1
「こんにちは、博士…あれ?」
不思議そうにきょろきょろしている009に、ギルモアはああ、とうなずいた。
「003なら、007と出かけておるよ」
「買い物ですか?こんなに暑いのに…」
「いや…プールに行くんだと言ってはりきっておったが…」
「…へえ」
009はくすっと笑った。
「007の相手も大変だなあ…」
「なに、003も嬉しそうに出かけたぞ。市民プールじゃとか…オマエも行ってみたらどうかね?」
「ふふっ、まさか…で、いつ頃でかけたんですか?」
「昼前…かの…じゃが、夕ご飯も食べてくると言っておったから…」
「え…?そうなんですか?のんびりしてますね…張々湖飯店で…?」
「いや…007の友達と一緒だそうじゃから違うじゃろ」
「007の…友達?」
2
「ねぇ…003、やめとこうよ…なんか、オイラ、いやな予感がしてきたよ…」
「意気地なしね…!いいわ、だったら私一人で…」
「ま、待ってよ…!そんなことさせられるかよ〜!オイラが言いたいのはさ、やっぱり009に連絡して…」
おろおろする007をきっとにらみ、003は唇を噛んだ。
「ジョーは忙しいからダメよ」
「003…作戦に私情は禁物だって、いつも言われてるじゃないか…!」
「そうね…そういえばそんなこと言ってたわね、あの人」
自分のことは棚に上げちゃって…!
「作戦、なんて大げさな話じゃないわ。ここはみんなが楽しく遊ぶための場所なのよ…あんな人たちを黙って見すごすわけにいかないでしょ!」
「でも…003」
「大丈夫よ…あの人たち、ただの人間だもの」
「透視…したのかい?」
「もちろん…行くわよ、007」
「ちょ、ちょっと待ってよ…003〜!」
こんなことになるなら、話すんじゃなかったよ…
007はこっそり溜息をついた。
が、ぐずぐずしていられない。
003は既に婉然と微笑しながら、見るからに崩れた雰囲気の若者たちの方へ歩み寄り、手を振っている。
慌てて追いかけた。
そりゃ、003の姐御だったら、あんなへなちょこの4、5人…なんでもないだろうさ。
おまけに、今は最っ高にご機嫌ななめときてるし。
でも…でも、もしも…
…困った。
なんとか009に連絡をとりたい。
でも、ちょっとでも目を離すのはマズイような気もする。
コトの起こりは…どのへんからになるのか、正直007にもわからなくなりかけていた。
自分の方の事情を言うなら、ソレは先週の水曜日に始まった。
友達と誘い合って遊びにきていた市民プールに、突然、妙な若者たちがあらわれたのだった。
徒党を組み、プールサイドで煙草を吸い、吸い殻をその辺に投げ捨てる。
子供たちが遊ぶ真ん中へいきなり飛び込み、怯えさせる。
若い母親の肢体をぶしつけにじろじろ眺め、薄笑いをうかべては卑猥な言葉を投げかける。
監視員がなぜか見て見ぬふりをしているし、警察に通報してもあまり相手にしてもらえない。
人の多い休日には現れないので、一番迷惑しているのは夏休みの小学生たちなのだった。
その現場を見て憤慨した007は、とりあえずギルモア研究所に駆け込んだ…のだけど。
そこには、なぜか彼の数倍憤慨しまくっているように見える003がいて。
003がなぜ憤慨していたのか…はっきりしたことはわからない。
が、「新しい水着」にその原因の一端はあるらしい。
この間の日曜日、水着を買いに街にジョーと出かけてから、何かおかしい…ような気がする、とギルモアは考え考え、慎重に言った。
「ホント、男の人って、最低だわ…!」
007の話を聞くなり、003は叫んだ。
そして…それから何がどうなったのか…
とにかく、その若者たちを「駆除」するのだ、と003は堅く決意を決めてしまい。
その作戦決行日が今日なのだった。
…つまり。
その若者たちに誰も手が出せないのは、彼らが決定的な「悪さ」をしないから…というのもあるわ…と、003は言うのだった。
それには、007もうなずけた。
でも。
だったら、彼らにソレをやらせるようにしむけて…そこで有無を言わせずたたきのめす。
もともと監視員は頼りにならないのだし、警察もあてにならないなら、実力行使あるのみ。
二度と市民プールに近づく気になれないような目に合わせてやればいい。
いきなり実力行使したのでは、逆に訴えられる可能性もあるから、先に手を出させるのよ…!と語る003に、007はだんだん不安になっていった。
