仮設キカイダー

別離
 
 
遊園地に行きたい、と言い出したのはマサルだった。
ジローも一緒に、と彼は言い張った。
ヨーロッパへの出立を翌週に控えた週末のことだった。
 
光明寺は、行ってきなさい、とミツコに言った。
自分は既に長旅に耐えられるほどの小康を得ている。一日ぐらい一人で過ごせるし、当面の敵も今はいない。
それに、イチローもいればリエコさんもいる。
 
「やったぁ!すっげー楽しいんだぜ、ジロー!」
 
はしゃぐマサルに、ジローも嬉しそうにうなずいた。
 
「きっとそうなんだろうね…楽しみだな…ね、ミツコさん?」
「…え、ええ」
 
どことなく浮かない顔のミツコに、ジローは首をかしげた。
 
「あ…ごめんなさい、ちょっとぼんやりしただけなの…ええ、楽しみだわ」
 
マサルは興奮気味に遊園地の楽しさをジローに語った。
ジローもすっかり話につり込まれているようだった。
 
「すごいなぁ…!マサルくん、ホントかい?」
「もちろんさ!こーんな高〜いところから、ガーッって滑り落ちるんだぜ!」
「ソレのな〜にが面白いんだぁ?」
 
おおっぴらに欠伸してみせながら、イチローが嘲笑った。
 
「兄さん…!」
 
とがめるようなジローに舌打ちすると、イチローはソファから立ち上がった。
 
「ま、お前は人間のフリが好きだからな、ジロー…せいぜい楽しんできな…俺はまっぴらだけどよ」
「誰も兄さんに来いだなんて言ってないじゃないか」
「うるっせえな!」
 
イチローはドアを乱暴に閉めると、足音荒く去っていった。
 
「…ねえ、ジロー?」
「うん?」
「もしかして…イチローも行きたかったのかな?」
「…まさか」
 
 
 
日曜日は快晴だった。
遊園地に着くと、マサルはすっかりはしゃぎ、ジローを引きずるようにして方々走り回った。
飛行機、メリーゴーランド、ジェットコースター……
 
「ねえ、すっごいだろ、ジロー?」
「うん。すごいねえ…」
「お姉ちゃん、お腹すいたよ〜!お弁当は?」
「そうね…もうお昼よね」
「やったあ!」
 
芝生の広場で弁当を広げると、マサルはまた歓声を上げた。
 
「うまそー!お姉ちゃん、これ全部作ったの?」
「リエコさんにも手伝ってもらったわ」
「いっただきまぁ〜す!」
 
さっそくサンドイッチをほおばったマサルは、ハッとジローを振り返った。
ジローは興味深そうにランチボックスをのぞき込んでいる。
 
「あ…ご、ごめん、ジロー」
「うん?」
「ジローは…食べられないんだよね」
「うん。気にしなくていいよ…見てるだけで楽しいから。ミツコさん、料理が上手なんだね」
「あ、ありがとう…」
 
お腹がいっぱいになると、マサルはまたそわそわし始めた。
 
「ジロー、ゴーカートに乗りに行こうよ」
「うん…でもちょっと待って。ここを片づけなくちゃ」
「いいわよ、ジロー…行ってらっしゃい」
「でも、ミツコさん、一人じゃ大変だし」
 
マサルはしばらく瞬きしてから、元気に言った。
 
「僕、一人で行ってくる…!いいだろ、お姉ちゃん?」
「え…でも迷子に…」
「ならないよ…!二人ともここにいてくれれば」
「…仕方ないわね」
 
やったー!と駆け出していくマサルを見送り、ミツコは苦笑した。
 
「あの子ったら…」
「楽しそうだね、マサルくん…来てよかった」
「…本当にそう思う?」
「え?…だって…マサルくん、今までずっと、いろいろ心配したりコワイ思いをしたりしてきたから…ああやって笑ってるのを見ると嬉しいよ」
「マサルのことじゃないわ…あなたよ、ジロー」
「…僕?」
 
ミツコは、うつむいたまま言った。
 
「ホントに…楽しい?」
「もちろん。どうしたの、ミツコさん?」
「それなら…いいけど」
 
ジローは何となく慌てた。
 
「イチロー兄さんが言ったことを気にしてるの?たしかに、僕たちにはスリルが足りないといえば足りないけど…でも、だから楽しくない、なんてことはないよ…それに」
「『マサルくんがあんなに楽しそうにしてるんだし』?」
「…う、うん」
「優しいのね、ジローは」
「…ミツコさん」
 
