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三周目


  8   戯言(原作)
 
 
タイヤ交換など、大した作業ではないと思っていた。
が、やはり彼を待てばよかったかもしれない…と、フランソワーズは思い始めていた。
 
ギルモア邸は温暖な土地にあり、普通に暮らしていれば雪が降ることもなければ道路が凍結することもない。
したがって、普通に暮らしていれば、自家用車のタイヤを冬仕様にする必要も全くない。
 
普通に暮らしていれば。
 
もちろん、ギルモア邸の住人たちは普通に暮らしているわけではなく、冬ともなれば、自家用車で雪道や凍結した道路に突っ込まなければならない機会もままあったりするのだった。
そして、その機会がいつくるかは誰にも予想できない。
 
ジョーが帰ってくるのは明後日の予定だった。
タイヤを冬用に交換する…というのはいつも彼の仕事で、それを待てばよかったのだが…
先週から、強い寒気が北日本を襲っているニュースが繰り返し報じられているのに、フランソワーズはそこはかとない不安を感じていたのだった。
 
普通に暮らしていれば、北日本の気象情報を気にかける必要など全くないわけだが。
それは普通に暮らしていれば、という話で。
 
明後日まで待つか。
今タイヤ交換をしてしまうか。
 
イワンは夜の時間に入り、手がかからない。
ギルモアは研究室にこもっている。
家事もあらかたすんで、当座やることがないわけで。
 
きっとジョーが帰ったら、「どうして僕を待っていなかったの?」って笑うでしょうけど……
笑われてすむんだったら、それでいいじゃない。
 
フランソワーズは決心した。
万一にでも、何か起きてからでは遅いのだから。
 
…が。
始めてみると、それは意外に疲れる作業だった。
ジャッキアップもタイヤのとりはずしも、ジョーはひょいひょい、いかにも簡単そうにやっていたのに。
 
もちろん、彼が009であることは十分わかっているフランソワーズだった。
でも、彼女自身も003であるわけで。
 
やっぱり、慣れてるのね、ジョーは……
 
ようやく全てのタイヤをはずし、ジョーがこの間かついで帰ってきた新しい冬タイヤの包装をといて、はめようと…
はめ…ようと。
 
…?
 
はまらない。
 
 
 
ぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう。
 
フランソワーズは、闇雲にタイヤを押しまくった。
力が足りないと思ったのだった。
ジョーは、こんなにムキにならなくても、あっさりタイヤをはめることができていた…けれど。
彼と自分の力には雲泥の差があるわけで。
 
それにしても。
やっぱりおかしいわ!
 
フランソワーズは大きく息をついて、ゆっくりタイヤを検分してみた。
すると。
ホイールの穴が、ボルトの位置とずれているのだった。
これでは、入るはずない。
 
…どういうこと?
 
どうもこうもない。
念のため、他のタイヤも全部調べてみた。
結果は、同じだった。
 
とにかく、タイヤがついていなければクルマは走らない。
今はずしたタイヤをはめ直すしかないわけで。
 
ひとつはずして、ひとつつけて…という手順でやるべきだったのかもしれない。
が、ジョーはいつもあっというまに4つのタイヤを全部はずして、またあっというまに新しいのをとりつけていたから…つい、はじめに4つともはずしてしまったのだった。
 
ホイールの種類がちがってたなんて…ジョーでもこんな間違いするのね。
…あ。
そうだわ、ジョーのことだから、きっとホイールのつけかえも自分でできちゃうんだわ。
だから気軽に確かめもしないで買ってしまったのね!
 
