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発展編


  9   我侭(原作)
 
 
きれいに見えたらいいな、と思っていた。
本当にその時が来たら、きっとそんなこと考えている余裕なんてないだろうとも思ったけど。
でも、意外に余裕はあった。
 
もう終ったと思ったとき。
私は、本当にきれいに見えたらいいな、なんて考えてしまっていた。
実際は、きれいどころではない顔だったはずだけど。
あの…昔の怖いお面…なんていったかしら。
 
…ハンニャ。
 
そう、それ…それよ。
そんな顔だったわ、きっと。
 
それが、最後に思ったこと。
なんだか、情けないわ。
 
 
 
始めは、単純なミッションだと、誰もが思っていた。
 
事件を追っているうちに発見したブラックゴーストの基地。
規模は小さかったし、特別に警戒している様子もなかった。
しかし。
 
始め、島に上陸するとき…008が足止めされた。
集まってきた敵は実に微妙な数で…みんなで戦うことはない、僕に任せろ、と彼は飛び出していった。
 
次は、002と007が空へ。
004と005は装甲車の群れと戦い…006は地底からの攻撃の防御に回った。
 
走っているのはあっという間に009と003だけになった。
それでも、それを特に怪しむ気持ちにはならなかった。
敵はそれほど手強くもなく…とにかく先に進むことができたのだ。
 
初めて、おかしいと気づいたのは、基地の深奥部を前にしたとき。
003が不意に声をあげ、立ち止まったときだった。
 
「どうした、003…?!」
「シールドだわ。この先は…可視光線しか見えないし、普通の音しか聞こえない…私の力がきかないのよ!」
「シールド…君の力がきかない?」
 
009がふと眉を寄せた。同時に003も顔色を変え、意識を集中すると、仲間達の様子を探り始めた。
ほどなく、予想どおりの光景に、彼女は唇を噛んだ。
全員が、それぞれ予想以上の敵に遭遇し、苦戦を強いられている。
 
「…そうか。やられた…な」
「この基地は私たちを倒すためだけに作られた…ということかしら?」
「ああ。はじめから、全部罠だったんだ…僕たちを一人ずつに分断するための」
 
…ということは。
 
「つまり、ここから先は僕のためのエリアらしいね」
「…009!」
「君は、ここで待っていてくれ」
「いいえ…!シールドの向こうに移れば、きっとサーチできるわ。一緒に…」
「それが君への罠だ。たぶん、入ったら、やられる。とにかく、ここでカタをつけないと…みんなも限界が近い」
「ジョー」
「大丈夫…絶対、動くなよ!」
 
その言葉が終るより早く、009の姿は消えた。
同時に起きた凄まじい爆発に、003は息を呑んだ。
 
「ジョー…!」
 
爆発は止まらない。
懸命に目をこらしても、サーチはできなかった。
やがて。
ほんの一瞬だが、黄色いマフラーと赤い服が視界に見え隠れするようになった。
 
加速装置が…限界に近づいてるわ…?!
 
003は反射的に立上がった。
 
 
 
ロボットやサイボーグの姿はない。
加速した009を翻弄しているのは、備え付けてある無数の小型レーザー砲だった。
いくら数が多くても動かない相手だ。
いつもの彼なら、防戦一方になるはずなどないのだが…。
 
ということは。
信じられないほど高性能のセンサーがどこかにあって、彼の動きを綿密に捉えている…ということではないだろうか。
肉眼と同じ機能に落とされた目で、懸命に彼の動きを追いながら、003はそう直感した。
 
私を中に入れたくないのは、そのせいだわ。
センサーを制御している場所さえわかれば、こんなしかけ、彼の敵ではないはずよ…!
 
シールド内に駆け込んだとして、彼女に攻撃をかわす術はない。
レーザーの集中砲火を浴びて倒れるまでに、何カ所サーチできるか。どこをサーチするべきか。
与えられた時間はごくわずかだった。
 
003はゆっくり銃をホルスターに落とした。
もう、武器は必要ない。
 
使わなければいけないのは、この目と耳だけ…!
 
