1
「フランソワーズ、ちょっといいか?」
「ええ、なあに…?」
ジェットに手招きされ、軽やかにソファから立ち上がったフランソワーズを、ジョーは見るともなく見やった。
シャツのボタンがとれたんだが、針と糸が見つからない、ということらしい。
やがて、踊るような足取りで戻ってきたフランソワーズは、そのシャツらしきものをソファの背にひっかけ、今度は裁縫箱をとりに行った。
ソファに座って、裁縫箱からあれこれ糸をひっぱり出しては、シャツに当てて首をかしげている。
つい、声をかけてしまった。
「色が、合わないのかい?」
「ううん…そうじゃないんだけど…」
ね、見て、ジョー…と身を寄せるようにする。
なんとなくつり込まれてのぞき込むと、フランソワーズは真剣そのものの表情で、二本の糸を他のボタンの上に並べていた。
「どっちの色が…近いかしら?」
「同じに見えるなあ…?」
「そうよね、困ったわ…お日様の下だと違って見えたりするから…」
「まだかぁ〜?」
背後からいきなり大声がして、二人は思わず飛び上がった。
「色なんて適当でいいぜ…って、おっと邪魔したか?悪いな」
「な…何言ってるんだよ、ジェット!」
ジョーは慌ててフランソワーズから体を遠ざけた。
2
ここのところ、ヒマだ。
日本の研究所にいたころならともかく、この海底基地から出かけるのはサイボーグである彼らにも、ちょっと面倒なことだった。
どうしても、外出は交替で何日かまとめて…になりがちで。
だから、戦いのないときは、たいてい誰かが「休暇」で不在なのだった。
しかし、なぜか珍しいことに、前の戦いが終わってここ数日、何となく全員が基地に残っている。
残っているからといって、することは特にない。
改造された体は、どんなに疲労していても、簡単なメンテナンスですぐに回復する。
もっとも、心の休息はまた別…ということで、仲間たちはそれなりに自分の部屋で好きなことをしたり、こうして居間に出てきて仲間と談笑したりするのだった。
ジョーは、いつも、これといった用事がなければ自室にこもっている。
これまた何をしているというわけでもない。せいぜい雑誌を読んだり、居眠りしたり。
一人でいるのは気楽だし、嫌いではなかった。
…が、さすがに今日はそれにも飽きてきた…ような気がして、居間に出てみたのだった。
居間には、編み物をするフランソワーズがいた。
といって、彼女と話すわけではない。話題が何もない。
結局、ジョーはソファに座って、持ってきた雑誌を広げるだけなのだった。
自室にいるときと、何も変わらない。
フランソワーズは、ジョーが雑誌に集中していると思ったのか、話しかけはしなかった。
が、彼女が立ったり座ったりするたびにふんわりした風が起こる。
退屈しきったジョーには、そんなことでもそれなりに新鮮だった。
…ところが。
何分もしないうちに、ジョーは気付いた。
「フランソワーズ、ちょっと見てくれないか?」
「フランソワーズ、手伝ってほしいアルね〜!」
「お〜い、フランソワーズ、イワンのミルク、どこにあるんだ?」
「フランソワーズ、すまないが…この資料を番号順に並べて、綴じておいてくれんかね?」
「フランソワーズ、お腹すいちゃったよ〜!グレートはミルクの作り方、全然わかってないんだもん〜!」
立ったり座ったり。
座ったと思ったらまた呼ばれ。
やーっと戻ってきたと思ったら、また……
なんなんだ?