ジローが途方にくれた表情になったのに気づき、ミツコは微笑んだ。
 
「ごめんなさい、ヘンなこと言って…」
「ミツコさんは、楽しくないの?」
「そんなことないわ…ただ」
「…ただ?」
 
じっと見つめられ、ミツコは思わず目を伏せた。
どう説明したらいいかわからない。
でも…
 
でも、あとほんの数日で、私たちは別れなければならない。
二度と会えるかどうかも…わからないのに。
 
「私、今日はね…あなたがしたいことを…させてあげたいと思っていたの」
「僕が…したいこと?」
「もう、私はあなたに何もしてあげられない…だから」
「…ミツコさん」
「こうしていると…生まれたときから、あなたと一緒にいたような気がするのに」
 
ジローははにかむように微笑んだ。
 
「僕は、生まれたときからミツコさんと一緒だった」
「…!」
「でも、これからは…違うね」
「ジロー…」
 
ジローは、またにこっと笑い、それきり口をつぐんだ。
黙々と片づけを続ける彼を、ミツコも黙って見つめていた。
 
 
 
旅客機はシベリアの空を飛んでいた。
 
目を閉じると、あのギターの音が微かに聞こえてくる。
ミツコは、眠れなかった。
 
さようなら…ジロー。
 
何度目になるかわからないつぶやき。
 
こうするしかないのだということはよくわかっている。
彼には、日本でしなければならないことがある。
…でも。
 
しなければならないこと…
それを彼に負わせたのは、誰だったのか。
 
許して、と言うことすらできない。
彼は誰を責めようともしなかったから。
彼はただひたすら作られた自分として、負わされた運命を受け入れて生きようとしているだけなのだ。
 
何か、彼にしてやれることはなかったのだろうか。
自分は、どうすればよかったのだろう。
彼は…彼自身の望みは何だったのか。
もし、あるとするなら…
 
「僕が…したいこと?」
 
ふと、あのときの彼のつぶやきがよみがえる。
どこか放心したような…ただミツコの言葉をなぞるだけのつぶやき。
 
したい…こと…?
 
あっと声を上げそうになった。
 
そう…だわ。そうよ。
ジローが「したいこと」を求めたことがあった。
たった…たった一度。
でも、それは。
 
ミツコは堅く唇を噛んだ。
 
「ロボットのジローが人間のお前さんを愛したとしても……お前さんにはその愛は受け入れられない。同情などなんの役にも立たない…」
 
あのコウモリ型ロボットの嘲り。
咄嗟にわき上がった熱い想い。
 
そんなことはないわ!
もし、ジローが愛してくれるなら…私だって…!
 
ああ…本当に?
 
その答は、今もまだ出せない。
出せないでいる私を、ジローは知っている。
 
「笑わせちゃいけないぜ、お嬢さん!人間に機械は愛せない!」
 
本当に?
 
「さようなら、ミツコさん」
 
寂しい微笑。
全てを諦め、運命に向かおうとする後ろ姿。
 
違う…違うのよ、ジロー。
まだ言わないで。
さようなら、なんて言わないで…!
 
「…ミツコ?眠れないのか?」
「お父さん…?」
 
光明寺はどこか悲しげに娘をじっと見つめ…
やがて、目を閉じた。
 
「私のことは…いい」
「…え?」
「お前は、帰りなさい」
「お父さん…何を?」
「いつか…」
 
いつか…あの子のもとへ。
 
 
 
さようなら、ミツコさん。
 
ギターを弾く手を止め、最後の音色が消えるのを確かめながら、ジローはつぶやいた。
何度目になるかわからない。
 
僕は、大丈夫。
しなければならないことをする。
ちゃんと、やりとげるから。
だから、ミツコさんは何も心配しないで。
 
さようなら。
 
何度言えば諦められるのだろう。
諦めているつもりなのに。
また繰り返してしまう。
 
さようなら。
さようなら、ミツコさん。
さようなら。
 
「私、今日はね…あなたがしたいことを…させてあげたいと思っていたの」
 
僕が…したいこと。
それは、たったひとつ。
 
「もう、私はあなたに何もしてあげられない…だから」
 
わかってる。
でも、ミツコさんのせいじゃないから。
 
それは「してはいけないこと」なんだ。
僕のジェミニィは、僕にそう告げる。
 
ミツコさんが守ってくれた…僕のジェミニィ。
ミツコさんは言った。
コレがあるから、僕は僕なんだと。
 
ミツコさん。
僕は、生まれたときから、あなたと一緒だった。
そして、あなたが守ってくれたジェミニィは、まだ僕の中にある。
二度とあなたに会えなくても。
 
僕は、ミツコさんを信じている。
いつか、本当に諦められる日がくる。
僕が、完全な僕になるとき。
「してはいけないこと」を望まない僕になれるときが、きっとくる。
 
ミツコさん。
僕は、あなたが望んだ完全な僕になってみせる。いつかきっと。
だから、ミツコさんも、僕を信じて。
 
それまで、僕は言い続けるんだ。
何度でも。
 
さようなら。
さようなら、ミツコさん。
 
さようなら。
 

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Last updated: 2006/8/7