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  7   第5章 闇夜
 
 
目を開けると「あの男」が僕をのぞき込んでいた。
 
「イワン」
 
返事はしない。
したからといって、耳を傾けるような男ではないからだ。
 
「イワン。オマエには、母親が必要だった」
 
男はひどく難しい表情でうなるように言う。
なんとなく興味をひかれた。
少しなら相手をしてやってもいい、と思った。
 
――そんなことはわかっている。
 
そっけない思念をとばすと、男がふ、と息をつく。
 
「そう…か。すまなかった」
 
――何が。
 
「私は、オマエの母親を奪った」
 
――それは、違う。
 
だんだん面倒になってくる。
が、彼が自分と無駄話をしたことなどない。
ということは、この不愉快で退屈な話題にもまた、何か意味があるにちがいない。
しかし。
 
この男の心は、読めない。
なぜか、どうしても読むことができなかった。
黙り込む男から言葉を引き出すために、更に思念をとばす。
 
――僕には、母親などいない。アナタに奪われたのではない。失ったのではない。初めから、 いなかったんだ。
 
「…イワン?」
 
――アナタは、そういう風に僕を作ったはずだ。
 
男ははっと顔色を変え、まじまじと腕の中の赤ん坊を見つめた。
 
「…そう、か。そう…だった!」
 
――話はそれだけかい?お腹がすいたんだけど。
 
「おお、それはいかん…!」
 
男はあたふたとイワンをゆりかごに下ろし、部屋を出て行った。
世話係を呼びに行ったのだろう。
 
小さくあくびをしながら、イワンは白い天井を見つめた。
男の心はやはり読めない。
が、一瞬、彼の炎のような歓喜に包まれるのを確かに感じた。
 
また、何を思いついたのか。
 
おそらく、僕には母親が必要なのだろう。
が、僕には母親などいない。
失ったのではなく、初めからいなかった。
 
そして。
僕に母親が必要であることにも、僕に母親がいないことにも、あの男は今初めて気づいたとい うのだろうか?
 
 
 
「003…痛い思いをさせて、ごめんね」
 
銀髪の少年…001は、横たわる003の傷にゆっくり手をかざした。
傷が少しずつ消えていく。
が、彼女は目を閉じたままだった。
 
「君を…起こすわけにはいかないんだ…僕は、君を殺さなければならない。今、ここで。本当に…ごめん。せめて、君が苦しまないように終わらせるよ…。僕はもう十分に…君を苦しめた…から」
 
動かない彼女の髪を優しく撫でながら、001は囁くように言った。
 
「009…スゴク怒っていた。あんな顔を見たのは、初めてだったよ…君にも、見せてあげたかったな…」
 
それは、かなわないことだけれど。
僕は…なすべきことをしなければならないから。
 
たくさんのモノを犠牲にしてきた。
それでも、やらなければならない。
それは…もう始まってしまったのだから。
 
「003…僕は、君を不幸にした。もし目ざめて、全てを知ったら、君はもう二度と僕に笑いかけてくれなくなるだろう……本当に、よくできた罠だよ…ガモ博士」
 
父が…ガモ博士が、本当は何を望んでいたのか…それは最早わからないことだったが、彼が「神」を作りだそうとしていたことは間違いない。
ブラック・ゴーストすら、彼にとっては道具のひとつにすぎなかった。
 
「君はね、003…僕達に…いや、僕に『選ばれた』んだ…僕が君を選ばなければ、君がサイボーグにされることはなかった。僕は、君を見つけ出し、選んで…攫わせた。『黒い狩人』たちの意志を操って。だって、僕には…母親が必要だったんだ。どうしても」
 
 
 
ガモ博士が作り出した「001」のすさまじいまでの超能力に、ブラック・ゴーストの科学者たちも、幹部も驚嘆し、その「成功」を讃えた。
が、ガモ博士は「成功」したと思ってはいなかった。
001は超能力の目ざめと同時に、体も成人となり、全てを超越する「神」となるはずだったのだ。
 
神の前では、ブラック・ゴーストなど何の力もない。
国家も、どんな強大な権力であっても。
 
「イワンよ…我々は…人間は、愚かな生き物だ」
《そう、だろうね…》
「どんな悲劇を経験しようと、また争いを繰り返す…繰り返さずにはおれないのだ…だから、このようにくだらん組織が存在している」
《他人事みたいに言うんだね、博士…アナタだって、そのくだらない組織の1人だ》
「まあ…それはそうだが…だからこそ、私はオマエを作ったのだよ、001」
《どんなに力が強くても、超能力者1人で何ができるというものでもない…ファンタジーの読みすぎじゃない?…この組織はたしかに愚かだが、中でも一番愚かなのがアナタだよ、博士》
「…ふん。だが、私は諦めないぞ…イワン。オマエを神にしてみせる。全知全能の…迷える人類を導く神に…な」
 
