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発展編


  11   距離(新ゼロ)
 
 
そういう風に考えたことはなかったと思う。
たぶん、今まで一度も。
そう言われてみれば、なぜ考えたことがなかったか、不思議だったけれど…
僕は思わずまじまじとジェットを見つめ返してしまった。
 
あまり、アイツを悲しませるな。
アイツは、オマエに惚れてるんだぜ。
 
…アイツ。
っていうのは、もちろん003だ。
 
ジェットが言っているのは、この間のモナミの事件のことだった。
あのとき…彼女とグレートが少しもめたのだという。
僕と…キャサリン王女のことで。
 
はじめは、何を言い出すのかと思った。
またからかうツモリなんだろう、と思って、ちょっとウンザリした。
女の子とどうこう…って言うんなら、自分の方がよっぽど…のくせにさ。
 
でも、ジェットが大まじめに切り出したのは、キャサリン王女のことじゃなくて、003…フランソワーズが僕を好きなんだ…っていうことだった。
だから、気をつけてやれ…と。
そういう気がないんなら、それなりに振る舞うべきだし。
そういう気なんだったら、もう少し安心させてやれ。
 
彼の言っていることはよくわかった…けど。
でも。
そういう風に考えたことはなかったから、なんだかあっけにとられてしまった。
 
フランソワーズが、僕に…恋をしている…って。
 
だめだ。
冗談にしか聞こえない。
 
 
 
フランソワーズが僕を好きだと思ってくれているのはわかる。
僕だって、彼女が好きだ。
でも、それは…恋とかいうのとは…違うと思う。
 
恋…なら、したことがある。
大体、いつもロクなことにはならなかったけど。
 
フランソワーズが好きだ、という気持ちは、そういうのとは全然違う。
たとえば…彼女を抱きしめたり…キス、したり。
 
なんて、考えられない…よなあ…
 
とか思いながら、僕は、僕の肩にもたれて眠っている亜麻色の頭を、目だけ動かして見下ろした。
こういうことをしているから、あんなことを言われるのかもしれない。
そういえば、さっきから、ココに入ろうとしては引っ込むみたいな気配がしている。
そうか。みんな、遠慮してるのか。
邪魔しちゃいけないと思われてるのか。
 
でも、仕方ないじゃないか。
フランソワーズがバレエのビデオを見たがって。
僕は別に見たいわけじゃなかったけど、彼女が楽しそうに話しかけるから、なんとなく一緒にいて。
それで、彼女が寝ちゃったんだ。きっと、疲れてるんだろう。
ストレスだってたまるよな、こんな落ち着かない生活してるんだ。
 
こんな風に…女の子によりかかられるのは初めてじゃない。
だから、わかる。
恋している相手だったら、こんなことにはならない。
こんなふうにじっとしてはいられない。
もちろん、僕だけじゃなくて…彼女の方も。
 
体が触れ合うのと同時に胸が高鳴って、抱き合わずにはいられなくなって…
 
ぼんやり時計を見た。
もうかれこれ1時間はこうしている。
ビデオはとっくに終ってしまった。
 
ふと、彼女の息づかいが変わった。
…目を覚ましたんだ。
 
「…やだ、私…寝ちゃったのね…ごめんなさい、ジョー」
 
フランソワーズは大きな目を何度も瞬かせて申し訳なさそうに僕を見上げた。
 
こんな風に「ごめんなさい」って言うときのフランソワーズはとてもきれいだ。
青い目が少しだけうるんで、深い色になって。
長い睫毛が少しだけ震えて。
 
きれいだなあ…
 
今まで、それなりにいろいろきれいなモノを見てきたと思うけど。
彼女よりきれいなモノを、僕はまだ見たことがない。
 
 
 
ジェットがあんなことを言うから、どうしようかと迷ったけど…
でも、気にするのはやめよう、と思った。
実際、彼は僕を退屈しのぎにからかっただけなのかもしれないし。
 
僕は、小さい箱を持って、フランソワーズの部屋を訪ねた。
 
 
「まあ…!」
 
蓋を開けると、フランソワーズは小さく息をのみ、目を見開いた。
 
それは、水晶の蝶。
夢のように透き通った薄い羽。
プラチナの胴と脚と触覚。
小さいダイヤモンドの目が輝いている。
 
「あ…ジョー?」
 
僕は蝶をそうっとつまみ上げて、驚くフランソワーズの右手をとり、その手のひらにとまらせた。
 
「だめよ…怖いわ…壊してしまったら」
「大丈夫だよ」
 
彼女のばら色の手のひらに、透明な蝶がとまっているのを眺めて、僕はかなり満足した。
思ったとおり、よく似合う。
 
でも…彼女はすぐに、蝶を箱に戻してしまった。
そうっと…こわごわと。
 
「すばらしいわ…もしかしたら、モナミ…キャサリン王女からの贈り物?」
「うん…記念に、だって」
「そう…見せてくれてありがとう…本当に…きれい」
「きみが持っていてくれないか」
「…え?」
 
