願い
 
どうして、タマラに生き返ってほしいと願わなかったの?
 
わからない、とあなたは言った。
それはきっと本当のこと。
あなたには、わからない。
 
 
宇宙の平和。
そこで暮らす全ての人々の幸福。
それだけがあなたに「わかる」ただひとつの……あなたの願い。
自分のためには、何も願うことをしらないあなただから。
 
たとえば、アルベルトが復活したのは、彼があなたの大事な友人だったからではなく、願いをともに叶えようとする仲間だったから。
イシュメールが地球に帰ったのは、そこがあなたの愛する故郷だったからではなく、あなたの戦いを戦うためにどうしても戻らなければならない場所だったから。
 
それなら、私が今こうしているのも……あなたにとっては。
 
もちろん、きっとそういうこと。
 
 
でも、だから、私はあなたが好き。
そういうあなただから好きなのよ、ジョー。
 
私は、いつまであなたにふさわしい娘でいられるかしら。
どうか、私に勇気を。
 
いつものようにあなたの腕の中で。
いつものように私はそう祈っている。
慰問
 
お兄ちゃん、見て!……と、子供達が我先に駆け寄ってくる。
彼らが差し出す奇妙な絵……らしきモノが描かれた画用紙を、ジョーは一枚一枚、丁寧に受け取った。
 
「あ!……コレ、もしかしたら僕を描いてくれたのかい?」
「うん!お兄ちゃんが、優勝したところだよ!」
「すごいな。こんなに格好良く描いてくれたんだね、ありがとう」
「ううん……ホントのお兄ちゃんの方が、ずーっと格好良かったよ!」
 
少年は目を輝かせ、息をする間も惜しいと言わんばかりに話し続ける。
やがてその話を別の少年が脇からひったくり、自分の絵も見てくれ、とせがむ。
彼の隣には可愛らしい少女が折り鶴を大事そうに両手で持ち、立っていた。
 
「まあ、みんな……島村さんが困っているでしょう。一人ずつ、順番におっしゃい……本当にごめんなさいね、島村さん」
「そんなことは……本当に、この子たちと過ごす時間が僕には大切なんです。いつも感謝しています」
 
絵や手作りの贈り物を一通り見せると、子供達は、遊ぼう、とジョーの腕を引っ張った。
愛車である瀟洒な赤いオープンカーに順番に乗せてやり、小さなドライブに連れて行ったこともあったが、彼らはそれよりもジョーと原っぱをとび回る方が楽しいようだった。
 
疲れてしまうでしょう、と気の毒がる園長に笑ってジョーは首を振った。
もちろん、どんなに子供達と駆け回ろうが、疲れるような体ではない。
今は、それが嬉しい。
 
ジョーがレースで獲得した賞金を、子供達の施設に寄付するようになったのは、ジェットの影響を受けてのことだった。
 
「こんなチンケな寄付をしたところで、問題が全て解決するなんざ、あり得ないが……何もしないよりはマシだからな」
 
闘牛は金になるのさ、と苦く笑うジェットに心が動いた。
彼が言うところの「ロクでもない稼ぎ方」しかできない自分たちだが、だからといって、そうして稼いだ金に色がついているわけでもない。
 
――金は、金だからよ。
 
あっけらかんと言い放つジェットの笑顔は晴れやかだった。
 
そして、ごく密かに寄付を続けていたジョーが、施設の求めに応じて、時折慰問にも行くようになったのは、フランソワーズの影響だ。
といっても、彼女とそんな話をしたことはない。
彼女にしてみれば、このことと自分がどうつながるのか、全くわからないだろう。
 
でも。
彼女がいなければ……
 
ジョーは飛びついてきた子供を高々と抱き上げ、まぶしく青い空に目を細めた。
 
彼女は、いつも笑ってくれる。
あの青い目が輝くたびに感じた。
 
あなたがいてくれて嬉しい。
あなたの声が聞きたいの。
あなたが大好きよ、ジョー。
 
彼女から言葉として聞いたことはない。
それでも、自分にはあの笑顔だけで十分だった。
 
僕を必要としてくれる人がいる。
僕と会うことを楽しみにしてくれる人がいる。
一緒に笑ってくれる人がいる。
 
僕が素直に望みさえすれば……光は、どこにでもある。
 
 
別れ際、あの折り鶴の少女がおずおずとジョーの袖を引いた。
どうしたの?と首をかしげると、恥ずかしそうに小さな画用紙を差し出す。
そういえば、さっきはこの子だけ、絵を持ってこなかった。
 
