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三周目


  2   初恋(旧ゼロ)
 
 
久しぶりの休暇でドライブに出たというのに、助手席の003はずーっと何か考え込んでいるのだった。
彼女には、珍しい。
二人きりになると、いつものお母さんっぽさが少しとれて、少女らしく無邪気にはしゃぐ003なのに。
 
まあ、これも女の子の気まぐれ…なんだろう、と009は気にかけないようにしていたが、何度話しかけても上の空でしか答えない彼女に、ついに我慢できなくなった。
 
「003!」
 
ナンバーで厳しくよびかけると、003はびくっと009を振り向いた。
 
「…00…9?」
「どうしたんだよ、さっきからぼんやりしてさ」
「あ…ご、ごめんなさい」
「何か…心配事でもあるのかい?」
 
そう尋ねてみて、009はふと本当に心配になった。
考えてみれば、003がこんな風に物思いに沈むことなどほとんどないのだった。
 
「そうじゃないの…あ、いいえ…そうかしら…でも、いいのよ…大丈夫、たいしたことじゃないから」
「君はたいしたことじゃないようなことに、そんな顔する人じゃないと思うよ」
「…009」
 
003は驚いたように009を見つめ、やがて、ふわっと微笑んだ。
どこか儚い、優しい笑顔だった。
わけもなく胸が騒いだ。
 
「そうね…あなたに聞けばよかったのかもしれないわ」
「…うん」
「あの…ね、009…男の子って…好きな女の子ができたら、どうなるものかしら?」
「…へっ?」
 
003は真剣そのものの表情で009を見つめていた。
青い瞳はいよいよ深く澄み、いっそ神秘的なほど美しい。
009はあわてた。
 
「どうなる…って、どういうこと?」
「女の子同士なら、様子を見ていればなんとなく気付くこともあるの。ああ、恋をしているんだなあ…って。でも、男の子のことは全然わからなくって」
「……」
 
わからないのは君だよ〜!
 
と言いたかったのだが、なぜかコトバが出てこない。
どうしてイキナリこんなことを…
いや。
 
そもそも、男の子って、誰だよ?
 
僕じゃないのは、確実だ。
僕に相談しているんだから。
もっとも、相談されても困ることは困る。
僕は女の子を好きになったことなんて……
 
…こと、なんて。
 
「うわっ!」
 
烈しくクラクションを鳴らされ、009は素早くハンドルを切った。
ぼーっとして反対車線にはみ出しそうになっていた。
 
「そうだわ…あなたから、なにげなく聞いてもらえないかしら?」
 
何を?誰に?
 
「はじめからあなたに相談すればよかったんだわ…そうよね、あなたはお兄さんみたいなものだもの」
「お兄さん…だって!?」
 
急に009の声が険しくなったのに気づき、003は瞬きした。
 
「いつ、僕がお兄さんになったんだよ、失敬じゃないか!僕たちはたしかにきょうだいのような仲間ではあるけれど、それとこれとは…!」
「009…!どうしてそんなことを言うの?ひどいわ…」
「いったいどうしたんだ、君は?」
「だって、心配なのよ…何も話してくれないし、どんどん元気がなくなってくるし…張大人は恋の病だ、なんて言うけれど、本当かどうかわからないわ、だってまだほんの子供でしょう、007は」
「00…7…!?」
 
またクラクションを鳴らされた。
 
 
 
たしかに、007は弟のようなものだ。
009を「アニキ」と慕ってくれる。
 
しかし。
この件に関して、自分がどれほど役に立つのか、009はおぼつかない気分だった。
003に頼み込まれて、仕方なく007の前に座ったものの……
 
「なあ、007?」
「…うん」
「何か…悩み事があるんじゃないのか?」
「……」
「僕でよかったら、話してくれないかな?」
 
沈黙。
009は待った。
…が、007は押し黙ったままだった。
 
「003も…心配してる」
 
つい漏らしてしまった。
007がぱっと顔を上げ、またつらそうにうつむいた。
 
「アニキは…いいよ。それだけ色男なんだからさ…どんな女の子だってイチコロだし」
「…007?」
「おいらの気持ちなんて、わかりっこない」
 
ということはやっぱり。
恋…ってことなのか。
 
「そんなことは関係ないさ、007」
「…え?」
「僕が色男かどうかは知らないけどね…好きな女の子の前だと、誰だって不安になる。同じだよ」
「アニキが003の前で不安そうにしてるのなんか、見たことないけどな」
「え…っ?」
「ってことは、つまりアニキは003を好きってわけじゃないんだ?」
「……」
 