フランソワーズは目を丸くして僕を見つめた。
 
「そんな…ダメよ、そんなの…あなたがもらったんでしょう?」
「彼女はお礼に…って言って、これをくれたんだ。彼女に力を貸したのは僕だけじゃない。みんなも…だろう?きみだって」
「ダメ…!」
「僕なんかが持ってるの…似合わないよ」
 
僕は箱をフランソワーズの手に押し付けて、そのまま部屋を出た。
 
透明で…触れたら壊れそうで…でも、強くて。
そして、夢のように、見ているのが怖いくらい…きれいで。
 
初めて見たとき、一番に思い出したのは、きみだった。
だから…これはきみのモノなんだ。
きっと。
 
 
 
彼の考えていることは、いつもわからない。
わからないけれど…
 
フランソワーズは、暗い部屋の中で、そっとその箱を開けた。
 
「きみが持っていてくれないか」
 
深く澄んだ茶色の目に思わず呑まれてしまった。
あの目で見つめられたら、何もわからなくなる。
何もわからないのに…わからないまま、彼の言葉のまま。
 
そして、途方に暮れる。
一人残されて。
 
わからないけれど…
あなたは、きっと大切なものを私に託してくれたんだわ。
とても…とても大切なものを。
 
一人残されて、私は考えなければならない。
あなたの思いを。
託してくれたものを。
 
私が、守らなければならないものを。
 
小さな宝物。
悲しいほど透き通った輝き。
 
あなたは知らない。
私にこれを守ることなんて、きっとできない。
 
どうしても…どうしても打ち消すことができないの。
透明な輝きを曇らせる灰色の影。
あなたの知らない私。
 
だって。
これは、あの人との思い出の品なんでしょう?
 
…いいえ。
そうじゃない。
 
あなたにとってはそうじゃないんだわ。
あなたが見ているものは…あの人ではなくて、思い出ではなくて。
もっと、もっときれいなもの。
 
同じものが私にも見えると、あなたは信じている。
 
本当に…あなたは知らないのね。
あなたは、いつも無邪気に微笑んで…私を見つめる。
ひとかけらの疑いもない眼差しで。
 
あなたを裏切りたくない。
そう思ったときから、裏切りは始まっているのかもしれない。
 
これ以上、近づいてはいけない。
 
あなたに大切なものを託されるたび、私は臆病になる。
あなたを、裏切りたくないの。
 
 
 
凄まじい爆発音と熱風にぎゅっと目を閉じ、身をかがめたのは一瞬のこと。
気がついたら、空を飛んでいた。
爆煙があっという間に遠ざかる。
 
「そうわめくんじゃねえ、009…お姫さまは助けたぜ!かすり傷ひとつありゃしねえ…ちょっと鳩が豆鉄砲食らったような顔してるがな」
 
私は、我に返ってジェットを見上げた。
「ありがとう」と言うと、今、ジョーの通信の「ありがとう」がぴったりシンクロしたと、ジェットは笑った。
 
戦闘はまだ続いている。
索敵によさそうな場所を見つけて、その近くに下ろしてもらった。
予想通り、雨のように弾丸が追ってくる。
木々に紛れてジェットに助けられながら走った。
 
「とりあえず…落着いたかな」
「ありがとう、ジェット…ここなら、みんなの動きがわかるわ」
「おう、頼んだぜ!」
 
ジェットはおどけた笑顔になった。
彼が、支えていた私の腰のベルトを離したとき、きら、と光るものが落ちた。
慌てて拾い上げる私を、彼はけげんそうに見た。
 
「なんだ、それ…003?」
「ええ…あの」
 
私は口ごもった。
あの蝶を、ベルトの裏側に止め付けてきていたのだった。
 
持っていくべきかどうか悩んだのだけど…
でも、もしこのまま私たちが戻らなかったら。
そう思って、私は蝶を取り上げた。
これは、最後までジョーの近くにあるのが本当だと思った。
 
「お守りか…?」
 
覗き込んだジェットの顔色が、不意に変わった。
 
「003…オマエ、なんで、コレを…?」
「…あの」
「…009か?」
 
青い目が鋭い光を放った。
私は少し慌てた。
 
「え、ええ…あの、でも違うの…もらった…んじゃないのよ、これは…預かったの…」
「預かった…?何考えてやがるんだ、アイツ?!」
 
私はジェットをまじまじと見つめた。
 
「…知ってる…の、002…?」
「いや…今はそんなこと言ってる場合じゃねえな。だが003、そんなモン後生大事に持ってる必要ないんだからな…!」
 
ジェットはあっという間に走り去った。
私も強く首を振り、蝶をベルトの裏側に戻した。
 
そうよ、そんなこと言ってる場合じゃないわ…!
 
仲間達はそれぞれの場所で苦戦していた。
私は、意識を戦場に集中した。
 
 
 
通信が、途絶えた。
彼女が答えない。
 
気づいたのは俺だけではなかった。
あちこちから、悲鳴のような通信が003に集中する。
 
ヤバイ…っ!
 