画用紙には、ドレスを着た女の子……のように見えるモノが描かれている。
 
「きれいだね……おひめさま、かな?」
「ううん……およめさん。お兄ちゃんの」
「……」
 
黄色で塗られた髪のようなトコロに、飾りのリボンのようなモノがついている。
それは、世界中の子供達に愛される有名な映画のヒロイン…プリンセスを模したものだったが、ジョーはそれを知らなかった。
 
「キンパツでね、とってもきれいで、優しくて……おそうじもお料理も上手なの。それで、お兄ちゃんのことが大好きなのよ」
「……そうか。ありがとう。大事にするよ」
 
ジョーはていねいにその絵をカバンにしまいこんだ。
見送りに出てきた園長が、いつものように礼を言う。
 
「本当に……お忙しいお時間を割いてくださって、ありがとうございました。島村さん、あなたがこの子供たちにどれほど素晴らしい夢を与えてくださっているか……」
「……いいえ、園長先生」
 
ジョーは微笑し、カバンをそっと手で押さえた。
 
「夢をいただいているのは……僕の方です」
眼鏡
 
「あら、フランソワーズ!……珍しいモノ見ているわね。モータースポーツに興味があるの?」
「こんにちは、マチルド。興味があるというか……友達に、こういうお仕事の人がいるのよ。それで……」
「ふうん……なんだか不思議なつながりね?」
「そうね、本当……ねえ、お茶を飲みにいかない?可愛いカフェを見つけたのよ」
「やった!あなたのセンスは確かですもんね、楽しみだわ…!」
 
小さなカフェは落ち着いた佇まいで、コーヒーも薫り高く申し分ない。
大きく満足の吐息をもらしつつ、マチルドはさっきフランソワーズが買ったF1雑誌をぱらぱらとめくっていた。
 
「うーん……わからないわ!そもそも、用語自体がサッパリ……コレって、ホントに人間が使っている言語なの?」
「ふふふ、そうよね……まるで、別世界だわ」
「あ!……でも見て、ホラ……この人、素敵じゃない?」
「……え」
 
フランソワーズは一瞬たじろいだ。
マチルドが楽しそうに指さしているのは、彼女がよく知っている青年の写真だったから。
 
――やっぱり、目を引く人なんだわ。
 
心でつぶやいた。
マチルドは感じ入ったようにうっとり写真を眺め、記事に没頭している。
 
「ジョー・シ、マ、ム、ラ……東洋の名前かしら?」
「日本人ね」
「ああ!……じゃ、眼鏡かけるのかな?」
「えぇっ?」
「ウン……似合いそう。私、この前、素敵なフレーム見つけたの……!とっても知的よ。彼にぴったりだと思うわ」
「……そ、そう……かしら」
 
ジョーに……眼鏡?
 
マチルドは、とうとう手帳を取り出し、記事の隅に書かれていたファンレターの宛先をせっせと書き写している。
 
「次のレースは、モナコ、ですって!素敵、近いわ……!見にいっちゃおうかな」
「近い……かしら?」
 
それは、鈴鹿よりは近いけれど……
 
生真面目に考え込んでいるフランソワーズをマチルドは笑った。
愛はどんな障害も越えるのよ、それでいいじゃない……と。
 
「そうだわ、フランソワーズ……ということは、あなたの友達もモナコに来るんじゃない?」
「え…ええ、たぶん」
「だったら行きましょうよ、一緒に!私、ジョー・シマムラに会いたいわ」
「会いたい……って、マチルド。サーキットに行ったからって、彼に会えるわけ……」
「もぉ、分かってるわよー。遠くから見ているだけでもいいじゃない」
「でも、レーサーって、ヘルメットもかぶっていて、外から見ると誰が誰だか」
「いいの!だから、夢よ、夢……!そういうのって大事だと思うわ」
「……夢」
 
そうかも……しれないわ、ね。
あの人は、夢の世界にいる人。
だったら……
 
「わかったわ。行きましょうか」
「そうこなくちゃ!……ね、何持っていったらいいかしら、優勝祝いのプレゼント」
「優勝……?」
「優勝するわよー、こんなオトコマエですもん」
「……そう、かな」
 
フランソワーズはくすくす笑った。
彼と最後に会ってから、もう何年になるだろう。
 
夢の世界のヒーローと、彼に憧れる平凡な少女。
言葉を交わすことも、まして会うこともなく、それでも……
 
「……やっぱり、眼鏡かな?」
「えぇっ?!」
 
二人は顔を見合わせ、ぷっと吹き出した。
 
ジョー、元気?
私は元気よ。
 
ねえ、眼鏡ですって。
あなた、どんな顔をするかしら?
 
