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三周目


  10   我侭(超銀)
 
 
わかってるわ。
これは、我侭。
 
でも、そうは言わせない。
誰にも、言わせない。
もちろん、あなたにも。
 
さあ、決断して、009。
 
これは、私の我侭。
でも、あなたは拒めない。
 
全てを捨てた私が、捨てた全てと引き替えに、あなたに突きつける我侭。
 
決断しなさい、009!
 
 
 
きゅっと心臓が締め付けられるような苦痛に、微かに顔をゆがめる003を、002はじっと見下ろした。
 
「やめておけ、003」
「…002?」
「やっぱり無茶だ、俺が行く。すまない、つまらん感傷でオマエたちを惑わせた。たしかにオマエのような探査能力はないが、その代わり、俺には機動力がある」
「でも、それはあくまで次善の策、にすぎないわ。私たちにゆとりなんてないのよ。009もそう判断したから…」
「あぁ。そうだろう、アイツはそういうヤツだからな」
 
吐き捨てるような言葉を完全に黙殺し、003は小さく深呼吸を繰り返してから002を見上げ、弱々しく笑った。
 
「ね…私の心臓…もつと、思う?」
「…003」
「ふふっ、ごめんなさい。もたせなくちゃ…ね。死ぬために行くんじゃないんですもの」
 
自分に言い聞かせるようにつぶやく。
002はぎゅっと唇を結び、黙って首を振った。
 
「ありがとう、ジェット…それじゃ」
「フランソワーズ…待て!」
 
部屋を出ようとする003を、002はいきなり後ろから抱きすくめ、奥へと引き戻した。
 
「ジェット…?」
「行くな、やっぱり行かせられねえ!オマエはこんな死に方をするためにここまで来たわけじゃないはずだ!」
「…離して、ジェット」
「オマエはここにいろ、俺たちに任せろ…!」
「ジェット、お願い…」
「こんなもの、はずしちまえ!」
 
002は片手で003を抱き寄せたまま、瞬く間に彼女のマフラーをほどき、防護服のファスナーを力任せに引き下ろした。
悲鳴を上げかけた彼女の口を塞いだとき。
静かな声が背中を打った。
 
「…003。支度はできたか?」
 
一瞬怯んだ002の腕からするりと逃れ、乱れた防護服を手早く整えてマフラーを結び直すと、003は振り返って微笑した。
 
「ええ、009。待たせてごめんなさい」
「シャトルの用意ができた。10分後に出撃する」
「わかったわ」
 
駆け出す003の足音を確かめるように口を噤んでいた009が、ゆっくり目を上げる。
002は無言でその視線を受け止めた。
 
「君は、よけいなことをしたようだね…ジェット」
「ふん。大したことじゃねえ。俺はただ、あんないい女をキスの一つも知らずに死なせるのは惜しいと…」
「言っておくが」
 
009は002の言葉をぴしゃりと遮った。
 
「彼女は死なない。僕がいるかぎり」
「……」
 
くるっと背を向け、つかつかと歩き出した009の背中に、002は思わず舌打ちした。
 
やっぱりズレてやがるぜ、コイツ。
 
まあいい、生きて帰ってこい。
これが今生の別れじゃ…後味が悪いからな。
 
 
 
胸を襲う苦痛は、先刻のテストとは比べものにならない烈しさだった。
003は堅く唇を噛みしめ、耐え続けた。
 
わかっているわ。
どんなに目と耳が必要でも…私は、足手まとい。
002の言う通り、イシュメールに残るべきだった。
 
ここで、私が倒れたら…すべてが終わってしまう。
危険すぎる賭け。
 
みんなのために…なんて、嘘よ。
私は、ジョー、あなたと一緒にいたい。
それだけ。
これはただの、私の我侭。
…でも。
 
009は振り返らない。
003が苦しむ気配は伝わっているはずだった。
 
ごめんなさい、ジョー。
きっと私は、あなたを困らせているだけね。
…でも。
 
私は、あなたと一緒にいたい。
許して、ジョー。
 
他には何も望まない。
全て捨てるから。
 
そうよ、あなたを愛すること…愛されることも。
それさえ、もういらないわ。
私は、ただ。
 
ふっと遠のきかけた意識を、004の声に引き戻され、003はぼんやり顔を上げた。
009が振り返り、見つめている。
 
 
ごめんなさい、ジョー。
 
 
 
「…ごめんなさい」
 
003は囁き、振り返った009に微笑した。
009の表情がわずかにゆるむ。
 
フランソワーズ。
許してくれ。
 
君を愛していると思っていた。
誰より大切だと、思っていた。
それなのに。
 
君を手放せない。
どうして、僕は。
 
君を連れてきてはいけなかった。
こんなに当たり前のことなのに。
 
どうして、僕は。
どうして。
 
それでも、こうしてきみが微笑んでくれるから。
きみが微笑んでくれれば、戦えるから。
 
フランソワーズ。
君は、気付いているのかもしれない。
僕は、君を愛していないのかもしれない。
 
僕はただ、君と一緒にいたくて。
君の微笑がほしくて。
いつもそれを抱きしめていたくて。
 
ただ、それだけなのかもしれない。
 
許してくれ、フランソワーズ。
もう少し。
もう少しだけ、僕に君をあずけてほしい。
 
僕は君を愛していないのかもしれない。
それでも、僕は君を。
 
謝るのは僕の方だ。
わかってる。
これは、ただの我侭だ。
それでも。
 
 
 
009は二度と振り返らなかった。
003は、まっすぐに彼の背中を見つめていた。
 
ほのかに光るシャトルは、暗黒の中を滑るように進み、巨大な要塞に音もなく吸い込まれた。
 
 
君を離さない。
あなたを離れない。
これは、ただの我侭。
 
他にはもう、何もいらない。
ただ、生きている限り。
 


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