大そうじ
 
「結局、どこに行ってもこき使われるんだよね、オイラってさ」
 
ぶつぶつ文句を言う007に、009は笑った。
 
「偉そうに言うな。どこに行ってもだって?張々湖飯店では全然役に立たないから、ここに回されたんだろう?」
「へん!言っておくけどね、兄貴だって張々湖の役に立てるとは思わないよ。せいぜい003でなくちゃ無理無理」
「ははは、たしかにそうかもな。でもしかたがないさ、あの店の大そうじともなれば、シロウトじゃどうにもならないことが多いんだろうからなあ」
 
今年は、本格的な大そうじ…というか、厨房のメンテナンスもしたい、という張々湖は、コドモががいるとかえって邪魔、と、007をギルモア研究所によこしたのだった。
今年は楽ができるぞ!と007が喜んだのもつかの間、結局003にあれこれ用事を言いつけられ、忙しく働く羽目になっている。
やけくそのようにざぶざぶと雑巾をゆすぎながら、007は大きく溜息をついた。
 
「博士も、クリーニングサービスを呼べばいいのになあ…ケチなんだから」
「サービスを呼んで、この大事な研究所をどこの誰ともわからない人たちに公開するっていうのか?ちょっとは考えてモノを言えよ」
「ちぇ、それくらいわかってますよ…!」
「さて…それじゃ、今度は、上の方の窓を頼むよ。僕は地下に下りる」
「えーっ!上の方って…カンベンしてよ、オイラひとりでやれってかい?」
「得意の変身を使えよ…簡単だろ?」
 
軽く言ってのける009に、007は地団駄を踏み、両腕を振り回した。
 
「変身、だって?…空飛びながら窓拭くなんて、簡単じゃないんだぞーっ!なんだい、他人事だと思って!」
「ソコが、アタマの使いどころ、だろ?003も、007は機転が利くから年の割には頼りになるって言ってたぞ」
「…え?…ホントかい?」
「ああ。もちろん、僕だって頼りにしてるよ…がんばってくれ」
「やれやれ…ソレを早く言ってくれなきゃね!」
 
急に表情を引き締め、雑巾をつかむと、007はカラスに変身し、瞬く間に飛んでいった。
しばしあっけにとられていた009はやがて苦笑しながらつぶやいた。
 
「相変わらず、乗せられやすい奴だなあ…」
 
 
 
「まあ。可哀相に……それじゃ、007は今、ひとりで上の窓を拭いているの?あんなに大きくてたくさんあるのに……!」
「カラスに変身していったよ。アイツ、要領がいいからすぐに終わらせてくるさ」
「空を飛びながら窓を拭くなんて、簡単じゃないはずよ……大丈夫かしら…」
 
007と同じコトを言うんだなあ…と、009は笑い出しそうになったが、とりあえずこらえることにした。
大きな青い目が真剣そのもので天井に向けられ、忙しく動いている。今笑ってはマズイだろう。
やがて、003は呆れたように目を見開き、小さい叫び声を上げた。
 
「いやだわ、007ったら…!」
「どうした?」
「カラスの羽で飛びながら、腕を四本に増やしてるの!…内側の二本でバケツをもって、外側の二本で雑巾を二枚持ってるわ…」
「へえ。器用なヤツだなあ…!」
「もう、誰かに見られたらどうするつもりかしら…!言ってこなくちゃ」
 
駆け出そうとする003の腕をつかみ、引き留めながら009は笑った。
 
「大丈夫だよ…誰も見るわけないし…もし見た人がいても、夢だと思うだけさ」
「まさか!」
「人間っていうのはね、あまりにも信じられないモノを見たときは、それを信じようとはしないんだ…それより、変に僕たちが声をかけたら、集中が切れてバランスを崩してしまうかもしれない、その方がアブナイだろ?」
「…それは…そうだけど…」
「とにかく、僕たちは僕たちの仕事をすませてしまおうよ、003。そうしたら、ひとやすみしようって呼びにいけばいいさ。今日は君、007のために何か特別に用意しているんだろ?」
 
どこか嬉しそうな009に、003は苦笑し、思わず肩をすくめた。
 
「すっかりお見通しってわけね…ええ、007が大好きなクッキーとシュークリームをたくさん焼いてあるの。それじゃ、急いで片付けてお茶にしましょうね」
 
しかし、一時間ほどの後、007を呼びに出て行った009はバケツを手に提げ、首を傾げながら戻ってきた。
 
「おかしいな…007、いないぞ?」
「…え?」
 
003も慌てて目と耳のスイッチを入れた…が、たしかに007の気配すらない。
 
「本当……どこに行ったのかしら?」
「さあな…さすがにイヤになって、どこかに行ったんじゃないか?まったくしょうがないヤツだ」
「そうかしら?何かあったんじゃない…?007はいたずらっ子だけど、仕事を黙って放り出すような子じゃないと思うわ…」
「うむ。たしかに、窓ふきは終わらせたらしいな。このバケツをごらんよ…キレイに洗ってあるし、雑巾もきっちりしぼって入っている。ってことは、緊急事態にあって放り出していったってわけでもないようだ」
「…でも」
「おいおい、003!君の目と耳は万能じゃないんだぜ…!無理をするなよ」
 
