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三周目


  3   約束(超銀)
 
 
約束しているから、と彼はいつも言い、そして出ていった。
 
009が約束を破ることなど絶対ないということを、003はよく知っていた。
それはもう、生真面目を通り越してときに頑固なまでに。
もちろん、それはまぎれもなく彼の美質であって。
が、彼女は不意に気付いてしまった。
 
私たちって、何かを約束したこと…あったかしら。
 
 
 
約束してくださいますか、009?
 
そう尋ねるのがくせになってしまった。
彼は、いつも微笑んでうなずいてくれたから。
 
誰を信じることもできなかった、暗黒の長い日々。
明日が見えなかった、あの絶望の日々を終わりにしてくれた凛々しい戦士。
 
もちろん、無理なことを願うつもりはない。
 
いつも自分が王族であるということを忘れてはいけない。
ちょっとしたワガママが、ときに多くの人々の幸福を奪うこともあるのだから。
 
と、彼女は王妃だった母から厳しく教えられていた。
…それでも。
 
他愛のない小さな約束。
彼がうなずくたびに、心が震える。
彼の微笑はそのまま幸せな未来のように思えた。
彼は決して約束を破らない。
 
 
 
009がタマラに呼び出されて出かけるたびに、003が少しずつ、ほんの少しずつ沈んでいく。
それがわからない仲間たちではなかった。
けれど、だからといって彼女を気遣えば、彼女をよけい傷つけることになりかねない。
彼らは、ただ気を揉んでいた。
 
「003、すまないけど、この木の実、もう一カゴ拾ってきてほしいアルよ」
 
夕暮れ間近になって、不意に006が言った。
 
「あら…足りなくなっちゃったの?」
「そうアルね」
「それ…どこまで行かなくちゃいけないんだ?」
 
009が首をかしげると、003は006と顔を見合わせた。
 
「それほど遠くないわ…そうね、歩いて15分ぐらい」
「それじゃ、もしかしたら帰りには日が暮れるかもしれない。僕が行ってくるよ」
「でも…場所がわからないと思うわ。それに、拾うのにも、たぶん私の目が必要だし…」
 
003のコトバに、うんうん、と006もうなずいた。
 
「じゃ、僕も一緒に行こう…君一人じゃ心配だ」
「…009」
「わかったアル!頼んだね、003、009!」
 
006は嬉しそうにカゴをとりに走った。
 
 
 
なぜ003の目が必要なのか、009はすぐに理解した。
その木の実というのは、深く積もった枯葉の中に点々と埋もれていたのだ。
 
「君たち、よくこんなの…見つけたね」
 
あきれ顔の009に、003は思わずくすくす笑った。
 
「見つけたのは私なのよ。なんだか、子供の頃に遊んだ森みたいだなあ…って思って。枯葉の中に、こういう小さいきれいな木の実がたくさんあったわ。両親にはいけませんって言われていたけど、こっそり割って食べてみたりして…」
「おいしかった?」
「ううん…でも、無理に呑み込んじゃった。見つかったら叱られるでしょ?」
「危ないなあ…」
 
苦笑いしていた009の頭に、不意にある考えがよぎった。
思わずまじまじと003を見つめる。
 
「あの。まさか、きみ…コレも…食べられるってわかったのは、その…」
「…ふふっ」
「ちょっと、待てよ!」
「大丈夫よ…ほんの少しかじったら、甘かったの、だから…」
「甘いって!そんなの、何の根拠にも…!」
 
ここは地球じゃないんだぞ!と大声を上げたくなるのを009はかろうじてこらえた。
まったく。
得体の知れない魚をかかえてきた006にも驚いたけど……
 
無邪気に笑う003に、009は思わず溜息をついた。
もちろん、こんな風に自分が心配している様子だって面白がられているに違いない。
なんだか腹が立ってきて、009は003の両肩をきつくつかみ、揺さぶった。
 
「笑い事じゃない!こんなつまらないことで、万一にでも、君が…」
「…009」
「そうだろう…?」
 
003の笑顔がふっと消えた。
戸惑うように見上げる彼女を強く抱き寄せ、唇を重ねる。
 
「…心配しすぎよ」
 
やがて、胸の中であえぐようにつぶやく彼女に、009は強く首を振った。
 
「心配しすぎることなんて、ない」
 
君は知らないんだ。
それは僕が伝えないから…なのかもしれない。
でも、どうやって伝えたらいいかわからない。
 
「…急がなくちゃ」
 
003は009の胸を押しやりながら離れ、かがみ込んで、積もった枯葉をそっと探った。
うつむいたまま言う。
 
「日が落ちたら、宮殿に行くって…約束したんじゃない?」
「…え?」
「忘れてたの?」
「どう…して」
 
003はほんの少し沈黙してから、ごめんなさい、聞こえてしまったの。と小さく言った。
 
 
 
