福引き
 
人波の向きが、どういうわけかわずかだが不意に乱れた。途端に右からぐいぐいと押され、003は流されないように荷物がつぶされないように…と足を踏ん張った。数秒後、ふっと圧迫感が緩む。見上げると、やっぱり009が庇ってくれていた。
 
そもそも、今年に限って年末の食料品買い出しに彼が付き合ったのは、たまたまニュースの映像でこういう人混みの様子を見たから…らしい。
君も、いつもああいうトコロで買い物しているのかい?と009が尋ね、何も考えないまま003がそうよ、と答え、その結果こういうことになったのだ。
 
「フランソワーズ、あとは何を買うんだ?」
「ええと…お豆よ。クロマメと、アズキ」
「豆?…煮るのかい?」
「ええ。アルベルトが、すてきな圧力鍋をクリスマスプレゼントにくれたでしょう?あれを使えば、簡単なんですって」
「ふうん……」
「日本の伝統料理には、苦手なものもあるけれど…甘いお豆は大好き。007も大好物だし、博士もお好きなんですって。がんばってみるわ」
 
鍋をプレゼントにするなんて、およそ009に思いつくことではなかったが、003は箱を開けるなり、目を輝かせて大喜びしたのだ。女の子ってのはわからないなあ…と思いつつ、ソレがわかっているらしい004を、すごいヤツだと009はひそかに思う。とはいえ、自分もわかるように努力しなければ、という気にはならない。 
ともあれ、その鍋のおかげで彼女の手料理のレパートリーが増えるというなら、009としては歓迎するだけだ。彼女のアタマにそれがあるのかどうかはわからないが、彼も「甘いお豆」は嫌いではない。
 
初めて彼女のこういう買い物に付き合った009は、その分量と重量に正直驚くばかりだった。大晦日から三が日まで、わずか四日間の食料とは思えない量だ。率直に疑問を呈すると、003は笑った。
 
「お正月は、特別なお客様も多いでしょう?日にちは少ないけれど、食べてくれる人の数が多いのよ。重箱に空いたところがあると、いかにも残り物みたいに見えてしまうから、本当に食べる量よりも、余分に用意しておかなければいけないわ。それに、材料のいいところだけをつかってお料理するから、いつもよりもたくさん必要になってしまうの」
 
なるほど…と、009は得心した。そう言われてみると、ギルモア研究所の「おせち」が、残り物っぽく見えたことはない。そうするためには冷蔵庫に大量の料理が保管されていなければならない、というわけだったのだ。
それだけの料理を用意するには、それなりの買い出しが必要になる。そうとわかれば、003だけにそれを負わせるのは気の毒だと、009は思ったのだ。いつもなら、家事については006や007が手助けをすることもあるようだが、年末は彼らも何かと忙しいらしい。
 
「…これでおしまい!」
「本当かい?…忘れ物があった、といっても、またここに来るのはちょっと大変だぜ?」
「大丈夫よ…でも、メモを確認してみるわね」
「あの店に入ろう。コーヒーでも飲んで座ろうよ…さすがにくたびれた」
「まあ!…009がそんなことを言うなんて」
「サイボーグだから楽にできるってもんでもないだろ、こういうことはね」
 
うんざりとぼやく009の様子にくすくす笑いながら、003はうなずいた。
 
「…ええと。お砂糖もあるし…ええ、大丈夫、忘れ物はないわ」
「やれやれ。調べるのも一苦労だな…コーヒー、さめちまうぞ」
「ホントね…ジョー、ありがとう。あなたが来てくれなかったら、どんなに大変だったかわからないわ」
「どういたしまして。もっとも、それほど楽になったとも思えないけどね」
「そんなこと…あ!」
「…どうした?」
「福引きが…ええと、5回、できるわ」
「福引き…?」
 
003は大きな財布から、白やピンクの紙切れを何枚も取り出し、数えていた。
そういえばそんなものもあったなあ…と思いつつ、それをするためにあの人混みに戻るのはどうも…と、009は息をついた。
そんな彼の様子に003は微笑すると、ゆっくりコーヒーを飲み干し、立ち上がった。
 