ガモ博士が、サイボーグ研究の傍ら、神話や伝説の研究書を読みあさっているのを、001は知っていた。そのときは特に注意をはらっていなかった。風変わりな男の風変わりな趣味のひとつにすぎないと思っていたからだ。だが、今にして思えば……
 
001は003の穏やかな寝顔を見つめた。
体が動かない。
 
このひとを殺めなければ…僕は、神になれない。
…僕の、おかあさん。
 
僕に、母はいなかった。
僕を生んだという女性が、あの男に殴り殺された、嵐の夜…僕は生まれた。
だから、僕の初めての記憶は…一面の闇。
それだけだ。
 
僕に、母はいなかった。
いないものを殺すわけにはいかない。
あの男は…それに、気づいたんだ。
 
 
 
001が消えた後、009たちはガモ博士の荒れ果てた「研究室」を懸命に捜索していた。
手がかりがあるとは思えなかったが、まずここから始めなければどうしようもない。
 
ガモ博士の研究とはなんだったのか。
001に何が起きたのか。
そして、003は……
 
ともあれ、003を連れ去ったのは001だ。
だから、少なくとも、彼女の命が脅かされることはないだろう…と、仲間達は言ったが、009は暗い不安がわき上がるのを抑えることができなかった。
 
003の心臓の上に置かれていた、少年の手。
その手が、彼女の柔らかい皮膚にめりこみ、血にまみれていく幻影が、はらってもはらっても脳裡から消えない。
 
そんなことは…ありえない。
でも、もしも…君がそれをしたのなら。僕は…
 
…僕は!
 
「おい、009…コレは、日本語の本だろう?」
「え…」
 
004の声に、009は我にかえった。
駆け寄ると、そこにはさまざまな言語で書かれた書物が山となっている。
 
「本当だ…神話の…本、だな」
「…ここに、線が引いてある…読めるか?」
「ああ」
「何て書いてある?」
 
009はさっと目を走らせた…が。
 
「何…と言っても。短い昔話だよ…なんだか、とりとめがないな」
「とりとめがない…?」
「ああ。…不思議な子供を拾って、大事に育てていた老夫婦が、大人になったその子に殺されてしまった…という…変な話だな」
「なん…だって?…おい、006!」
「ハイな!それ、さっきワテが読んだのと大体同じね!そこにも線、引いてあったよ!」
「俺が見つけたドイツ語の民話の本でも、似たような話にマークがしてあった」
「…どういう…ことだ?…そうか!」
「どうした、009?」
 
突然顔色を変えた009に、004は眉を寄せた。
009は震える指で、線の引かれた場所をたどった。
 
「やっぱり、そうだ!…自分を育ててくれた老夫婦を殺した若者は、神、と名乗り、龍の姿になって天へ上っていった…!君たちが読んだ話も…?」
「ああ、そういう…結末だったが…何か思い当たることがあるのか?」
「…あのとき、ガモ博士が001に言ったんだ」
 
――オマエは神だ…神に、母はいない……父もない!
 
「つまり…神になるために父を…母を殺せ、ということでは、ないだろうか?」
「そんな…馬鹿なことってあるアルか?」
「それじゃ…ガモ博士が001をここに呼んだのは…自分を殺させるためだった…てのか?」
「たぶん…だが、だとしたら…003は…!」
 
サイボーグたちはハッと顔を見合わせた。
 
「003が、危ない…!」
 
 
 
「あの夜と…同じだ」
 
少年は、窓の外を眺めた。
広がるのは…一面の闇。
 
「…お母さん…」
 
振り返り、横たわる003に一歩ずつ近づく。
少年はひざまずき、彼女の白い手を両手でとると、愛おしそうに頬ずりをした。
 
「優しい手…いつも、僕を抱きしめてくれた…暖かい…」
 
僕の、お母さん。
そして…お父さん。
 
あなたは、僕の一番大切なものを奪った。
そして、取り返してくれた。
再び僕から奪うために。
今度は…僕自身の手によって。
 
「お母さん……」
 
あふれる涙をぬぐおうともせず、少年は震える両手を003の喉へと伸ばしていった。
 
「苦しく…ないから…すぐに、終わらせるから……」
 
…だから、僕を許して…!
 
息を止め、彼女に向けて渾身のESPを放とうとした瞬間だった。
001は、すさまじい衝撃をこめかみに感じ、叩き付けられるようにしてその場に倒れた。
 
「何だ、今のは…?!」
 
体が、縛り付けられたように動かない。
001は大きく目を見開いた。
 
…ユルサナイ。
 
「誰だっ?!」
 
…ユルサナイ…ユルサナイ。
 
「オマエ…は…!まさか…?!」
 
――許さないぞ、001!
 
「…ゼロゼロ、ナイン…?」
 
001は呆然とつぶやいた。
震えが止まらない。
全身から力が抜けた。
 
「う…うっ…うう…っ!」
 
涙がぽたぽたぽた、と冷たい床に落ちる。
少年は闇の中にうずくまり、声を殺して泣き続けた。
 


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