見つける
 
君には戦いは似合わない。
 
と、いうことは。
君には僕も似合わないということだ。
 
そのへんの自覚は昔からちゃんとある。
でも、似合おうが似合うまいが、ただ好きでいるだけなら悪いことはないだろう。
 
だから、僕はなるべく目立たない格好で彼女の舞台を見に行くのだ。
目立たない格好を心がけるのは、もちろん似合わないことをしている自覚があるからであって、マスコミ対策とか、そういうことではない。
 
そういえば、街を歩いているといきなり話しかけられたりすることもあるが、世界中のどこでも、劇場にいるときに限って、そんなことは一度もなかった。
たぶん、世界が違うということなんだろうと思う。
こういう舞台を見に来る人が、サーキットにも来るとはちょっと思えないから。
 
もちろん、彼女と僕の世界は……それよりももっと遠く離れている。
それを知るのは、きっと僕だけだ。
 
やがて幕が開き、彼女が姿をあらわし、小鳥のように舞い始める。
始めの頃は、同じような衣装で同じような髪型で同じような化粧のバレリーナたちの中から、彼女を見分けることなどどうにもできなかったが、今は違う。
やはり、何度も見ていると、彼女の動きの癖のようなものがわかるようになるのだろう。立ち姿を見るだけで、ああ、あれだなと思うのだ。
 
それは、戦場の混乱の中で僕が何があっても彼女を見失わない、ということとは根本的に違う。
違うと信じている。
 
そんな風に、僕は似合わないと自覚しつつ至福の時をすごし、幕が下りれば静かに立ち去ろうとするのだ。
ところが。
 
――009、聞こえる?
 
不意に緊急シグナルが僕の意識を貫く。
そして、結局僕は指定された時間に指定された場所へと赴き、彼女と再会することになる。
 
「……ああ、よかった…!来てくれたのね」
「003……」
 
彼女は嬉しそうに僕の両手を握り、笑う。
しかたがないから、一応苦言は呈しておくのだ。
 
「緊急通信を使うのは駄目だって……いつも言ってるだろう?驚くじゃないか」
「だって、こうしないとあなたは帰ってしまうもの」
 
彼女は悪びれずに言う。
僕を呼ぶには「009!」と緊急モードで通信するのが一番手っ取り早くて確実なのだ、と。
それはそうだろう。
 
「フランソワーズ、いい加減にしろよ。オオカミ少年の話って……知っているよね?」
「知っているわ。……そうね。いつか、あなたは来てくれなくなるかもしれない」
 
そうして、君は僕に助けを求めながらオオカミに食われるのかもしれない。
 
だったら。
行くしかないではないか。
何万回、君に騙されようと。
 
「でも、本当はあなたが悪いわ、ジョー。どうしていつも連絡してくれないの?」
「……」
 
僕は、答えない。
 
それは、僕が君には似合わないからだよ、といつか言うべきなのだろう。
でも、君は僕を見つけてくれるから……それは言わずにすんでいる。
今日も、すんでしまっている。
 
フランソワーズ。
見つけてくれてありがとう。
僕は、君に似合わないけれど、今日もそれに気づかないふりをすることができたんだ。
 
本当に。
僕を見つけてくれて、ありがとう。
浜離宮
 
トウキョウは水辺が素敵ね、とフランソワーズが嬉しそうに言う。
たしかに、パリに海はないなあ、とジョーは思った。
もっとも、東京が海辺にある、なんてことも、普段は忘れがちだったりするのだけれど。
 
あまり時間がない…という彼女のために、東京駅からそれほど離れていないコースを大急ぎで考えたのだ。
フツウならちょっと歩かせすぎ、かもしれないルートだが、彼女なら苦にしないだろうし、改めてガイドブックなど見てみると、結構面白そうにも思えた。
 
ウィンドウショッピングにつきあい、銀座を通り抜け、広々とした静かな海辺の公園に到着した。
たぶん、こういうのが好きなんだろうと思いながら目当ての茶屋に入る。
可愛らしい菓子を添えた抹茶が出されると、案の定、彼女は目を輝かせた。
 