「私、ちょっと行ってくるわ。福引きの場所は覚えているし…そんなに並んでいなかったから、すぐよ。ジョーはここで待っていて…いいかしら?」
「別にいいけど…どうせちり紙かなんかをもらうだけだろ?またあの中に戻ってつぶされてくるほどのことでは…」
「荷物がないから大丈夫よ…じゃ、行ってきます」
 
ハンドバッグだけを提げて、003は軽く駆けていった。その背中を見送りながら、まあいいか、と009は肩をすくめ、店の隅に雑誌を取りに行った。
そうしてしばらくは雑誌に没頭していた009だったが、ふと顔を上げ、首を傾げた。30分がたとうとしている…のに、003は戻らない。
 
福引きの場所は、009も確認していた。それほど遠い場所ではなかったはずだ。
通行人を注意深く観察してみても、事件が起きているような気配はしなかった。
おそらく、福引きのトコロに行列でもできているんだろうと思いながらも、一度気になってしまうと、もう雑誌には戻れなかった。しかたない、とレシートをつかみ、荷物を持って009は立ち上がった。とりあえず、様子を見に行ってみよう、と思ったのだ。
もし行き違いになったとしても、何事もないのなら003はすぐに自分を探し出すだろう。多少は小言をくらうだろうが、それぐらいは我慢すればいい。009はそう思った。
 
 
 
福引きに行列などできてはいなかった。009は憮然として立ち止まり、あたりを警戒しながら見渡した……が、003は見つからない。
急ぎ足でさっきの喫茶店に戻り、更に駐車場へと戻ってみたが、やはり彼女はいなかった。
とりあえず荷物をトランクに詰め込み、さて、と009は腕組みした。
今はここで動かず待つしかないだろう、と思う。彼女がどこをうろうろしているとしても、この駐車場の場所はわかっているのだし、帰るとなればここに来るしかないのだから。
そして、万一……
 
万一、と深呼吸してから009は気持ちをぐっと引き締めた。万一彼女がかなりの時間がたっても戻ってこなければ…そのときは、いよいよ、何かがあったと考えるべきだろう。
その「かなりの時間」をあと1時間、と009は設定した。その程度の時間では、取り越し苦労になる確率のほうが圧倒的に高いのだが、それ以上の時間をおけば、対策をうつには手遅れになる可能性が出てくる。
 
女の子というのは時間にルーズなものだ、ということを誰からともなくだが、009も聞いたことがある。が、003に関しては、まずそういうことはなかった。ちょっと行ってくるから、と彼女が席をたってから、もうかれこれ40分は過ぎようとしている。「何か」があったことはもう間違いない、と009は思う。問題は、その「何か」が何であるかということだ。
 
一番ありそうなのは、困っている年寄りか何かに出会い、手を貸してそのまま動けなくなっているということだ。それなら特に問題はないし、この喧噪の中ではいかにもありそうなことだった。しかし、そういうことなら自分も彼女の手助けをしてやりたいのだが…と009はやはり歯がゆく思うのだった。
通信機を持たせるべきだった、と009は後悔した。たかが買い物に出るだけだとたかをくくっていたのだが、これが要するに油断禁物、ということなのかもしれない。
あるいは、いつものように007を連れてきていれば、これもまたどうということはなかっただろう。こういうとき、彼の探索能力は実に貴重だ。
 
あれこれ考えているうちにまた数十分が過ぎた、そのとき。
009の耳は、遠くかすかに…しかし間違いなく、少女の鋭い悲鳴を聞き取った。
 
「フランソワーズ!?」
 
009は思わず叫びながら素早く身を翻し、声の方向へと疾走した。
 
 
 
「いや、本当に年の瀬というのは実に困ったものなのですが…いやはや」
 
初老の警察官はまたもや009の姿をみとめると、なんともいえない表情となり、口の中でもごもごとそんなようなことを言うのだった。その曖昧な事なかれ主義的応対にややうんざりしながらも、根掘り葉掘り職務質問される羽目にはなりそうにないことを、まあ有り難い、と009は思う。
 
「まったくですね。被害者がか弱い女性ばかりだというのも、嘆かわしいことです。それでは、僕はこれで…さすがに、今日はもうお会いしないですむだろうと思いますが」
「や、たびたびのご協力、感謝します。ええと、どうですかな、こちらで感謝状などを用意しようと思うのですが…」
「それは困ります。急ぎますので、これで」
「あ!ちょっと!…ええと、そうだ、コレを」
「…コレ…って?」
「あー。なんですかな、福引き券です。その、私から…まあ、個人的なその、お礼といいますかなんといいますか…こんなモノしかなくて恐縮ですが」
 
