沖の潮風吹きあれて
白波いたくほゆるとき、
夕月波にしづむとき、
黒暗(くらやみ)よもを襲ふとき、
空のあなたにわが舟を
導く星の光あり。
 
ながき我世の夢さめて
むくろの土に返るとき、
心のなやみ終わるとき、
罪のほだしの解くるとき、
墓のあなたに我魂(たま)を
導く神の御声あり。
 
嘆き、わづらひ、くるしみの
海にいのちの舟うけて
夢にも泣くか塵の子よ、
浮世の波の仇騒ぎ
雨風いかにあらぶとも
忍べ、とこよの花にほふ──
 
港入江の春告げて
流るゝ川の言葉あり、
燃ゆる焔に思想(おもひ)あり、
空行く雲に啓示(さとし)あり、
夜半の嵐に諫誡(いさめ)あり、
人の心に希望(のぞみ)あり。
 
土井晩翠「希望」(『天地有情』より)
 
 
 
8月20日
 
 
 
僕は、夜空を眺めるのが好きだ。
 
地上に光というものがおよそ存在しない、僕の故郷。
だからこそ、この星空は美しい。
 
そうだ、光はどこにでもある。
地上になければ、天上に。
だから、僕は絶望しない。どんなときにも。
 
もちろん、こういう思考は、つかの間の気晴らし…遊びのようなものなのだ。
やがて日は昇り、隠していたモノを無惨に照らし出す。
それでも、今日は。
 
今日について言えば、僕は、特に少しばかり浮ついた気分でいるに違いない。
朝から狙いすましたように届けられる小包の数々。
みんなが、どうやって配達日を計算したのか、見当もつかない。
 
用意周到・一分の隙もなく計算した仲間もいるだろう。
最善を尽くしたけれど見通しはたたず、後は天に任せて発送した仲間もいるだろうし。
ハッキリ言って、何も考えずポストに投げ込んだ仲間もいるはずだ。
 
でも、とにかく…全部受け取ったよ。
全部…今日、この日にね。
 
これが運命の絆ってやつなのかな。
それに、つまり僕たちはなんだかんだいって幸運に恵まれているということなのかもしれない。
惜しむらくは…この、今僕が感じている気持ちを、今すぐこのまま君たちに伝える術がないということだ。
でも、君たちならきっとわかってくれるだろう。
 
ありがとう、僕の仲間たち。
僕はいつも君たちとともにいる。
 
生まれてきてよかった。
本当にそう思ってる。
 
 
 
空にあるべき星が全部地べたに落ちたような街だと、アイツは言ってたっけな。
たしかに、そうなのかもしれない。
 
アイツの故郷の空は、そりゃあキレイだった。
で、空にあるべき星が地べたに落ちりゃ…そうキレイってわけにはいかねえよな。
まぶしく輝いているのに、どこか汚れた街。
それが、俺の故郷だ。
 
 
「オマエには、見えるか?」
「…何がだ」
「このうす汚ねえ空の向こうに…星があるのがよ」
 
ジェロニモはわずかに眉を寄せるようにしてジェットをまじまじと見た。
 
「見えん」
「…だよな、やっぱり」
「見えないが…そういうことは気にしなくてもいい」
「別に気にしちゃいねえよ」
「見えなくとも、星はある。太古の姿そのままに。変わるのは俺たち人間だけだ」
「そうくるか…ったく、オマエはいっつもそうだよな…小難しいこと言いやがって…」
 
ふん、と鼻で笑うジェロニモに、ジェットは舌打ちした。
 
「オマエから見りゃ…アイツが七転八倒してるのも儚いヒトの営みとやらにすぎないんだろうけどよ…」
「…そうだな。だが、儚いからこそ、尊い。それがヒトの営みというものだ」
「よく言うぜ、偉そうに」
「俺もそのヒトの一人にすぎん…ピュンマも、お前もな」
「だからこそ仲間は大事だとかって話だろ?読めてるんだよ、オマエの言うことなんか」
 
ジェロニモはまた笑い、ジェットの肩をぽん、と叩いた。
 
「…ったくよ。あのクソ真面目な鈍くさい野郎が、今も馬鹿正直に苦労してやがると思うと…いらいらするぜ」
「お前は、いつでも彼のところに飛んでいけるじゃないか…その気になりさえすれば」
「そんなことを望むヤツじゃないだろう?…あの頑固者が」
「俺たちはみんな、頑固者だな」
 
そりゃそうだ。
 
まあ…その頑固者たちがまた集まって、なにやらしなくちゃならねえときが…来るのかもしれない。
来ないかもしれない。
いや、来るんだろうな、きっと。
だが…俺たちは負けねえ。
 
そうだろ、海の先生よ?
 