「きれいね……でも、このお茶、飲み方があるんじゃなかったかしら」
「そんなに堅苦しく考えなくても大丈夫だよ……ここをさ、こう……うん、そう、それでいいよ。そのまま飲んでごらん……でも苦いから、始めにお菓子を食べるといい」
「わかったわ」
 
神妙な顔で教わったとおりに茶碗を取ったフランソワーズは、ゆっくりと薄茶を飲み干すと、また神妙な顔で茶碗を置いた。
 
「…大丈夫かい?」
「ええ。いい香りね……でも、ジョーがこんなことを知っているなんて、意外だわ」
「ふふ、付け焼き刃なんだ。仕事のついでみたいな感じかな」
「そうなの……やっぱり、大変そうね」
「そうだね。たしかに、日本の文化についてずいぶんいろいろと覚えさせられたよ。日本で暮らしているだけだったらそんな必要なかったのにな」
「まあ!」
 
楽しそうに笑うフランソワーズを眺めながら、ジョーは満ち足りた思いで息をついた。
 
この街にこんな場所があるなんて、あの頃の僕は知らなかったし、こんな人とこうして話をするなんてことも夢にも思わなかった。
もっとも、それ以前に、夢にも思わなかったことに数え切れないほど出会ってきたのけれど。
そして、そのほとんどが悪夢としか言いようがなかった……けれど、悪いことばかりでもなかったのかもしれない。
 
ふと、フランソワーズが深い溜息をついたのに気づき、ジョーの物思いは途絶えた。
そっとのぞき込むと、彼女はあ、と我に返り、恥ずかしそうに笑った。
 
「ごめんなさい……今、ここにいることが、何だか急に不思議に思えてしまって……大変なことばかりだったけれど、そのおかげでこうしていられるのね、私たち」
 
そうだね、と言おうとしたけれど、言えなかった。
何も言わなくてもいいのだ、とも思った。
このまま、時間が止まってしまえばいい。
ただ、そう思った。
 
だから、ジョーは黙って窓の外に目をやった。
午後の日ざしが柔らかく傾き、水面に注いでいた。
子犬
 
雨にまじって、弱々しい声が聞こえた。
嫌な予感がして外に出てみると、思った通り、壊れかけたダンボールが門のところに置いてある。
 
「……また、か」
 
思わず嘆息する。
どうも、ココに置いておけばどうにかなる、というような噂が……おそらく、近所の小学生や中学生たちの間で立っているのではないかと思う。
ジョーは、箱の中でくんくん鳴いている白い子犬をそうっと抱き上げた。
 
「しかたないなあ……」
 
箱の中には小さいパンのかけらと、雨に濡れてちぎれかけた紙切れがあった。
拾い上げてみる。
 
「……ミルク、か。いい名前だね」
 
それが自分の名だと既に知っているのか、子犬はジョーの声にくりっとした眼をあげ、甘えるように鳴いた。
 
 
ミルクはひと月近くをジョーとともにすごした。
基本的な躾が一通り終わると、ジョーはミルクを事務所に抱えていき、またですか、とあきれ顔のスタッフに何度も頭を下げて、引き取り手を探してもらうのだった。
とはいえ、実を言うと引き取り手にはそれほど困らないらしい。むしろ、順番待ちをしている女性ファンまでいるとかで。
 
レーサーになってよかった……かもしれない、と思うことのひとつがコレだと、あまり大きな声では言えない気もするが、それでいいのだろうとジョーは思う。
力がある、とは、きっとこういうことなのだ。
 
ずっと以前……まだサイボーグとなって間もない頃。
烈しい戦闘が続くその最中、隠れ家にしていた洞窟に、003が傷ついた子犬を抱いて戻ってきた。
 
何を考えている、すぐ捨ててこい、と声を荒げる仲間たちを彼女は順々に見つめ……最後にすがりつくようにジョーを見上げた。
004に「オマエは女に甘い!」と言われるようになったのは、たぶんあのときからだ。
 
助けたからには責任が生じる。
だから、軽々しく助けの手を差し伸べるわけにはいかない。それはたしかだ。
でも、もしも……
もしも、自分にその力があるなら。
ある、かもしれないのなら。
 