009は003の肩を強く揺すぶった。
戦闘中の敵の動きや、特徴のある物音ならともかく、あてもなくコドモを捜しだそうというのは、さすがの003でも難しいことだと思われた。まして、相手が007では何に変身しているのかもわからないのだ。
003はそれでも探索を続けていたが、やがて小さく呻き、こめかみを押さえた。009は慌てて彼女を支え、再び強い調子で言った。
 
「これ以上の探索はするな!007は僕が捜してくる。君は休んでいたまえ」
「でも、ジョー!」
「じっとしていられないなら、そうだな。とびきり上等のお茶をいれておいてくれ」
「いやよ。私も行くわ!」
「…フランソワーズ」
「町で騒ぎが起きているの。強盗…みたい。張々湖の店の近くよ…犯人は逃走中。警官がたくさん走り回って……」
「そういうことか。…でも、心配することはないさ。007とは関係ないだろうし、犯人もすぐに捕まるよ」
「…イヤ!」
 
目に涙をためて見上げる003に、009は思わず溜息をついた。
しばらく考えてから、ぽんぽん、と宥めるように彼女のアタマをそっとたたき、009は言った。
 
「それじゃ…ここで、僕の動きを追ってくれるかな。それなら幾分楽だろう?僕の周りに何かを見つけたら、コレで知らせてくれたまえ」
 
差し出された通信機を張り詰めた目で見つめ、003はようやくうなずいた。
 
「じゃ、行ってくる」
「…ジョー、待って!」
「うん?…まだ何かあるのか?」
 
振り向くと、003は通信機を祈るように両手で持ち、心配そうに見つめている。
 
「007を見つけても…あまり叱らないでね」
「それは、シュークリームの出来次第、ってことにしておくよ」
 
009は笑って手を振りながら、再びひそかな溜息をついた。
 
 
 
まったく、やってられないよなあ…と、鳩に変身しなおした007はぶつぶつぼやきながら空を飛んでいた。
窓拭きを終えて、研究所の地下に下りてみると、009と003が実に楽しそうに仲良く掃除をしているのだった。
なんだよ、やっぱりそういうことか…!とココロで毒づきながら、それでも、003の輝くような笑顔を見ると、そのままにしておいてあげよう、という気になってくる。
 
「あっちでもこっちでも、オイラはお邪魔虫〜ときたもんだ!」
 
とりあえず張々湖飯店に向かった。
清掃作業はまだ続いているのだろうが、完全に居場所がないというわけでもないはずだし、ソコから研究所に電話を入れておけば、003も安心して009とゆっくりできるだろう。
思えば、003はクリスマスのときも007を中心に考え、きわめてコドモ向きの楽しいパーティを開いてくれたのだった。彼女を姉のように慕う007としては、それは嬉しいことであったが、一方では心配でもあった。
 
クリスマスといえば、恋人同士の大きなイベントでもある…と007は理解している。少なくとも、世間ではそういう扱いになっているはずだ。
それなのに、003はその日、想いを寄せている009へのアプローチをまるっきりしていないようにしか見えなかったし、ついでにいえば009の方も実に淡々とした態度でしかなかった。
研究所のクリスマスパーティで、009はあくまで007の保護者然として振る舞い、プレゼント交換やゲームにきっちりとつきあい、ケーキも端正に平らげ、夜の八時には007と006をクルマに乗せて研究所を辞したのだ。
後部座席で満足そうに居眠りをしている張々湖のいびきを聞きながら、007はハンドルを握る009の横顔をこっそりのぞいた。これでいいんだろうか、よくないよなあ…と何となく気持ちが沈んだ。
もちろん、007たちを張々湖飯店に下ろし「おやすみ」を言った009が、そのまま研究所にとって返して、003を夜のドライブに誘うかもしれない…なんてことは、007にはまったく思いつかなかったし、それも無理のないことだった。
 
一緒に仲良く大そうじ…なんて、色気も何もないといえばないのだが、本当に何もないよりはマシだろう、と007は切に思う。
気が強いくせに、こういうことには妙に内気な003と、女の子にやたらモテることは間違いないが、何を考えているのかサッパリわからない009なのだ。
とにかく、チャンスは…少なくとも、チャンスになるかもしれないようなチャンスは、逃してはいけない、と思うのだった。
 
あれこれ考えていると、あっという間に張々湖飯店の屋根が見えてきた。
大きく旋回しながら舞い降りていくうちに、007は辺りの様子がいつもとやや違うのに気づいた。何やら、ものものしい様子の警察官や機動隊員が忙しそうに動き回っている。
 
「こいつは…何か、事件だな。よーし、まずは情報収集!」
 
どうせヒマだしな、と007は口の中でつぶやき、パトカーが数台停まっている路地の塀の上に舞い降りた。
 
 
 
