1
歌声が聞こえたような気がした。
「フランソワーズ?」
そっと声をかけると、声はやみ…目の前の扉が、すっと開いた。
「…どうしたの、ジョー?」
「いや…用があったわけじゃ…ないんだ…何、してたんだい?」
「……」
フランソワーズは少し恥ずかしそうに目を伏せ、黙って後ろを振り向いた。
簡素なベッドの上に、色鮮やかなモノが散らばっている。
「お手玉…?」
「ええ…練習してたの」
フランソワーズはどうぞ、と小さく言ってから、軽い足取りで戻り、ベッドの端に座って、それを拾い集めた。
赤、桃色、黄色、青、草色……
懐かしい色合いの、かわいい布で出来た、いかにも手製のお手玉だった。
「どうしたんだい、これ…?」
心なしか、笑みを含んだジョーの声に、フランソワーズも微笑んだ。
「公演のときにね…貰ったの。日本人の女の子に」
「…へえ?」
「歌いながら、投げるんですってね…どんな歌かわからないから、適当に歌っているんだけど…ジョー、あなた…何か知ってる?」
「いや…だって、女の子の遊びだから…ちょっとやってみてよ、フランソワーズ」
「…あまり、上手じゃないのよ」
恥ずかしそうにちょっと肩をすくめてから、フランソワーズは両手にお手玉を3つとり…軽く目を閉じてから、ぽん、と放り上げた。
リズミカルな白い手の動きと一緒に、くるくるくるくる、と色とりどりの玉が舞う。
それに合わせて、楽しげなフランス語の歌。
「…あっ!」
不意にフランソワーズが小さく叫んだ。
魔法が解けたように玉がばらばらと落ちてくる。
「ふふっ…全然続かないわ」
「すごい…すごいじゃないか、フランソワーズ!」
ジョーは思わず大きな声を上げ、笑った。
フランソワーズも嬉しそうに声を立てて笑う。
こんな風に笑うのは、久しぶりだ。
ジョーは心の隅で思った。
2
珍しくやや興奮気味になったジョーにせかされ、何度もお手玉を投げ続けたものの、そのたびに失敗し…、とうとうフランソワーズは息がきれるほど笑い転げた。
「もう一度…もう一度、やってよ、フランソワーズ!」
「ダメ…ダメよ、もう…疲れちゃった…」
笑いすぎて乱れた呼吸を元に戻そうと胸を押さえていた右手に、ふっと大きな手が重なった。
「…ジョー?」
「……」
左手に握りしめていた赤いお手玉がぽとん、と床に落ちる。
やがて、そっと唇を離し、ジョーは少し汗ばんだバラ色の頬を片手で愛しげに包んだ。
「…いやがらない…の…?」
「…え?」
「だって、僕は…君を…」
「…ジョー」
青い目が何かに怯むように、一瞬揺れた。
しかし、一瞬だった。
フランソワーズはまっすぐジョーを見上げた。
「私……あなたが好きよ」
「……」
「どんなときも…あなたが、どこにいても…」
「フランソワーズ」
その先を遮ろうとしたジョーは、彼女の視線の強さにたじろいだ。
ややあって、フランソワーズはふと表情を緩め…囁くように続けた。
「…誰を…愛しても」
ジョーは大きく目を見開き、食い入るように、澄んだ青い瞳を見つめ返した。
次の瞬間、彼は無言のまま彼女を強く抱き寄せ、体を重ねていった。
3
枕もとに、青いお手玉が転がっている。
視線の端にそれをとらえたジョーは物憂げに手を伸ばした。
どこか、頼りない…優しい感触。
静かに体を起こし、毛布をそっとずらしていく。
力無く横たわり、眠っている恋人の体が少しずつ露わになった。
やがて、白い美しい双丘が現われる。
しばらく見つめていたジョーは、息を詰めるようにして、その谷間にそうっと青いお手玉をのせてみた。
途端に、長い睫毛が震える。
「ジョー…?な…に…?」
「…見て」
フランソワーズは少し顎を引くようにして、それを眺め…口の中で小さく笑った。
「…おかしな…ひと」
「…うん」
うなずいたきり、彼は黙ってうつむいた。
前髪が微かに揺れる。
フランソワーズはゆっくり瞬いた。
「泣いて…いるの…?」
「…いや」
ジョーは小さく首を振り、目尻にたまった涙を指で払った。
彼女が、ごく微かに囁く。
「あなたの…せいじゃ…ないのよ」
「……うん」
白い手が、胸におかれたお手玉をそっと取り上げ…床に落とした。
その手に導かれるように、ジョーは彼女の上にゆっくり唇を落としていった。
「…ねえ…フランソワーズ」
「……」
「きみは…泣いた…かい?」
「…え?」
首筋に深い口づけを刻みながら、ジョーは吐息とともに囁いた。
「もし僕が…あの星に…残る、と言ったら…」
「……」
細い指が、髪に静かに入り込む。
目を閉じるジョーの耳に、優しい声が降った。
「泣いたわ、きっと……でも…いいの」
「…フランソワーズ」
「あなたが…好き…いつも…どこにいても……誰を…」