マチルドにせかされるようにして、フランソワーズも件の宛先をメモした。
彼のアドレスが自分の手帳にあるなんて……本当に、想像もしなかったこと。
 
 
 
数ヶ月後、その手帳は灰になった。
攻撃を受け、間一髪で脱出したギルモア研究所と共に。
 
――そういえば、あの眼鏡……どうしたのかしら。
 
ふと思った。
が、張り詰めた彼の横顔にそんな問いかけをする気持ちにはもちろんなれず。
フランソワーズは沈黙を守った。
 
きっと、いるだろうと思ったとおり、あなたは浜辺にいた。
月のない夜。
闇の中で繰り返す波を、身じろぎもせず見つめている。
 
何を考えているの、と、尋ねる必要はもうない。
何も、言わないで。
 
そっと頬を寄せると、あなたの背中は冷たかった。
動かないあなた。
でも、確かに刻む鼓動。
 
 
あのとき、私は泣いた。
イワンのそばを離れ、私はいったい何をしていたの?
 
どんなに自分を責めても責めきれない。
ただ一度だけ……そう自分をごまかして、引き替えにとり返しのつかない罪を負った。永遠に消えない罪を。
……でも。
 
誰のせいでもない。誰もに責任がある。
あなたは静かにそう言った。
 
永遠に止まらないはずの涙があっけなく止まる。
私は何もなかったように顔を上げ、立ち上がり……笑いさえしたのだ。
 
私は……いいえ、私たちはみんな知っている。
誰のせいでもないと言うあなたが、「誰」の中に自分だけは入れていないということを。
私たちはみんな、それと知っていて……知らない顔をしている。
 
「誰」でもないあなたの言葉は、いつも天啓のように私たちを動かし、私たちを救う。
それが、009であるということ。
 
見えるもの、聞こえるもの、触れるもの……その全てを009は救う。
それが変えようのない運命なら、私はいつもあなたの傍にいる。
あなたには決して見えない、聞こえない、触れられない幻として。
 
それが私の運命。
誰にも変えられない。
もちろん、あなたにもよ……ジョー。
 
 
やがて小さな吐息が漏れ、かすれた声が私の名を呼ぶ。
振り返り、私を抱きしめながら、どうして……とあなたはつぶやいた。
 
理由なんて必要ないわ。
今だけ……あなたが手を離せば消える私だから。
 
あの、美しい夕焼けがそうであったように。
 
本能
 
あの星で、あの瞬間、僕が咄嗟に庇ったのはフランソワーズだった。
 
それは、戦士としての本能だったのかもしれない。
極限状態に追い込まれ、考えるより先に体が動いた。
おそらく、そういうことだったのだろう。
 
……ただ。
本当を言うと、わからない。
僕の……009の本能は、いったい何に反応したのか。
 
たとえば。
もし、先に銃撃を受けたのがフランソワーズの方だったら。
彼女が致命傷を負ったのを目の当たりにしていたら。
その瞬間、僕の本能は何を命じただろう。
 
――生きる可能性のある方を助けろ。
 
そう命じたのではないだろうか。
もしそうなら、僕は……
 
『君が迷うのも無理はない。本当のところはわからない……僕にもね』
「……イワン」
『ジョー。……君の悪い癖だよ。答が出ないとわかりきっていることについて悩むのは』
「……」
『あのときの君が何を思ったのか、たしかにそれはわからない。ただ、君について確実にわかっていることが、僕にはひとつある』
 