変身能力を持つ007は、もともと諜報活動向きのサイボーグだ。フツウの人間たちからひそかに情報を集め、フツウの人間でしかない強盗犯を見つけ出すことなど、たやすかった。
 
が、もちろん、問題はその後だ。
物陰に身を潜めながら、ネズミの姿となった007は、さてこれからどうしたものか…と考え込んでいた。
 
007が逃走中の強盗犯を発見したとき、その男は民家に押し入り、一人暮らしの老女に出刃包丁をつきつけている真っ最中だった。迂闊には動けない。
もちろん、万一、犯人が老女を本当に傷つけようとしたときにはその手にかみつき、包丁を取り落とさせる…しかない。
しかし、それ以上はネズミの姿のままではどうにもならないだろう。猛獣や怪物に変身しなおせばどうにかなる…はずだが、犯人はともかく、老女が驚きのあまり心臓発作など起こしてしまったりしたら元も子もない。
 
思えば、ミッションのときは009や他の仲間と連携して動いていたから、こういうことはなかったのだ。いつも006が言っているとおり、自分たちは9人で1人の仲間なんだなあ…と007はしみじみ思う。
 
それでも、どうにかしなければならない。
警官たちはまだこの家に犯人が押し入ったことに気づいていないようだった。
老女が悲鳴でもあげれば気づくかもしれないが、まずそんなことは……
 
「…あった〜?!」
 
突然、抑え込まれていた老女が狂ったような叫び声を上げた。一瞬ぎょっとした男を突き飛ばし、逃げだそうとした彼女は、しかし、すぐに足をよろめかせ、その場に倒れ込んでしまった。
 
「あ、危ないっ!」
 
007は夢中で飛び出し、出刃包丁を振り上げた男の右手に思い切りかみついた。
凄まじい悲鳴をあげ、男が包丁を取り落とす…が、やはり、それはわずかな時間稼ぎに過ぎなかったし、男は完全に混乱し、逆上してしまった。
信じられないような速さと力で、男にわしづかみにされ、しまった、と思ったときには既に007は呼吸ができなくなっていた。
ぐずぐずしてはいられない、早くもっと小さい何かに変身しなおさなくては…と気持ちは焦るのだが、イメージを集中させることができない。
 
ヤバイ、やられちまう……!
 
恐怖で全身がこわばったその瞬間、いきなり床にたたきつけられた。受け身をとるどころではなく、衝撃で完全にコントロールがきかなくなった007は、元の姿に戻って烈しく咳き込んだ。
 
「007、大丈夫か…っ?」
 
……え?
 
まさか、とおそるおそる顔を上げると、009がのぞき込んでいる。
つまり例の男は、壁にもたれるようにして倒れていたのだった。
 
 
 
「…009、あのさあ…」
「なんだ?」
「どうして、オイラがピンチだってわかったんだい?」
「ちゃんとわかってたわけじゃないさ。ただ……」
 
009は007を揺すり上げるようにして背負いなおし、こっそり息をついた。
 
「003が…その家だ、急いでくれ、窓を割ってもいいって言うからさ」
「…003が。それじゃ…?」
「ああ。つまりそういうこと。帰ったらちゃんと謝れよ。どれだけ心配かけたと思ってるんだ?」
「…すいません」
 
どうやら、何もかも裏目に出てしまったようだ…と、007は思った。
003に、009とゆっくり過ごすどころか、戦闘まがいの負担をかけてしまった。
いや、戦闘まがいなだけに、戦闘よりも始末が悪いかもしれない。特に、003の能力を考えると…
 
「今晩は寝込んじまうかもなあ…あの分だと」
「…003かい?」
「ああ。無理をするなと言っておいたんだが…そうはいかなかったみたいだからね」
「……」
 
009の言う通りだろう。
あのタイミング…張り詰めたミッションのときとほぼ同じタイミングで009が駆け込むことができた、ということは、003がフルに能力を使って探索をしていたということでもある。
 
「兄貴…オイラ、今日はこのまま飯店に戻りたいな」
「…うん?」
「だって…003に合わせる顔がないもん…ゆっくり休ませてあげたいし…明日、ちゃんと謝りにいくからさあ…」
「バカだな。オマエの無事な姿をちゃんと見せておかないと。メンテナンスだって必要だろう?それがすっかりすむまでは、心配かけたままなんだぞ」
「メンテナンス…?」
「腰が抜けて歩けないなんて、どこかおかしくなってるにきまってるじゃないか…そもそも変身のコントロールもうまくきかなくなってるわけだし」
「…やれやれ、みんなお見通しなんだね」
「当たり前だ…変な遠慮はするなよ。コドモなんだから」
「…ちぇ」
 
口をとがらせている気配に、009はひそかに微笑した。おそらく今、一番言われたくない台詞だったに違いない、と思う。特に、自分…009には。
なぜなら。
 
「007。シュークリームとアップルパイと、どっちが好きだい?」
「へ?…シュークリームだけど。なんだよ、兄貴、イキナリ?」
「いや…やっぱりね」
「…?」
 
僕は、アップルパイなんだけどね…と、009は口の中でつぶやき、また微笑した。
 

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