なんだか、だんだんイライラしてくる。
さっきから、フランソワーズは10分と座っていない。
ようやく座っても、こうしてジェットのシャツのボタン付けをしているわけで。
それもあっという間にすませ、彼女はシャツを手にまた立ち上がった。
ソファの上には、やりかけのかぎ針編みが置いたままになっている。
ジョーは、そうっと、ソレをつまみあげてみた。
何を作っているのかわからないが、やたらと大きい…割に、使っている毛糸はずいぶん華奢な感じだ。
これは…ええと、たぶん…
「あ、なんだかわかる?」
声をかけられ、ジョーはびくっと手を離した。
フランソワーズはにこにこしてソレを拾い上げ、右手にかぎ針をとり直した。
「イワンのおくるみを作ってるのよ」
「…おくるみ」
「ふわふわでしょう?」
楽しそうに微笑み、フランソワーズはソファに座るなり、忙しく手を動かし始めた。
おくるみ…ね。
彼女自身のモノじゃないんだろうな、とは思ったけど。
イワンのおくるみなんて、もう何枚もあるのになあ……
まあ、いいけど……
「フランソワーズ、いるかい?」
「あ、はーい!」
甲板の方から、ピュンマの声がした。
フランソワーズはまたぱっと立ち上がった。
ジョーは、ぐっと唇を噛んだ。
いや、よくない。
よくないよ、これ!!!
3
「みんな、ちょっとワガママなんじゃないか?」
夕食が始まったとたん、いきなり険しい声を上げたジョーに、誰もが驚いた。
ジョーが話しかけられもしないのにしゃべり出すのは珍しい。
それも、かなり不機嫌そうに。
「ワガママ…?何か、あったのかね、009?」
「ギルモア博士もです!」
「…う?」
食卓はしーんとなった。
「あ…えぇと、オホン!」
グレートが落ち着かない様子で咳払いをし、少々うわずった声で言った。
「あの…なんだ、あぁ、フランソワーズ、我が輩に台所からレモンをひと切れ…」
「自分で取りにいけよっ!」
仲間たちは飛び上がった。
ジョーはグレートをにらみつけている。
誰も口がきけなかった。
「あ、あの…ジョー?」
「フランソワーズ、君だっていけないんだ!なんでもはい、はいって…だからみんな、調子に乗るんじゃないか!」
「調子に…?」
ジョーは仲間たちをぐるっと見回した。
「気付いてないのか!?一日に何回フランソワーズを煩わせるんだよ?たいした回数じゃないツモリでも、これだけの人数がいるんだ、みんながそれぞれ好き勝手に彼女に用事を頼んでいたら、彼女はおちおち座ってもいられなくなるんだぞ!」
「ジョー…あの…ジョー、私なら…」
「君は黙っててくれないか、フランソワーズ!」
沈黙を破ったのは、アルベルトだった。
「お前の言うとおりだ、ジョー…俺たちが軽率だった」
「アルベルト、私、別に……」
「いや。お前が面倒を見るのは、イワンだけで十分なはずだ。これから気をつけよう」
何か言いかけたフランソワーズをアルベルトは目で押さえた。
異議を唱えるものは誰もいなかった。
4
ジョーは甲板に出て、夜風に吹かれていた。
苦い後悔が心の底に重く沈んでいる。
やはり、黙っていればよかった。
夕食の席は、完全にしらけてしまった。
訴えるようなフランソワーズの悲しいまなざしに、胸が鋭く痛んだ。
そうだ。
君はみんなに用事を言いつけられることを苦痛になんて思っていない。
だって、それは…自分が必要とされている、ということなのだから。
君は、それを喜びとすることができる人だ。
せっかく全員がそろった食事の時間だったのに。
食卓には、仲間たちの好物が少しずつのせられていた。
料理の主導権を握るのはもちろん張々湖だったが、そういうこまごました気遣いは彼女のものだろうと、ジョーは思う。
そんな気持ちを、踏みにじるような真似をしてしまったのだ。
どうして…あんなにイライラしたんだろう。
「ジョー」
そっと背中に呼びかける細い声。
ジョーはひそかに唇を噛んだ。
結局、僕はいつも…君を悲しませる。
ジョーは、振り返り、うつむいたまま言った。
「…さっきは、ごめん」
「ジョー?どうして?」
驚いた声に思わず顔を上げると、彼女はいつものように優しく微笑んでいた。
「どうして、謝るの…?」
「フランソワーズ」
「私…嬉しかったわ」
「……」
君こそ、どうしてそんなことを?
