八月の石にすがりて
さち多き蝶ぞ、いま息たゆる。
わが運命を知りしのち、
たれかよく この烈しき
夏の陽光のなかに生きむ
 
運命?さなり、
あゝわれら孤寂なる発光体なり!
白き外部世界なり
 
見よや、太陽はかしこに
わづかにおのれがためにこそ
深く、美しき木陰をつくれ。
われも亦、
 
雪原に倒れふし、餓ゑにかげりて
青みし狼の目を、
しばし夢みむ。
 
伊東静雄「八月の石にすがりて」(『夏花』より)
 
 
 
8月の光
 
 
一人、また一人…倒れていく。
望みのない戦い。
無駄死にするなと、年寄り達は言う。
 
昨日、幼なじみが銃弾に倒れた。
来月、彼の花嫁になるはずだった少女が泣き伏すのを、僕はただ見ていた。
 
年寄り達は言う。
分相応に生きろ。
地を這うように生きていても、生きていれば、幸せがくる。
 
幸せ…?
この奪い尽くされた国のどこに幸せがあるという?
 
僕たちは、同じ戦場にいる。
銃をとる者も、耕す者も。
子供たちの着物を縫う母親たちも、その胸で眠る乳飲み子さえも。
 
僕たちは、同じ戦場にいるんだ。
 
目をあけて、見るがいい。
どこにも、幸せなどない。
 
あるのは、残酷な太陽と。
乾ききった熱い土だけだ。
でも。
 
僕は、ここで生きていく。
ここで、戦っていく。
 
いつか、ただ一人、倒れる日まで。
この灼熱の空の下で。
 
 
 
「しかし…暑いね、日本は」
 
思わずぼやくと、碧の眼が得意そうに瞬いた。
 
「ほ〜ら、ピュンマだって暑いって言ってるじゃない、ジョー?」
「…はいはい。でも、アレはよくないと思うよ、僕は。」
「アレ…?」
 
首を傾げたピュンマに、ジョーが肩をすくめながら小声で告げる。
 
「フランソワーズがさ…暑いからって、すっごい格好するんだ」
「…え?」
 
すっごい…格好…?
 
「何よ、卑怯者!告げ口するなんて…」
「君だってピュンマを味方にしようとしてたじゃないか。」
「…ちゃんと雑誌に出てたんだから。」
「その雑誌がヘンなんだってば!」
「そんなヘンな雑誌じゃありません…!せっかく買ってきたのに…どうしてアナタに文句言われなくちゃいけないの?」
「文句言ってるわけじゃないよ、ただ…」
 
ずいぶん、仲良くなったなあ…。
まあ、一緒に住んでるんだもんな…あたりまえか。
 
ピュンマはがさがさと新聞を広げながら、さりげなく二人に背を向けるように座り直した。
昨日研究所に到着して、明日メンテナンスを受ける。
仕事は落着いているから、少し長めに滞在するつもりだった。
 
こんなに暑いのは辟易だけど…
メンテナンスが終ったら、思い切り泳がせてもらえばいいや。
 
それにしても…すっごい格好ってどんなんだろう?
 
 
 
夜でも暑い。
 
メンテナンスが終った晩、ピュンマは自室の窓を開け、思わずため息をついた。
満月だった。
見わたす限りの海原に、白い光がゆらゆら揺れている。
 
今日いっぱいは安静にしていなさい、と博士に言われた。
時計を見る。
 
12時20分。
 
ピュンマは微笑み、一応辺りを見渡し…窓から跳んだ。
 
 
深く冷たい、静寂の闇。
…でも、怖くはない。
 
もう月の光は届かない。
ピュンマは、闇に身を委ねるように全身の力を抜いていた。
鋼鉄の体は、彼が浮上しようと意識しないかぎり、ゆっくり…ゆっくり沈んでいく。
 
この辺り…結構深いんだな。
ピュンマはぼんやり思った。
もちろん、この体がもたなくなるほど深い海など、そうどこにでもあるものではない。
 
こうやって、海にゆっくり沈んでいくことを覚えたのは、あの島で実験体としての日々をおくっていたときだった。
ごく稀に、深海への適応実験が行われた。基地近くの海底の裂け目がその場所だった。
 
