こそこそこくご


10    読書感想文ふたたび
 
もうすぐあれから一年になるのだった。
 
…と、感慨もあったりするのだけど。
 
まだ8月になったばかりだから、今なら間に合うかも!で、読書感想文の書き方なのだった。ココを読んでいるコドモがいるとはとても思えませんが。(汗)
 
読書感想文が書けるか書けないかは、本選びでおおかた決まってしまう…と私は思う。特にコドモの場合。
 
もちろん、読書感想文はきわめて個性が強く出るモノでもあるので、一概には言えないけれど…失敗しやすい本と成功しやすい本があるのは確かだと思う。
 
まず。
本を選ぶとき、やっちゃいそうなんだけどやらないほうがいいこと…を二つあげると。
 
大・大・大好きな本を選んではいけない。
 
…のがまずひとつめ。
なぜか。
 
読書感想文というのは、一種の評論でもある。
ってことは、ある程度…ではあるのだけど、内容には客観性がないといけないのだった。
 
大・大・大好きな本について語るとき、自分がそれをなぜそんなに好きなのかを客観的に語るのは、実は結構難しい。
本について語るには、その本との距離が必要だったりするのだ。
 
この手の失敗を招く本の代表が
 
「赤毛のアン」
 
だったりする。
 
しかし、妙なもので、こういう本を読書感想文に取り上げる生徒は、意外に少ない。
生徒にしてみれば、大・大・大好きな本を、夏休みの宿題なんかで冒涜されたくない!
…のかもしれない。
 
それが正しいと私も思う。
 
 
二つめは。
 
ベストセラー本を選んではいけない。
 
…ということ。
なぜか。
 
この代表が、ちょっと古いけれど、数年前に大ベストセラーになった
 
「五体不満足」
 
…なのだった。
 
私も読んだ。
感動的だった…と思う。
読んでよかった本、だと思った。
 
でも、感想文には向いていない。
 
実際、コレで感想文を書く生徒はとても多かった。
でも、たいていがなんというか…玉砕しているのだった。
 
ちなみに、読書感想文の感動的優秀作品に、条件はない。
感動的優秀作品は、何についてどのように書こうとも優秀作品だったりする。
 
「五体不満足」が出た年とその翌年あたりは、ものすごい数の生徒が、コレについて感想文を書いた。
母集団が大きいので、感動的優秀作品が出る確率も当然高くなる。
ってことで、もちろん「五体不満足」について書いた素晴らしい感想文というのは存在した。
 
…が。
 
ここで問題にしているのは、感動作品を書くにはどうしたらいいか…ということではなかったりする。
 
で、話を戻すと。
 
ベストセラーがなぜいけないのか、なのだった。
 
ベストセラーは…わかりやすい。
わかりやすいから売れるのだ。
もっと言うと…
普段本を読まない人でも面白いと思い、わかったと思い、感動するから売れるわけで、そうやって売れた本がベストセラーとなる。
 
わかりやすい…ということが欠点だ、と言っているわけではない。
ただ、読書感想文というのは繰り返しになるが一瞬の評論である。
 
ぜーんぶわかった〜!
感動した〜!
すごい〜!
 
…で、気持ちが満足するのは、読後感としては最高なのだけど、その状態だけで2000字何かを書くのは…無理。
 
何かひっかかることがあって、それについてアレコレ考える…ってことをしていかないと、なかなか字数は稼げないのだった。
 
今年だったら、
 
「ハリー・ポッター」シリーズの新作とか、
「世界の中心で…」あたりなのかな〜?
 
で、もし。
 
・感動した。涙が止まらなかった。
・私もこんな風に生きたい。
・夢があふれていた。元気が出た。
・最後まではらはらし通しで、本が手放せなかった。
・友情のすばらしさを感じた。
・挑戦することは尊いと思った。
・生きていることのすばらしさを思った。
・どんな困難にも負けない意志の力に感動した。
 
…みたいな感想しか咄嗟にうかばなかったら…感想文を書くのはやめといた方がいい。
 
実は私は、これらの本を全然読んでいなかったりする。それでもこれぐらいなら書けちゃうわけで。
 
もちろん、どんな本であっても、最初にココロを揺さぶる感動は、上記のような程度のものばかりなのだ。
ソコを糸口として、各自がそれぞれ自分の観点で作品に突っ込んでいく。それが読書感想文なのだけど…
 
ベストセラーの場合、上記のような程度の感想の威力が、非常に強烈で、読者を圧倒してしまうのだ。
それが作品の力、というわけで。
 
読書感想文の場合、作品と勝負していくようなニュアンスもあったりする。
相手が強大すぎると、突っ込めないのだった。
 
特に、ベストセラーである…ってことは、前述のように、言語の扱いにそれほど熟達していない人をも感動させることができる…ってことは、つまり、そこには言語を越えた感動みたいなのが混ざってたりするわけで。
 
言語を越えた感動を言語によって表現するのは、言うまでもなく、きわめて難しい。
 
大好きな本も、感動に震えて読んだベストセラー本も、その感動の割には、読書感想文につながっていかない。
 
それは、読書感想文というものが、感動を伝えるためのモノではないから…だと私は思う。
 
もちろん、人生を揺るがすほどの感動が、一冊の本から得られることもある。
その経験を読書感想文として書けば、それはもぉ、全国レベルの賞を貰っちゃうようなスゴイ感想文になるだろう。
 
でも。
一冊の本で人生が変わる…みたいなことが、小中学生にそうあるはずないのだった。
ありもしないことを書こうとするから大変なのだっ!!!!
…と私は思う。
 
で、そのように考えていくと、読書感想文に向いている本というのは、対話ができる本なんだろうな〜と、思う。
 
対話ってなに…?
 
…ってことは次回に!またですか(汗)


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