仮設キカイダー

海水浴
 
通り過ぎる人々が、ちらちらと怪訝そうな視線を向ける。無理もない。
辺りをちらっと見回しただけでも、この界隈でしっかり服を着込んでいる若者など、自分達の他には全くいないだろうと容易に想像できる。
ジローは息をついた。
 
波打ち際では、ミエコと零がかなりつまらなそうに歩いている。
憮然とした様子で腕組みしていたイチローが強い日差しに目を細め、ジローを振り返った。
 
「なあ、コレが『海水浴』なのか?ドコが面白いんだよ、ジロー?」
「…ごめん。でも、僕は…面白いなんて、言わなかったと思うけど」
「言わなくても、オマエのあのツラを見たら思わずにいられなかったんだよ!」
「しかたないよ、兄さん。僕たちは、海に入れない。いや、入れるけど…人間みたいに水着になるわけには…」
「ったく、海に入るって、たったそれだけのコトなのに面倒なヤツらだな、人間ってのは…ハダカで入っちゃあダメ。服着て入るのもダメ…ご苦労なこった」
「でも、その面倒なところが、いいところでもあるんだ……本当にごめん、兄さん」
「しつこく謝るな。『海水浴』なんざ、俺たちロボットにはつまらねえってわかっただけでヨシとしようぜ……って、あぁ?何やってんだ、アイツ?」
「ミエコさん…っ?」
 
二人は思わず立ち上がった。
ミエコが零に向かって何か烈しく叫んだあと、一目散に波へと向かって走っていく。
あっというまに、彼女の姿は波の向こうに消えた。
 
「…零!」
「どーしたんだよ、あの女っ?」
「どうした…って」
 
零は肩をすくめるようにした。
 
「僕にあの人の言動を筋道立てて説明しろって言うんですか?」
「…うーん」
「困ったものですね。でも、あの不安定さも彼女の個性として設定されているんでしょうから……不都合があるからといって僕たちが下手にいじると、全体のバランスを崩してしまうかもしれませんし」
「いじる…って。零」
「すみません、ジロー兄さん。表現が適切ではありませんでした」
 
大して申し訳なくもなさそうに謝る零からつと目をそらし、そのままジローは波に向かって叫んだ。
 
「ミエコさーん!…戻ってこいよ!」
「やーめとけって、ジロー」
「…でも、兄さん」
「ほっとくと錆びる…ってか?けっ!」
「兄さん!ミツコさんが言ったのは、そういうことじゃないって……さっき、説明したのに」
「…ふん。同じようなコトさ…人間ってのは身勝手だぜ」
「…兄さん」
「いくぞ、ジロー、零!…アイツは気がすんだらそのうち帰ってくるさ」
「そうですね…」
 
さっさと歩き出した二人を、ジローも後ろを振り返りながら追った。
 
 
 
「あんたたちって、サイテー。フツウ、女の子を置いて帰る?」
「オンナノコ?…てめーのことかよ、もしかして?」
「なんですってっ?」
 
いきなりつかみ合いになりそうなイチローとミエコを、ジローは慌てて引き分けた。
 
「ごめん、ミエコさん……でも、君も海に入っちゃうなんて無茶だよ。どこか調子がおかしくなったりしていないかい?」
「大丈夫よ」
 
つん、と答えるミエコの腕を、ジローは真剣な面持ちでつかんだ。
 
「ダメだよ、点検しなくちゃ。君は海中活動専門につくられたロボットじゃないんだから…十分なメンテナンスをしてからならともかく、いきなりなんて。万一、君のコーティングにチェックできていない傷があったりしたら、そこから……」
「…錆びる?」
 
小馬鹿にしたような笑いをうかべるミエコに、ジローはあくまで真面目にうなずいた。
 
「そう。ミツコさんもそう言ったんだ……とにかくチェックしよう。ホントに錆びたら、大変だ。交換部品だって、モノによっては今の僕たちには手に入らないかもしれない」
「心配性ね、ジローは。それならそれで、私は別に…」
「構わない、なんて言わないでくれよ、ミエコさん。僕は、君だってきょうだいの一人だと思ってる。絶対に失いたくない大事な人なんだから」
「…なによ、それ」
 
ミエコは肩をすくめながらも、いくぶん素直にジローに従った。
なんとなく憮然としているイチローに気づき、零が苦笑する。
 
「ジロー兄さんにかかったら、あの人も少しはしおらしくならざるを得ませんね」
「…のようだな、ったく…女の扱いだけはうまいよな、アイツ!」
「相変わらず、口が悪いですね、イチロー兄さん」
「だってよ。どーしてアイツばっかりモテるのか…やっぱり『良心回路』か?」
「たぶん。因果関係を説明するのは難しいですが、僕たちになく、ジロー兄さんにあるのはソレだけですから」
「だとしたら、女にモテるってのも…楽じゃねえな」
「…まったくです」
 