気が遠くなるような時間。
何も起こらない、静かな時間。
その中をゆっくり闇へ降りていく。
 
体のあちこちにつながれたケーブルが鬱陶しいといえば鬱陶しかった…けれど。
それは、あの悪夢のような毎日の中で、唯一安らげる時間でもあった。
何にも脅かされることなく、何も求められず。
そして。
 
深い暗黒の中で、彼は一人だった。
 
やがて、息苦しくなってくる。
水圧がじわりと体を押さえつける。
その力は次第に強くなり……
 
それでも、怖いとは思わなかった。
 
黒い壁が完全に彼を覆い尽くし、押しつぶそうとする瞬間。
苦痛が甘い眠りに変りかけた瞬間。
ケーブルが、ぐっ、と彼の体を締め付けた。
 
ゆっくり引き上げられるうちに、黒い壁は消え、暗黒は少しずつ青みを帯び始め…そして。
彼は、不意に陽光の下に放り出された。
明日も、戦うために。
 
 
何かが足に触り、ピュンマはふと我に帰った。
海底についたらしい。
 
…そろそろ、戻るか。
 
泥を蹴り、水を蹴って、見えない月を目指す。
 
夜の海は、暗黒の世界…だが、死の世界ではない、とピュンマは思う。
生の世界とも思えないけれど。
強いていえば、生まれる前の世界…なのかもしれない。
 
彼は、この世界が好きだった。
どこまでも一人になれる、冷たく暗く…でもどこか優しい世界。
 
自分も、この世界が好きだ…と言った仲間がいた。
 
君のように深いところまでは行かれないけど。
でも、海の中は…なんだか気持ちが安らぐ。
特に夜の海は。
不思議だね。
 
白い光が頭上に見えてくる。
一気に浮上し、水面に飛び出したピュンマは、波打ち際に人影を見た。
 
夜の海はキライよ。
とても…怖い。
 
そうつぶやいた仲間が、浜辺に立ち、こちらを睨んでいる。
碧の、月のような瞳で。
 
 
 
「もう…!どういうこと?安静にしてなさいって博士がおっしゃったのに…!」
「昨日いっぱいはね。」
「ピュンマ?」
「…もう、今日だよ、フランソワーズ」
 
フランソワーズはキッとピュンマを睨み付けた。
 
「グレートみたいなヘリクツ言わないでちょうだい!」
「ふふ…まいったな…誰にも見つからないつもりだったんだけど」
「私は、003ですから」
「…眠れないの?」
「え…?」
 
とても強い子だけど、意外なトコロが脆い。
だから庇ってやりたくなる。
ジョーがそれを意識してるかどうかはわからないけど。
 
「服ぐらい、いいじゃないか…どうだって」
「…何の…話?」
「彼が気に入らないのなら、着なければいい」
「そんなのって…!」
「それでも構わないくらい、その服が好きなら…着ればいいさ。ジョーだって、もしそうなら文句は言わないかもしれないよ?」
「……そんなの…ズルいわ」
「ずるい…かな?」
 
黙り込んでしまった亜麻色の頭をぽんぽん、と軽くたたいた。
 
「とにかく…できたら早めに仲直りしてくれよ…明後日には発つことになったんだから」
「ええっ?!」
「え?…どうした?」
 
悲鳴のような声に、ピュンマは驚いてフランソワーズを覗いた。
 
「明後日…?…嘘!今週ずっといるって言ったじゃない…!」
「ああ…ごめん、さっき連絡が入って…急に予定が変ったんだ。少し早く帰らないといけなくなってね…だから…」
「駄目よ!」
「…フランソワーズ?」
「駄目…そんなの、駄目!」
 
碧の目が今にも泣きそうな色になって震えている。
ピュンマは苦笑した。
 
「引き留めてくれるのは嬉しいけど…どうしたんだい?」
「あと一日…せめて、一日だけでも延ばせない…?お願い…お願いよピュンマ!」
「あと一日…?」
 
フランソワーズはもどかしそうに叫んだ。
 
「8月20日!お誕生日でしょう?!」
「…誰の?」
「あなたの!」
 
ええ〜っ?!
 
