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二周目


  6   溜息(新ゼロ)
 
 
彼女には、面会できなかった。
008は申し訳なさそうに、もう少し彼女に時間を上げた方がいい、と言った。
 
「でも、彼女なら大丈夫。あまり心配しない方がいい、009」
 
予想はしていたものの、ジョーは暗い気持ちになった。
治療を終え、あれほど苦しかった体がうそのように軽くなっている。
それが、サイボーグということだ。
 
だが、彼女は違う。
心も体も…限界だった。
回復には、相応の時間がかかるだろう。
 
なぜ彼女はあんなに動転していたのだろう。
治療の間、ずっと頭を離れなかった疑問が再びよみがえる。
 
彼女は、動転していた。
 
戦いの中で、いつも彼女が傷つかないように、守ってきた。
守られることに、彼女は慣れていたはずだ。
それなのに、最後に、彼女は彼をかばった。
傷のほとんどはそのとき負ったものだった。
 
いつもの彼女なら、彼に警告を発して、同時に自分の身の安全を確保しただろう。
それが、003としての一番正しい判断だったはず。
 
しかし、彼女は彼を抱えて、地雷原を駆け抜け、更に爆風から身をもってかばい。
そんな必要はなかった。
 
運良く視界がひらけ、樹海を抜け、ドルフィン号に発見された…のだが。
一歩間違えば、敵襲を招いたかもしれなかった。
もしそうなれば…
傷ついた彼女をかばって、彼が戦うのはもはや不可能だった。
 
二人は、それぞれぎりぎりの状態だった。
それぞれが、それぞれ生き残るために戦う。
かばい合う余裕はどちらにもない。
そういう段階まで追いつめられていた。
それがわからない彼女ではないはずなのに…
 
なぜ、彼女はあんなに動転していたのか。
 
彼は、力なく首を振り、溜息をついた。
…ちがう。
 
動転していたのは、僕の方だった。
 
 
 
何かが狂い始めたのは、旅に出ようと決めたときだったのかもしれない。
仲間たちのさりげない配慮に、ジョーは気づいていた。
彼女も気づいているだろうと思った。
 
それについて語り合うことはしなかったけれど…
でも、ジョーはそれを黙って受け入れた。
彼女が黙っているのも、そういうことだ、とジョーは解釈した。
思いがけないほど、胸が高鳴った。
 
二人で旅に出る。
だからといって、何かが起きるわけではないし、起こすつもりもジョーにはなかった。
でも…
作戦ではなく、他の誰とでもなく、自分と旅をすることを彼女が受け入れてくれたのは、やはり嬉しかった。
 
旅客機に乗るときは、いつも一人だった。
自分は日本へ。
彼女はフランスへ。
 
でも…
もし、このままずっと彼女といられたら。
戦いが終わっても、こうして一つの旅客機に乗って…
 
とりとめのない思いを、突然、機体の激しい振動が遮った。
 
既に何かが狂い始めていた。
混乱の中で、ジョーはとっさに彼女の体を引き寄せ、かばうように抱いた。
 
君を、傷つけはしない…!
 
そう心に誓うのは、いつものことだ。
でも。
 
彼女が、息を殺してすがりついてくる。
腕に力をこめて抱き返した。
 
もし、このまま君と……
 
次の瞬間、すさまじい衝撃が襲った。
 
 
非常事態の中に、二人だけ。
仲間の援護はまだ期待できない。
そんな状況で彼女の傍らを離れたことが、自分にあっただろうか。
後になって、ジョーは、繰り返し考えた。
 
 
僕は、なぜ彼女の傍らを離れたのか。
もちろん…救助を呼ぶためだ。
 
重傷者への手当を急がなければならない。
僕は、焦っていた。
一刻も早く、この状況から人々を救わなければならない。
それができるのは僕だけだったから…
 
いや。
そうだったのか?
僕が、救おうと思ったのは…彼らだったのか?
 
ジョーは堅く唇をかんだ。
 
たぶん…違う。
僕は…彼女を。
 
僕が、焦ったのは…彼女を、一刻も早く救いたかったからだ。
この、惨劇の中から。
 
不安そうに瞳を震わせる彼女への思いを、僕は断ち切った…つもりだった。
でも、それは違う。
彼女が不安そうにしていたのは…もしかしたら、003として…力のない自分が乗客を守りきれるかどうか、ということを思ってのことだったのかも…たぶん、そうに違いない。
 
僕は、彼女の不安を無視した。
それが、私情にすぎないと思ったから。
それは、戦士として…009として、そして003として許されない感情だと判断し、彼女の不安を無理矢理切り捨てた。
 
そうだ。
勘違いしていたのは、僕の方だ。
 
僕は、彼女の傍らを…ちがう、あの乗客たちの側を離れてはいけなかったのだ。
私情を振り捨てたつもりで、私情にとらわれていたのは、僕の方だった。
 
あれが…全ての過ちの始まりだった。
 
 
 