明日のことはわからない。
でも、たとえ今夜だけ……今だけでも、この小さい命をかくまうだけの力が自分にあるのなら。
今は、手を差し伸べようと思う。
 
結局、あの時の犬がどうなったのか、ジョーにははっきりした記憶がない。
死んだわけではなかったと思う。
だとすると、どこかではぐれたのか……いや、彼女がそれを嘆いていた覚えもないから、そうではないはずだ。
おそらく、自分たちに助けられ、わずかな命をつないだあの犬は、その命を抱えて、行くべき道に向けて去ったのだ。そうだったのだろうと思う。
 
そして、あのとき……
002に言わせると「赤ん坊と女と年寄り」を抱えて戦っていた自分たちは、更にか弱い命を守らなければならず、そしてそれゆえに強くなった……のかもしれない。
 
強くある意味を……なぜ、何のために僕の力があるのかを、あの頃、僕は教えられた。
苦しく悲しいことばかりだった、あの戦場で。
 
 
ミルクを引き取ったのは、隣町に住む西洋人の少女だったという。
そういえば、フランソワーズが好きそうな犬だったな、と思う。
 
今いるアパルトマンでは動物を飼えないの、と漏らしていた彼女の横顔をジョーはふと思い出した。
犬と遊びたくなったらウチに来るといいよ、と電話をしてみようか……などと思いついてみたものの、それを実行するはずなどない自分であることも、ジョーはよくわかっている。
 
 
ジョーが、何もかも未知である宇宙での戦いに、自分を連れて行かないつもりでいることを、フランソワーズはうっすらと悟っていた。
それをどんな言葉で伝えてくるかも、わかっているような気がした。
そして、彼はまさしくその通りの言葉を使ったのだ。
 
君を誰よりも大切に思っているから。
君には、戦いは似合わない。
 
彼は嘘を言わない。
わかっている。
 
彼は、私を誰よりも大切に思ってくれている。
彼は、私を生きる希望だと思っている。
彼は、私を戦わせたくないと思っている。
――そして。
 
彼は、私を欲しいとは思っていない。
こんな、最後のときまで。
 
どこか甘い、しかし限りなく残酷な痛みが胸を貫く。
それは、これまで何度も彼から味わった痛みだ。
彼が考えを変えることはないと知りつつ、それでもフランソワーズは彼の背中に取りすがった。そうせずにはいられなかった。
 
私は、ただあなたと一緒にいたい。
 
いつも望みはそれだけ。
それなのに、そのたったひとつの望みが彼に届くことはない。
だから、せめて……この痛みだけは伝えたかった。
これが、本当に最後だというのなら。
 
ジョーが振り返る気配に、フランソワーズは顔を上げた。
彼の瞳が僅かでも苦しみに歪んでいるか、それともいつものように静かに澄んでいるだけなのか……見るのは怖かったが、見なければならないと思った。
 
そして。
彼女は息をのんだ。
 
彼の瞳の中にほんの僅かゆらいだ、灼熱の炎。
愛よりもまぶしく、欲望よりも熱い、全てを焼き尽くす炎。
見たこともない強く熱いその炎に、彼女は一瞬にして包まれた。
 
あえぐように名前を呼ばれ、むさぼるように見つめられ……まさか、と思う間もなく抱きすくめられる。
 
私は、わかっていた?
このひとに求められるとは、どういうことなのか。
それだけの覚悟ができていたの?……それとも。
 
できていたようにも、できていなかったようにも思えた。
ただ、わかっているのは、それでも彼から離れることはできない、ということ。
 
――焼き尽くされる。
 
それでも、離れることはできない。
今はそれがわかっているだけでいいような気がした。
 
フランソワーズはただ彼の腕に身を任せ、身じろぎもせず、堅く眼を閉じていた。
 
連れ戻す
 
これで終わるのかもしれない。
 
辺りは漆黒の闇だった。
「眼」をやられているのか、それともそういう空間に押し込められているのか。
どちらにしても、体が全く動かせないのではどうにもならない。
自分がどういう状態になっているのか、わからなかった。
突然すさまじい光と熱に包まれた……ところまでは覚えているのだが。
 
