごわ、両手でそっと確かめるようにグラスを握り、うなずいた。
 
「楽しみに…じゃなくて、約束だよ、ピュンマ!」
「……」
「ピュンマは、帰ってくるんだよ!この村に!僕、待ってるから…立派な男になって待ってる!」
「……」
 
ピュンマは返事をしなかった。
また微笑し、少年の両肩をしっかり握りしめるように抱いた。
 
「…さようなら」
「ピュンマ!」
 
ごめん、と心でつぶやく。
 
君に嘘はつけない。
戻る約束はできないんだ。
だから、さようならだ。
 
 
 
「日本とは、どういうところだ?」
 
問われて、ふと考え込んだ。
日本に行くというよりは、仲間の許に行く…と思っていたのだ。
が、もちろん仲間のことをこの男に話すわけにはいかない。
たとえ、無二の親友であっても。
 
「島国だからね。海の印象が強いな…それから、季節の変わり方もスゴイ。夏と冬では全然違う国にいるみたいだよ。今は…そうか、桜の季節だな」
「サクラ…?」
「ああ。木に咲く花でね。コワイくらいきれいなんだ」
「大きい花なのか?」
「いや。ひとつひとつは小さいんだけど、それが枝にびっしり、雲みたいになって咲くのさ…うすいピンクのね…日本人はその花がずいぶん好きらしい。どこにでも植わっている。それは見事なものだよ」
「…そうか。ひとつひとつは小さくても…」
「…ジャッカ」
 
親友の黒い瞳に、強い意志の光が宿るのを、ピュンマはじっと見た。
彼の心に今去来する思いが手に取るようにわかる。
 
「そして、寿命の短い花でもある」
「……」
「ひとつ嵐がくると、あっというまに散ってしまう。だから、日本人はその花を愛することに異様なくらい執着するんだ。花は散るから美しい…っていうのが彼らの口癖だな」
「なぜだ?」
「え?」
「なぜ、散ることが美しい?」
 
射るような視線を向けられ、ピュンマは軽く唇を噛んだ。
彼をごまかすことはできないということは、始めからわかっていたような気がする。
仲間のことを話せなくとも、自分の本当の思いは彼に話さなければならない…話したいと思っていたことに、ピュンマはふと気付いた。
 
「…散ること自体が美しいんじゃないと…思う。古い花は散っても、また次の年には新しい花が必ず咲くんだ。みんな、それを信じている。自然と約束している…っていうのかな」
「約束、か」
「うん。また生まれ変わって会おう、という約束だ。それを信じることが美しいんだと、僕は思っている。ひとつひとつの命は有限でも、生まれ変わりつながる命は永遠だ。永遠だと…僕は思いたい」
「…そうか。わかった」
 
ジャッカは低くつぶやき、目を閉じ…また開いた。
 
「だが、まだオマエは死ぬな、ピュンマ」
「……」
「また会おう。俺にはまだ、オマエと語り合いたいことがたくさんある」
 
 
 
ドルフィン号に戻ったのは、もう夜も更けたころだった。
事件が終わり、明日の出発に控えて仲間達は眠っているだろう。
案の定、艦内はひっそりとしている。
 
足音を忍ばせて仮眠室に入る。
二段ベッドのハシゴに足をかけながら、ピュンマはふと眉を寄せた。
この…ニオイは。
 
「ジョー。君は未成年なんだろ?フランソワーズに言いつけるぜ」
 
下のベッドに声をかけると、毛布がもぞ、と動き、栗色の頭がのぞいた。
 
「堅いこといわないでくれよ、ピュンマ…君も一杯どう?一人で飲むにはもったいないなあって思っていたんだ」
「…しょうがないヤツだな。二日酔いでドルフィンを操縦するつもりかい?」
「それほどの量じゃないよ」
 