しばらく考えてみる……そっか。そうだったかも。
 
「もう準備してるのよ…楽しみにしてたんだから…張々湖大人もグレートも来てくれることになっているし、プレゼントだって…!」
 
フランソワーズは頬を火照らせ、懸命に言いつのる。
何と返事をしていいかわからない。
彼女の様子から推察するに…サプライズパーティの計画だったのでは?という気も。
で、当人がいなければパーティも何もないわけだから、こうしてなりふり構わず引き留めようとする。
このへんの判断力…というか、決断は見事だよな、彼女って。
 
いや、そんなこと考えてる場合じゃないぞ。
ここまで言ったということは、なりふり構ってない…ってことで、つまり……
 
「絶対…絶対、帰さないから…離さないっ!」
 
腕をがっしり掴まれたピュンマはため息をつき、涙を浮かべた碧の瞳から目をそらした。
小声でつぶやく。
 
「フランソワーズが僕にこんなこと言ってるぞ、ジョー…寝てる場合か?」
「…聞こえてるんですけど、ピュンマ」
「わかってるよ?」
 
観念するしか…ないみたいだな。
 
 
 
出発を、一日遅らせた。
国の仲間には急用ができたからとだけ、連絡して。
 
一応サプライズではなくなったパーティだったが。
張々湖の料理といい、フランソワーズが焼いた大きなケーキといい、仲間それぞれから…イワンからまで…渡されたプレゼントといい、驚かされるものばかりだった。
自分は幸せだと…素直にそう思った。
 
フランソワーズと張々湖が後片づけを始めた。
明日は長旅だからもう休んで、と言われ…部屋に戻ろうとしたピュンマは、ふと思い立ち、足を浜辺へ向けていた。
やがて。
少し重い足音…ということは。
 
振り返ると、ジョーが立っている。
 
「やあ…片づけ、終ったのかい?」
「ううん…手伝おうとしたんだけど…追い出されちゃった…それより君が浜辺に行ったから様子を見てきてくれ…って」
「なんだ…やっぱりバレてたのか。」
「ふふ…003だからね。」
 
ジョーにつられて、ピュンマもいつのまにか微笑んでいた。
 
「今日は…すばらしかったよ…ありがとう。大変だっただろう?」
「楽しみにしてたんだ、僕たちは全然…それより…大丈夫だった?予定、遅らせて。」
「ああ…心配いらないよ…いや。大丈夫じゃないなら、帰ってるからね。」
「フランソワーズもそう言ったよ…何度も。」
「何度も?」
「うん…本当に大丈夫だったかしら、って何度も言って、ピュンマは大丈夫じゃないなら帰ってるはずだから、大丈夫よねって…何度も自分で返事してさ。」
「…まったく…!」
「…だよね。そんなに心配なら…引き留めなければよかったのにね。」
「でも、それで助けられているのかもしれないからな、僕たちは…」
「…え?」
 
茶色の目が不思議そうに瞬いた。
この澄んだ目に、氷のような光が閃いたのを見たのは、いつのことだったか。
もうそんな日は二度と来ないでほしいけど…でも。
 
「本当は、こんなことしている場合じゃないんだ…僕の国は」
「……うん。」
「こうしている今だって、あそこでは飢えた子供たちが次々命を落としている。」
「…そう…だね。」
「でも、フランソワーズがそれを忘れている…とも、思えない…そうだろ、ジョー?」
 
うなずくジョーに、ピュンマは満足そうに笑い、海を見やった。
 
「日本は、暑いね…」
「うん…」
「僕の国の暑さは…これとは違う。もっと灼けるような…残酷な暑さだ。同じ太陽なのにどうして…って思うくらいにね…でも、やっぱり同じ太陽なんだよな。」
「…ピュンマ?」
「ここに来ると…それがわかるような気がする。」
 
ジョーがいつまでも黙っているので、ピュンマはふと隣をのぞいてみた。
茶色の目が色を深め、じっと食い入るように暗い海を見つめている。
やがて。
少年は、ぽつりと口を開いた。
 
