やれやれ……と息をついた次の瞬間、いきなり003が傘から飛び出すようにして前に立ちふさがった。
「さあ、包み隠さず白状していただくわよ、ムッシュウ?」
「……フランソワーズ?」
「『恋人』って、どなたのことかしら?」
「へっ?!」
もしかすると、一難去ってまた一難、ってヤツなのかもしれない……と、咄嗟に直感したものの、それがどんな困難なのか、そのときの009には見当もつかなかった。
が、とりあえず彼女の青い瞳は燃えるようで、それでいて冷たく輝いていた。
ものすごく美しい……そして、ものすごく怒っているのだ。間違いない。
だから、009は素早く戦闘モードに意識を切り替えた。
恥ずかしいとか、照れるとか言ってる場合ではない。手段を選んでいる余裕はなさそうだった。
「勿論、君のことだよ……他に誰がいるんだい?」
「ウソよ!」
「ウソ?……僕が、君にウソ?……本気で言ってるの?」
「こんな冗談、言っても仕方ないわ」
「話にならないな。わけを聞かせてもらえないか?……君は何を疑ってるんだろう。僕に君以外の恋人がいるっていうのか?」
「そうじゃないわ。ただ……私だって、あなたの恋人なんかじゃない……から」
「……なんだ。そういう、ことか」
009は舌打ちをしそうになるのを危うくこらえた。
めんどくさいな、と正直思う。
めんどくさいし、こういう絡み方をするなんて、003らしくもないことだった。
「つまり君は、僕が君にとってとてつもなく不名誉な既成事実を一方的にでっちあげた、って言いたいんだね?……それも、テレビカメラに向かって」
「テレビカメラ、ですって?」
「うん。報道番組だな。生中継だったのか、録画なのかはわからないけど。録画だったらカットされるかもしれない」
「……」
「で?僕はどうすればいい?誰に謝りにいけばいいのかな。白鳥バレエ団のモリ君とタナカ君?それとも、交番のイノウエ君?東都大学のオオタ先生かな。そうだ、ガソリンスタンドのサクライ君もすごくいい人なんだっけね」
「ジョー!」
「あ!……張々湖飯店のお得意さんでさ、かっこよくて優しい大学生のミヤノ君、とかも」
「よく、覚えてるのね」
「もちろん。……結構大事なことだから」
「……もう、いいわ」
「謝らなくても……ってこと?」
「……」
――わかってるわ。わかってるのよ。この人はこういう人だって。もう十分わかってるはずじゃない、フランソワーズ!
「……フランソワーズ?」
「……たくさんよ」
「え?……」
「もう、たくさん!……さようなら、ジョー、ごきげんよう!」
「え、え……?!ちょっと、待てよ!」
思い切り突き飛ばされ、不意打ちをくらって、009は雪に足をとられそうになるのを懸命に堪えた。
駆け出した003の背中があっという間に小さくなっていく。
「……チ、キショウ!」
009はぐっと拳を握りしめ、加速装置のスイッチを入れた。
たしかに、君は恋人なんかじゃないのかもしれない。
君は、ただ君だから。
代わりなんか、いない。
だから、絶対に逃がさない。
※※※
彼が本気で追いかけるのなら、逃げられるはずもない。
それでも全力で逃げてみるのは、もしかしたら追いかけてこないかもしれないから。
その日を私はとても畏れながら……でも、待っている。
今日も、その日ではなかったけれど。
「そろそろ、機嫌を直してくれないかな……フランソワーズ」
「……」
「信じてくれないと思うけど……君にそんな顔をされると、とてもつらいんだ」
「……」
「ね?……そんなに嫌なら、もう君を恋人だなんて言わないよ……何て言えばいい?仲間?友達?家族かな?……何だっていい。僕は、ただ、君が……」
君が、こうしていてくれれば。
言葉なんか、どうだっていいんだ。
「このまま……泊まっていこう」
「……え」
「雪がますますひどくなってる……これじゃ、身動きできないよ」
「……」
「いいだろう?……あきらめて、仲直りしてくれないか?……頼むから」
「イヤよ……ジョーなんか、嫌い。大嫌い」
「うん……でも、ごめん、フランソワーズ……すごく、気持ちいい」
「……っ!」
「……君も、……だろ?」
返事をする余裕はなかった。
喘ぎながら意識を手放しかけた003の耳に、どこかの部屋のテレビ音声が微かに届いた。
「恋人といる時の雪って、特別な気分に浸れて僕は好きです」
本当に……テレビカメラに向かって言った……のね、ジョー。
本当に、世界中の人たちに向かって。
……私、以外の。
「イヤ……あなたなんか、嫌い……もうイヤ、離して……!」
「ウソだ……絶対に、離さない。諦めろ、フランソワーズ!」
「イヤ……イヤよ!」
「……っ!」
諦めない。諦めないわ。
あなたは、私を手に入れることなんてできないのよ、ジョー。
何度抱いても。
世界を味方につけても。
ただひと言、「好きだ」と……言ってくれないのなら。
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