 
その夜更け。
泳ぎにいくぞ、といきなり声をかけられ、ジローは目を丸くした。
イチローと零が立っている。
 
「泳ぎに……って?」
「こんな時間なら人目もないしな…で、服は脱ぐか?そのまま泳ぐか?」
「イチロー兄さん、脱ぐべきです。服を海水で濡らすと、始末が結構大変ですから」
「なんだよ、零。もしかしてオマエ、アイツに始末させられたのか?」
「…もう二度とやりたくないです」
 
ぼそぼそ言い合う二人を困惑して見上げているジローに、イチローがふと眉を上げた。
 
「ぼーっとしてるんじゃねえよ!このままじゃちょっとスッキリしないからな。ホントにつまらないかどうか、やってみないとわからないだろう?」
「兄さん…」
「人間みたいに浜辺と泳ぎを一度に楽しむのが無理…ってなら、分けてみりゃいいってことさ。面倒だが仕方ない」
「……」
「ま、浜辺のアレはサイテーだったが、泳ぐのはそうでもないかもしれないしな」
「でも……」
「もちろん、点検を念入りにしてからですよ、ジロー兄さん。僕がやります」
 
零が生真面目にうなずいた。
 
 
 
沈んでいく。
どうしようもなく沈んでいく。
 
水の中で力を抜くと、すうっと体がうかぶんだよ、とマサルが言っていたのを思い出しながら、ジローはどんどん遠ざかる水面をぼんやり見上げていた。
 
でも、僕の体は沈んでいく。
僕は、ロボットだから。
 
《おい、ジロー、何やってるんだよ?》
 
雑音混じりの通信に、はっと我に返る。
途端に、細かい泡の帯が目の前をよぎった。
 
《イチロー兄さん!》
《水の中ってのも、結構面白いな!…お前もちょっと真面目に泳いでみろよ》
《う、うん…》
《水中戦っていうのは想定外でしたが、こうしてみると、一度模擬戦をやってみてもいいかもしれないですね》
《だろ?…よし、いっちょやるか、零?》
《今はダメですよ…準備不足です》
 
ちぇ、とイチローの舌打ちが聞こえたような気がして、ジローは思わず微笑した。
 
水中戦…模擬戦、か。
 
マサルやミツコが言う『海水浴』とはずいぶん違う。
でも、たしかにイチローの言葉どおり、水中で動くのはそれなりに面白いと、ジローも思った。
 
兄さんや零は、「面白い」ことがみんな「戦闘」につながっていく。
そう作られた、戦闘ロボットだからだ。
だったら、僕は……?
 
イチローが再び呼ぶ声に、ジローは物思いをやめた。
思い切り水を蹴り、泳ぎ始める。
 
もっと速く、もっと強く…!
 
自分の中の「意志」とは別のトコロで、何かがざわめき、高揚し始めるのを、ジローは淋しい安堵とともに感じ取っていた。
 
僕は、ロボット……戦闘ロボットなんだ。
兄さんや零が言うとおり、この感覚に身をゆだねれば、僕は「幸せ」になれるんだろうか。
…いや、やっぱり違う。
 
たしかに、僕はロボットだ。
人間になれない。
でも……
 
 
 
「…生命の、源?」
 
零が怪訝そうに繰り返した。
ジローはうなずいた。
 
「ミツコさんが教えてくれたんだ。海は、全ての生き物の故郷なんだって……人間が海に惹かれるのはそういう理由かららしい。昔の人間は、生命は海からやってきて、海へ還っていくと思っていたんだ」
「生命…ですか」
「俺たちにはとことん縁のない話だな」
「……うん」
 
3人は、浜辺に寝ころび、星空を見上げていた。
昼間あれほどにぎわっていたのが嘘のような静けさだった。
ジローが星に語りかけるように言う。
 
「僕たちが海を面白いと思う気持ちと、人間が海を懐かしいと思う気持ちは、きっと違う……でも、僕はそれでも…海が好きだと思った」
「ああ。たしかに。結構面白かったな」
「やはり、巨大なエネルギーを感じますね」
「…うん」
 
ふと沈黙が落ちる。
やがて、零がつぶやいた。
 
「ジロー兄さんが僕たちより人間に近いのは、『良心回路』のせいでしょう。でも、それも海から生まれたものではない」
「…うん」
「兄さんは、それでも海が好きですか?…懐かしいと思いますか?」
「…わからないよ、零。わからないんだ」
 
懐かしいと言うことはできない。
でも、懐かしさを全く感じないかというと……わからない。
 
「オマエは難儀なヤツだな、ジロー」
「…イチロー兄さん」
「俺はオマエを弟だと思ってる。オマエが大事だ。だが、それは俺がそう作られているからさ」
「そうですね。僕もイチロー兄さんと同じです」
「…そうなのかもしれない。でも、僕は…」
「ああ。オマエは違うんだろう、ジロー。だから今のうちに言っておく」
 