僕にまで気を遣うことはないんだ。
そう言いかけた言葉が、喉の奥で止まる。
だって、僕は…
僕は、君を煩わせる資格も価値もないヤツなんだから。
そう言うことはできない。
言えば、ますます彼女を悲しませてしまうだろう。
やがて、フランソワーズは、おずおずとジョーの腕をとり、自分の腕を絡ませるようにして身を寄せた。
ジョーは動かなかった。
温かい体。
亜麻色の髪から、優しい香り。
彼女に悟られないよう、ゆっくりゆっくり深呼吸する。
フランソワーズ、君は、どうして……
「あなたは…何も言わないのね」
フランソワーズはつぶやくように言った。
「さっき…気がついたわ。私を…呼ばないのは、あなただけだって」
「……」
それは。
自分でもわからないからだよ。
僕は何を望んでいるのか。
君に何をして欲しいのか。
でも…
君はそれを知っている。
僕がして欲しいことを。
僕にもわからないそれを、君はいつも知っている。
…今だって。
ジョーはそっとフランソワーズの腕をほどいた。
微かに身を堅くし、そっと離れようとした彼女の肩を強く引き寄せる。
フランソワーズはびくっと身をすくませたが、抗わなかった。
僕もみんなと同じだ。
君に甘えてる。
僕は、君が決して拒まないことを知っているんだ。
必ず受け入れてくれるとわかっているから…だから、僕は。
ごめんよ、フランソワーズ。
5
居間に戻ってきたグレートは、仲間たちに軽く肩をすくめてみせた。
「ったく…!やってらんねーよな」
ジェットが毒づくと、張々湖もため息をついた。
「フランソワーズに饅頭の作り方教えてくれって言われてたから、私、仕込みしてたアルのに…もう時間遅すぎるアルねえ」
「僕も、今日撮ったイルカのビデオを見せるつもりだったんだけどな…」
「まあ、諦めるんだな…ああなっちゃどうしようもねえ」
アルベルトは小馬鹿にしたように張々湖とピュンマを振り向き、笑った。
「で?少しは進展してるのか?キスぐらいしたのかよ?」
「いや…わかりきったことをきくなよ、002…さっきからずーっと同じさ。だまーって手ぇつないで海を見てやがる」
「スゴイなぁ…!もう2時間近いんじゃないか?」
「フランソワーズ、辛抱強い子アルからねえ……」
張々湖の言葉に、仲間たちはうんうんとうなずいた。
「でも、ジョーにしてはよくやったとも言えるよ。ヤキモチ妬くなんて、たいした進歩だ。たとえとてつもなく的はずれだとしてもね」
「な〜に言ってやがるんだ008、野郎の嫉妬ほどみっともないモンはないんだぜ?」
「そんな立派なモノじゃないよ」
不意に赤ん坊の声が響く。
振り向いた仲間たちを、イワンが浮かんだゆりかごの縁から見下ろしていた。
「あれは、ただのワガママさ…きょうだいにママをとられて、くやしくって駄々をこねてるんだ」
「…ジョーもお前に言われたくはないだろう、001よ」
苦笑するグレートに、イワンはきわめて不機嫌そうに言った。
「僕の新しいおくるみ…もうできてるはずだったのに。今日はジョーがずーっと隣にくっついてたから、フランソワーズ、集中して編めなかったんだよ…僕、もうすぐ夜の時間に入っちゃうのになあ…」
「我慢しろよ、イワン…男の子だろ?」
半分茶化すような口調のピュンマに、イワンはむっと黙った。
「それにしても…いつものことやのに、なんで今日に限ってイキナリあんなこと言い出したアルか、ジョーは。何か特別不機嫌になるような…イヤなことでもあったアルかね?」
「今日、初めて気付いた…ってことなんだろうな。ま、明日からは俺たちも気をつけるさ」
「アイヤー、何年かかって気付いたアルか〜!ホントに困った子アルなぁ!」
これじゃ先が思いやられる…と言いかけて、張々湖は口を噤んだ。
もちろん、全員同じことを考えているに違いないのだから。
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