ジョーはもうすっかり起き上がっている。
人懐こい視線にピュンマは思わず苦笑し、ハシゴから降りると、彼の隣に腰をおろした。
 
「…って、なんだ、グラスもないのか?」
「贅沢言わないでよ…おいしいんだから」
 
ジョーが屈託なく差し出したスコッチの小瓶をあきれ顔で受け取る。
一口含んでみると、たしかに、かなり上等の酒だ。
 
「なあ、これ、ホントに君のなのかい?グレートあたりからくすねたんじゃ…」
「いやだな…昔の僕じゃないんだからさ」
 
昔の君、か。
結構な「ワル」だったと聞いたことがあったっけ。
こうしてみていると、育ちのいいおとなしい坊やなんだけどな。
 
その坊やがぽつりと言う。
 
「ごめん、ピュンマ」
「……」
「彼を…死なせてしまった」
「君のせいじゃない」
 
そう言うしかない。
ピュンマはうつむくジョーを鋭く見やった。
この少年の優しさを、彼はよく知っている。
だからこそ、強く言っておこうと思った。
 
「君のせいじゃない。君が防げることではなかった」
「…違う」
「違わないさ。それとも、君は自分なら何でもできると思っているのかい?」
「思っている」
 
きっぱりと言い、またうつむく少年を、ピュンマは痛ましげに見つめた。
 
「思い上がりだ、ジョー」
「わかってる。でも、僕は……009だから」
 
それきりジョーは黙り込んだ。
ピュンマも目を落とし、手の中の小瓶をそっと握りしめた。
 
 
 
「なぜ、散ることが美しい?」
 
最期まで誠実に生きた友の言葉を、ピュンマは心で何度も繰り返した。
 
そうだ。
散ることは、美しくない。
君の言うとおりだよ、ジャッカ。
 
でも、僕は…
僕は、それを見届けなければならないのだろう。
それが、力を与えられた者の宿命なんだ。
 
君たちの生を僕は見届け、見送り…そして、伝える。
信じてほしい、生きることは美しいのだ…と。
遠い未来の君たちへ。
 
 
不安げなフランソワーズに大丈夫だ、と目で合図し、ピュンマはトレイにグラスと氷、それからウイスキーの瓶を並べた。
先週、研究所をふらりと出て行き、数日前になってふらりと帰ってきたジョーが、それきり部屋にこもって出てこない。
 
「でも…お酒なんて。ジョー、食事もしていないのよ」
「もちろん、コレは彼を引っ張り出すためのモノにすぎないさ。あとは、君があったかいおいしい料理をこしらえてやってくれればいいよ」
「…でも」
「大丈夫。僕たちに彼の気持ちはきっとわからないけど…でも、大丈夫だよ、フランソワーズ」
 
 
たとえそれが宿命でも。
だからたやすくできるというわけではない。
 
僕たちはあとどれくらい愛しい者たちを見送り、悲しむのだろう。
それが僕たちの生そのものだと知りつつ、いつまで耐えることができるだろう。
 
つらいね、ジョー。
でも、君は一人ではない。
君が一人なら、僕も…僕たち九人も、みんなひとりぼっちになってしまうだろう?
 
 
 
閉ざされた扉をノックする。
もちろん、返事はない。
 
「ジョー。俺だ…うまい酒があるんだが、一緒にどうだい?…開けてくれないか」
 
沈黙。
少し間をおいてから、ピュンマは深呼吸して、言った。
 
「実は、中東で気になる動きがある。明後日、とりあえず004と二人で行ってみることにしたよ」
 
わずかに空気が動くのがわかった。
もう一押しだ!
 
「つきあえよ、ジョー。下手をすると君、後で一生悔やむことになるぜ。なぜあのとき、ピュンマと一緒に飲まなかったんだろう…って。あれが最期になるなら…」
「最期なもんか!」
 
怒声とともに、勢いよく扉が開く。
にっと笑うピュンマに、ジョーは軽く唇を噛んだ。
 
「どうして、話してくれなかったんだ、そんな大事な…」
「聞こうとしなかったのは君だぜ?」
「冗談じゃない、僕は…」
「じゃ、聞くんだな?…入れてもらうぞ、ジョー」
 
さっさと入り込み、まだ戸口で呆然としているジョーを目で促した。
しぶしぶ座った彼に、ピュンマはグラスを差し出し、朗らかに言った。
 
「さあ、まずは俺の杯を受けてもらおうか」
「僕は、未成年だよ」
「何言ってやがる」
 
笑い飛ばすと、ようやくジョーの頬に微笑めいたモノが浮かんだ。
 
 
悪いな、ジョー。
いつか僕を見送るのは、きっと君の役目なんだろう。
だから、今は。
 
乾杯しよう、友よ。
やがてくる、別れのために。


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