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二周目


  4   願望(平ゼロ)
 
 
なんでも、あなたの好きなもの、と言われた。
優しい笑顔に、遠い記憶がよみがえった。
 
 
 
「熱い…わ」
「うん…ムリしなくていいよ…大丈夫?」
「大丈夫…でも、やっぱり、あなたは上手ねえ…どうして三角になるのかしら?」
 
興味深そうにのぞき込む彼女を、かわいいなあ、とこっそり思った。
かなり器用な人だと思っていたけど、これはさすがにコツをつかむのが難しいのかもしれない。
 
なんでも、好きなもの…と言われて、ジョーはおむすび、と答えた。
フランソワーズはちょっと瞬いて、それから笑った。
 
「わかったわ。でも、作り方がわからないから、教えてもらわなくちゃ…ごめんね」
 
それから、一緒にご飯を炊いて、塩鮭を焼いて、鰹節を削って…
もちろん、梅干しも用意。
 
それらを少しずつ味見しては微妙な表情になるフランソワーズが少し気の毒になって、ジョーは考え考え、冷蔵庫からカマンベールチーズを出してみた。
海苔は巻かなくてもいいんじゃないかな、とも言ってみたのだけど、彼女は「ちゃんとしたおむすび」を作らなければ意味がない、と譲らない。
やっぱり頑固だ。
 
 
今日は、朝から本当にいい天気だったから。
洗濯物を干し終えて居間に戻ってきたフランソワーズに、どこかに出かけないか、と何となく話しかけてみたのだった。
彼女は嬉しそうにうなずいた。
 
「素敵ね!そうだわ、お弁当持って行きましょうか。ジョー、何がいい?なんでも、あなたの好きなもの、作るわ」
 
いいよ、お弁当なんて…とあわてて言いかけたとき、彼女の瞳の奥に、懐かしい光が見えたような気がした。
ジョーは不意に思い出した。
今日は、もしかして。
 
「ジョー、今日は特別な日ですよ。きみの好きなものを作って、みんなでお祝いしましょう」
 
神父さまは、僕たちみんなの神父さまで。
教会は僕たちみんなの家で。
だから、僕たちはワガママを言うわけにいかなかった。
 
でも…一年に一度。
この日だけは。
 
「おむすびが、いいな」
 
考えるより前に、言葉がこぼれた。
ちょっと驚いたようなフランソワーズの表情に我に返り、いや、その…とおろおろ言いかけたとき。
彼女はにっこり笑って、わかったわ、とうなずいた。
 
 
 
ひとしきりバドミントンに興じてから、二人は木陰に置いたバスケットを広げた。
大きなビニールシートを敷き、その上に靴を脱いで上がるジョーを注意深く眺めてから、フランソワーズも靴を脱ぎ捨てた。
 
「あたたかい…」
「うん…気持ちいいね」
「おなか空いちゃったわ」
「あんなに暴れるからだよ…!」
「まあっ!」
 
おかしそうに笑うジョーに、フランソワーズは口を尖らせた。
 
「ごめんごめん…だって…」
「もう、失礼ね…!おべんとう、おあずけにする?」
「ええっ?」
 
二人は一瞬顔を見合わせ、同時に吹き出した。
昨夜の気まずさが嘘のようだ、とジョーは思った。
 
昨夜。
夕食中に、コズミ博士から電話がかかってきた。
ギルモアと001にすぐ来てほしい、というのだった。
実験のデータを整理していたら、きわめて興味深い現象を発見した…とにかく見て、意見してほしい、と。
 
こういうとき、この老博士たちは時間も相手の都合も目に入らなくなる。
ギルモアも、すっかり心ここにあらずという状態になり、食事も早々に001を連れて出かけてしまった。
もちろん、001のおむつやらミルクやらの荷物を作ったのはフランソワーズで。
二人をコズミ博士のところへ車で送り届けたのはジョーで。
 
夜も更けてから、やっと研究所に戻ってきたジョーは、玄関を入った瞬間、はた、と気がついた。
…ということはつまり。
フランソワーズと二人きりになってしまったということで。
おそるおそる居間に入ると、フランソワーズはソファで何かの雑誌を読んでいた。
 
どうしよう。
 
どこにどう腰掛けたらいいかわからない。
彼女の隣か。正面か。
離れて座るのも何かわざとらしいかもしれないし。
といって、このまま戸口に突っ立っているわけには……
 
ジョーは何度となく、すがるようにフランソワーズを見つめた。
が、亜麻色の頭は広げた雑誌の上にうつむいているばかりで、ぴくりとも動かない。
 
僕が立っているのを、気づいていないはずない。
彼女は、003なのだから。
…ということは。
そうか。
 
話しかけるな、部屋に入るな…ってことなのかもしれない。
そうなのかもしれない。
 
ジョーはそっと廊下に出て、寝室に向かった。
 
うっかりしていたけど、彼女は女の子なんだ。
こんな夜中に男と二人きり…っていうのはキツイのかもしれない。
そうなのかもしれない。
 
でも、朝になって「おはよう」と笑うフランソワーズはいつものままで。
こうして一緒にいても何ともない。
 
たしかに、僕は男で、彼女は女の子で…
でも、できたら、そういうことを気にしないでいられたらいい。
気にしないで、こんなふうに……
 
「私が作ったの、すぐわかるわね…変な形。つぶれてるわ」
 
フランソワーズの少し残念そうな声でジョーは我に返り、おむすびに目を落とした。
 
「形なんて気にしなくていいよ…どうせ食べるんだし」
「でも…」
「…うん、すごくおいしい。食べてごらんよ…あ」
「え?」
「海苔…食べられる?」
 
フランソワーズはくすくす笑った。
 
「大丈夫よ…たぶん。努力してみる」
 
 
 