フランソワーズは新しいタイヤを買ってきて、ココに収めたときのジョーを思い起こしていた。
右手にまるで座布団のように四つのタイヤを重ねてのせ、左手でその辺に積んであるものをどかして…
思わず、ジョーのシャツを強く引き、警告したものだ。
 
「ジョー!横着しちゃダメよ…こんな非常識なやりかた、誰かに見られたら…!」
「シャッターは閉まってるし、ココには君しかいないじゃないか」
「わかってるわ、でも、こういうことを習慣にしてしまったら、いつどこでうっかり…」
「…まさか」
 
ジョーはこわれかけた大きなスーツケースを左手でどかし、微笑すると、そのままフランソワーズを器用に抱き寄せて頬にキスした。
もちろん、右手にタイヤをのせたまま。
フランソワーズは、それ以上抗議することを諦めた。
 
 
やっぱり、彼の帰りを待てばよかった。
馬鹿みたい…!結構大変だったのに……
 
情けない気持ちでタイヤをすっかりはめ直したとき。
背中で頓狂な声がした。
 
「あれぇ?何やってるんだ、フランソワーズ?」
 
 
 
振り返ったフランソワーズは思わず息を呑んだ。
が、ジョーはそれを気に止める様子もなく、きみがクルマいじりなんて珍しいね、と、なんだか嬉しそうに言いながらクルマに歩み寄り、今はめ直したばかりのタイヤをぽんぽん、と叩いた。
 
「冬タイヤにしようとしていたのかい?そっか、北日本に寒波って言ってたっけ。用心深いね、さすが003だ」
「…え、ええ」
 
仕方なくうなずく。
ちゃんと説明すると長くなりそうだったし、それに…それに。
 
フランソワーズは動揺していた。
ジョーの出で立ちが。
その。
 
新しいコート…は、いい。
今のでいいよ、と面倒がる彼をどうにか町へ引きずっていって、買ってきたものだ。
見立てどおり、よく似合っている…と思う。
 
問題は、帽子とマフラー。
どちらも、まったく見覚えのない新しいものだった。
 
あたたかく柔らかそうな上等の素材で。
色合いも雰囲気も、彼にぴったりで。
…でも。
 
自分で、買った…はずないわよねえ……
 
ぼーっと見ているうちに、ジョーは手早くフランソワーズがはずした新しいタイヤを持ち上げ、あれ?とつぶやいた。
 
「フランソワーズ、コレ、ジェットのタイヤだよ…この間僕が買ったのは、向こうにしまい直したんだ」
「え…ええっ?」
 
ジェットの…タイヤ…?
 
フランソワーズは瞬きした。
そんな彼女にジョーはちょっと不思議そうに首をかしげ、笑った。
 
「もちろん、ジェットの『クルマの』タイヤ…って意味だけど」
 
ほかに意味なんてあるのかしら…?
い、いえ、そうじゃなくて…
だから、なんですって?
 
「ジェット…の?」
「うん」
「ど、どうしてそんなものがココにあるの?」
「自分でNYに持って行くつもりだったんじゃないのかな…?ココにきたついでのときに、一個ずつもってさ…いや、がんばれば二個もてるかな?」
「……」
「めちゃくちゃ安かったんだって」
「……」
 