 
 
「や〜れやれ、今日も忙しかったネ!」
「…まったく、忙しかったよ…!相変わらず人使いが荒いよな、お前さん」
「仕方ないね、こうして店やってるからには商売繁盛、これ一番よ!…さぁ、ワイらの晩ご飯できたネ!」
「おっ…へへっ、こりゃうまそうだ」
 
テーブルを眺めてから、嬉しげに冷蔵庫へ向かうグレートを、張々湖は鋭く見やった。
 
「ビールはナシ!」
「はぁっ!?」
「あんた、キリないからねえ…!稼いだ分、飲んでしまったら意味ないよ!」
「な〜にしみったれたコト言ってやがる!いっくらなんでも今日稼いだ分全部飲むなんてことは…第一そんなに入ってないじゃねえか、この冷蔵庫!」
「ダメといったらダメね…!003にも言われてるね」
「003〜!?」
「009が毎日昼間バイトで来てるやろ?彼に、冷蔵庫のビール数えさせて報告させてるみたいヨ」
「な〜っ!?」
 
そんなことさせやがる003も003だが、素直に毎日数えて報告する009も009だぜ、と毒づくグレートを、張々湖はテーブルに引きずっていった。
 
「ったく…!文句言わずに食べるね!008の思いしたら、あんた贅沢よ!」
「…008か…無事に届いたかな」
「届いてるはずやろけど…ちょっと心配ねえ…たくさん送ったからして…」
「たくさん…って?何送ったんだ、お前?」
 
そりゃ食べ物に決まってるが…と首をかしげるグレートに、張々湖は胸を張って言った。
 
「我が張々湖飯店の誇る特性調味料の数々、それに最上級の小麦粉に米、大豆に油、乾物に…」
「ちょっと待てコラ!それをどれっくらい…」
「そうね、トラック一台分ぐらいかね」
「な、ん、だ、と〜〜????」
 
目を剥くグレートに、張々湖は真顔で言った。
 
「ピュンマにおいしいもの食べてほしいけど、一人で食べるような子じゃないからして…まぁ、料理はワテが仕込んだことだし、あとは自分でなんとかするやろ、きっと」
「む、むちゃくちゃしやがる…そ、そっか、それで今月は赤字だとかなんとか…」
「お金は使うべきときに惜しまず使う、コレも経営の基本ね!よく覚えとくね」
「あきれかえったヤツだな、お前…」
「そういうあんさんは何送ったあるか?」
 
グレートは少し肩をすくめるようにした。
 
「そりゃ…我が輩が自信をもって送るものといえば…」
「酒、かね?…どのくらい?」
「まあ…お前さんと発想としては一緒だな…」
「ちょっと待つね!一体どれっくらい送ったか!?」
「金は使うべき時に惜しまず使え、と今言ったばかりだろうが?!」
「あの真面目な008にそんなモノ大量に送ってどうするね!何考えてるか!?」
「うっせーな!真面目だからこそ、時には命の洗濯が必要なんだろうが!」
「命の洗濯…って、アンタみたいになったらどうするね!」
「なにおう…!?」
 
にぎやかな夜食を終え、ゆっくり皿を洗いながら、張々湖はふうっと息をついた。
 
今頃何食べてるかね、ピュンマ。
アンタの仕事はホント、楽じゃないよ。
 
…でも。
仕事一生懸命する、そして一生懸命食べる、これ、どこで何してても一緒ね。
わたしもまたがんばるよ。
 
 
 
疲れ切ったグスタフを自宅まで送り届けてから帰宅した。
たしかに、時間に追われ、睡眠もままならない勤務は辛いが、彼に比べたら、自分の疲れはあってないようなものだ。
それを悟られないようにするのも、結構気を遣う。
 