009との通信が開いていることを確かめ、003は深呼吸した。
狙うのは…3カ所に絞った。
たぶん、そのどこかに、センサーの制御装置がある。
全てをサーチすることができるかどうか、やってみなければわからないけれど…
 
ひときわ大きな爆発音と黒煙が上がった。
何かが焼ける、鼻をつく匂い。
煙の中で、鈍く動くものがあった。
 
ジョー!加速できなくなってる…?!
 
003は勢いよく煙の中に躍り入った。
 
 
 
「009…!」
 
逼迫した声音の通信に、薄れかけていた意識が一気に覚醒した。
 
003?まさか…!
 
振り返った瞬間、009の目に映ったのは、黒煙の中で、ぴんと背筋を伸ばして立っている003だった。
防護服には無数の穴が開き、白い頬に真っ赤な血が一筋流れている。
 
時間が凍り付いたような感覚は、しかし一瞬だった。
脳波通信が叩き付けられる。
 
「後ろを向いて!正面の天井と壁の境を撃つのよ…そこに、センサーの制御装置が!」
「フランソワーズ!」
「後ろを向いて!」
 
夢中で立上がり、よろめきながら駆け寄ろうとする009を、青い目が鋭く射抜いた。
殴りつけられたように、009は足を止め、大きく目を見開いた。
 
「後ろを向きなさいっ、009!」
「…っ!」
 
ゆらりと振り返った009は、間髪を入れず、003が示した場所にレーザーを撃ち込んだ。
地の底から振り絞るような絶叫とともに。
 
あっという間に砕け散った制御装置を確認し、003は全身の力を抜いた。
 
攻撃は、止まった…たぶん。
もしかしたら、何も感じられなくなっているだけかも…しれないけれど。
そうかもしれない。
 
そこにいるはずの009の顔が見えない。
声も…聞こえない。
 
 
きれいだと…思ってもらいたかったな。
あなたの眼に映る…最後の私。
 
なのに…これじゃ、まるで…
あの…昔の怖いお面…なんて…いったかしら。
ねぇ、ジョー…
 
…ハン、ニャ…?
 
そこで、彼女の意識はとぎれた。
 
 
 
「009は、凄く怒っていたよ」
 
誰もが言葉を濁す中、銀髪の赤ん坊だけが、屈託ない口調で、そう003に告げた。
 
「そう…そうよね、やっぱり…それで、出ていってしまったの?」
「ウン…君の容態が落着いて、明日には目をさます…ってときになって、行っちゃった」
「しょうのない人ね…」
「ウン…君もだけどね」
「…あら!」
 
車いすが滑るように動いた。
ガラス戸が自然に開き、バルコニーに押し出される。
まぶしい陽光に、003は目を細めた。
 
「いいお天気…気持ちいい」
「ウン…」
「ねえ…もしかしたら、あなたも怒ってる、イワン?」
「怒ってる…みんな、怒ってるさ」
「仕方なかったのに…」
「わかってる…君は正しかった。よくやったよ。でも僕たちは怒ってる」
「無茶苦茶だわ」
「…ウン…あのね」
 
赤ん坊はふわっと003の膝の上に降りた。
優しく抱き上げられ、満足そうに眼を細める。
 
「オトコってのは、ワガママなモノなんだってさ」
「まあ!誰にそんなこと教わったの、イワン?」
「…ナイショ」
 
赤ん坊はすまして答え、柔らかい胸に顔を埋めるようにして眼を閉じた。
 
「明日からは歩いてもいいよ、フランソワーズ。僕が眠りに入る前に一緒に散歩に行けるといいな」
 
 
 