痛みは感じない。
微かに聞こえていたような気がする音が次第に薄れ、同時に全身の感覚がすうっと遠のいていく。
 
これで、終わるのかもしれない。
悲しみも恐怖もなく、ただ、そう思う。
来るべきときがついに来たということ。
それは、不思議なほど安らかな思いだった。
 
この体にされてから、こんなに穏やかな気持ちになったことはなかったかもしれない。
私は幸せだったんだわ……と、心から思う。
 
でも、もしひとつだけ望むことができるなら……
あのひとに、さようならを言いたい。
 
私はあのひとにまだ何も言っていない。
こんなことになるのだから、それできっとよかったのだけど。
けれど、せめて……さようならを。
 
が、薄れていく意識の中で、フランソワーズはぼんやり予感していた。
その望みは決してかなわない、と。
なぜなら……
 
 
さようなら、と彼女の唇が動いた気がして、ジョーはフランソワーズを抱きしめる腕に力を込めた。
燃えさかる炎の中に加速装置で飛び込み、彼女を救い出したものの、既に熱線と爆弾の破片を全身に受けていた彼女は、どんなに呼びかけても答えない。
 
――まだだ。
 
まだ、君を渡すわけにはいかない。
神にだろうと、悪魔にだろうと。
 
君は、これからもずっと僕の傍で……この地獄で戦い続けるんだ。
安らかな眠りなんて、許さない。
楽になど、させてやるものか。
 
まだ……まだだよ、フランソワーズ。
君はまだ、どこにも行けない。
 
君はまだ、逃げられないんだ。
音楽
 
ファンタリオン星の荒廃は思ったよりも進んでいます……と、王女タマラが肩を落とすのを、ジョーは痛ましい思いで見つめた。
ただ一人生き残った王族としての責任がどれほどのものなのか、想像することすらできない。が、自分に想像できようができまいが、今の目の前にいる、時に少女のようなあどけなさを見せるこの王女にはそれが重くのしかかっているのだ。
 
自分たちにはどうすることもできないが。
ふと、ジョーは思った。
もしかしたら、彼女なら……と。
 
女性同士だからよりわかり合える、などと簡単に言えるものではないだろう。
たしかに女性という点では同じだが、それ以前に異星人同士なのだ。
そもそも、仮にフランソワーズがタマラと心を通わせ、友情を築いたとしても、すぐに離ればなれにならなければならない。
それは、タマラにとってむしろむごいことになるのかもしれない。
 
重い足取りでイシュメールに戻ると、コックピットでフランソワーズがうつむいている。
どうした、と声をかけようとして、ジョーは躊躇した。
彼女は何かにひどく集中しているように……それでいて、どこかぼんやりとしているようにも見えたのだ。
 
やがて、フランソワーズはふと夢から覚めたように顔を上げ、ジョーをみとめると目を大きく見開いた。
 
「お帰りなさい、ジョー……もしかしたら、ずっとここにいたの?」
「ずっと……ってほどじゃないけれど」
「ごめんなさい……どうしたの?」
 
首をかしげるフランソワーズに、ジョーは笑ってなんでもない、と手をふってみせた。
 
「今、何か……見ていたのかい?」
「いいえ。聞いていたの。音楽が、聞こえるのよ」
「……音楽?」
 
耳を澄ませてみるが、もちろん何も聞こえない。
フランソワーズは申し訳なさそうに微笑した。
 
「ええ、私の耳でなければ無理だと思うわ……何人かの人たちが合奏しているみたいなの。笛のような音も、弦を弾く音も、何かを叩く音も聞こえる……歌っているのかしら。とても、不思議な……でもきれいな音楽よ」
「……そうか。この星の音楽……なんだろうね」
「ええ。サバが言っていたとおり、この星の人々はすばらしい文明をもっているんだわ……」
 
タマラも、その音楽を聞いているだろうか……と、ジョーは思う。
聞いているのかもしれない。
もしそうなら、今彼女は、きっと穏やかな安らぎの中にいるにちがいない。
フランソワーズがそうであるように。
 
