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二周目


  5   戯言(超銀)
 
 
カナダの山の中で、動物と暮らす…とは、どういうことなのか。
考えてみると、真面目に想像してみたことはなかったのかもしれない。
003も、009と同じように感じたらしく、どこかほっとした声で言った。
 
「もうすぐよ。牛に山羊に…鶏も見えるわ…まるで小さい牧場…ね」
「そういえば、ジェロニモが手伝いに行った…って聞いたことがあったっけ…本格的にやっているってことなのかな」
「そうね…そうよね、ハインリヒですもの…ふふっ、家の中もきっちり整頓されてる…さすがだわ」
 
…そうか。
009は003をちらっと見た。
 
ハインリヒがいるんだから…大丈夫だろう。
ジェットだけだったら、わからないけれど。
 
客用寝室、ちゃんと二つ用意してくれてるよな…?
 
 
 
毎年、5月になると、003から連絡がくる。
電話だったり、手紙だったり。
 
なぜ5月なのか…
彼女がそれに言及したことはない。
たぶん、彼女は何も知らないはずだ、と009は思う。
彼女に誕生日の話をした覚えはない。
他の仲間にも。
 
とすると。
5月にこだわっているのは、自分の方なのだ。
 
子供のころから、誕生日が来ると複雑な思いにとらわれた。
それは、彼の産着にピンで留めた紙切れに走り書きされていた日付だったのだという。
 
島村ジョー。
5月16日。
 
ただそれだけを書き残した母は、何を思ったのか…幼いころから、009は何度となく考えた。
考えるたび、甘い感傷が心を濡らした。
が、もちろん、それだけのことだった。
 
やがて、何も生み出さない感傷に飽き、疲れた心は次第にこの日を倦むようになった。
それならば忘れてしまえばいい…はずなのに、忘れられない。
 
003からの連絡は、いつもことさら特別なものではなかった。
今回も、カナダの002と004を訪ねてみようと思う、と何気なく伝えてきただけで。
 
もし、これが5月でなかったら、聞き流していたのかもしれない。
でも。
 
どうかしている、と思いながらも、009は心が騒ぐのを抑えられなかった。
半ば強引に、自分もカナダに行く、と彼女に告げた。
彼女は屈託なく、嬉しい、と笑った。
 
 
 
002と004は、小さいながらも、思いの外こぎれいな家に住んでいた。
丸太小屋みたいなのを想像していたわ、と楽しそうに言う003に二人は苦笑した。
 
「まだ自給自足…ってほどのことはしてないんだよ…この前、やっと雌牛を買ったぐらいでね。まだ、乳は出さないが…」
「まあ、楽しみね…なんだか贅沢に聞こえるわ」
「ふふ、そうかもしれないな…ジョー、どうだ、オマエもこのあたりの農場を買わないか?それで、フランソワーズと一緒に…」
「そんなこと、できるわけないだろう…?」
 
真面目に困った顔をする009に、三人は思わず吹き出した。
 
「あら…!見損なわないでね。私だって、きっと、ちゃんとした農家のおかみさんになれると思うわ」
「だからよ、フランソワーズ!オマエがなれても、コイツに農夫はムリだって…!」
「きみだって、人のこと言えるのかよ、ジェット…!」
「ああ、たしかにな」
 
にぎやかな夕食がすむと、004はちょっと表情をひきしめるようにして、立ち上がった。
その後を002がさりげなく追った。
 
「ハインリヒ…ジェット?」
「ああ…すまねえ…実は、ちょっと今夜取り込みそうなんだよ」
「…え?」
 
002が軽く両手を広げ、肩をすくめた。
 
「その雌牛が…どうも今夜あたり、仔牛を産むんじゃないかと…」
「まあ!」
「だ、大丈夫なのか…?そんな日に僕たち…」
 
004は不安そうに顔を見合わせている009と003に軽く手を振った。
 
「オマエさんたちのせいじゃなし…どうにもならないことだ、気にするな…それに、俺たちだって素人だから、たいしたことをするわけじゃない…獣医がもうすぐ来ることになってるんだよ…ちょっとごたごたするが、気にしないで休んでくれ」
「そういうこと…!ほらよ!」
 
002が投げた古風な鍵を受け取った009の表情に、004は苦笑した。
 
「部屋は一つだが、ベッドは十分な大きさがあるぜ…それに、鍵はソレだけだ。これで外からは開けられねえ…安心しな」
「ハインリヒ…!」
 
009は思わず抗議の声を上げた…が、もちろん無駄なことだった。
さっさと出ていく二人の背中を見送ってから、おそるおそる覗きこんでみると、003は耳まで赤くなってうつむいていた。
 
 
 