「僕は、飢えたこともないし…こんなこと言ったら、怒られるかもしれないけど…はじめて君の国に行ったとき…思った。なんだか、見覚えがある…って」
「見覚え?」
「うん…子供の頃、こんな景色を見たことがあるような気がした」
 
ピュンマはそれきり口を噤んだジョーにちらっと目をやり…静かにうなずいた。
 
「…そうか。不思議だね。」
「うん…もしかしたら、太陽だったのかもしれない。」
「太陽…?」
「今、君の話を聞いて…そう思った。」
「…太陽、か。」
 
ジョー。
うまく言えないけど…たぶん、君は正しい。
それは、この国と僕の国が似ている…ってことじゃなくて…
たぶん、君と僕が…同じモノを持っている…ってことなんだよ。
もちろん、君の方が僕より何倍も強いけどさ。
 
「君は、何月生まれだったっけ、ジョー?」
「5月…ってことになってる。」
「ああ。そうか。」
 
ちょっと失言だったかもしれない。
…が。
彼の目は懐かしそうな柔らかい色に変っていた。
 
そうだった。
君の誕生日もにぎやかだったって、アルベルトから聞いたっけね。
 
 
 
遠ざかる、優しい島国。
空港がこの下のどこにあるかなんて、もう僕にはわからないけど…
あの碧の目は、まだ僕を追っているのかもしれない。
…たぶん、そうだ。
 
翼がぎらりと光った。
容赦のない太陽が目を灼く。
ピュンマは目を閉じなかった。
 
オマエに勝てるとは思っていない。
でも、僕は戦いをやめない。
オマエが灼いた熱い石を握り、オマエが灼いた大地を砕き、僕は戦う。
それが、僕のさだめだ。
オマエが一番残酷な光を注ぐ8月に生まれた僕の。
 
…でも。
だからこそ、僕は…オマエが好きだよ。
オマエが作る木陰の優しさを、誰より知っているのも僕だから。
 
僕一人の戦いで、一体何ができるのか…僕は知らない。
いつか、僕は一人で死ぬだろう。
それでも。
たぶん、僕は不幸ではない。
 
そのときがきたら、僕はあの安らぎをもって目を閉じる。
あの、暗い海の底の一瞬の安らぎ。
たった一人の世界。
 
きっと、君は怒るだろうね。
僕を連れ戻そうとしてくれるかもしれない。
でも、無駄だよ…フランソワーズ。
それに…
君はたぶん、彼で手一杯になるだろうし。
手強いから、彼は。
 
できたら、君には泣かないでほしい。
そのときがきたら、君に見つからない場所で眠れるといい。
…そんな場所があるのかどうか、わからないけどね。
 
 
 
「フランソワーズ…おいで!」
「…ジョー?やだ、離して!」
 
何度声をかけても動こうとしない彼女の腕をつかみ、むりやり木陰に引きずり込む。
 
「目を傷めるって、何度も言ってるのに…!」
「大丈夫だって、何度も言ったでしょう?」
「駄目だったら…!第一、もうピュンマは行っちゃったんだ、見たってしょうがないだろう?」
「…冷たいのね、ジョーは。」
「そうかもしれないね…行くぞ!」
 
彼女をぐいぐい引っ張り、駐車場へ向かう。
木陰を出ると、アスファルトの反射が眩しい。
 
人工皮膚が日焼けするはずないことは知っている。
彼女の目の強度だって、十分わかっている。
それでも、この光線の中に立っている彼女を見ると、胸が騒いだ。
 
辻褄があわないのはわかっているから、ジョーは黙ったままフランソワーズを引っ張り、さっさと歩き続けた。
 
「うわ…暑いな〜!」
 
日向に置いてあったクルマは蒸し風呂のようになっていた。ドアを全部開けてとりあえず空気を通し、フランソワーズを助手席に押し込む。
エンジンをかけ、窓を全開にして、クーラーを入れて……
空港を滑り出し、高速に乗るころ、ようやく涼しい風を感じるようになった。
 