俺が行かなくては。
彼女の場所を一番正確に把握しているのは、俺だ。
だが、脚をやられ、飛ぶことができない。
 
「009、聞こえるか…っ?」
 
たぶん周波数は知られている。
彼女の位置を通信で教えるわけにはいかなかった。
 
数秒後、全身ぼろぼろになった009が、ケダモノのような目つきで現われた。
 
「003は、どこだ…っ?!」
「あっちだ。そうだな…直線距離で5、6キロ…別れたときは、林の入口にある岩場に隠れさせた。だが、もうぶち壊されてるかもしれねえ」
「…わかった」
 
009が消える。
俺は唇を噛みしめ、銃を持ち直した。
 
ふざけやがって…!
 
戦闘はもう終わりに近づいている。
最後の最後に、余計なことしやがったな。
 
「おめぇら、皆殺しにしてやるぜ…!」
 
俺はつぶやき、脚を引きずりながら走り出した。
 
 
 
002が駆けつけたとき、009は崩れた岩から003を掘り出し、抱きかかえているところだった。
彼女の蒼白になった頬から、真っ赤な血が一筋流れている。
長いまつげはぴったりと閉じたまま、動かない。
 
「009…!どうだ?!」
 
怒声に、009はぼんやり002を見上げた。
傷ついた彼女以上に青白い顔で、力無くうなずく。
だいじょうぶ、きっと命に別状はない…と。
 
脚をひどくやられているが、それだけですんだようだと言う009の言葉に、002もようやく肩の力を抜いた。
 
「もうすぐドルフィンが来るぜ。博士の準備も万全だそうだ」
「…ああ」
 
生返事を返し、009は瞬きもせず003を見つめていた。
かわいそうに…と優しく血を拭い、頬を撫でる。
何度も…何度も。
 
なんて目をしやがる。
 
こっそり息をついた002は、崩れた岩の隙間で光るものを見つけた。
あの、水晶の蝶だった。
 
「…すげぇ。傷ひとつついてねえんじゃねえか、コレ…?」
 
さすがモナミ公国の至宝だね…と、半ば茶化すように言いながら009を振り返り、002はやや憮然とした。
完全に無視されている。
009は003をそっと抱き寄せ、目を閉じたままの彼女に何か囁いていた。
 
「コレを003に渡したんだってな?」
「……」
「俺の言ったこと、何にもわかっちゃいねえってことだよな、オマエ?」
「……」
「何とか言え、009…っ!」
 
009は困惑したように顔を上げ、小さな、しかし毅然とした声で言った。
 
「少し、静かにしていてくれないか?苦しいみたいなんだ…目も耳もひどく消耗している」
「…ンだとぉ…っ?」
 
気に入ったのならあげるよ、とそっけなく言い放つと、009は002に背を向けた。
彼女を庇おうとするように。
 
なんだ…?
なんだよオマエ?
なんなんだ、その態度は…っ!
 
ちっくしょう、いっつもオマエはそうだよな、009…!
そのツラ、彼女が起きてるときに見せてやれっ!
そうすりゃ…俺たちが気をもむことなんか、何ひとつなくなるんだ!
 
 
 
あれ、とジョーは目を丸くして、それから嬉しそうに微笑んだ。
彼の視線の先を追い、フランソワーズは思わず頬を染めた。
 
「あ…」
「気にいってくれたんだ、それ」
「…あの」
「そういえば、ジェットが言ってた…戦いのときも、きみはそれ…持っていてくれたって」
「……」
 
そのジェットから、さっき渡されたばかりだった。
何とも形容しがたい表情で、ジェットはそれを渡した。
彼には珍しく、何か言いたそうな、もどかしそうな表情で。
 
「でも、もう少しでなくすところだったみたいなの…ごめんなさい」
「あやまることなんてないよ…それは、きみのモノだもの」
 
フランソワーズは微笑むジョーを見上げ、ややためらってから水晶の蝶を取り上げた。
 
「これ…いろいろ考えたのだけど…やっぱり、あなたに返すわ」
「…え?」
「そうするのが一番いいと思ったの…あなたなら、きっとなくしたり壊したりしない…ちゃんと守れるでしょう」
「だ、ダメだよ…そんなの!」
 
何か怖いものでも見せられたように身を引くジョーを、フランソワーズはけげんそうに見つめた。
その澄んだ青い瞳からも、つと目を逸らし、ジョーはずるずる後ずさりした。
 
「とにかく…それはきみが持っていてくれよ、そうするのが一番なんだから…僕には、とても」
「それなら、時々見にきてあげて…かわいそうだもの」
「…何が?」
「この子。きっと、あなたの傍にいたがってるわ…」
「や、やめてくれよ〜!」
 
心底怯えた声を上げ、ジョーは逃げ出すように部屋を出て行ってしまった。
 
「…おかしな人」
 
つぶやくフランソワーズのばら色の手の中で、水晶が光った。
 


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