たしかに大きいベッドだった。
しょうがないわねえ…と、溜息をついて振り返った003を、009は無言のまま抱きしめた。
 
「ちょ、ちょっと…ジョー…?!」
 
そのまま押し倒されて、003は懸命にもがいた。
 
「待って…まさか…ねえ、ジョー、駄目よ…!」
「どうして…?」
「どうして…って…!」
 
こうして彼女の肌に触れるのは何ヶ月ぶりだろう。
抵抗を難なく封じ込め、柔らかい胸にそっと顔を埋め、009は深い息をついた。
 
今夜は…きみを手放したくない。
手放したら、きみはきっと消えてしまう。
あのひとのように。
 
その胸から引き離されるさだめなのだと気づいていれば、僕は泣いただろう。
声を限りに、のどを振り絞って…そう、僕の全てを賭けて。
 
「愛してる…」
「ジョー…」
「愛しているんだ、フランソワーズ」
 
僕にできることなら何でもする。何でも言う。
だから。
 
何もわからないうちに引き離されて。
何もわからないうちに一人残されて。
そして。
二度と、会えない。
あのひとには…もう、二度と。
 
わかっていたら、僕は泣いただろう。
あのひとの手を離しはしなかっただろう。
引き離されるぐらいなら…あのひとの胸で死ぬことをきっと、僕は選んだ。
もし、わかっていたら…だから。
 
「愛してる…」
 
血を吐くようにつぶやくと、ふっと彼女の体から力が抜けた。
優しい、温かい指がなだめるように髪の中に入り込んでくる。
彼は、最後の理性を手放した。
 
逃がさない。
離さない。
この胸で…息絶えるまで、僕は。
 
 
 
翌朝、食堂に降りていくと、002と004がコーヒーを飲んでいた。
雄の仔牛が生まれた…と、ハインリヒは笑って二人に告げた。
 
「お母さん牛は、無事なの?」
「ああ…安産だったらしいぜ…!」
「よかった…ねえ、赤ちゃん、見にいってもいい…?」
「もちろん…だが、まあ慌てるな…腹ごしらえをしてからにしようぜ」
 
さすがにやや疲れた様子の二人に、フランソワーズは手早く朝食を整えた。
 
「うん、うまい…!久しぶりだな、フランの手料理…」
「手料理…っていうほどのものじゃないでしょ…本当にお疲れさま、二人とも」
「ああ…結構感動的だったよな?」
「まあな」
「でも…これから、また大変になるね…仔牛を育てるのなんて、初めてだろう?」
 
009の言葉に、二人はふと顔を見合わせた。
 
「…うん…まあ、なんだ」
「育てるのはムリだろう…頃合いを見計らって、売る予定だ」
「…え」
「まあ…」
 
思わず絶句する003と009に、002はうーん、と天井を仰いだ。
 
「でも、アイツのツラ見たら…それもちょっとな…って思っちまうんだよなあ…」
「早く売った方がいいようだな。オマエがソレじゃ…」
「わかってるって…!」
 
004は珍しく、どこか言い訳するように言った。
 
「もし生まれたのが雌だったら育ててみるか、とも言ってたんだが…雄だからな、成長してももてあますだろうし」
「ペットにしてはデカイしな」
「そう…ね」
 
003は迷いながらもうなずいた。
 
 
 
仔牛は母牛よりも淡い茶色の肌をしていた。
大きな黒い目に003は微笑み、囁くように言った。
 
「かわいいわ…」
「…うん」
「雌だったらよかったのにな…オマエ」
 
002が何気なくつぶやいた言葉に胸を突かれ、009は軽く息を吸い込んだ。
 
もし…雌だったら。
もし…
 
その先は、わからなかった。
何度となく考えた。
でも、わからなかった。
 
もし、僕が…だったら。
そうしたら、あなたは僕を捨てなかったのかもしれない。
もし、僕が…
 
その先はわからなかった。
ひとつだけ確かにわかっていたのは、つまり自分は自分であったから捨てられたのだ、ということ。
それだけだった。
 
僕は…何に生まれればよかったのだろう。
あなたは、何も教えてくれない。
もし、僕が…
 
「ねえ…この子に、名前…つけてあげないの?」
 
柔らかい声に、我に返った。
003が首をかしげるようにして、002と004に微笑みかけている。
いや、違う。
この表情は。
 
「考えていない…な。下手に名前をつけると…」
「ジョー、にしない?」
「はぁっ?!」
 
003は淡々と続けた。
 
「そうね…本名はジョセフとか。ジョー、は愛称なの」
「何考えてるんだ、オマエ?」
 
009もぼんやり003を見やった。
彼女はもう何も言わず、ただ微笑している。
息のつまるような沈黙のあと、004がおもむろに口を開いた。
 
「その手には乗らんぞ、フランソワーズ…そうすりゃ俺たちがコイツを売れなくなる、と踏んでるんだろうが…」
「そうよ。売らないで…ね?私、この仔、気にいったわ」
「じゃ、オマエにやるよ。パリに連れて行け」
「いいえ、会いにくるわ…毎年、この仔の誕生日に」
「ちょっと待て。勝手なことを…」
「いいでしょう?」
 