お気づかいなく…と押し返そうとしたものの、警察官の気弱そうな、しかしあくまで善良な困り顔に、009は結局それを受け取ってしまった。
派出所を後にしなたら、009は思わず嘆息した。たしかに年の瀬というのはそういうものなのかもしれないが、それにしてもこんなに事件が頻発する、などということがあり得るのだろうか。
結局、その日、009は合計4人もの少女の悲鳴を聞いたことになる。それらを追うことで、わずか数時間の間に、ひったくり・スリ・痴漢・またひったくり…にでくわし、いずれも犯人を取り押さえては派出所へと連行したのだった。
 
いつのまにか、日はとっぷりと暮れている。
悲鳴を上げた少女たちの中に003はいなかった。4人目の悲鳴を聞いたときには009もさすがにかなり落ち着いていて、その声が彼女と違うことにもあらかじめ気づいてはいたのだが、だからといって放っておくわけにはいかなかった。
 
009はゆっくりと駐車場に向かった。もう心配はしていない。
003に何があったのかは結局判らずじまいだったが、おそらく彼女は戻っているだろう。少なくとも、彼女の安全を脅かすような巨悪の気配は、今日この町にまったくなかったのだ。そう確信できるほどに、009はこの数時間の間、文字通り町中の隅々にまで神経を張り巡らせ、駆け回ったのだから。
案の定、車がまばらになった駐車場で車にもたれるように立っていた003は、近づいてくる009ににっこりと微笑みかけた。
 
「お帰りなさい…お疲れさま、ジョー……怪我はなかった?」
「…ああ。君の方こそ。すまなかったね、何時間待った?」
「大した時間じゃないわ…それに、あなたの姿は見えていたの。お手伝いできなくてごめんなさい。でも、とても追いつけないと思ったから…」
 
003は申し訳なさそうに微笑した。まあ、そうだろうな、と009は思う。
そして、待ったのが大した時間ではない、というのは彼女の嘘だろう。
009が予想したとおり、おそらく彼女は、最初の少女の悲鳴に彼が飛び出していってからほどなく、ここに戻ってきたに違いない。こうして無事でいるのだから。
 
それにしても、彼女はいったい何をしていたのだろう…と気になることは気になった。が、尋ねようとして、009はふと口を噤んだ。003が、喫茶店を出て行くときに持っていたハンドバッグしか手にしていないことに気づいたのだ。
だから、009は尋ねるかわりにこう言った。
 
「お巡りさんに、福引き券をもらったんだ……お礼だってさ」
「まあ。面白いお巡りさんね」
「気のいい感じの人だったな…これで、何回できる?」
「ええと…あら、すごいわ。8回よ」
「たしか、一等はハワイ旅行…だったっけ」
「ええ。でも、それはもう出てしまっていたわ」
「じゃ、やってもしょうがないか…醤油を当ててもツマラナイし」
「あら、お醤油じゃなくて、お米よ。宮城県産ササニシキの新米、ですって」
「…ふうん?」
 
と、いうことは。
行き倒れの若者かなんかに出くわしたのか。それともコドモかな。
それとも……
 
「ササニシキの新米か……惜しいことをしたな」
「おいしいお米なの?」
「それはそうさ。博士も喜んだんじゃないか?…まあいい、もう一度当てればいいんだから…今度は僕も行こう」
「え……ジョー…?」
「福引きも、今日の分はそろそろ終わりだろう…残り物には福がある、っていうんだぜ」
「……あ」
 
003の白い頬がさっと染まった。
このぶんだと、やっぱり彼女が「助けた」のはおばあさんとかコドモではなく、若いオトコだったんだろうな…と思いつつ、009は彼女の手をしっかり握った。
彼女が敢えて話す必要のないことだと考えているなら、聞く必要もない。
 
「ねえ、ジョー…?」
「…うん?」
「ジョーは、やっぱり親切ね」
「……」
「私……幸せだわ」
 
どう返事をしていいものやらわからない。
009は黙ったまま少しだけ手に力を入れ直し、賑やかな人混みの中へ003をぐいぐい引っ張っていった。

PAST INDEX FUTURE