そ、それは。
 
そんなことは考えたこともなかった。
そもそも、こういうことに関しては、自分の経験なんてないから一般論として言ったまでのことで……
 
 
数十分後。
居間を出てきた009は、すがるように見つめる003に、007が恋をしていることは間違いない…けれど、それ以上のことはわからない、と告げた。
 
「ちょっと…疲れたから、休ませてもらうよ」
「…え、ええ…」
 
たしかにげっそり疲れきった様子で客間に向かう009を、003は心配そうに見送った。
まるで、烈しい戦闘を終えてきたときのようだった。
 
 
 
張々湖飯店の店主は、沈痛な表情で、それでも心配しなくていい、と003に言った。
 
「男の子なら、誰でも一度は通る道アルね」
「よけいなことだとわかっているの…でも、見ていられなくて」
「そのうち元気になる、大丈夫」
「…そうかしら」
「恋というのは、誰も手助けしてあげられないものアルからね…自分で乗り越えるしかないアル。それがどんなに過酷な恋であってもそうアルよ」
「過酷…な?」
 
張々湖はそれ以上何も言わず、キセルをくわえた。
 
過酷…って。
子供同士でも、そういうことがあるのかしら…?
 
考え込む003に、006は柔らかく笑いかけた。
 
「さっき、009から連絡があったアル」
「…え?」
「近くまで来ているから、アンタを迎えに寄るそうアルよ」
「迎えに…?だって、ジョーは仕事が…」
「仕事にちょっとでも隙間があれば、恋しい人に会いたくなる、これもまた男の子ってモノね」
「張さんったら…!」
 
003が真っ赤になってうつむいたとき。
店の前で聞き慣れたクラクションが鳴った。
 
「ホレ、早く行くアルよ!」
 
 
 
車に乗り込むと、009はにっこり笑いかけた。
 
「ありがとう、009…」
「こういうときに009はやめてくれよ、フランソワーズ」
「…え」
 
009がこんなことを言うのは珍しい。
 
「せっかくだから、食事を一緒にどうだい?研究所にはもう連絡してある」
「え…でも…」
「いいレストランを見つけたんだ。君が気に入りそうな」
「…そう。嬉しいわ、ありがとう」
 
やっぱりなんだかおかしい。
003は考え考え、慎重に言った。
 
「今日は…優しいのね」
「…そうかな」
「つまり、こういうことかしら?たとえば、あなたは…もしかしたら、またしばらく…遠くに行ってしまうの」
 
車が止まった。赤信号だった。
009は軽く深呼吸してから、すばやく言った。
 
「きみも、来いよ」
「…え?」
 
信号が変わる。
ぐっとギアを入れ、アクセルを踏みながら、009はもう一度、ゆっくり繰り返した。
 
「きみも、来いよ」
「009…あの」
「今度はスペインなんだ…2ヶ月。そんなに君と離れているのは、いやだ」
 
003がいつまでも返事をしないので、009はそうっと彼女をのぞいた。
車は駐車場へすべりこんでいた。
 
隅の方に車を入れ、エンジンをとめると、009はまた繰り返した。
今度は、小さな声で。
 
「きみも、来てくれないか?」
「……」
「だめ…かい?」
 
003の心臓は早鐘のように鳴っていた。
返事など、とてもできない。声が出ない。
なすすべもなく、身を堅くして…どれだけそうしていただろうか。
うつむいていた003は、不意に熱い吐息を感じて、ハッと目を上げた。
切なそうに見つめる009の目が間近に迫っている。
 