その数日後。
何の前触れもなく009は帰ってきた。
 
そして、その彼に捕まって、もう3時間になる。
いつ終るともしれない繰り言に、003はこっそり欠伸をかみ殺していた。
 
こんな時間に…彼の部屋に引っ張り込まれて。
それも、みんなが見ている前で。
 
仲間達が何を話しているか、聞こうと思えば聞けるのだが、聞く必要もなかった。
 
きっと好き勝手なこと言って盛り上がっているんだわ。
でも、誰も私たちがこんなことしてるなんて、思いつかないでしょうね。
 
「…フランソワーズ…わかってくれたかい?」
 
もう何度目かになる同じ質問。
茶色い瞳がじっとのぞきこむ。
 
何度聞いたって無駄よ。
答は同じだわ。
 
「あなたの気持ちは、わかったわ」
「…そうじゃなくて!」
「だって、しかたなかったじゃない…こういうことはこれからだってあるでしょう」
「ない!」
「あります。あったもの」
「だから、それは違うだろっ?!」
 
もう、いいかげんにして…!
 
死ぬほど心配かけたのはわかってる。
この優しい人が、どんなに…どんなに辛い思いをしたか。
私だって…もし、逆の立場だったら。
 
だから、ガマンして黙って聞いていたけど…
でも…モノには限界があるわ…!
 
「いいこと、009?あなた以上の戦士はいないわ。私はね、あなたは世界で…ううん、宇宙で一番強い人だって、信じてるの。だから、戦場であなたが私に命じることは絶対よ。あなたがしろっていうことなら、私、何だってするわ」
「…それなら」
「でも…!そのあなたが倒れたときは話が違うの。私に命令する人はもういないでしょう?私は私の好きなようにする。あなた以外に、私に命令できる人はいないんだもの…ううん、あなただって、戦場を離れたら、私に命令なんかできません!」
「だから!僕はあのとき、倒れてなんかいなかっただろうっ?!」
「倒れていました!」
「違う!」
「じゃあ、何?私、あなたの心臓が止まるまであそこに突っ立って、じーっと待ってなくちゃいけなかったわけ?!」
「絶対動くなって言っただろう…?!僕の命令なら何でもきく、だって?…冗談じゃない、命令を聞くどころか、君は僕に命令したんだぞ、後ろ向けって!」
「そのとおりにしたくせに」
「…っ!」
 
ぐっと拳を握りしめ、背を向けた009に003はこっそり肩をすくめた。
 
「もう…疲れちゃった…下でお茶でも飲みましょう…あなただって、帰ってきたばか…?」
「……」
「あ、の…009…ジョー…?」
「……」
 
うろたえた彼女が肩に伸ばしてきた白い手を邪険に振り払い、009は唇を噛みしめて顔を背けた。
やがて、細かく震え始めた背中を、003は呆然と見つめた。
 
…やだ。
 
男の子を泣かしちゃったのって…久しぶりだわ。
 
 
 
嵐のように質問を浴びせられ、からかわれると覚悟していたのに、居間に降りた003を、仲間たちはごく静かに控えめに迎えた。
009にコーヒーをもっていってあげるの、と言って台所に入り、ケーキを切っているときも、覗きにくる者すらいない。
気を遣われているのだとしたら、それもなんだか気まずい感じがして、003は手早くトレイを整え、早々に彼の部屋に戻った。
 