「今度はいつ会えるかしら、ピュンマ…」
「うん…急がしそうだよね。」
「体をこわすような無茶、しないといいな。」
 
ジョーはふっと微笑んだ。
 
「君がついててあげれば、いいんだけどね。」
「…え?」
「…無理だけど。」
「無理よ。」
「うん、無理だね。」
 
じーっと考え込むフランソワーズを、ジョーはちらっとのぞいた。
 
「…あの…さ。」
「……」
「フランソワーズ、聞いてる?」
「ええ。」
「…この間、君が買ってきた服…だけど。」
「捨てたわ。」
「…えっ?!」
 
ジョーは慌ててウィンカーを出し、ハンドルを切った。
分岐を通り過ぎてしまうところだった。
 
「捨てた…って…本当に?」
「…着ないものをとっておいても仕方ないもの。」
「……。」
「…どうしたの?」
「いや…そ…っか。捨てたんだ。」
「何よ、ジョー?」
 
彼女の声が少々尖っているのに気づき、ジョーは慌てて首を振った。
 
「い、いや…何でもない。その…あんまり暑いから…君がつらいんなら、今日は着てみてもいいのかな…って…」
「どうしてあなたの許可を頂かなくちゃいけないのかしら?私が着るモノについて。」
「そ…そんなこと言ってるわけじゃ…!」
「…もう、いいわ。」
「フランソワーズ…」
「全然わからない!あなたも…ピュンマも!」
 
暗い海を懐かしそうに見つめて。
いつも、一人で行ってしまう。
あなたたちを止めることなんて…きっとできないってわかってるけど。
でも、それなら…私は、どうすればいいの…?
 
ただ見ているだけ…そして護られて、待っているだけなんて。
そんなのいや。
でも…
他にできることも、私にはない。
 
「…フランソワーズ?」
「……。」
「あ。ええと…まさか…」
「……。」
「泣いてる…の?」
「…前、見て。」
「え?」
「前見て運転して…!危ないじゃない…!」
「あ、ああ。」
 
息づかいが乱れている。やっぱり…泣いてる。
 
 
「…帰ってくるよ。」
 
静かな声に、フランソワーズはふと顔をあげた。
ジョーが、まっすぐ前を見ながら繰り返す。
 
「帰ってくる。きっと。」
「ジョー…?」
 
それきり彼は口を噤んだ。
また涙があふれそうになり、フランソワーズは慌ててうつむいた。
…そのとき。
 
「買いにいこう!」
 
突然、ジョーが素っ頓狂な声を上げた。
思わず飛び上がった。
涙が引っ込む。
 
いつものひとつ手前のインターにさしかかるところだった。
ジョーはさっとハンドルを切り、通行券とカードを探り出した。
 
「…ジョー?…買いにいくって…」
「あの服だよ…君が気に入ったやつ。」
「え、ええっ?!」
 
ちょっと、待って…と言いかけたとき、クルマは料金所に入った。
支払いをすませると、ジョーは地図を片手で手早く開き、大きなショッピングモールの位置を確かめた。
 
「ね、ねえ…いいのよ、もう…あの」
「いいから…!」
「無理しないで…本当は、あなたがイヤがるものなんて、着たくないの。」
「僕は、イヤじゃないよ。」
「嘘!イヤって言ったじゃない…!」
「言ってないよ。すっごい…って言っただけで。」
「それ、イヤってことでしょう?」
「そうじゃないったら…」
 
押し問答を続けるうちに、フランソワーズの声に少しずつ張りが戻ってくる。
ジョーはほっと息をつき、アクセルを踏んだ。
 
 
ピュンマ。
僕たちは、一人で戦って一人で死んでいく。
でも、もし彼女が…仲間がいなかったら、僕たちは一人になることさえできないのかもしれないよ。
だから。
 
だから、帰っておいで。
どんなに苦しい戦いが君を待ち受けていても。
君は、戦って、そして、帰るんだ。
 
いつか一人で倒れるときがきても。
そのときはいつか必ず来るけれど。
 
それまでは、帰っておいで。
できるだけ、あきらめないで。
 
このささやかな木陰に。
世界で一番美しい、僕たちの場所に。