003は完全に混乱した。
 
「だ、だめじゃ…ない…わ、ううん、やっぱり無理よ、ダメ…!だって、007があんな…きゃっ?」
「007は、自分でどうにかするしかない。張々湖にも言われただろう?」
「…だ…って…痛いわ、009、離して…!」
「初恋なんて、はしかみたいなモノさ…帰るころには、また元気になっているよ」
「そんな言い方、ひどい…だって、わからないじゃない…な、何するの…イヤ、009…!」
「009じゃないって、言っただろ?ジョーって呼べよ…呼ばないなら…!」
 
まだ何か言いたげな003を強引に抱きしめ、唇を塞ぎながら、009はもどかしげにシートを倒した。
 
 
 
「ホレ、007…饅頭アルよ」
「…うん…」
 
溜息をつきながらも、饅頭をほおばる007に、006はほっと息をついた。
 
「諦め、ついたアルか?」
「…しょうがないよ。諦めるしか」
「まあ、くよくよしないアル…可愛くて優しい女の子、他にもいっぱいいるね!」
「003より可愛くて優しい女の子が、そんなにいるわけないだろっ!」
 
007の剣幕に、006は少したじろいだ。
 
「まぁ、誰もが通る道アルからね」
「……」
「これで007もやっとホントに我々00ナンバーの仲間になったってことねぇ」
「…どういうこと?」
 
006は腹をゆすって笑った。
悠然と。
 
「あのさ、それってつまり…みんな、オイラと同じだった…ってこと?みんな、003を…好きになって…諦めて…」
「そう、いうことアル…な」
「えぇっ!?張大人もかい〜〜っ!?」
 
頓狂な声を上げる007の頭を、006はキセルではたいた。
 
「いてっ!」
「な〜んて失礼な子アルか!」
「だ、だって…」
「素晴らしい女性に心奪われる、男としてコレ当然のことよ!」
 
頭をさすりながら呆然と見つめている007に、006はまた笑った。
 
「その熱き思い、詩にするヨロシ…私のようにね!」
「ちょ、ちょっと待った、張大人…?」
 
 
仲間とはいえ、まだまだお互いの全てを知っているわけではないのだった。
その晩、いつ終わるともしれない張々湖の詩吟を聞きながら、007は遠くスペインに思いを馳せようとした…が、無理だった。
 
「もう、いいよぉ、わかったから張大人〜!」
「まだまだ…!私の思い、歌い足りてないアル!」
「勘弁してくれえ〜!」
 
 
 
あと、一週間。
窓から月が見える。
 
009は溜息をついた。
 
003は、先週あたりから落ち着かなくなっている。
さすがに、研究所のことが気になるらしい。
 
博士や、001や…007。
いや、他の仲間たちもみんな、彼女を必要としている。
 
「アニキにその気がないんなら…オイラ、諦めないからな!」
 
小さい拳を握りしめていた007。
僕に、その気がない…って?
 
君だって、彼女に何一つ言うことができないでいるじゃないか。
いや、そうじゃない。
僕が003を…フランソワーズを思う気持ちと、君の気持ちは、もとから違うんだ。
全然違う。
 
好きだなんて、簡単に言えるもんか。
映画じゃあるまいし。
 
僕にとって、彼女は…そうだな、この月のようなものだ。
 
いつも僕を照らしてくれる。
時には表情を変えるけれど…見えなくなるときもあるけれど、でも必ず戻ってきてくれる。
僕の優しいフランソワーズ。
 
もちろん、彼女は僕だけのものじゃない。
この月のように。
 
でも、彼女はどこにもいかない。
いつも、僕の側にいる。
疑う余地なんてありはしない。
好きとか好きじゃない、とかじゃないんだよ、007。
 
それでも、もう少し。
もう少し、僕の側に留めておこう。
僕だけを見て、僕だけに笑ってくれるフランソワーズを。
 
今は、もう少しだけ。


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