「ジョーに伝えてきた。わかった、と言っていたよ」
 
フランソワーズは黙ってうなずいた。
心配…かけてごめんなさい。
そう言おうとするだけなのに、涙がこみ上げてくる。
 
「何も言わなくていい…ムリもないよ、フランソワーズ。大変な目にあったね」
 
ピュンマの穏やかな声が堅く縮んだ心を少しだけほぐしてくれたような気がした。
フランソワーズは、もう一度うなずいた。
 
「でも、君は大丈夫だ…彼も。何も心配いらないから、今はおやすみ…目が覚めたら、きっとずっと気分がよくなっているよ」
「…ピュンマ」
「泣かないで。終わったんだ。ジョーは無事だし、それに…生き残っていた乗客も全員、僕たちが救い出した」
 
生き残っていた乗客。
フランソワーズは弱々しく息をついた。
 
そうだわ。
それが…私たちだったのに。
私は、003だったのに。
 
ピュンマ。
私は、あなたのようでありたい。
それなのに…
 
どうしたら、いいの?
私…どうしたら…
 
「…フランソワーズ。また、考えてる?…駄目だよ」
「ピュンマ、私…」
「考えては駄目だ。これは、僕の命令だからね」
 
言われるままに、フランソワーズは目を閉じた。
 
眠って、眠って…目が覚めたら、元の私に戻れるかしら。
ピュンマのように、ジェットのように、アルベルトのように…みんなのように。
 
戻りたい。
003に…戻りたい。
それまでは…あなたに会えない。
 
私は、私でなくなっていた。
いつから…?
もしかしたら、あのときから。
あなたが、僕と一緒に行かないか?と、優しいまなざしをくれたときから。
 
それは、間違いだと…心のどこかで、わかっていた。
はっきりわかったのは、あなたが厳しい視線で、ここに残れと…003として、ここに残れと命じたとき。
わかっていたけれど…戻れなかった。003に戻れなかった。
とうとう、最後まで…私は。
 
あなたは、あなたを撃った私に、君が悪いじゃない、仕方がなかった…と言った。
裏切りなんかじゃない、と言った。
あなたは本当にそう思っていたはずだし…それが本当のことだった。
 
あなたを裏切ったと思っていたのは、私だけ。
 
メガロは、私の思いを見抜いていた。
自分を信じろ、愛を信じろ、と言ってくれた。
あのとき…その言葉にすがって、私は彼の元に戻ることができた。
…でも。
 
メガロ。
あなたは、知らない。
 
恋人を信じることができず、その兄を殺したのだ、と苦しそうに言ったあなた。
でもジョーは、あなたと違う。
いいえ、違うのは私。
私は…彼の恋人ではない。
 
ジョーは、私が裏切ったなどと思っていない。
私を愛しているからではなく。
私を許したからでもなく。
 
それが、ただ事実だったから。
 
 
 
僕は、彼女を呼んだ。
 
そのとき、本当をいうと、僕は何が起きたのか、わからなかった。
駆け去っていく彼女の背中を、見つめることしかできなかった。
 
彼女が、遠ざかっていく。
 
それは悪夢だった。
彼女に撃たれたことなど、なんでもない。
それで命を落としたとしても、僕はなんとも思わない。
でも。
 
フランソワーズ!
 
メガロが彼女の後を追って森林に消えたとき、僕は声を放って彼女を呼んだ。
 
フランソワーズ!
フランソワーズ!
 
やがて現れた、サイボーグ犬の群れ。
懸命に銃を握りしめ、僕はうわごとのように彼女を呼び続けた。
 
こわかった。
 
僕は、動転していた。
 
ここで彼女を呼んだら。
彼女がここに駆けつけたら。
彼女もまた、こいつらの餌食になるのに。
 
それがわかっていて…いや、そんなこともわからないほど、僕は動転していた。
ただ、ただこわかった。
僕は彼女を呼び続けた。
 
フランソワーズ!
フランソワーズ!
 