ノックをしても返事がない。
覚悟はしていたから、003はそうっとドアを開けた。
 
ベッドの上で、丸まった毛布の端っこから、茶色の髪がはみ出している。
003はトレイを机に置いて、静かにベッドの傍らに膝をついた。
 
「ジョー…さっきは…ごめんなさい…」
 
できるだけ優しい声で話しかけてみる…けれど、反応がない。
 
「ジョー…?」
 
じーっと耳を澄ますと…規則正しい息遣い。
一気に肩から力が抜けた。
 
信じられない。
泣き疲れて眠ってしまったの…?
まさか。
 
003はそっと手を伸ばし、彼の柔らかい髪を軽く撫でるようにした。
 
嘘でも…わかったわ、って言ってあげればよかったかな。
この人には…誰よりわかっているはずなのだから。
 
…そう。
あなたは…ちゃんと後ろを向いたんだもの。
倒れた私に背を向けて。
 
ごめんなさいね、ジョー。
私…ホントにかわいくないわ。
 
でも…でもね。
だから、あなたは余分な気遣いをしなくていいのよ。
私は…普通の女の子じゃないんだもの。
 
ふっと手が止まる。
そのまま、そろそろと彼の髪から手を引こうとしたとき。
003はあがりかけた悲鳴を懸命にのみこんだ。
 
いつのまにか、異様な熱を帯びた茶色の眼が、ぱっちりと見開かれ、こちらをじーっと見つめている。
同時に、引こうとしていた手首を痛いほど強く掴まれ、003は何度も瞬きした。
 
「00…9…?コーヒー、持ってきたわ…あの…ごめんなさい…仲直り…できない?」
 
返事は、なかった。
 
 
 
「ね…ジョー、離して…?」
「……」
「あの…私、ね…その…たしかに、もう大丈夫なんだけど…でも、少しまだ…疲れやすくて…だから…眠りたいのよ」
「…ここで寝ていいよ」
「ここで…って。言われても…」
「何もしないから…寝ろよ…僕も、寝る」
「ジョー…」
「ずっと…眠れなかった」
 
低いつぶやきに、003はふと目を伏せた。
009は、床に座り込んだ彼女の右手を両手で掴み、目を閉じたまま弄んでいる。
 
「君の夢ばかり…見ていた。同じ夢を…あのときの」
「ジョー…あの…」
「君は大丈夫だって…ちゃんと助かって、元気でいるんだって…どんなに自分に言い聞かせても、やっぱり夢を見るから…だから、眠れなかった」
「ジョー、ごめんなさい…でも」
「わかってる…君は間違っていなかった。あのときはああするしか…なかった」
「……」
 
003はさっと顔を上げた。
やや邪険に009の手をふりほどき、勢いよく毛布をめくりながら靴を脱ぎ捨て、目を丸くしている彼の隣に潜り込んだ。
 
「わかったわ…!ここで寝ることにする」
「…フランソワーズ?」
「もう、いくら夢を見たって平気よ…だって、私はここにいるんだもの…そうでしょう?」
「……」
「だから、そんな顔しないの…ね、こうやって眠りましょう…ぐっすり眠れば、きっと気分が直るわ」
「…いいの?」
 
返事の代わりに、003は009の頭をそっと胸に抱きしめた。
 
「おやすみなさい…ジョー」
「…うん」
 
消え入るような声に少し遅れて、胸がゆっくりと濡れていく。
 
「泣かないの…私が、すごくイジワルしてるみたいじゃない」
「…ごめん」
 
009はためらいがちに…しかし強く、両腕を彼女の体に回した。
 
「君は…イジワルじゃないけど…でも、コワかったな」
「…え?」
「すごく…コワかった…僕に後ろ向けって言ったとき…まるで…ええと、なんていうんだっけ…あの、お面の。」
 
…まさか。
 
「…ハン、ニャ?」
 
「それ…!そんな感じだった」
「まあ!…失礼ね…!」
 
やっぱり、そうだったのね。
でも、だからってそんなこと言わなくてもいいんじゃない?
信じられない、この人って。
 
何よ、優しくなんかしてあげるんじゃなかった。もう、いいわ。
もう…知らないから!
 
「離して…ジョー」
「……」
「離して…ねえ、聞こえてるんでしょう?」
「……」
「ねえったら…!寝たふりなんて、卑怯よ…!離して…!」
 
 
いやだ。離さない。
こうして眠ってくれるって言ったのは、君だよ。
 
君の言いたいことはよくわかった、003。
だったら…だったら、僕は二度と倒れないから。
君の前では。
 
絶対倒れるもんか…絶対、だ。
 


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