先に…手を出させるって…その。
3
たしかに、その日の003はいつもと違った。
作戦は順調に進んでいる…と007は思った。
そもそも、着ているモノがいつもと違っている。
たぶんソレが問題の新しい水着だと思うのだけど、改めて聞くのはなんとなくはばかられた。
水着といえばいつも飾り気のない紺のワンピースの彼女が。
今日はかなり挑発的なデザインの白のビキニ姿なのだった。
若者たちは蟻のように彼女に群がり、猫なで声であれこれ機嫌をとり続けている。
「007…!」
ちょっと待ってね…と彼らに目配せしてから歩いてきた003が、素早くささやいた。
「アナタ、帰りなさい」
「…えっ?!なんで?!」
「とうとう本性を現したみたい…一緒にドライブにいきませんか…?ですって」
「ゼ、003〜!」
「行くわけないでしょ…今、更衣室にひっこんだ人たちが、ジュースに睡眠薬を混ぜているのよ…凶器は持ってないわ。荷物にも入ってない…アレを私に飲ませて、眠らせてどこかへ連れて行くつもりなのね…手慣れてるわ。あちこちで女の子を誘惑しているんじゃないかしら…もう、絶対許せない!」
「と、とにかく…オイラはキミと一緒にいるよ…!そんな奴らのところに一人で置いていけるもんか!」
「あの人たち、あなたが邪魔なのよ…いいから帰りなさい。もし万一アナタを人質にとられたら…危ない目に合う可能性があるとしたら、それぐらいだわ。大丈夫だから」
「…003!」
「いい?…帰るのよ?」
007はぎゅっと唇を噛んだ。
「…わかったよ…でも、それならオイラにも考えがある。009を呼ぶからね!」
「007…?!」
「当たり前だろ?キミがもし危ない目にあったら、オイラ、アニキに殺されっちゃうよ」
「…そう。勝手になさい。でも、007…もし、彼を呼んだりしたら、私…金輪際、アナタとは口をききませんからね!」
氷のようなまなざしに射抜かれ、007はぐっと怯んだ。
た、たしかに…大丈夫にきまってる…けどさ。
コワイ……コワすぎるよ、003〜!
おっかなびっくりプールサイドを振り返った007の目に、飲み物を片手に003の方へ歩いていく若者と、監視員に何かなれなれしく話しかけている若者がうつった。
これは…ヤバイ。やっぱり。
一生口をきいてもらえなくたってかまうもんか…!
キミの身を守るコトの方がずっと大切なんだから…!
007は大急ぎで更衣室に駆け込み、着替えると、弾丸のように外へ飛び出した。
公衆電話にコインを投げ込み、009の部屋の番号をダイヤルする…が。
でない。
震える指で、さらにダイヤルを回し続けた。
研究所。
張々湖飯店。
思いつく限りのトコロに電話をしまくっても、009はつかまらなかった。
ああっ!もう〜〜っ!!!!!
地団駄を踏んでいると、背後でタイヤがスリップするような音がした。
はっと振り返った007の前を、乗用車が猛然と駆け抜けていく。
あの若者たちが乗っていた。
「や、やられた〜〜っ!!!!!」
007は叫び、素早く鳥に変身した。
4
シートの上で、怯えた声を上げてみせながら身をよじり、003は若者たちの様子をじっとうかがっていた。
プールサイドでカタをつけるつもりだった…けれど、結局埒があかない。
ジュースを飲もうとしない彼女に、若者たちは焦る様子もみせず、のらりくらりとしているだけで。
つい、しびれを切らしてしまったのだった。
なめるような視線。
時々、偶然を装って触れてくる汚らわしい手。
これ以上我慢できなかった。
003は挑発に出た。
監視員がさりげなく引っ込み、人気がなくなったところを見計らって、やっぱりイヤ、私、帰ります…!とべそをかいてみせたのだった。
思った通り、彼らの顔色がさっと変わった。
あっという間に取り囲まれ、口をふさがれ、担ぎ上げられる。
ここで暴れてもよかった…のだけど。
これでは、まだ「ふざけていただけです」と言い逃れられてしまうかもしれない。
003はぐっとこらえ、いかにもか弱い少女らしく、涙をうかべて首を振り、抵抗してみせた。
プールの出口近くにも駐車場にも見張りが立っていた。
かなり、手慣れている。
もしかしたら、彼らの本当のねらいは、こうして女の子を見つけ出し、誘惑して、連れ出す…ことだったのかもしれない。
003は燃えるような怒りの中で考えた。
絶対…絶対、許さないわ!