タマラに会ってみないかと、言いかけてジョーはその言葉をのみこんだ。
なぜのみこんだのか、自分でもよくわからない。
 
もしかしたら、僕は恐れているのかもしれない。
彼女たちが、どこか似ている……ということを。
 
なぜそれを恐れなければならなかったのか、今でもジョーはわからない。
が、あの最後の日まで、彼がタマラにフランソワーズを会わせることはなかった。
守るもの
 
――私、死ぬつもりだったのかもしれないわ。
 
アタッチメントを終えた003の経過を見るため計器を睨んでいた002は、微かな声を聞いた……ような気がした。
 
かもしれない、ではない。
死ぬつもりでなければ、こんな志願をしたりしないだろう。
もちろん、彼女は死ぬつもりでいたのだ。
そして、アイツは……
 
「終わったぜ……たぶん、コレでなんとかいけるはずだ」
「ありがとう、ジェット」
「楽に、とはいかないだろうがな。コレが動き出した時には、死ぬほど後悔するかもしれないぜ?」
「そうかもしれないわ……ごめんなさい。我が儘を言って」
「謝るんなら、アイツに謝れ」
「……」
「アイツは、死のうなんざこれっぽっちも思っちゃいねえぞ」
「……ええ」
「そうでなけりゃ、オマエをココに残そうとはしないはずだ」
 
もし作戦が失敗すれば、イシュメールも無事ではいられないだろう。
死ぬのが早いか遅いかというだけのことだ。
 
しかし、009は003にここに残ってほしい、と言った。
戦いの後、彼女がここで生きることを彼は疑っていなかったのだ。
 
この状況で、どうして彼がそれを疑わずにいられるのか、002にはわからない。
わからないが、それが009であり、サイボーグチームのリーダーなのだ。
そうやって、自分たちはこれまで戦ってきた。
 
「わかってる……私、いくじなしね」
「そんなことはない。アイツがヘンなだけだ」
「ふふっ、そうかもしれないわ……でも」
 
でも、たぶん……あの人は。
 
「まあ、いい。本当のところ、オマエが行ってくれれば、俺たちも安心だ」
「え……?」
 
002はにやっと笑った。
 
「これで、オマエをココに連れて戻るまで、アイツは死ねない……死なないだろうからな」
「……まあ」
 
003も思わず微笑した。
たぶん、彼の言うとおりなのだと思う。
でも……
 
私は、あなたと同じモノになりたい。
あなたのように生きたいのよ、ジョー。
 
もしかしたら、死ぬつもりだったのかもしれない。
でも、死んではだめ。
 
あの人のように、守りたいモノを守り抜くため。
そのために、私は行くの。
美人
 
それは、ジョーがレーサーとして成功するより少し前のことだった。
 
スタッフとともに「合宿」をしていた土地の近くに、フランソワーズがたまたま日本公演のため滞在していることを知り、運良く連絡を取ることができた。
久しぶりにゆっくり話ができるかもしれない、と思い、ジョーは彼女を内輪のパーティに招いたのだ。
 
おい、あの美人誰だ、紹介しろ、と突っつかれ、どの美人だろうと辺りを見回したジョーは、ほどなくそれがフランソワーズを指しているらしいことに気づき、一瞬言葉を失った。
 
そうしたジョーのあからさまにもたついた反応に苛立ちを隠そうともせず、彼はやがて勝手につかつかと彼女に近寄り、何やら楽しげに話しかけ始めるのだった。
 
アイツ、フランス語できるんだっけ……とぼんやり思い、いや、彼女は英語でも日本語でも問題ないんだ、とまたぼんやり思う。
今思い出すと、とにかくひたすらぼんやりしていたような気がする。
そんな風にして、ジョーはフランソワーズが「美人」であるということを知ったのだ。
 
 
 
たしかに、言われてみれば彼女は「美人」だ、と思う。
つづいて、ジョーの知る限りの「美人」と言われる女優やら、レースクイーンやらを思い出し、そうしてみると、要するに彼女はそういう女性たちと同じだったのだ、と考えざるを得なくなる。
考えたからといって、もちろんそれ以上ジョーにはどうすることもできず、彼女はやはりサイボーグ戦士であり「003」なのだ……けれど。
 
身近に「美人」がいて、彼女と日常生活を共にする、などというのは、ジョーにとって途方もないことだった。
だから、ジョーはそれをなるべく意識しないように、といつも心がけている。
が、そうはいっても、気がゆるんでいるときなどに、彼女のちょっとした仕草や笑顔に思わずぎょっとすることはある。どうしてもある。
 
