1
初めて出会ったとき、あなたはほんの子供に見えた。
自分の能力に驚いて…でも、どこか楽しそうで。
あのころは、知らなかった。
あなたが、本当はとても…とても。
とても、優しい…
とても、悲しいひとだってことを。
あなたはいつも、私をなぐさめてくれた。
泣きじゃくる私の肩を抱いていてくれた。
私、この能力キライ。
人間から遠く離れたモノである自分もキライ。
そう言って泣く私を、あなたは黙って抱いていてくれた。
私よりずっとずっと人間から遠く離れたあなた。
私はなんて残酷で、なんて身勝手だったんだろう。
そう気づいたとき、もう泣けないと思った。
…でも。
でも、あなたは。
僕のことは、いいよ、フランソワーズ。
ほんとに、いいんだ。
泣きたいときは泣いた方がいい。
ね、フランソワーズ。
これ以上我慢なんて、よそうよ。
きみはもう、我慢しなくていい。
泣いてしまった方がいいよ、僕はそう思う。
え?
…僕?
……だから。僕は。
僕は…いいんだ。
ほんとに、いいんだよ。
我慢なんて…してないし。
ほんとだよ、フランソワーズ。
ほんとだから。
本当…?
本当なの、ジョー?
あなたは、本当に我慢していないの?
欲しいものはないの?
望むことは…何も、ないの?
ないよ、とあなたはこともなげに笑った。
硝煙の漂う戦場で、頬の返り血をそっとぬぐって。
あなたは笑った。
2
波音を聞きながら、二人で星を眺めていた。
あなたが、ふと私を抱き寄せて…。
唇が重なる。
何を探しているの…?
ううん、違う。
あなたは…知ってる。
私の中には何もないって。
「フランソワーズ…?」
「…大好きよ、ジョー」
優しくささやくと、あなたは満足そうに目を閉じて…開いて。
そして、遠くを見つめる。
「ねえ、フランソワーズ…パリに、帰らなくていいのかい?」
「いいのよ…今、兄さんも忙しいみたいだし」
「イワンの世話なら、心配しなくていいよ…なんとかするから。ずいぶん帰っていないじゃないか」
「…そうね。でも」
「我慢しなくていいんだ…しないでくれよ…ね?」
「我慢なんて」
あなたに視線をとらえられて、私はうつむいた。
何もかくせない、透明な視線。
「ほら…我慢してるんだ」
「…ちがうわ」
「僕のことはいいから」
「だって」
「ホントに、いいから…行っておいで」
そうなの?
ホントに、いいの?
私がいなくても、いいの?
何度も何度も浮かびかけた言葉を、また呑み込む。
聞いたら何もかも終わってしまう。
答は…わかってる。
そう、わかってるの。
あなたは、それを答えることさえ我慢してしまうだろうってことも。
私を傷つけないために。
あなたの欲しいものがわからない。
あなたの望みがわからない。
何も望まず、重い荷を背負い続けるあなた。
私は、その荷のひとつにすぎない。
それが苦しいなら…あなたを去ればいい。
あなたを忘れて生きればいい。
そう思ったこともあった。
…でも。
離れられなかったのは、私。
どうにもならなくて…焦がれて、焦がれて、私はいつも帰った。
あなたのもとに。
あなたは、いつも同じ笑顔で「お帰り」と言った。
4
あなたの髪を風が優しく撫でる。
あなたの上には澄んだ青空がある。
光と、風と、草と、波音。
何も望まないあなたが、まどろんでいる。
なんて…
なんて、長い時間が過ぎたのかしら。
私は、やっぱりあなたの側にいて。
そして、わからない。
あなたが何を望んでいるのか。
…でも。
あなたの髪が私の膝を柔らかくくすぐっている。
あなたの呼吸。
あなたの温度。
私がいることなんて、忘れて眠っているでしょう、ジョー?
これで…よかった。
あなたが何を望んでいるのか、わからなくても…あなたの側にいてよかった。
長い長い間…あなたと一緒にいてよかった。
私は風。私は草。私は光。私は波音。
そんなふうに、あなたの側にいられたらいい。
あなたは私を忘れて。
そうすれば、すべてを我慢しつづけてきたあなたが、私のために我慢することだけはなくなるでしょう。
そうしたら、少しだけ近づけるかもしれない。
あなたの、望みに。
忘れて。
私の顔も、声も、温度も。
私は風になり、草になり、光になって…そして、あなたの側にいるから。
だから、もう…
5
もう、大丈夫よ、と彼女が微笑んだ。
もう、大丈夫。
私はあなたの側にいるわ。
いつも…どんなときも。
だから、探さないで。
ただ目を閉じてくれれば…それで。
見えるでしょう?
私は、どこにでもいるわ。
風に…草に…光に…波音に。
「フランソワーズ…っ?!」
跳ね起きるのと同時に、体がバラバラになりそうな激痛に襲われた。
僕は、いったい……
「動くな、009!」
鋼の声が降る。
004…?
そして、僕を庇うように囲んでいるのは、005、002…008。
そうだ、ここは。
崩れかけた城塞。
006と007はドルフィンに戻った。
001は、眠っている。
…だから。
「動くなって言ってるだろう、馬鹿野郎っ!」
「すぐ、ドルフィンへ運ぶ。心配、いらない」
「…003は?」
僕の問いに答える者はいない。
これは、きっと無駄な問いだ。
ここに、彼女がいない。僕の側に。
…だったら。
誰も答えるはずない。答えられない。
「動くんじゃねえっ!」
「もう無理だ、あきらめろ、009!」
「そうだ…003の気持ちを無駄にするな…!」
気持ち…?
大丈夫よ。
私、あなたの側にいるわ。
探さないで。
…だって、わかるでしょう?
うん。
わかる。
探す必要なんかない。
きみは、いつも僕の側にいる。
今だって…!
押し殺した呻きとともに、005が倒れ込んだ。
両腕でしっかり押さえ込んでいたはずの009が消える。
「あンの野郎…っ!」
「追うな!」
飛び出そうとする002を、004が制した。
「ああなっちまったら、俺たちの手には負えねえ」
「この上009まで死なせるのかよっ?!あんな体で、何ができる?!」
「何かができると、信じるしかないだろう。どのみち、追えば俺たちは無駄死にだ。そして」
004はぼろぼろになった右手を構えなおした。
「無駄死には…裏切りだ。違うか?」
6
目をあけたら、光の中にあなたがいた。
「フランソワーズ…やっと起きたね」
風が頬を撫でる。
優しい波音。
遠い囁き。
あなたの声。
あなたの温度。
「でも、もう少し眠った方がいい」
光と…風と…波音。
「…僕も、眠るから」
いっしょに眠ろう。
きみと。
光と。
風と。
波の音と。
「…ジョー?」
やっと声が出た。
かすれてる。
私の声じゃないみたい。
「なんだい…?水が欲しいの?それとも…」
「…いいえ」
私は一生懸命首を振った。
「なにも…欲しくないわ」
「…そう」
不意に、大きな温かい手が私の手を握りしめた。
「僕も、だよ。フランソワーズ」
そのまま、私たちは眠った。
温かい手と。
やさしい鼓動と。
穏やかな呼吸と。
光と、風と、波の音と……
わかった。
わかったわ、ジョー。
私も、もう何も望まない。
それは、悲しいことではなかったのね。
目が覚めたら、約束するわ。
どこにも行かない。
私はここで、あなたの側で、これからもずっと……
でも、きっとあなたは笑うわね。
そんな約束、いらないよ……って。
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