004は口を開きかけ…ぎゅっと結んだ。
002も無言のまま、天井を仰いだ。
 
そうだ。
もう僕たちは経験ずみだ。
こういう003に逆らうことなんて、決してできないと。
 
 
 
「なあ…?」
 
003と009を見送って、2時間後。
黙々と雑誌を見ていた002が、同じく黙々と新聞を広げていた004に突然話しかけた。
何か、あたりをはばかるように。
 
「びくつかなくとも…もう聞こえやしないだろう」
 
…というか。
彼女に、俺たちの動向に耳を澄ますヒマなどあるものか。
アイツがくっついてやがるんだ。
 
「…ばれてたと…思うか?」
「ばれちゃいないだろう」
「……」
 
考え込む002に、004は大きく息をついた。
 
「だから、よせと言ったんだ、俺は」
「今更、遅いだろうが…!もう定着しちまってるしよ…」
「オマエ、お産のとき、呼んでたぞ」
「…えっ?!」
 
色を失う002に、004は淡々と続けた。
 
「泣きそうなツラで連呼してたじゃねえか。がんばれ、フラン、フラン、もう少しだ…ってな」
「マジかよっ?!」
「…やっぱり覚えちゃいねえか」
「なんで止めなかったっ?!」
「聞いちゃいないだろう…あの晩はそれどころじゃなかっただろうからな、アイツら」
「……」
 
ばさり、と新聞をたたみ、004はゆっくり立ち上がった。
 
「万一突っ込まれたら、本当のことを言えばいいさ…愛称はフラン、本名はフランシス…だとな」
「絶対聞いてやがったんだ、あの女…!どうする…?!」
「知るか…フランの乳、とかくだらんこと言って浮かれてたのはオマエだろうが」
「…ってことはよ、なんだかんだ言って、結局ジョーにフランの乳を…」
「…まだ言うか、オマエ?」
 
腕組みしつつ、畜生計られたぜ、とぶつぶつ言い始めた002の頭に、004はたたんだ新聞を投げつけた。
 
「まぁ…いいさ。なんにせよ、これであいつら、また来るだろう?少なくとも一年に一度は」
「ジョーの、誕生日を祝いに…かよ?」
「そういうことだ…どうする、やっぱり売るか?」
 
からかうような口調に、002は肩をすくめた。
 
「そんな度胸、俺にはないね」
「これに懲りたら、くだらん悪ふざけはやめるんだな」
 
悠然と居間を出ようとする後ろ姿に、002は舌打ちした。
 
「よく言うぜ、知ってるぞ、オマエだってかなり悦んで…」
「…乳搾りの時間だな」
「待て!俺が行くっ!」
 
慌てて立ち上がり、駆け出した002に004はふん、と笑った。
 
 
 
空港はやや混雑していた。
 
パリ行きの便の方が1時間早く発つ。
出発ロビーで、二人は何となく黙り込んでいた。
残りの時間はわずかだとわかっていて、わかっているから、何も言えない。
いつもそうだった。
 
最終案内が流れる。
立ち上がろうとする003を軽く押さえ、009はためらいがちに口を開いた。
 
「ありがとう。フランソワーズ」
「…え?」
 
けげんそうな彼女に、009は懸命に言葉を繋いだ。
 
「その…あの、仔牛…」
「…あ。」
 
003は苦笑しながら小さく、ごめんなさいね、と言った。
 
「つい、あんなこと言ってしまって…でも、これで…またあの仔に会えるわ」
「…うん」
「あなたも、来てくれるでしょう?」
 
黙ってうなずく彼に、5月16日よ、忘れないでね…と彼女は微笑し、立ち上がった。
 
「うん、忘れない…5月16日だね」
「みんなで、お祝いしましょうね…楽しみだわ」
 
また来年。
5月16日に。
…でも。
 
亜麻色の髪が肩の上で軽く揺れていた。
細い背中が少しずつ遠ざかっていく。
 
…でも。
 
「フランソワーズ!」
 
え…?と立ち止まり、振り向いた彼女に、009は夢中で呼びかけた。
 
「でも…!でも、その前に、会いに行くよ!一年も待てない!」
 
大きく見開かれた青い目から、さざ波のように笑みがこぼれた。
が。
思い切り息を吸い込んで、わかったわ、と言おうとするより早く、彼はくるっと背を向け、瞬く間に人波の中に消えてしまっていた。
 
「もう!しかたのない人…!」
 
それに、あてにならないのよね…あの人のこういう約束って。
口の中でつぶやき、003は荷物を持ち直した。
 
でも、いいわ。
きっと、必ず会えるもの。
何があっても、この日だけは…きっと。
 
ジョー。
また会いましょう…私たち。
 
5月16日。
あなたが、生まれた日に。


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