超銀礼賛

年齢
 
たしか、超銀しまむらは20代……だったような気がする(うろおぼえ)
 
新ゼロは18歳だったと思う。
で、超銀は19歳、となんとなく思っていたのだけど、後から、いや、もーちょっと上の設定だよ、という話を聞いたのだった(しみじみ)
 
ということは(?)お嬢さんも20代なんだろうな、と思うのだった。
が、なぜかそれはあまり気にならない(悩)
気になるのはしまむらの年齢の方なのだった。なんとなく不本意(涙)
 
気になる、というのはホントにぼーっとした感じなのだけど、しまむらは「大人」じゃないんじゃないの?という印象があるから、のような気がする。
そういう意味では、レーサーでなく不良でもなかった平ゼロしまむらより、どうも「成人」らしい超銀しまむらの方が、微妙にうさんくさく感じてしまうのだった。
 
そもそも、なぜしまむらが大人じゃないと思うのかについて、これこれという説明はできない。
ただ、このことを考えるとつい思い出してしまうのが、原作「移民編」なのだった。
 
未来人たちは、しまむらとお嬢さんには共通の「子孫」がいる。と言って去る。
ということは、しまむらはいつか「結婚」し、父親になるのだった。
 
……というと、それが彼の在り方に大きく関わる何か決定的な要素のようにも見えるけれど、実のところ、物語の「外」に去った存在が「知る」事柄というのは、その物語本体の中ではまず語られないということでもあるように思う。
実際、その後もしまむらの子孫について具体的に話が何か進んでいく気配は全くない。当然、お嬢さんとの恋愛も進まないし、他の恋愛が進む感じでもない。
 
が、超銀しまむらはどこか違う。
彼はお嬢さんと抱き合ったりする……のだけど、それは、いつもの(倒)寄り添い合う二人とは本質的に違う。
超銀では、「今まで恋人同士ではなかったふたり」が「一歩進んで」抱き合った、ということなのだと思う。
非常に些細な一歩(倒)だが、ベクトルが示された、というのがとてつもなく大変なことで、これは他のしまむらとお嬢さんには見られない現象だと思うのだった。
 
タマラさま事件が大きく扱われてしまうのも、おそらく、しまむらが「進んで」いる、という感じがあるからなのかもしれない。
3至上主義的に見た場合、タマラさま事件よりも、旧映画のヘレナさん事件の方がずーーーーっとヒドイと思うのに、どうも世間の評価はそうではない(悩)のも、そのせいなのかもしれない。
 
つまり、旧映画のしまむらは「大人」ではない……のだ。
だから、どんなに恋をしようと、それは性と本質的に無縁で、それゆえに本当の意味では恋と言えない。
ヘレナさんとしまむらの間にあったのは恋のように見えるけれど恋ではなく、ついでに言えばお嬢さんとしまむらの間にあるモノもそういうものだ。
恋でないなら、裏切りもない。
 
何の根拠もないのだけど、しまむらは大人ではいけないように思うのだった。
超銀しまむらは、正しいことしかしていないし、心優しいし、見た目だって悪くない。
でも、なんだかうさんくさい(涙)ように見えてしまう。
何の根拠もないのでほんとーに気の毒だと思っていたのだけど、もしかしたら、年齢が問題なのかも……と思うのだった。
 
で、お嬢さんはどうなの?と考えてみると。
大人ではないしまむらに対する女性であるお嬢さんの場合は、大人であっても構わないし、むしろしまむらとしてはその方がよかったりするのかもしれない(悩)
だから、たぶん、超銀お嬢さんとその他のお嬢さんとの間に、年齢の違いによる齟齬はあまりない。
 
旧ゼロと初期原作ではお嬢さんもしまむらと同じで大人ではない……感じがする。
でも、後期原作と平ゼロでは、お嬢さんは大人……のように見える。平ゼロでは19歳ですが(汗)
新ゼロは微妙(しみじみ)設定は大人ではない、だったと思うのだけど、だんだん大人にシフトしてしまったというか(悩)
 
ともあれ、お嬢さんは大人でもそうでなくてもよさそうなので、超銀お嬢さんに違和感を感じることはあまりないのだった(しみじみじみ)
 
 
ちなみに、今度の3D映画のしまむらは、どーも10代に見える。
ってことは、大丈夫かな……と思っているのだった。なにが(汗)
 
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