こんな馬鹿げたコトは誰にも言えない、と思うジョーだったが、ある日、ソレをあっさり暴露する羽目になった。
ジェット・リンクと久しぶりに再会し、酒を酌み交わして盛り上がった挙げ句、女性談義となり……という辺りまではジョーも辛うじて覚えているのだが、ひたすら酔っぱらっていたので、記憶はところどころ飛んでいる。
イキナリ頭を殴られたような衝撃を受け、酔いが一気に吹っ飛んだのは、ジェット・リンクが仰天して叫ぶ声を聞いたときだった。
 
「オマエ、ソレって、まんまフランソワーズじゃねーかっ!」
 
どうやら、理想の女性……について、ジョーは熱心に語っていたらしい。
その時ジョーが一体何を言ったのか、実は聞いていたはずのジェット・リンクもかなりもうろうとしており、具体的には覚えていないのだという。
ただ、ジェット自身も、自分が「叫んだ」ことはしっかり記憶していて、よくわからないものの、とにかくジョーの理想の女性はフランソワーズである、ということだけは認識することができている。
 
「しかし、オマエも物好きなヤツだな……なんでフランソワーズなんだ?ちょっと考えればもっといい女がいくらでもいそうなモノだが?」
 
そう言いつつ、ジェットがいつまでもしきりに首をひねっているので、ジョーはなんとなく胸騒ぎがするのを抑えられなかった。
別にいいじゃないか、しつこいぞ!と、とっておきの不機嫌な声を出してみせ、ようやく彼を黙らせることができた。
 
やれやれ……とジョーは嘆息する。
ソレについて仲間たちにはあまり多くを考えてほしくない。
たぶん、彼らもかつての自分と同様、まだ気づいていないのではないか……と思うからだった。
003が……フランソワーズが「美人」である、ということに。
 
もし、彼らがあれこれ考えた結果、自分のようにその結論にたどりついてしまったらどういうことになるか……あまり考えたくはない。
自分一人でもこれだけ混乱しているのだ。
この上、更に8人の男が同じことになってしまい、そういう男たちが戦闘チームを組む……など、恐ろしすぎることだった。
まして、そのチームには、問題の張本人たるその「美人」も含まれている、というのに。
 
8人、とジョーが思うのは、もちろんイワンとギルモアをも彼が勘定に入れているからだった。
とにかく、彼らに気づかれてはいけない。
それもまた、リーダーとしての自分の役目かもしれない、とジョーは思う。
そして。
 
――要するにただのジェラシーさ、それも相当タチの悪いヤツ!
 
と、ばっさり切り捨てたイワンに、ギルモアも含め仲間全員が賛成していることを、ジョーはまだ知らない。
ワンピース
 
あなた、日本語ができるんじゃなかった?と友人に頼まれ、フランソワーズは、日本からパリ観光に来た少女二人を蚤の市へ案内することになった。
彼女たちは、英語もフランス語もできないわけではないものの、やはり会話には気後れが先立つのだという。
 
初対面の挨拶をにこやかに澄ませた後、しばらく一緒に歩くうち、少女たちの礼儀正しさや柔らかい物腰をフランソワーズは好もしく思った。
 
――こういうのを、ヤマトナデシコ、って言うのかしら?
 
一方で、彼女たちはおよそ人を疑うということを知らない無垢……というか無防備な雰囲気を漂わせてもいたので、フランソワーズはさりげなく周囲に目を配り、近寄ってくるスリを牽制し、時にはひそかに実力行使で撃退したりもした。
 
ジョーと初めてここに来たとき、彼がいきなりスリの被害に遭い、あっけにとられたことがあった。
009のポケットから財布を抜き取ることができるなんて、この街にはどれほどの腕前のスリがいるというのだろう、と、思い出すと、今でも少々空恐ろしい気持ちになる。
 
不意に、少女たちが歓声を上げたので、フランソワーズは物思いから引き戻された。
彼女たちは、色とりどりのリボンやレースや服地が山と積まれた店に目を奪われ、嬉しそうにおしゃべりを始めていた。
どうやら、手芸や洋裁を趣味としているらしい。ますますもってヤマトナデシコ……と、またフランソワーズは思う。
 
