わすれがたみ



 7   厄年
2015.03.30 
 
あけましておめでとうございます、と、日本風の挨拶とともに深々とお辞儀をするのは、この家の昔からの習慣だ。
 
今では日本人の僕がいるけれど、そうでなかったときもガイジンばかりでこれをやっていたのだというのだから、やっぱり彼らはちょっと変わっている。
いや。
 
もしかしたら、この家にはいつも「彼」が「いる」ってことなのかもしれないけれど。
かつて、ここでただ一人の日本人だった彼。
 
写真でしか見たことがないが、見るからに温厚な雰囲気をまとった若者だった。
似ている、とよく言われるけれど、僕にとてもああいう表情はできない。
この若者なら、新年の挨拶を和やかに、それでいて静かな荘厳さも漂わせて、さらっとやってのけただろう。
 
「あ、そうだわ!……ジョー、これ」
「……なに?僕にくれるの?……お年玉?」
「まさか!」
「……だよね」
 
彼女が差し出した白い包みをごそごそ開けてみると、革のベルトが出てきた。
新年の贈り物……ってことか。
でも、なんでいきなり。
 
「今年は、厄年でしょう?……厄除けの贈り物よ」
「ヤクドシ?」
 
僕は思わずまじまじと彼女……金髪碧眼の、ある意味この家の中でも一番ヘンテコな「日本人」である少女を見つめてしまった。
 
「……そう、なのかぁ」
「そうなのよ。気を付けてね、ジョー」
「何を気を付けるのかよくわからないけれど。……それにしても、変なこと知ってるなあ、フランソワーズは……」
「ふふ、前にPTAでいろいろ教わったのよ」
「……」
 
なるほど……。
どこから見ても、お人形のような白人の美少女……である彼女は、この日本でガチな子育てをしていたことがあるのだ。そして、彼女に育てられた子供が僕。
 
……と、いうのは、今ではもう「なかったこと」になっている。
 
僕は、このひとを生みの母だと思って育った。小学生になるまで。
それまでは要するに彼女にダマされていたということになる。
が、もちろん、そんなことは世間に珍しくないことだし、ダマされた、なんていったら罰が当たるだろう。彼女は、育ての母として、僕にこれ以上はない愛情を注いでくれたのだから。
 
でも、秘密はそれだけではなかったのだ。
それを知った18才のとき、僕はただダマされていた子供ではなくなり……彼女の共犯者となった。
そういうことだと思っている。
 
僕は、それまで名乗っていたアルヌールの姓を捨て、彼女との親子の縁を名実ともに切った。
それは是非必要なことでもあった。
今の彼女は、どう見ても僕より年下だし。
 
ただ……問題は、それを彼女が本当の意味では自覚していない、ということなのだ。
もちろん、彼女の身になってみれば無理もない。
本当のところはよくしらないが、彼女の実年齢は80才に迫るのではないか、ということらしく。
そこは考えないとしても、彼女にとって、僕はまぎれもなく自分の手で世話をした赤ん坊であり、幼児であり、少年で……その結果として今があるのに過ぎないのだから。
 
いや。そうじゃない。
本当の問題は、むしろ僕なのだ。
僕が……。
 
「フランソワーズ。厄年って、何がマズいんだっけ?」
「何ということはなくて、ただ悪いことに遭いやすい年……みたいね。病気とか、ケガとか……でも、若いうちはむしろ、人生の大きな転機になる時期だから、慎重に行動しなさいってことになるわ」
「ふーん。……でもまあ、転機っていうなら、僕の場合、結構過ぎてる気がするなあ……就職もとっくにしているし」
「結婚がまだよ」
「……そうきますか」
 
まあ、そうだろうと思っていたんだけどね。
 
僕はさっさと退散することにした。
ヘンにしつこくすると、絶対に結婚なんかするもんかとヘソを曲げるからね……という空気を漂わせて。
 
フランソワーズはフランス人だ。
結婚にこだわることは少ない国だと聞いているけれど、彼女はかなりの年月を日本で過ごしている。
もちろん、それだけではなく……彼女自身のこれまでの人生が、結婚を特別なモノにしているのかもしれない。
これも想像しようがない話になるが、彼女はかつて実年齢でいうと自分の息子ぐらいの男を愛し、死別し……やはりその男とは結婚しなかった別の女性が生んだ彼の子を育てた、のだ。
 
そんな彼女にとって、結婚とは……どういうものなんだろう?
自分には決して手の届かない、憧れ……いや、憧れですらない、別世界の幸福の象徴みたいなものなのか。たぶん、そうだという気がする。
そして、そこに僕を収めようとする、ということは、つまり。
 
彼女は僕を別世界に送ろうとしている、ということなのだ。
それが僕にとって至上の幸福だと信じて。
 
たしかに、厄年になるのかもしれない。
そんな彼女と闘うことになるのならば。
 
戦いの火蓋は、意外に早く切っておとされた。
彼女は、その翌月、僕に「お見合い」を勧めたのだ。
面倒なことに、ギルモア博士も絡んだ人脈から見つけてきたらしい。
見合い自体を断るわけにはいかなかったし、わざと酷い行動に出て、相手に嫌われるというのも難しかった。
 