「…君だけだよ、フランソワーズ」
栗色の髪を優しく愛撫していた手がふと止まった。
短い沈黙の後。
白い頬につたわった涙をそっと唇で受け止め、ジョーは繰り返した。
「君だけだ…信じて」
返事は、なかった。
4
ベッドに腰掛け、マフラーを結び直しているフランソワーズの膝に、赤いお手玉が落ちた。
振り向くと、ジョーが寂しそうな微笑を浮かべながら、手の上で桃色と黄色の玉を弄んでいる。
「どうして…持ってきたんだい?…これ」
「…イワンに…見せてあげようと思ったの」
「イワン…?」
突然の奇襲で連れ去れてしまった001。
はかりしれない力を秘めた超能力者である彼も、眠っているときはただの赤ん坊でしかない。
「助け出したとき、もし泣いていたら…フツウの赤ちゃんみたいに、安心させてあげたい…慰めてあげたいの。でも…イワンは、赤ちゃんのおもちゃなんて持っていなかったみたい。研究所には何もなかったわ…だから」
モスクワの公演から、まっすぐ仲間達の元に飛んだ。
スーツケースに入っていた手荷物の中に、子供のおもちゃになるようなものといえば、このお手玉しかなかったのだと、フランソワーズは笑った。
「練習もね…出発してから、こっそり始めたの…ここで」
「…イワンのために?」
うなずくフランソワーズに歩み寄り、そっと抱き寄せると、ジョーはその頬に軽く口づけた。
「そうか…きっと、喜ぶよ…イワン」
「…ええ」
「僕も…やってみようかな」
「え…?」
「教えてくれる…?」
フランソワーズは目を丸くしてジョーを眺め…ふわっと微笑んだ。
耳に心地よいその歌は、彼女の故郷の童謡なのだという。
優しい声に合わせて、ジョーは一心に色とりどりのお手玉を投げ上げては受け止めた。
「…やっぱり、上手ね…なんだかつまらないくらい」
少し唇を尖らせ、散らばったお手玉を拾おうとする彼女の手を、ジョーはやんわりと押しのけた。
「どうしたの…?私にも、やらせて」
彼は微笑んで首を振った。
「君は…歌ってくれ。僕が、投げるから」
「まあ…!ずるい…私だってやりたいのに…」
彼女の抗議を笑って受け流し、ジョーはお手玉をきれいにさらって、両手に納めた。
「ジョー…!」
「30分後、コクピットに集合だ、003」
彼女が口を開く前に、ジョーは立上がり、さっと部屋を出てしまった。
5
イシュメールは順調にカデッツ要塞星に向かっている。
あと2日ほどでその位置がとらえられるはずだと、サバは言った。
休息をとるため、部屋に戻ったジョーは、ベッドの下から、あのお手玉を取りだし、ばらばらと放り投げた。
一人で歌い、一人でこれを投げては受け止めていたフランソワーズ。
儚い遊び。
イワンのために練習していた…と彼女は言った。
その言葉に嘘はないだろう。
…でも。
わたしは…ずっと長い間…一人でした。
そう呟いた王女の面影が、痛みとともに胸をよぎる。
僕の力は、彼女を解き放った。
でも、僕は彼女を救うことができなかった。
彼女を死なせてしまったのは、僕の力が足りなかったからだ。
でも、本当は…そうではなくて。
本当は、銃弾が彼女の命を奪うより前に、僕は彼女を殺すべきだったのかもしれない。
フランソワーズ。
僕は、君を選ぶ。いつでも…いつでも、だ。
いや、選ぶんじゃない。選ぶ余地すらない。
僕には…君しかいない。
なのに…僕は、躊躇った。
僕が躊躇ったことを、君は知ってる。
君には、何も隠せない。
泣いたわ、きっと……でも…いいの。
君は微笑んで、優しい玩具を抱きしめて…
そして、一人になろうとした。
僕の…ために。
君は、きっと僕を信じてはいないのだろう。
君は、いつも一人になる準備をしている。
僕の…ために。
でも、フランソワーズ。
僕は一人になれない。
どんなに躊躇っても…迷っても。
僕が生きることのできる場所はひとつしかない。
だから…君も一人にはなれないよ。
…ごめん。
戦おう。
僕と君を引き離そうとする全てのものと。
そして、きっと。
君とともにあの懐かしい星に還る。
君が歌い、僕が投げ上げる。
そうやって、あの空の下で、いつまでも遊んでいよう。
その日がくるまで、僕は戦う。
僕と君を引き離そうとする全てのものと。
何度君を裏切っても…何度君を泣かせても。
戦って…戦って、そして君にたどり着く。
いつか、必ず。
だから…
だから、その日まで。
これは僕が預かっておくよ。
君が歌い、僕が投げ上げる。
儚い…でも、美しい遊び。
これは、そのための玩具なのだから。
いつか、必ず…たどり着くから。
もう少し。
もう少しだけ待っていてくれ。
フランソワーズ。
諦めないで。
もう一度だけ、僕を信じて。
|