バスケットはほどなく空になった。
ポットの紅茶をなんとなく口に含むようにしているフランソワーズに、ジョーはためらいがちに尋ねた。
 
「やっぱり…口に合わなかった?」
「ふふっ、それほどでもないわ…あなたが作ってくれたチーズの、おいしかった…日本の人には変な取り合わせなんでしょうけど」
「え、ええと…どうかな…」
「でも、楽しい食べ物ね…作るのも、食べるのも」
「フランスでは、どんなお弁当、作るの?」
「…サンドイッチかな?バゲットを割って、チーズを挟んだり…オープンサンドもよく作ったわ」
「ふうん…それもおいしそうだなあ…」
 
木漏れ陽が降ってくる。
フランソワーズの表情がふと揺れたような気がした。
 
「ホントに、気持ちいいお天気…!昔、こんな日にはジャンがよく言ったわ…うずうずする、じっとしてなんかいられない…って」
「遊びに行ったの?」
「ヒマがあるときには…ね。近くの公園とか。こうやって、お弁当をもって…何かするわけじゃなかったんだけど…そうね、お昼寝したり」
「お昼寝?きみも?」
「まだ、子供だったもの」
 
碧の目が淡い光を浮かべた。
ハッと見つめるジョーから目をそらすようにして、フランソワーズは微かな、微かな声でつぶやいた。
 
「こんな日がくるなんて…思わなかった」
 
…それは、どういう。
 
どう答えたらいいかわからず、ジョーはうつむいた。
 
こんな日。
 
遙かな東の果ての島国で。
遙かな時を越えて。
 
こんな日がくるなんて、思わなかっただろう。
優しい人たちから離れて。
故郷を遠く離れて、1人ぼっちで…
…でも。
 
「…私、お昼寝しようかな」
「え…?」
「そういうの…おかしい?」
「い、いや…大丈夫だよ」
「あなたも少し休んだら?」
「…う…ん」
 
フランソワーズは小さいあくびをすると、少し恥ずかしそうに微笑み、ころん、とシートの上に横になった。
風が亜麻色の髪を軽くなでつけていく。
ジョーはしばらくためらってから、慎重に彼女との距離を測りつつ、仰向けに横たわった。
 
「…静かね…」
「…うん」
「私…嬉しかった」
「え…?」
「あなたがね…好きなものを言ってくれて」
「……」
「おやすみなさい、ジョー」
 
…フランソワーズ?
 
彼女はそれきり、口を噤んだ。
ジョーも黙ったまま木漏れ陽に目を細めた。
 
 
 
じっと目を閉じていると、遠く子供のはしゃぐ声が聞こえる。
父親の低い声と。
母親の優しい声と。
 
やがて、ジョーは、静かに口を開いた。
自分に語りかけるように…囁くように。
 
「こうやって、でかけたことはよくあったんだ…子供のころ」
「……」
「でも…お弁当はおむすびじゃなかった。フツウのお弁当箱にゴハンとおかずを詰めていって」
「……」
「おむすびって…手間がかかるんだ。衛生的にもちょっとめんどうらしいし…教会には…子供がたくさんいたから」
「……」
「だからね…僕も、今日は嬉しかった」
 
返事がない。
眠ってしまったんだろう、とジョーは思った。
 
きみがなくしたものと、僕がほしかったものは…似ているのかもしれない。
 
きみはそれをあきらめているけど、でも、その優しさを覚えている。
僕はその優しさをしらないけど、それをあきらめようとは思っていない。
だったら。
 
僕たちは、もっと幸せになれるのかもしれない。
そうじゃないか、フランソワーズ?
 
今日は…特別な日。
神父さまは、そう言った。
だから、僕は少しだけ勇気を出すことができた。
でも。
 
いつも…いつでも。
毎日が特別な日になるようにすることだって、きっとできる。
ほんの少し勇気を出せば…勇気を出して、顔を上げて、きみを見れば。
 
僕は、男で…きみは女の子で。
生まれた場所も時間も遠く隔たっていて。
それに、サイボーグで。
でも。
 
僕たちは、もっと幸せになれるのかもしれない。
いつか、そうなれたらいい。
 
 
それが、その年の誕生日にジョーが願った事だった。
 
もしかしたら…これが最初で最後の、本当の願い事になるのかもしれないと、なぜかそのとき彼は思っていた。


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