どうして、行ってしまうんだ?
どうして、戻ってくれないんだ?
どうして、君は
 
あのときのことを思うと…それだけで、体が震える。
君の背中。
僕をおいて、行ってしまう…君の。
 
メガロがいて、よかった。
動けなくて、よかった。
そうでなかったら、僕は…
 
僕は、君を殺していたかもしれない。
 
 
ジョーはぎゅっと目を閉じ、こめかみをきつく押さえた。
何度溜息をついたかわからない。
気持ちは沈むばかりだった。
 
死んでもいい、と彼女は言った。
僕と一緒なら…ここで死んでもいい、と。
 
ああ、君はやっぱり…いってしまおうとしている。
僕は、そう思った。
 
彼女の目からは、既に生気が消えていた。
本当に、ただ気力だけでここまで来ていたのだ。
その気力が…尽きようとしている。
 
僕も、時間の問題だった。
でも…僕はたぶん、彼女より強い。
先にいくのは…君だろう。
そう思ったとき、僕は彼女の言葉を強く打ち消していた。
 
うそだ。
僕と一緒に、なんて、嘘だ。
君は、いってしまおうとしている。
僕を置いて。
そんなことはさせない。
 
夢中で立ち上がった。
かぶせるように、彼女に言った。
 
仲間のところへ、帰るんだ、と。
 
そうだ、仲間だ。
忘れないで。
君は、僕の…僕たちの、仲間なんだ。
 
返事を聞くのがこわかった。
 
もし、君が仲間であることさえも拒否したら。
そんなはずない。
でも。
 
僕は、彼女の返事を待たず、やみくもに歩き始めた。
 
僕が、道をひらく。
だから、あきらめないでくれ。
死んでもいいなんて、言わないでくれ。
僕から、去らないでくれ。
 
僕は…動転していた。
 
無数のトラップに囲まれていることを知っていて。
003の透視なしに動くのは無謀だとわかっていて。
それでもひとり、前進した。
振り返るのがこわかった。
 
君は003。
この世にただ8人だけの僕の仲間。
そして、僕は009。
この世にただ8人だけの君の仲間。
 
僕は、知っている。
君は僕を去らない。
003であるかぎり、君は僕を去らない。
だから、僕は009であり続ける。
そして、君も。
それだけが、君をつなぎとめる絆になるなら…僕は。
 
 
あのとき、僕の頭にあったのは、ただそれだけだった。
他には何も考えることができず、僕は地雷原へと無造作に踏み込んだ。
 
あのときの僕は、009などではなかった。
 
 
 
ようやく部屋に戻ってよい、と言われ、フランソワーズは数日ぶりに治療室を出た。
ふと、外の風にあたりたくなった。
 
暗闇に、無数の星がきらめく。
あたたかい潮の香り。
優しい波音。
 
ジョー。
あなたは…強い人ね。
私も、強くなりたい。
 
耳をすますと、彼の気配がした。
微かな…息づかい。
 
わかるわ。
あなたも、海を見ている。
小さな窓から。
 
いつまでも、あなたと同じ海を見ようと思うなら…
私は、もっと強くならなければ。
 
あなたとなら、ここで死んでもいい、と言ったのは…ほんとうの気持ちだった。
きっぱり断られちゃったけど。
 
あなたは…強い人だわ。
どこまでもあきらめない。
どこまでも前に進もうとする。
 
そのあなたと同じ海をずっと見ていたいのなら、私も強くならなければ。
 
フランソワーズは軽く深呼吸して、暗い水平線を見つめた。
 
 
あの森林に潜んでいた敵は完全に殲滅した…と、仲間たちは言った。
それは確かなことだろう。
しかし…
そのまま、ぼんやり引き下がる敵ではないはず。
やつらは失敗の原因を探り、追及し…そして、もしかしたらかぎつけるかもしれない。
 
ジョーは堅く拳を握りしめた。
 
僕の、弱点。
それがわかれば…やつらは、必ず、そこをねらってくる。
執拗に。
 
フランソワーズ。
僕は…見ないようにしてきた。
気づくのがこわかった。
でも。
 
もう、逃げるわけにいかない。
目を背けるわけにいかない。
 
僕は、君を愛している。
君が、僕の心をつないでいる。
君を失えば…僕は。
 
やつらに、気づかれてはいけない。
やつらだけじゃない…誰にも。
 
気づかれたとき、君は二度と安らかな暮らしに戻ることができなくなる。
やつらを倒したとしても…僕たちの敵は、無数に存在するだろう。
 
もう、ごまかさない。
僕は、君を愛している。
だから。
 
誰にも気づかせない。
君自身にも。
僕の、すべてをかけて。
 
ジョーはようやく顔を上げ、暗い水平線を挑むように見つめた。
 
 
 
フランソワーズはそっとベッドに滑り込んだ。
 
どうか、目覚めたらいつもの私でありますように。
いつもと同じように、彼に「おはよう」と言えますように。
今は、ただそれだけを。
 
ジョーはのろのろと立ち上がり、窓の覆いを下ろした。
 
明日は、君に会えるだろうか。会えるといい。
いつもと同じように君に「おはよう」と言えれば、それだけでいい。
今は、ただそれだけで。
 
 
気づかれてはいけない。
 
私は、こんなに弱い。
僕は、こんなに脆い。
 
このままでは………
 
君を守れない。
あなたといられない。
それでも。
 
私は、あなたが好き。
僕は、君を愛している。
 
その思いを、消すことはできないから。
できないと、知ってしまったから。
 
…だから。
 
 
ふたつの溜息がひそやかに夜に流れ、波間に消えていく。
しかし、水平線はやがて白み始める。
 
夜が明ける。
ふたつの思いを音もなく受け止め、新しい朝がくる。


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