ホントに男って、最低よ…!
クルマは、黒いバンだった。連れ込まれるとき、ナンバーも確認した。
車内には若者が6人。
運転席と助手席に一人ずつ。
彼女を両脇から押さえつけている二人。
一番後ろの座席に更に二人。
「そんなに暴れて、喉がかわいただろう、お嬢さん?」
口元に、睡眠薬入りのジュースを押しつけられ、003は唇を噛んだ。
クルマが停まり、下ろされるまで、眠るわけにはいかない。
彼らも、ほぼ水着姿のままだった。
そんなに遠くまで行くはずはない…と思った。
あと、もう少しの辛抱よ…と、003は自分に言い聞かせた。
水着はもみくちゃにされて、肩紐がずり落ちてしまっている。
彼女をおさえつけている二人の男たちは、既に薄笑いを浮かべ、無遠慮に肌をなで回し始めていた。
「アンタもその気だったんだろう?…こんな…たまらない格好でうろうろしてるってのは、そういう女だって証拠だぜ。襲ってください、って言ってたんだよなぁ?」
何ですって…?!
何よ…何よ、何よ!
もう、我慢できない…!
そんな口、二度ときけないようにしてあげるから…!
003はキッと顔を上げ、生臭い息を吹きかけていた男の顔面に、いきなり拳をめり込ませた。
血しぶきが上がる。
車内はたちまち悲鳴と怒号に満たされた。
数分後、クルマは激しくスリップし、ガードレールにぶつかり、横転した。
「きゃあああああっっ!」
開いたドアから勢いよく投げ出され、003はぎゅっと身を縮めると、アスファルトに叩きつけられる衝撃に備え、受け身をとった。
ぼん!と短い爆発音がして、熱い風が吹き付ける。
…が。
衝撃はこなかった。
003は呆然と顔を上げ…険しい光を放って見下ろしている、黒い瞳を見つめた。
「…ジョー?」
5
何が起きたのかわからない…が。
いつの間にか、009の腕に抱かれていた。
「きみは、後先ってモノを考えてないんだな」
「…え?」
「コイツらをやっつけたのはいいけどさ…そんな格好でここから歩いて帰るつもりだったのかい?」
そんな…格好…?
003はかあっと頬を染めた。
これもいつの間にか、大きな白いシャツを着せられていた。
その下に身につけていたはずのビキニは紐がちぎれ、ボロ布同然になっている。
ランニングシャツ一枚になった009はやれやれ…とこれ見よがしに息をついた。
「だから…言っただろう?そういうのはああいうのに目をつけられやすい…って、でも、まさかきみがそれを利用するとはね」
「…いくじなし…」
「…は?」
「007が告げ口したんでしょう?」
「007…?違うよ」
「…え?」
009はもう一度溜息をついた。
「こんなコトになってるんじゃないかと思って…市民プールに行ってさ、見張ってたんだ」
えええええええええっ?!
