1
遊園地に行きたい、と言い出したのはマサルだった。
ジローも一緒に、と彼は言い張った。
ヨーロッパへの出立を翌週に控えた週末のことだった。
光明寺は、行ってきなさい、とミツコに言った。
自分は既に長旅に耐えられるほどの小康を得ている。一日ぐらい一人で過ごせるし、当面の敵も今はいない。
それに、イチローもいればリエコさんもいる。
「やったぁ!すっげー楽しいんだぜ、ジロー!」
はしゃぐマサルに、ジローも嬉しそうにうなずいた。
「きっとそうなんだろうね…楽しみだな…ね、ミツコさん?」
「…え、ええ」
どことなく浮かない顔のミツコに、ジローは首をかしげた。
「あ…ごめんなさい、ちょっとぼんやりしただけなの…ええ、楽しみだわ」
マサルは興奮気味に遊園地の楽しさをジローに語った。
ジローもすっかり話につり込まれているようだった。
「すごいなぁ…!マサルくん、ホントかい?」
「もちろんさ!こーんな高〜いところから、ガーッって滑り落ちるんだぜ!」
「ソレのな〜にが面白いんだぁ?」
おおっぴらに欠伸してみせながら、イチローが嘲笑った。
「兄さん…!」
とがめるようなジローに舌打ちすると、イチローはソファから立ち上がった。
「ま、お前は人間のフリが好きだからな、ジロー…せいぜい楽しんできな…俺はまっぴらだけどよ」
「誰も兄さんに来いだなんて言ってないじゃないか」
「うるっせえな!」
イチローはドアを乱暴に閉めると、足音荒く去っていった。
「…ねえ、ジロー?」
「うん?」
「もしかして…イチローも行きたかったのかな?」
「…まさか」
2
日曜日は快晴だった。
遊園地に着くと、マサルはすっかりはしゃぎ、ジローを引きずるようにして方々走り回った。
飛行機、メリーゴーランド、ジェットコースター……
「ねえ、すっごいだろ、ジロー?」
「うん。すごいねえ…」
「お姉ちゃん、お腹すいたよ〜!お弁当は?」
「そうね…もうお昼よね」
「やったあ!」
芝生の広場で弁当を広げると、マサルはまた歓声を上げた。
「うまそー!お姉ちゃん、これ全部作ったの?」
「リエコさんにも手伝ってもらったわ」
「いっただきまぁ〜す!」
さっそくサンドイッチをほおばったマサルは、ハッとジローを振り返った。
ジローは興味深そうにランチボックスをのぞき込んでいる。
「あ…ご、ごめん、ジロー」
「うん?」
「ジローは…食べられないんだよね」
「うん。気にしなくていいよ…見てるだけで楽しいから。ミツコさん、料理が上手なんだね」
「あ、ありがとう…」
お腹がいっぱいになると、マサルはまたそわそわし始めた。
「ジロー、ゴーカートに乗りに行こうよ」
「うん…でもちょっと待って。ここを片づけなくちゃ」
「いいわよ、ジロー…行ってらっしゃい」
「でも、ミツコさん、一人じゃ大変だし」
マサルはしばらく瞬きしてから、元気に言った。
「僕、一人で行ってくる…!いいだろ、お姉ちゃん?」
「え…でも迷子に…」
「ならないよ…!二人ともここにいてくれれば」
「…仕方ないわね」
やったー!と駆け出していくマサルを見送り、ミツコは苦笑した。
「あの子ったら…」
「楽しそうだね、マサルくん…来てよかった」
「…本当にそう思う?」
「え?…だって…マサルくん、今までずっと、いろいろ心配したりコワイ思いをしたりしてきたから…ああやって笑ってるのを見ると嬉しいよ」
「マサルのことじゃないわ…あなたよ、ジロー」
「…僕?」
ミツコは、うつむいたまま言った。
「ホントに…楽しい?」
「もちろん。どうしたの、ミツコさん?」
「それなら…いいけど」
ジローは何となく慌てた。
「イチロー兄さんが言ったことを気にしてるの?たしかに、僕たちにはスリルが足りないといえば足りないけど…でも、だから楽しくない、なんてことはないよ…それに」
「『マサルくんがあんなに楽しそうにしてるんだし』?」
「…う、うん」
「優しいのね、ジローは」
「…ミツコさん」
ジローが途方にくれた表情になったのに気づき、ミツコは微笑んだ。
「ごめんなさい、ヘンなこと言って…」
「ミツコさんは、楽しくないの?」
「そんなことないわ…ただ」
「…ただ?」
じっと見つめられ、ミツコは思わず目を伏せた。
どう説明したらいいかわからない。
でも…
でも、あとほんの数日で、私たちは別れなければならない。
二度と会えるかどうかも…わからないのに。