イチローは勢いよく上半身を起こし、水平線を見つめた。
 
「いつか、俺たちが壊れて、オマエを忘れるときがきたら、オマエは迷うな」
「兄さん…?」
 
驚いて起き上がったジローを振り返りもせず、イチローは続けた。
 
「俺たちは簡単にソレができる。敵にとっつかまって、プログラムを組み直されたらそれで終わりだ。オマエのことなんかキレイに忘れてしまうだろうよ」
「…そんなこと。そんなこと、させるもんか!」
「いいから聞けよ、ジロー。俺たちは、そうなっても、なんでもないんだ。ロボットなんだからな…だが、きっとオマエは違う。オマエは、自分で自分を作っている。『良心回路』の力で。そうだろう?」
「ええ…僕も、いつか同じコトを言おうと思っていました」
「零…?」
 
零は寝ころんで空を見上げたまま、淡々と言った。
 
「ジロー兄さん、僕はたしかにあなたの弟だ。でも、あなたがそう思う気持ちと、僕の気持ちは違う。僕があなたに銃を向けるときがきたら、あなたは迷わず僕を破壊してください」
「何を…何を言うんだ、零。そんなことできるはず…!」
「やれよ。やるんだ、ジロー」
「兄さん!」
「言っておくが、オマエをきょうだいとして…なんだ、オマエが俺たちを思うのと同じ気持ちでこう言うんじゃないんだぜ?俺は今、オマエを守るように働いているロボットだ。零もな。だから、そのロボットとして、当然のことを言っている。それだけさ」
「そうです、ジロー兄さん。僕たちは兄さんを苦しめたくない。兄さんと戦うときがきたら、僕たちは迷わない。苦しまない。でも、兄さんは違うでしょう」
「…違う。違うとも!」
 
ジローは呻くように言った。
 
「僕は、違う!だから、絶対にそんなことはさせない!…僕は、おまえたちと一緒に戦う。どんなことがあっても!それが…それが、人間の強さなんだ。か弱い力と貧弱なボディしかもたない人間だけが持つ強さなんだ。だから…僕は」
 
零は何も答えなかった。ただ、痛ましそうに目を閉じた。
イチローも、大きく息をつき、星空を見上げた。
 
「でもよ、ジロー。海はオマエに味方しないぜ。オマエはロボットなんだ」
 
長い沈黙の後、イチローはぽつりとつぶやいた。
 
 
 
小さい足音が近づいてきて……止まった。
振り返ると、見知らぬ子供が、ジローを不思議そうに見ている。
 
「…どうしたの?」
 
にっこり笑ってみせると、子供も少し笑った。
 
「お兄ちゃん、暑くないの?」
「…あ」
「泳がないの?」
「…うん。ありがとう、坊や」
 
首を傾げた子供は、やがて母親らしい女性の呼び声に、くるっと踵を返し、駆け去っていった。
ぼんやりしているうちに、もうこんなに日が昇ったのか…と、ジローは苦笑した。
いつのまにか、静かだった浜辺のあちこちにパラソルが立てられている。
 
浜辺を背に、ゆっくり歩き出す。
停めておいたサイドカーが、太陽の熱で焼けるように熱い。
構わずまたがり、エンジンをかけた。
 
夜になったら、泳ぎにきてみよう…と、不意に思った。
あの、夜のように。
 
海はどんな風に僕を迎えるだろう。
鋼鉄の僕を。
自分の「意志」できょうだいを手にかけ、ひとり生き延びた僕を。
全身の力を抜き、全てをゆだねたら…
海は僕を浮かべるだろうか。沈めるだろうか。
 
答えは、わかっているような気がする。
それでも、きてみよう、とジローは思った。
 
僕は海から生まれたモノではない。
心は人間と同じでも。
それなら…海は。
あなたは、そんな僕の味方をしてくれますか?
 
答えはわかっている。
もう、何度も尋ねた。
答えはいつも同じ。
それでも、僕はなお、問わずにいられない。
 
ミツコさん。
いつか海が僕を本当に沈めてくれたら、みんなを探しにいこうと思います。
イチロー兄さんと、零と…ミエコさん。
 
みんな、海から生まれたモノではなかった。僕と同じように。
でも…彼らがあれきり消えてしまったなんて、僕には思えない。
きっと、みんなどこかにいる。
この海のどこかに。
 
それだけは信じている。
信じないわけにはいかないから。
それが、自分の「意志」で彼らを手にかけた僕が……ロボットではない僕が、彼らにできるただ1つのこと。
そうでしょう、ミツコさん?
 
海は僕に味方をしない。
あなたがそうであるように。
 
でも、僕は今でもあなたが好きです。
あなたを…信じている。
この罪とひきかえに、僕はあなたの前に立つことができる。
 
 
今夜、会いにいきます。
永遠にわかりあえないあなたに触れるために。
あなたが受け入れるのが僕の屍だけだとしても、それでも、受け入れてもらえるなら、僕は嬉しい。
 
僕は、あなたに還りたい。
あなたから生まれた僕でなくても。
こうして歩いていれば…人の苦しみを歩いていれば、いつか、還してもらえるかもしれない。
 
それだけを願って、信じて、僕は今日も歩いています。

PAST INDEX FUTURE



Last updated: 2006/8/7