僕は、フランソワーズにもらった革のベルトをひそかにして、見合いの席に臨んだ。
僕を守るのか呪うのかよくわからないそのベルトは、妙に体に馴染んだ。
 
紹介された女性は、フランソワーズが気合いを入れて探しただけあって、たしかに素晴らしいひとだった。
美しく聡明で、その上、温かい人柄が表情や仕草に溢れんばかりに現れている。
こんな女性がいるものなのだ……と、僕はしみじみ感心した。
 
だったら、むしろ話が早い!
 
僕は率直に、彼女に打ち明けることにしたのだ。
僕には、誰よりも愛する女性がいる……でも、彼女と結ばれることは永久にかなわない……と。
 
「詳しいお話はできません。……こんなこと、誰にも言えないし、言っても信じてはもらえない……その人はもちろん、僕をこれまで愛し、大事にしてくれたたくさんの人たちに迷惑をかけてしまうことでもありますから」
 
彼女は、僕の目を見つめ、真摯に話を聞き……静かにうなずいてくれた。
そして別れ際、うっすらと涙を浮かべ、僕の手をそっと握り、囁くように言った。
 
あなたの苦しみが、いつか終わりますように……と。
 
本当にそれを望むなら、彼女は僕と無理矢理にでも結婚するべきだったのかもしれない。
実際、僕の手に破談のカードは与えられていなかった。彼女が断ってくれないかぎり、僕は彼女と結婚せざるを得ない状況だったし、僕は……少なくとも、その結果として世間並みの「幸福」というヤツを維持するぐらいのことはできたはずだ。
それが、人生であるというのなら。
 
特に、フランソワーズが命じた僕の道だというのなら。
 
でも、聡明な彼女は僕がそれを望まないと知り……僕の思いを尊重してくれたのだと思う。
僕はフランソワーズが与えてくれる至上の幸福より、永遠の苦しみを選ぶ。選び続ける。
それが、僕の本当の運命……僕が生まれた理由であり、生きる意味でもあるのだ。
 
彼女から正式に断りの連絡が入ったとき。
フランソワーズは気の毒になるほど落胆した。
 
「……ごめんなさい、ジョー」
 
うつむいて堅く唇を噛む。
断られたのは……僕自身の資質や失態によるものではない、と彼女は直感したらしい。
どういうわけか、自分のせいだ……とも直感したらしい。
 
その直感にはかなり修正を加える必要があるといっても、本質的なところでは、当たり、だ。
さすが、歴戦のサイボーグ戦士003……なんて、僕はどこか他人事のように思った。
 
僕の性格をよく知る彼女は、最初が肝心、と勝負をかけていたのだろう。
もちろん、彼女は正しかった。
その肝心の勝負に負けてしまったのだ。彼女はその後見苦しく悪あがきをすることもなく、おかげで僕は覚悟したよりもずっと平穏に過すことができた。
 
次の「厄」は9月にきた。
 
始まりは、フランソワーズが誕生日という名目で、アルベルトおじさんを研究所へ招待したこと……だろうか。
おじさんは、僕にとって父も同然の人だ。彼に何か言われたら、そうそう逆らえない。
 
何が、今さら誕生日だ、見え透いたことを……と僕はちょっとうんざりしていた。
その点においてはアルベルトおじさんも同感だったらしい。
 
「まあ、フランソワーズもよくよく思い詰めての事なんだろうよ、ジョー……そこはわかってやってほしい。それに、もうすぐ命日だ。いい区切りだと思ったのかもしれない」
「命日?……オヤジ、のかい?」
「そうだ」
 
久しぶりに会ったおじさん……といっても、もう僕は彼とほとんど変わらない年齢になっている。
人前でおじさん、とよぶわけにはちょっといかない。
 
「オマエは、これからどうするつもりなんだ?……この研究所を継ぐのは悪いことではないだろう。もし心から望むのなら」
「心から……望んでいるよ。僕でなけれはできない仕事だと思っている。そんな仕事に巡り会えるヤツなんて、そうそういないと思うし」
「……そうか」
「それで、次は?アナタも、結婚しろ……って言うのかな。それとも、素敵なドイツ美人でも紹介してくれるつもり?」
「いや。そんなことはしないさ。もしそのつもりだったとしても、オマエがこんな眼をしている以上、どうにもならん」
「……」
「ただ……覚えておけ。フランソワーズは……003は、009を決して忘れない。誰であろうと、アイツ以外の男を愛することは未来永劫、ないだろう」
「僕に、それを言うの?……それを忘れることができたら、どんなに幸せか……そう思っている僕に?」
「……」
「あなたたちは……いや、フランソワーズはどうして赤ん坊の僕を放っておかなかったのかなぁ」
「……」
「誤解しないでほしいけど……僕は、幸せだった。今だって幸せなんだ。これ以外の人生を望んだことなんかない。でも、時々知りたいと思ってしまう。フランソワーズは、僕を育てて……どうなると思っていたんだろう?……こうなることを、全然予想していなかったの?そんな……余裕はなかったのかな。そんなに、悲しかった?絶望した?……オヤジを亡くして」
「あのとき、何を思ったか……説明するのは難しい。ただ……そうだな、オマエはいつも俺たちの希望だった」
「……」
「そのとき、オマエ自身のことを……たしかに、俺たちは考えていなかったのかもしれない。だが……オマエがいなければ……おそらく、少なくとも、フランソワーズは今この世にいなかっただろう」
「そう……なの?」
 
