花のやうに雲たちの衣裳が開く
水の反射が
あなたの裸体に縞をつける
あなたは遂に飛びだした
筋肉の翅で。
日に焦げた小さい蜂よ
あなたは花に向つて落ち
つき刺さるやうにもぐりこんだ
軈(やが)て あちらの花のかげから
あなたは出てくる
液体に濡れて
さも重たさうに
 
村野四郎「飛込」(『体操詩集』より)
 
 
Dive
 
 
閃光。
やや遅れて凄まじい爆発音と地響き。
 
「…しつこいヤツらだ…みんな、無事かな?」
「ええ…でも、ずいぶん離れてしまったわ」
「どこから…くる?」
 
きゅっと結んだ唇から、長い吐息が漏れる。
 
「どこからも…来るわね」
「それは困ったな…ったく、今この辺にいるのは、僕たち二人きりなんだろう?」
「ええ。ホント…あっちの索敵能力、なってないわね…!こんなところに、全軍に近い数が集まってくるなんて」
「…やれやれ」
 
008は思わず天を仰いだ。
全軍に近い数…ね。
マトモにかかったらひとたまりもないってか。
逃げるしかないけど…
 
「僕たちだけじゃ、空飛ぶわけにも地面にもぐるわけにもいかないしなぁ…」
「そう…よね…」
 
じっと辺りに目をこらしていた003が不意にあ、と小さく声を上げた。
 
「…見つけた!」
「え…?」
「海があるわ…!大丈夫よ、008」
「それは助かった…けど…003、海…だって?そりゃ、たしかにここは島だけど…」
 
上陸してから、ずいぶん登ってきたような気がする。
 
「ここをまっすぐ抜けると、断崖があるのよ…ちょっと高いけど、あなたなら大丈夫」
「…ちょっと…だって?」
「ちょっと…よ。ほんの30メートルぐらい…かしら?」
「お、おいおい、003…!」
 
無茶言うなよ…と言いかけた008を、青い目が真剣そのもので見つめ返した。
 
「ちゃんと水深もあるわよ…海底に、細いけどごく深い亀裂があるの…水の色が違うからわかるわ…あなたなら大丈夫よ、絶対」
「亀裂って……そこ目がけて飛べってか?30メートルの高さから?君連れて?」
「『あなたなら』大丈夫…って言ったでしょう?」
「…待てよ、フランソワーズ」
「早く…!あまり時間がないの…もう、そこまで来てる…!」
「だから、ちょっと待った!」
 
両肩を掴む黒い手をそっと引きはがし、003は微笑んだ。
 
「私はそんなダイビング、遠慮させていただきたいわ…正気の沙汰じゃないもの」
「…だよな。で、どうするんだ、君?」
「待ってるわ」
「どこで?」
「ここで」
「…敵がくるんだろ?馬鹿げた数の」
「なんとかなるわ」
 
花のような笑み…だが、目は笑っていない。
ピュンマは肩をすくめ、勢いよく仰向けに寝ころんだ。
 
「ふ〜ん、そうか…だったら、僕も残る」
「ピュンマ!!」
「僕だって、そんなダイビングはゴメンだね…ここでじっとしてる方がいいに決まってるじゃないか」
「あなた、008でしょう?横着言わないで」
「横着者は君だろ、003」
 
しゃがみこんだ003の目の奥に、怒りとも悲しみとも決意ともつかない、燃えるような光が見え隠れしている。
やっぱり、似てるんだよなあ…と心でつぶやきながら、008は穏やかな茶色の瞳を思い起こしていた。
 
「お願い…わかって、ピュンマ…あなたなら、生き延びられる…生きなくてはいけないのよ…!」
「君の言うことはわかるけど…そうやって生き延びたって、どうせすぐ殺されるよ?ジョーに」
「あの人は、そんなことしません!」
「…たしかに…そうかも…な」
 
008はよいしょっと身を起こした。
 
「003…ホントに、誓って、それしか方法はないのかい?」
「…ええ」
「わかった」
 
次の瞬間、003は上がりそうになった悲鳴をかろうじて咽の奥で堪えた。
008の肩に抱え上げられていた。
 
「な、何…するの、おろして…!」
「妥協案ってことにしないか…?君も、一緒に飛んでもらう」
「ピュンマ…!駄目、無理よ、そんな…!」
「ジョーはさ…そりゃ、僕を殺しはしないだろうし、責めたりもしないだろう…『君のせいじゃない』って言ってくれるとも思うよ、優しいからね、彼は…でも」
 