アルベルトは、体を投げ出すようにソファに座り、おもむろに右袖をまくり上げた。
昨日から微妙な違和感があるのだった。
ギルモアから渡された工具を使い、上腕部のカバーをはずしていく。
 
「…コレ、か…」
 
思わず舌打ちした。
小さいパーツが一つ、目立って摩耗している。
これなら、予備を渡されていたはず。
 
全身武器の戦闘サイボーグ。
その現実を受け入れる気になったのはいつのことだったのか。
もしかしたら、まだ受け入れてなどいないのかもしれない。
しかし。
 
時計が0時を告げた。
ふとカレンダーを見上げる。
8月20日。
 
そう。
生まれながらに戦士の宿命を負わされたヤツもいる。
生身のまま戦闘ロボットに仕立てあげられた、漆黒の肌の友人。
 
しかし…彼は、ロボットなどではなかった。
だったら。
俺も。
 
あの島で、そう思った。
8体目のサイボーグに出会い、そのしなやかな闘いぶりに目を見張り、更にそれが改造によるものではなく天性に備えられ、体にたたき込まれたテクニックであることを知ったときのあの衝撃。
…そして。
 
彼の口から語られたその生い立ちと闘いは、およそ絶望的なものでしかなかった。
しかし、彼は言った。
 
「僕はここを出る。ムアンバに帰って、戦う」
 
出口の見えない内戦。
血で血を洗う毎日。
守るべき者さえ、日々奪われ続ける過酷な生活。
 
そこに戻ることと、この島にいることと、いかほどの違いがあるのか、正直理解できなかった。
しかし、彼は頑固に言い続けた。
 
「僕は、帰らなければならない。戦わなければならないんだ」
 
彼は自分に加えられた改造に衝撃を受けながらも、他の仲間たち…アルベルト自身も含めて…が始めそうだったように取り乱したりはしなかった。彼は、ただ自分が拘束されていること、自分の望む戦いにむかうことを止められていることを悲しんでいるだけのように見えた。
 
つまり、これがB.Gがめざす世界の人間、ということか?
アルベルトは苦々しく思った。
 
戦うことが生きることの全てであり、強くあることが至上の目的である人間。
血を流すことをためらわず、戦闘マシーンとしての自分を誇ることができる人間。
 
アルベルトの、008に対する最初の印象はそういうものだった。
しかし。
 
そうだ。
008は、そんな人間ではない。
むしろ、俺たちの誰よりも人間らしく、生きる喜びを知っている男だ。
 
生きる喜び。
 
それを…あの島で、俺は彼に教わった。
改造によって戦闘機械にされた俺は、生まれながらに戦闘機械として生きてきた008に、それでも生きることは素晴らしいのだと教わった。
 
戦い、悩み、考え、学び取る。
その中で、いつも貪欲に前を向いて生きていた008。
 
幸せになるために生きるのではない。
生きること自体が幸せなのだ。
 
そこまで思い切ることは俺にはまだできない。
だが…
彼に出会っていなければ、俺はきっとどこかで何かをあきらめていたような気がする。
 
アルベルトは慎重にパーツを付け替え、上腕部のカバーをぴっちり閉じた。
マニュアルに従い、点検動作をしてみる。
…異状なし。
 
これで、明日も戦える。
生きていける。
お前がそうであるように。
 
 
 
少しは涼しくなったような気がするわ、とはずむ足取りで砂浜を歩くフランソワーズを、ジョーはぼんやり見守っていた。
このごろ、妙に世界は静かだと思う。
なんだか、胸騒ぎがするほど。
 
平和であることを不安に思うなんて、どうかしている。
そう思いながらも、ジョーはこっそりため息をついた。
 
こうして、穏やかな風景の中で…幸せそうに微笑む彼女を見ていると、どうしても考えずにいられない。
その笑顔が悲しみに曇る日のことを。
それだけならまだいい。
もし、いつの日か、仲間の誰かを…彼女を、戦いの中で失うようなことがあったら。
 