「見張っていた…って…ずっと…ずっと、全部、見ていたの?」
「だって…せっかくがんばってたし…なかなか面白い作戦だと思ったしさ…ただ、ツメが甘いよね」
「……」
「どう…?懲りたかい?」
…信じられない。
「…003…?」
009は驚いて腕の中を覗いた。
003が、両手で顔を覆っている。
「あ、あれ…?泣いてる…の?」
「……」
「怖かった…かい…?ごめん…まさか、きみがクルマに乗せられるまでおとなしくしてるとは思ってなくて…その、つい…油断したんだ…ごめん…泣くなよ、003…」
「……」
しゃくり上げながら、003は小さく首を振った。
009は困惑しつつ、ぎゅっと華奢な体を抱きしめた。
「ね?もう…大丈夫だから…ホントにごめん…!」
「私…馬鹿だったわ…油断して…あんな人たちに…あんな…」
「…え」
「あんな…コト…私…もう…!」
009は、思わず抱きしめる腕に力を込めた。
「忘れるんだ…もう、二度とキミをそんな目に合わせたりしない…いや。その…003…?」
「……」
「あ、あの…フランソワーズ…ホントは、キミ…あいつらに…何をされたんだ?」
おそるおそる尋ねる009に、003は力なく首を振った。
また涙がこぼれる。
「聞かないで…あなたの言う通りだったの…私…馬鹿だったわ」
「フランソワーズ、まさか…」
「こんな『ふしだらな格好』して『いい気になっていた』んだもの…当然の報いだわ。あの人たちも私を『そういう女の子』だって思っていたのよ…だから」
「何言ってるんだよ!キミはそんな女の子じゃない…!その水着だって…凄く可愛かったじゃないか!いいかい、フランソワーズ…キレイな女の子をそんな目で見るヤツの方がどうかしてるんだ…!」
「…いいの…慰めないで、ジョー…みじめになるだけだもの」
「フランソワーズ…!」
チクショウ…!と口の中でつぶやく009を003は涙の溜まった目で見上げた。
「私…私も普通の女の子みたいに、おしゃれしてみたかったの…あなたに、褒めてもらいたかったの…でも、もうしないわ。あなたが言ったとおり、私は…サイボーグ」
「フランソワーズ、もう、黙って…!」
009はうめくような声を上げ、彼女の言葉を唇で塞いだ。
「ボクが悪かった…あのときのコトは…その、あの店でつい言ってしまったことは…つまり、本気じゃなかったんだよ…ただ、驚いてしまって。だって…キミが、あんまり…あんまり、素敵で」
頬が熱い。
それ以上言葉を続けることはできなかった。
代わりに、009は再び彼女に唇を重ねた。
優しく…深く。
「う〜ん…」
ゆっくり旋回しながら、007はほっと息をついた。
よ、よかった…けど。
なんだろ?この感じって。
なんか…スッキリしないような気がするんだけどなぁ…?
6
「こんにちは〜!」
元気よく駆け込んできた007を、003は明るい笑顔で迎えた。
「ねえ、003…プールいかないかい?それとも、アソコはもうイヤになった?」
「そんなことないわ…でも、ごめんなさい…今日は、ジョーと約束があるの」
「あ〜、そっかぁ…じゃ、しょうがないや」
「ふふ、ごめんなさいね…」
やがて、クラクションの音が聞こえた。
ぱっと顔を輝かせ、大きめのバッグを持ち上げる003に、007は首をかしげた。
「ピクニックにいくのかい、003?」
「いいえ…ジョーがね、プールに連れて行ってくれるって…」
「プール?」
きょとん、とする007に、003は少し申し訳なさそうに言った。
「アナタも連れて行ってあげられるといいんだけど…コドモが入れないトコロなんですって」
「ふ〜ん…?」
「それじゃ…行ってきます、博士」
「おお…気をつけての」
目を細めるギルモアに、007は首をかしげながら尋ねた。
「コドモが入れないプールなんて、あるんですか、博士?」
「うむ…なんというか、会員制の高級なプールというのがあっての…ジョーは会員になってるんじゃろ」
「そっかぁ…さっすがハリケーン・ジョー…あ、でも」
「うん…?」
007は少し心配そうな表情になった。
「003、水着あるのかな…?この前、新しいのは台無しになっちゃったのに…」
「この前、009がプレゼントしとったようじゃの…」
「へえ…どんなのかなぁ?…後で見せてもらおうっと…!」
ギルモアは面白そうに笑った。
「たぶん、見せてはもらえんじゃろうよ…たぶん、誰も…な」
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