「すてきな色……フランソワーズさんにぴったり!」
「本当……!」
 
少女たちはフランソワーズを手招きし、くるくる、と手早くその服地を広げた。
クリーム色の柔らかなウールで、光沢といい感触といい、上等の品であることは明らかだ。それをひと目で見抜いた少女たちの目の鋭さにも感心しながら、フランソワーズはそのクリーム色にしばらく見入っていた。
 
「春のお日さまみたいな色ね……」
 
少女たちが嬉しそうに頷く。
フランソワーズはふとギルモア研究所の居間に柔らかくさしこむ午後の日差しを思い出した。
 
おそらく、彼女たちの黒い髪と黒い瞳、きめ細やかな肌が、あの日本の空気を思い起こさせたのかもしれない。
どこか痛みにも似た懐かしさが胸にこみ上げ、フランソワーズは少女たちが勧めるままに、その布を買い求めていた。
 
とはいえ、いつもなら、忙しさにかまけて包みを開くこともなく、棚にしまい込んでいたかもしれない……が、少女たちの生き生きとした笑顔に心が弾んでいたのか、フランソワーズは帰宅するなり、さっさと古い型紙を吟味し、裁断にかかった。
デザインをあれこれ考えたりしていると気持ちが鈍るかもしれないと思い、手元に型紙のあるごくシンプルなワンピースを作ることにしたのだ。
 
 
ギルモアから招集の知らせが届いたのは、それが完成して間もなくのことだった。
詳しい事情は語られなかったが、001が恐るべき予言をしたのだという。
今度の敵は、遠い宇宙からの侵略者……である、と。
 
もしかしたら、この部屋に戻ることはもうないのかもしれない。
そう思ったとき、フランソワーズはまだ一度も袖を通していないあのワンピースを無意識に手にとっていた。
およそ戦士の着るものとは思えない、柔らかい風合いとシンプルな女性らしいライン。
 
――あの人は、どう思うかしら。
 
よく似合うよ、とは言わないだろうと思う。
むしろ、そんなことは言われないほうがいい。
それを言うとき、彼はきっとこう続けるにちがいないから。
君は、ここに残れ……と。
 
それでも、やっぱり着ていこうと、フランソワーズは思った。
 
これが私……そして、あの赤い服を着る003も私、なのだから。
ネモフィラ
 
花など育てられない、とジョーが何度言っても、彼は「コレなら絶対大丈夫ですから!」と引かなかった。
 
「育てるとか育てない、じゃなくて。島村さんの家には、小さい庭があるでしょう?そこにちょこっと埋めておきさえすればいいんです。どうやって埋めるか、って……そうだ、小学生のとき、アサガオ育てませんでした?」
 
育てた……かもしれないが、あまりいい思い出ではなかった。
みんなで一緒に種まきをしたのだけど、彼の植木鉢だけはとうとう芽を出すことがなく、担任がどこからか別の苗をもってきてくれたのだ。
 
「それも大丈夫です。種、こんなにたくさんあるんですよ!そもそも、育つとものすごーく広がる花ですから、間引きしなくちゃいけないぐらいで」
 
間引き……など、考えたくもない。
憮然とするジョーの反応に敏感に気づいたのか、彼は「もっともそんな高度なテクは島村さんには無理ですね……でも大丈夫ですって!」と言い放った。
 
結局、ジョーはその細かい種をティースプーン一杯ほど受け取る羽目になった。
ファンの女の子が育て、採取し、送ってきたという花の種で、数種類あったモノを広報スタッフが吟味し、ジョーでもどうにか育てられそうな品種を選んだ……のだった。
 
要するに、ジョーがファンから送られた花の種を蒔き、育て、春にはこんなにきれいに咲かせましたよー、という写真を撮りたいらしい。
そんなモノを何に使うのか、ジョーには皆目見当がつかないのだが、スタッフは「要するにエコ!」だと言うのだった。
やっぱりわからない。
 
とはいうものの、是非蒔いてくれ、後は忘れていいから、とまで言われて受け取った種なのだ。放っておくのも申し訳ない気がして、ジョーはとりあえず庭をあちこち歩き回って吟味した結果、一番日当たりのよさそうな地面をせっせと掘り返した。
 