「009」
 
間近でナンバーを呼ばれ、ジョーはぎくりと顔を上げた。
フランソワーズが微笑していた。
 
「どうしたの?怖い顔して」
「…別に」
 
そうだ。
どうかしている、僕は。
 
「さっき、ピュンマから電話があったのよ」
「…え!?」
 
思わず高い声を上げてしまった。
さっきって…じゃ、あの電話…
 
「ホントかい?」
「ええ」
「ヒドイよ…!僕も話したかったのに…!」
「だって、忙しそうだったんだもの、ピュンマ…それに、回線の具合もあまりよくなかったし」
「ズルイなァ〜!」
 
心から悔しそうに叫ぶジョーに、フランソワーズはくすっと笑った。
 
本当に、子供みたい。
でも、いつもそうしていてほしい。
あなたの…あんな厳しい張りつめた顔、もう見たくないのよ。
…いつまでも。
そう望むことは無理だって…わかってはいるけれど。
 
「あなたの贈り物、とっても嬉しかったって…お礼を言っておいてくれって、そう言ってたわ」
「ホントかな…?」
「あら…どうして?」
 
ジョーは横を向いた。
 
「僕、あんまりそういうの…得意じゃないし…でもピュンマは優しいからね、何でも嬉しいって言ってくれるとは思ってた」
「…まあ!」
 
くすくす笑うフランソワーズに、ジョーはちょっと不服そうに言った。
 
「笑うなよ…そういう君は何を贈ったの?」
 
研究所からは、それぞれの贈り物を一つの箱に詰めて発送した。
彼女の包みは何か平たい…服のような感じだったと思う。
 
「シャツを二枚…ね?私だって大して面白いモノを贈ったわけじゃないわ」
「でも、君が作ったんだよね?」
 
そうだ。
彼女はここしばらく、なんだか忙しそうにミシンを踏んでいたっけ。
 
「そうよ…だって、そうしないと、ピュンマはすぐ、着るモノに不自由している誰かにあげてしまうと思うから」
「う〜ん…」
「それはそれで彼らしくて素敵だけど」
「僕のも、誰かにあげちゃったのかなぁ…」
 
考え込むジョーに、フランソワーズは悪戯っぽくウィンクした。
 
「大丈夫じゃない?今の仕事場に、小さい子供はいないって言ってたわ、ピュンマ」
「…それ、どういうこと?」
 
とうとう声を立てて笑い出したフランソワーズを憮然と見やり、ジョーは舌打ちして足下の小石を拾った。
思い切り海に放り投げる。
 
「あのね…春頃、こっちに来るって言ってたのよ」
「え?…ピュンマが?」
「ええ」
「そうか…!楽しみだなぁ…!」
「ホントね…待ち遠しいわ」
 
フランソワーズはふっと夢見るような目で水平線を追った。
 
「でも、もし…もしも、それより早く彼に会うことになっても…やっぱり、私…嬉しいと思う」
「…フランソワーズ?」
「あなたも、そう思うでしょう、ジョー…?」
 
…うん。そうだね。
 
答えは声にならず、ジョーはただうなずいた。
 
「ねえ、ギルモア博士とイワンが何を贈ったと思う…?簡易メンテナンス用の新しいツールですって」
「…えぇっ?」
「もう…!ホントにあの二人らしいわね…あきれちゃうわ」
「う、うん…」
「でも、もっとあきれるのはピュンマよ…それが一番嬉しいプレゼントだった、なんて言うのよ…!」
「……」
 
ジョーは唇を尖らせているフランソワーズをぼんやり見つめ…いきなり笑い出した。
 
「ジョー?」
「ご、ごめん…ごめんよ、だって…あんまり…!」
「ほんとね、ピュンマらしいわ…!」
「君が怒ってるのも…面白いよ〜!」
「まあ…!」
 
大丈夫。
僕たちは、大丈夫だ。
 
笑いすぎて、息が苦しい。
あきれ顔のフランソワーズに、また笑いがこみ上げる。
 
また会おう、ピュンマ。
どんな時、どんな場所で会っても、僕たちは変わらない。
僕たちを引き離すことのできるヤツなんて、この世にいない。
 
僕たちはずっと戦うんだ。
何も怖くない。
苦しみも、悲しみも、絶望も……
 
僕たちはずっと生きて、ずっと一緒に生きて…
そして、戦うんだから。
どこまでも僕たちらしく。
 
いつか来る、最後の日まで。