「私、今日はね…あなたがしたいことを…させてあげたいと思っていたの」
「僕が…したいこと?」
「もう、私はあなたに何もしてあげられない…だから」
「…ミツコさん」
「こうしていると…生まれたときから、あなたと一緒にいたような気がするのに」
ジローははにかむように微笑んだ。
「僕は、生まれたときからミツコさんと一緒だった」
「…!」
「でも、これからは…違うね」
「ジロー…」
ジローは、またにこっと笑い、それきり口をつぐんだ。
黙々と片づけを続ける彼を、ミツコも黙って見つめていた。
3
旅客機はシベリアの空を飛んでいた。
目を閉じると、あのギターの音が微かに聞こえてくる。
ミツコは、眠れなかった。
さようなら…ジロー。
何度目になるかわからないつぶやき。
こうするしかないのだということはよくわかっている。
彼には、日本でしなければならないことがある。
…でも。
しなければならないこと…
それを彼に負わせたのは、誰だったのか。
許して、と言うことすらできない。
彼は誰を責めようともしなかったから。
彼はただひたすら作られた自分として、負わされた運命を受け入れて生きようとしているだけなのだ。
何か、彼にしてやれることはなかったのだろうか。
自分は、どうすればよかったのだろう。
彼は…彼自身の望みは何だったのか。
もし、あるとするなら…
「僕が…したいこと?」
ふと、あのときの彼のつぶやきがよみがえる。
どこか放心したような…ただミツコの言葉をなぞるだけのつぶやき。
したい…こと…?
あっと声を上げそうになった。
そう…だわ。そうよ。
ジローが「したいこと」を求めたことがあった。
たった…たった一度。
でも、それは。
ミツコは堅く唇を噛んだ。
「ロボットのジローが人間のお前さんを愛したとしても……お前さんにはその愛は受け入れられない。同情などなんの役にも立たない…」
あのコウモリ型ロボットの嘲り。
咄嗟にわき上がった熱い想い。
そんなことはないわ!
もし、ジローが愛してくれるなら…私だって…!
ああ…本当に?
その答は、今もまだ出せない。
出せないでいる私を、ジローは知っている。
「笑わせちゃいけないぜ、お嬢さん!人間に機械は愛せない!」
本当に?
「さようなら、ミツコさん」
寂しい微笑。
全てを諦め、運命に向かおうとする後ろ姿。
違う…違うのよ、ジロー。
まだ言わないで。
さようなら、なんて言わないで…!
「…ミツコ?眠れないのか?」
「お父さん…?」
光明寺はどこか悲しげに娘をじっと見つめ…
やがて、目を閉じた。
「私のことは…いい」
「…え?」
「お前は、帰りなさい」
「お父さん…何を?」
「いつか…」
いつか…あの子のもとへ。
4
さようなら、ミツコさん。
ギターを弾く手を止め、最後の音色が消えるのを確かめながら、ジローはつぶやいた。
何度目になるかわからない。
僕は、大丈夫。
しなければならないことをする。
ちゃんと、やりとげるから。
だから、ミツコさんは何も心配しないで。
さようなら。
何度言えば諦められるのだろう。
諦めているつもりなのに。
また繰り返してしまう。
さようなら。
さようなら、ミツコさん。
さようなら。
「私、今日はね…あなたがしたいことを…させてあげたいと思っていたの」
僕が…したいこと。
それは、たったひとつ。
「もう、私はあなたに何もしてあげられない…だから」
わかってる。
でも、ミツコさんのせいじゃないから。
それは「してはいけないこと」なんだ。
僕のジェミニィは、僕にそう告げる。
ミツコさんが守ってくれた…僕のジェミニィ。
ミツコさんは言った。
コレがあるから、僕は僕なんだと。
ミツコさん。
僕は、生まれたときから、あなたと一緒だった。
そして、あなたが守ってくれたジェミニィは、まだ僕の中にある。
二度とあなたに会えなくても。
僕は、ミツコさんを信じている。
いつか、本当に諦められる日がくる。
僕が、完全な僕になるとき。
「してはいけないこと」を望まない僕になれるときが、きっとくる。
ミツコさん。
僕は、あなたが望んだ完全な僕になってみせる。いつかきっと。
だから、ミツコさんも、僕を信じて。
それまで、僕は言い続けるんだ。
何度でも。
さようなら。
さようなら、ミツコさん。
さようなら。
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