アルベルトおじさんは黙ってうなずいた。
ふっと肩の力が抜けた……気がした。
僕はほうっと、大きく溜息をついた。
 
「それなら……よかった」
「……ジョー?」
「僕は、生まれてきてよかった。これからも生きていける。ありがとう、アルベルトおじさん」
「ジョー……オマエ」
「いつまで日本にいるの?オヤジの命日まで、いられる?」
「いや。そうしたいところだったが、一応、仕事があってな」
 
僕は、思わず微笑した。
その日、アルベルトおじさんがいないのなら……いや、いたとしても、おじさんは黙って僕を見逃してくれたかもしれないけれど。
 
 
9月29日。
その日、夜になると、母はいつもそうっと部屋を抜け出していった。
 
ごく幼い頃、一度だけ、こっそり追いかけたことがある。
母は、浜辺にいた。
満天の星を祈るように見上げ、身じろぎもしなかった。
 
母は、きっと今でも……いや。
あの人は、母ではない。
 
僕を育てた母は……サイボーグ003は、死んだ。
あなたが、彼女を殺した。
僕のために……あなたの手で。
 
足音を忍ばせて玄関におり、靴を履いたとき、背後に物慣れた気配を感じた。
振り返るまでもない。
 
「……止めるつもりかい、イワン?」
『いや。……無理だと思うし』
「うん」
『別にこうなることを望んでいたたわけじゃないけれど』
「うん……僕も、そうだ。でも、どうにもならない」
『そうだね』
「……」
『どんな結果になっても、僕は止めない……君の思っているとおり、これはもともと僕らが始めたことだから』
「だから最後まで見届ける?……最後にするつもりなんか、ないけど」
『うん。……僕も、そのつもりはない』
 
 
9月29日。
オヤジが……009と呼ばれたサイボーグがこの日、死んだ。
彼を誰よりも愛する……いや、彼の一部だったのかもしれない少女をこの世に残して。
 
自分の一部を失った少女は、それでも生きた。
彼女を生かしたのは……僕だ。
 
浜辺に降りたとき。
僕は立ち止まった。
あの声が聞こえた気がした。
 
母が死んだと聞いたあの日から……夢の中で何度となく僕に呼びかけてきた、あの声。
何を言っているのかわからない……でも、確かに僕に向かって呼びかけていた声。
あの、不思議な若者の声。
 
その正体を、僕はずっと前からわかっていた。
声は、僕に進め、と命じた。
僕はその為に生まれ……生きてきたのだから。
 
満天の星を見上げていた少女が、はっと振り返る。
僕が誰よりも愛する、この世でただ1人の少女。
僕は、あなたのために生まれた。
 
……フランソワーズ!
 
厄除けだか呪いだかわからないベルトを僕は素早く外し、砂の上に投げ捨てた。
なるほど、コレは要するに、そういうモノだったのかもしれない。
そして、それを僕に与えたのも……あなただ!
 
――モウ、ハナサナイ!
 
その声は……僕ではなかった。
 
フランソワーズをたたき伏せるように押し倒し、のしかかりながら、僕は波の彼方をふと見やった。
そこに……彼らは、いた。
まるで鏡のように……僕たちとそっくり同じ姿の彼らが、抱き合っている。
 
――アリガトウ。
 
それはこっちのセリフ……かもしれない。
たしかに、手のかかる人たちだったけれど。
 
「003は……009に返したよ。あなたが望んだとおり……遅くなって、ごめん」
「……ジョー?」
 
震えながら見上げるフランソワーズを僕は抱きしめ、唇を重ねた。
そうだ。
あなたは、もうずいぶん前に003を手放していたのに。
彼女の墓は、彼の墓ととっくに並んでいるのに。
 
僕は、なかなか大人になれなかった。
こんなに……待たせてしまった。
 
もう、待たない。
僕たちは、最後のピースを見つけた。
僕が島村ジョーであり、あなたがフランソワーズ・アルヌールであるための……この世にひとつしかないピース。
ひとつしかないなら……こうするしかないんだ。
 
待ってくれてありがとう。
たくさん泣いてくれてありがとう。
僕を、強くしてくれてありがとう。
 
わかるよね、フランソワーズ。
僕たちは、もう二度と離れない。
 



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