008は浅く息を吸い、ふうっと吐いた。
 
「…泣くだろう〜?絶対泣くよ…タマんないんだよね、アレ、見せられるのさ…」
「馬鹿なこと言わないで…!あなた一人だって無理かもしれないのよ…お願いよ、ピュンマ…私に構わないで!」
「フランソワーズ、ジョーに泣かれたことある?」
「ピュンマ!!」
「あるよね、君なら…だったら察してくれ、頼むから…で、どっちに行けば、海なんだい?」
「駄目…無理よ…!」
「僕なら大丈夫…って、君が言ったから信じたんだ。君だって僕を信じるべきだろ?…教えないなら、ここに立ったままだよ?」
 
 
003に導かれ、林を抜けると…不意に断崖の切っ先に出た。
そっと下を覗き込み、ピュンマはひゅっ、と軽く息を呑んだ。
 
「亀裂…って…アレのこと?003」
「…そうよ」
「30メートル…って、結構サバ読んでないか?」
「…そうかもしれないわ…だから」
「ココから、あそこまで…僕一人なら飛べる…って思ったわけだ、君は…何考えてるんだか」
「ピュンマ…わかったでしょう?お願い…」
 
嘆願するように見上げる003に、008は柔らかい微笑を返した。
 
「見くびるなよ、003。こんな崖…僕なら、君にイワンもつけて飛んでやる」
「ピュンマ…っ!」
「しっかり鼻つまんどけ、フランソワーズ!」
 
008は003を抱え直し、軽々と地を蹴った。
 
 
 
「…フランソワーズ…?」
 
優しい声。
少しずつ目を開けると、心配そうな茶色の目が覗き込んでいる。
 
「…ジョー…」
「よかった…僕が、わかるね…耳は大丈夫…?どこも苦しくないかい?」
「ここ…ドルフィン…?」
「そうだよ…008も無事だ」
「あ…!」
 
起きあがろうとした003を、009は慌てて押さえた。
 
「駄目だよ…まだ動いたら」
「008…大丈夫だったの?!」
「うん…元気だよ…寝てろって言ったのに、どうしても操縦するってきかなくてさ…今、コックピットにいる」
「…そう」
「君は少し休んだ方がいい…無茶なこと、したね」
「……」
「002が、君たちを見つけたんだ…空から」
「…ジェットが」
「008は、着水のショックで気を失っていたけど…ちゃんと君を守っていたって」
 
小さく息をつく003の髪をそっと押さえるようにして、009は微笑んだ。
 
「008から、君に伝言だよ…『鼻、しっかりつまんでいて偉かったな』だって…」
「もう…!」
「君、彼だけ逃がすつもりだった…んだって?」
 
茶色の目に、僅かに力がこもったのに気づき、003は拗ねたように横を向いた。
 
「あなたに泣かれるから、それは駄目だって…断られちゃったわ」
「思い出してもらえてよかった…まったく、その通りだよ」
 
009は生真面目に言った。
 
「君のつとめは、僕たちに『正しい』道を示すことなんだって…忘れないでくれ、003」
「もちろん、忘れてないわ。だから、言うこと聞いてもらわなくちゃ困るのに」
「…フランソワーズ」
 
009は毛布の下で003の手を捕らえ、堅く握りしめた。
 
「…何よ、もう…どうせ、泣くんじゃない…!」
「……」
「ピュンマの…嘘つき」
「……」
「どっちにしてもあなたに泣かれるんだったら…私が見なくてすむ方を選ぶことにするわ、今度から…!」
「もう、たくさんだ…黙って…!」
 
かすれた声とともに、彼は彼女の唇を塞いだ。
 
 
 