イワンは微かに笑った……ように見えた。
 
『君の目の前で、フランソワーズが銃撃を受け、倒れたことなどなかった……これまで、ただの一度も』
「イワン…?」
『別の言い方をしよう。君の目の前で、彼女に致命傷を負わせることができた敵などいなかった……ってことさ』
「……」
『これからも、きっとそうだろう……それなら、君が今考えていることに、何か意味があるだろうか?』
「……ありがとう、イワン……さすがだな」
『どういたしまして……でも、礼を言うには及ばない。僕には十分下心があるんだ……いいかげん、フランソワーズに会いたくなった。彼女をここに呼びたまえ』
 
ジョーは思わず苦笑しながら、宙に浮かんでいる小さい体をそっと抱き取った。
 
「回りくどいことをするね……素直に彼女に伝えればいいじゃないか。会いたい……って。意地っ張りなんだな、君は」
『君にだけは言われたくないな。いいから、早く電話したまえ』
 
どうせ君は、イワンが会いたがっているから……と言うんだろうけど。
しかたない。
この際、それぐらいならカンベンしてあげるよ。
 
お茶にしましょう、と彼女の柔らかい声にふっと彼は顔を上げた。
 
宇宙船の中では、時間の感覚がなくなりそうになる。
彼女や006がしきりにお茶だ、食事だというのは、それをカバーするためなのかもしれない。
が、それよりも……
 
「しかし、退屈だな……まあ、仕方ないんだが…」
「それはそうさ、ジェット……宇宙は広いからね。よっぽど強い目的意識をもって追わない限り、敵と遭遇することなんてありえない」
 
008がおかしそうに言う。
本当に、その通りだった。
 
サバが示す、次に戦闘が予想される地点まで、あと3日はかかる。
奇襲の可能性もないわけではなかったが、可能性は極めて低い。
さらに、その戦闘予想も20パーセント、というようなものなのだという。
 
もちろん、だからといって気が抜けるというわけではない。
むしろ、押し殺された緊張感が常に彼らを支配している……というような状態だった。
一旦戦闘状態になれば、これまで地上で経験したきた戦いとは比べものにならないほど、死と隣り合わせの戦いを強いられる。
ダガス軍団との数回の戦い……小競り合い、というレベルにすぎなかったが……をとおして、彼らはそれを思い知っていた。
 
「…どうぞ。ジョーはミルクティーね?」
「あ、ああ……ありがとう」
 
カップを受け取る前、確かめるように暖かい指に触れてみた。ほんの一瞬。
彼女の指が微かに震える。
 
「…どういたしまして」
 
優しい微笑を残し、彼女はふわりと振り返った。
002に……004に……次々と仲間にカップを渡していく彼女の後ろ姿を、彼はじっと見つめていた。
 
――僕は、どうかしている。
 
これまで、どれほど長い間、彼女と離れて暮らしてきただろう。
どうして、そんなことができたのだろう。
 
――でも、もう……無理だ。君を手放すことはできない。こんな気持ちのまま地球に帰ったら……僕は、いったい……どうすれば。
 
そんなことをぼんやり考えている自分に気づき、彼は苦笑した。
そんなことは、帰れたときに考えればいい。
おそらく、万にひとつもあり得ないことなのだから。
 
それなのに、それでも、考えずにはいられなかった。
 
 
もし……地球に帰ったら。
僕は。
望郷
 
僕には、故郷なんてないと思っていた。
でも、間違っていた。
あの青い星が……こんなに、懐かしいなんて。
 
イシュメールはみるみる太陽系を抜け、漆黒の宇宙空間へと進んでいく。
故郷の星を離れる心細さを誰もが感じていた。
 
……だから、なんて。
そんな風に思われたくはない。
 
むさぼるような口づけの後、彼女は僅かに非難の混じった目でジョーを見つめた。
その瞳にあの海と空の青が浮かんでいるから、抱きしめる腕を離せない。
 
……だから、じゃない。
僕は、ただ君が……君が愛しいから。
 
声がかすれそうになるのを懸命に抑え、花びらのような薄紅色の耳朶に囁く。
 
「いい、よね……?」
 
微かにうなずく彼女をジョーはふわりと抱き上げ、キャビンに入った。
ここからは、外が見えない。
見えたとしても、もうあの星々は遙か彼方だ。
 
今、ここで。
暗黒の宇宙のただ中で、あの星の名残を宿すのは、ただ君の瞳と……僕の吐息と。
 
……だから、じゃない。
僕は、そこまでずるい男じゃない……はずだ。
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Last updated: 2015/11/24