アサガオ……のときどうだったか記憶はおぼろげだったが、こんなモノだろうか、と柔らかくなった土に人差し指で穴をあける。ごま粒のような種をひとつだけの中に落とし込んでみると、どうもその穴はずいぶん深すぎるような気がして、なんとなく心許ない。考え考え、ジョーは土にぷすぷすと浅い穴、深い穴、と無数の穴を開けていき、そこに一粒ずつ種を落とし込んでいった。
 
かなりの時間をかけてようやく最後の一粒を穴に落とし、あとは一気に埋める。
作業が終わり、立ち上がると、土の表面は冷たい沈黙に沈み、その下に生命の息吹を守り育てているようには到底見えない。
ジョーは深く嘆息した。
 
水も肥料もやらなくていい、と言われていたものの、せめて種を蒔いたときぐらいは水をやる責任があるだろうと思い、じょうろを買っておいた。が、水を汲んでこようと顔を上げたとき、額にぽつ、と水滴が落ちた。
 
ぽつぽつ降り始めた雨はやがて本降りとなり、種を蒔いた地面はあっという間にぬかるみとなってしまった。
ジョーは逃げるように家に駆け込んだ。
 
その後数日間、ジョーはおそるおそるその地面を眺めたが、芽が出る気配は一向になかった。
予想はしていたが、やはり駄目だったのだ……と、暗澹たる気分になる。
 
――僕が蒔いたせいで、あんなにたくさんの種が芽吹くことができなかった。もし、僕なんかじゃなくて……
 
ジョーは、ふと秋晴れの青く澄んだ空を見上げた。
もし、種を蒔いたのが僕じゃなくて「彼女」だったら……
 
それ以上考えるのがイヤになった。
忘れてしまおう、とジョーは思った。
 
仕方がない。
もう過ぎてしまったことなのだ。
僕が種を蒔いてしまった。だから芽吹かなかった。
悔やんでも意味がない。
それでも、進むしかないのだから。
 
アレ、全滅させてしまったよ、ごめん……と謝ると、彼は頓狂な声を上げて驚いた。
 
「ありえません!……島村さん、水をやりすぎたんじゃないですか?」
「……いや」
「肥料をむやみにやったとか?」
「……いや」
「あ!もしかして、ビニールかけたりしませんでした?寒いからって」
「……だから。ホントに何もしなかったんだ……さすがに、それじゃマズかったんじゃないのかな」
「えー。ソレでいいはずなんですが……」
 
彼は何度も首をひねりながら言った。
とにかくその花は、放っておけば咲くのだという。
気を付けなければいけないのは、手を掛けすぎること。
それから、もっと気を付けなければいけないのは、移植に弱いので、ずっと同じトコロに植えておかなければならないということ。
 
そこがどんな劣悪な場所であろうとそこに根を下ろせばそこでしか咲かない。
どんなに丁寧にどんなに良い場所に移植しようと、弱ってしまう……のだという。
 
移植もなにも、芽を出さなかったのだから話にならない。
そうジョーは思ったが、口には出さなかった。
 
 
結局、その謎企画は実行されなかった。
花が育たなかったからではなく、島村ジョーが突然レースから引退したからだ。
 
引退にまつわる事情を詳しく知る者は誰もなかった。
が、事情がどうであれ、後の処理はしなければならない。
 
スタッフが知る限り極めて生真面目な男だった島村ジョーは、身を引くときも周到な準備を密かに進めていたようで、わけのわからない半ば蒸発事件のような引退劇だったにもかかわらず、スタッフたちの負担は意外なほど軽かった。
 
順調に進んだ後始末も終わりに近づき、ジョーが借りていた家を不動産業者に引き渡すことになったとき。
久しぶりにその家を訪れたスタッフたちは、門を開けるなり、思わず目を見張った。
 
柔らかく輝く春の空をそのまま地上に写し取ったような青い花々が、庭一面を覆い尽くし、咲き広がっている。
 
「なんだ……島村さん、結局咲かせてたんじゃないですか…」
 
彼は思わずつぶやいた。
ジョーから花の話を聞いたことはあの後なかったのだから、たぶん彼は何も気づかないままこの家を去ったにちがいない。
 
見せてあげたかったなあ、喜んだだろうなあ、と残念に思いつつ、でもまあ、こういうのが、なんだか島村さんらしいんだよな、とも彼は思うのだった。
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Last updated: 2015/11/24