初めてあなたを見たのは、あの悪魔の島。
あなたは、崖に追いつめられ、身を翻し、海に飛び込んだ。
 
黒い小石のように、まっすぐ海に吸い込まれていくあなたに…息が止まりそうになって。
 
あれが…新しい仲間。
8番目の。
海を統べるサイボーグ…008。
 
 
「…はァ?!」
 
頓狂な声を上げたピュンマを、青い瞳が真剣そのものの色をたたえて見つめている。
 
「お願い…そんなに高くないでしょう、ここなら…あなただって、慣れてるし」
「駄目だよ…危ないって」
 
ジョーの目を盗んで、こっそりこんなところに引っ張ってくるから、何だろうって期待してたら…
 
と、冗談めかそうとした言葉を、ピュンマは呑み込んだ。
彼女はどう見ても本気のようで。
 
「あのさ、フランソワーズ…キミは、そんなことする必要なんてないんだ…いざとなったら、この前みたいにちゃんと飛んでやるから…」
「そんなの、イヤ…!私だって003なのに…守られてばかりなんて」
「…だから…ってなぁ…」
 
ピュンマは頭上を仰いだ。
切り立つ断崖。
たしかに…この間飛んだところに比べれば可愛いもんだけど。
 
「君は、ごくフツウのところからだったら、十分フツウに…いや、フツウの女の子だったら絶対しないようなダイビングだってできるわけだ…そうだろ?」
「あなたみたいに飛びたいの…!お願い…教えて、ピュンマ!」
 
教えて…って、言われても。
 
「…とにかく、少なくとも今は無理…わかるよね?」
「どうして?!」
「そんな水着でさ……どうなったって知らないぞ」
 
う、と口を噤み、フランソワーズは首の後ろで結んである水色のビキニに目を落とした。
 
「ほら、ジョーが嗅ぎつけてきた…!面倒はゴメンだ…退散するよ」
「ピュンマ…!」
 
あっという間に岩を登っていくピュンマを追いかけようとしたとき。
不意に後ろから肩を掴まれた。
 
…早い〜!
 
フランソワーズは思わず首をすくめた。
 
「何やってるんだ…登るの?ここからじゃ危ないよ、フランソワーズ!」
「…ジョー」
「ピュンマは?一緒だったんだろう?」
 
心配そうな…中に、どこか険を含んでいるような奇妙な眼差しで、ジョーはフランソワーズの視線を追い…眩しげに目を細めた。
 
崖の上に現われた、黒くつややかな影が、次の瞬間、青空の中に躍り出る。
 
息を呑む二人の前で、影はまっすぐ落ち、水面に突き刺さった。
ごくわずかな飛沫と、短く鋭い水音を残して。
 
 
やがて。
 
少し離れた水面に、ゆるやかに浮かび上がった彼が、大きく手を振った。
 
「…すごいなァ…」
 
ジョーは思わず嘆声を漏らし…同じように、ほう、と息を吐くフランソワーズの腕を、少しだけ力を込めて握った。
 
「戻ろう。張々湖大人が、魚を釣ったから、早く来い…って言うんだ」
「え…?魚…釣れたの…?」
 
珍しい…と目を丸くするフランソワーズにジョーは笑った。
 
「どんな魚かは、わからないけど……あ!」
「どうしたの、ジョー…?…まぁ…!」
 
二人は顔を見合わせ…同時に吹き出した。
波打ち際に上がってきたピュンマが、両手に立派な魚を一匹ずつ提げている。
 
「…大人、怒るかしら?」
「釣れたんだから…平気だよ…それに、いつものことだし」
「そうね…」
「ジョー、フランソワーズ!」
 
足元に、魚が飛んできた。
 
「ピュンマ…?」
「これじゃ、足りないかもしれないから、もう少し捕まえてくる…さきに戻っててくれ!」
「あ…!あの、今日は多分大丈夫…」
 
ジョーが慌てて叫んだときには、黒い姿は海に消えていた。
フランソワーズがまた笑った。
 
「備えあれば憂いなし…って言うんだったかしら、こういうの?」
「う〜ん…?ちょっと違う…と思うけど…とにかく、行こうよ…ピュンマのことだから、きっとすぐ追いつくよ」
「…そうね」
 
びちびち跳ねる魚にはしゃぎ声を上げ、フランソワーズはふとジョーを見上げた。
 
「ん…何だい?」
「…あ。ううん、いいの…やっぱり…いいわ」
「え…?何が…?」
 
すたすた歩き出したフランソワーズを、ジョーは急いで追った。
 
「何が…いいんだい、フランソワーズ?何かあったの?」
「なんでもないの…いいの…!」
「何だよ、それ…?」
 
たぶん…ジョーなら、それは親切に丁寧に教えてくれるにきまってるのだけど。
…でも、いいわ。
 
海の先生は、一人しかいないんだもの…ね。