「あなたに…この星に残っていただけないわけは…わかっていました」
 
そのわけは。
 
「009…わがままを言って、ごめんなさい」
 
このひとも…そうだったのかもしれない。
 
003は唇をかみしめた。
 
このひとも、ずっと何かに耐えていたんだわ。
それに比べたら、私の悲しみなんて。
 
ジョー。
あなたはこの星に残るべきだったのかもしれない。
この優しいひとと、たくさんの小さな約束を交わして…果たして、穏やかに暮らして。
 
あなたなら、このひとを幸せにすることができた。
それが、あなたの幸せでもあったのに。
 
そうよ。
あなたの願いは…誰かを幸せにすること。
あなたにしかできないやりかたで、ただ一人の人を。
 
私の間違いだった。
あなたと約束を交わしたことがないなんて……
 
私たちの間には、こんなに強い消えない約束があったのに。
とても、恐ろしい…残酷な約束が。
それが、あなたをこの星から引き離し…このひとから引き離した。
 
ああ、ジョー。
でも…許して。
私は、それでもよかったと思っているの。
あなたと私の間に…この約束があってよかったと思っている。
 
これがあるかぎり、あなたは私から離れない。
命のあるかぎり。
 
あなたがなぜ彼女に惹かれたのか…わかるわ。
私もきっとあなたの立場だったらそうだったでしょう。
そして……
どんなに惹かれても帰るしかなかったでしょう。
 
わかるわ、ジョー。
わかるのに…
私は何もしてあげられない。
あなたの苦しみを取り除いてあげられない。
 
私はただ黙って、あなたを迎えて…そしてこの星を飛び立つだけ。
私たちの約束を果たすために。
 
 
 
いつも、覚悟はしていた。
僕たちは志をともにする仲間だ。
たとえ一人が倒れても、仲間がいる。
仲間が、あとを引き受ける。
それが、僕たちの誓い。
 
009は傍らで眠る003の髪をそっと…そっとなで続けた。
遠く潮騒が聞こえる。
 
君は…僕をひどい男だと思っているだろうか?
それとも…喜んでくれたのだろうか?
あのとき、君を選んだことを。
 
死を覚悟した004は、僕に後を託した。
その重みを僕は知っていたのに。
その僕が死を覚悟したとき、選んだのは…君だった。
 
なぜ他の誰でもなく、君を選んだのか…思い出そうとしてもわからない。
なぜ、なんて考える必要すらなかった。
僕は、ただそうするしかないからそうしたんだ。
 
君は、返事をしなかった。
でも、僕にはわかった。
君の青い美しい瞳を見るだけで。
 
君は、なんて強い人なんだろう…!
 
もし、僕が君の立場だったら、
そう思おうとしただけで、心が震える。
考えることができない。
 
君が僕を去る…永久に去ろうとするそのときに、僕に生きよ、というのだ。
あとを頼む。生きて戦え…と。
 
そう。
僕たちの一番深い…強い誓いのとおりに。
 
僕は知っているよ、フランソワーズ。
君は、僕のものだ。
僕が、この誓いを投げ出さない限り。
 
君を失わないためなら、どんなことでもできると、僕は思っていた。
でも…僕にはわからない。
僕は、本当にうなずくことができるだろうか。
もし、そのときが来たら。
 
去ってゆく君が僕に誓いを果たせと言ったら。
今こそ、約束のときだと言ったら。
僕は、耐えられるだろうか。
 
わからない。
いや。
きっと…僕にはできない。
 
不意に、009はびくっと003の髪から手を離した。
彼女が微かにみじろいだような気がした。
闇の中に淡く浮かび上がる、ほの白い輪郭。
あまりに儚く、美しい。
 
僕は、君をだましている。
君は、僕を信じて…こんなに無邪気に信じて、僕に抱かれている。
 
ああ、でも、フランソワーズ…!
 
許してくれなくてもいい。
僕は…君をだまし続けるだろう。
果たすことのできない約束で、君を縛り続けるだろう。
君がそれに気付くまで。
いや…もし気付いたとしても、僕は。
 
 
 
それからしばらくして。
結局、今度いつ会おうと約束することなく、二人は別れた。
 
約束する必要はないのだと、003は思った。
忌まわしい鎖が、二人を繋いでいる限り。
決して切れることのない、誓いの鎖。
 
約束はできないと、009は思った。
どんな小さな約束であっても、彼女と交わすことはできない。
もし…もしも、それを守り通すことができなければ…
彼女の心に、ぼんの少しでも疑惑が生まれたら。
 
あなたを信じているから…ジョー。
僕を信じてくれ…フランソワーズ。
 
二人はありったけの想いをこめて互いの目を見つめ合い…堅く抱き合った。
 
 
飛行機の中で、003は小さな母国語の本を広げた。
子供の頃、兄に教わって読んだ、美しい物語。
 
愛し合い、信じ合う人たちが、約束を交わすのは…素敵なことだわ。
それが果たされるときを楽しみに待つことができるから。
 
だから、祈りましょう。
つかの間でも…あなたの上に、そんなささやかな幸せがありますように。
 
私には、あげられない…小さな幸せ。
どうか、あなたがそれを手にすることができますように。
 
 
次に会えるときまで。
そのときが、来るまで。


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