ジョーは気遣わしげにフランソワーズをのぞき込んだ。
 
「フランソワーズ、もしかしてきみ、これをはめようと思ってた?」
 
そうです。
 
「これね、ホイールが違うんだ」
 
わかってるわ。
 
「たぶん、はまらないよ」
 
ええ。
はまらなかった。
 
「僕ならホイール付け替えちゃうけどね…きみの…ってか普通の人の力じゃ無理だと思うよ」
 
そうでしょうね。
 
「よかったね、始める前で…ぎりぎり間に合った」
 
ジョーはまた嬉しそうに微笑すると、そのタイヤを4つ重ねて、ひょい、と持ち上げた。
黙っているフランソワーズを振り返り、わかってるよ、という風にうなずく。
 
「大丈夫、気をつけるから。せっかくの新しいコートだからね、汚したりしないよ」
 
そうだわ。
だから、その帽子とマフラー…
 
「…フランソワーズ?」
 
ジョーは何度も瞬きすると、しかたないなあ、というようにタイヤを無造作に床に置いた。
床が響きを立てて揺れる。
 
ぱん、ぱん、とおおざっぱに手をはたいてから、ジョーは用心深くコートを脱いだ。
 
「はい」
 
そのまま、ぱさ、とフランソワーズの肩に着せかけ、続いてマフラーを取った。
 
「はい」
 
ぐるぐるとフランソワーズに巻き付け、更に帽子を取る。
ふうっと息をついて、軽く頭を振ると、手に持ったそれをすぽっと、フランソワーズにかぶせてしまった。
思わず目をつぶったフランソワーズの瞼近くまで、ぐいっと帽子を引き下げ、ジョーはまた笑った。
 
「はい、おしまい」
「……」
「これで、文句はないよね?」
「……」
「お茶いれておいてよ、フランソワーズ…ケーキ買ってきたんだ。紅茶がいいなあ」
 
なんだか、もうどうでもよくなってきて、フランソワーズは大きく溜息をついた。
が、ふと目を上げると、ジョーが懐かしそうなまなざしで見つめているわけで。
 
え、ええと。
 
わけもなく胸が高鳴りかけ、フランソワーズは慌ててジョーにくるっと背を向けた。
 
「フランソワーズ」
「…な、なに…?」
 
振り向けない。
頬が真っ赤に染まっているのが自分でもわかる。
 
「すごく、似合うね、それ」
「……」
「きみにあげるよ」
「……」
 
だから!
なんなのよ、いったい…!
 
フランソワーズは両手で頬を押さえながら、一目散にガレージを駆け出した。
 
 
 
お茶を飲みながらジョーが話したところによると、帽子とマフラーはやはり「もらいもの」なのだった。
 
「なんかね、試作品なんだって…Iさんの」
 
Iさん、という名前はどこかで聞いたことがある。
たしか、ジョーのチームのスポンサーになっている会社関係の女性で、デザイナーだった…ような。
 
「女の子用だよね、でも、これって…」
 
たしかに…言われてみればそう、見えなくもないけど…でも。
 
黙って考え込むフランソワーズに、ジョーはあーあ、と憂鬱そうに肩をすくめた。
 
「やっぱりかつがれたんだな〜!僕のイメージで作ったんだから是非って言われて、もらってきたんだけどさ…みんなにも似合う似合うって言われて…」
 
ええ、似合ってたわ。
コワイくらい。
 
「でも、この色…あなたにぴったりよ」
「…色?」
「ええ」
「色…かぁ。でも、女の子用じゃなあ…」
 
だから。
それは。
つまり。
 
フランソワーズは何度も口を開けようとして結びなおした。
 
「きみの方がずっとよく似合ってたよ。それにさ、きみも少しおしゃれしてみたらいいんじゃないか?」
「…え?」
「さっき、そう思ったよ…つくづく」
「……」
「マフラーとか、帽子とか…小物って結構いいモノだね。これについては、Iさんが正しかったな」
 
まさか…まさか、あなたにおしゃれ指南をされる日がくるなんて。
たしかに、最近私…気合いが足りなかったかもしれないわ。
でも。
 
もう、あったまにきた!!!!
 
「…とにかく」
 
深呼吸してから、フランソワーズは優しく言った。
 
「これはあなたがもらったものだもの…あなたが使うべきよ」
「うーん…」
「そうね、でも、私もこれ…気に入ったわ…色違いのはないのかしら?」
「あ!…あるって言ってたよ、Iさん。そうか、君なら青いのがいいかもしれないね!」
 
にこにこするジョーに、フランソワーズもあでやかな微笑を返した。
 
「ね?…今度、Iさんにどこで手に入るか、聞いてみてくれる?」
「うん」
 
満足そうにうなずき、ティーカップを持ち上げるジョーにちらっと一瞥を投げ、フランソワーズはすまして続けた。
 
「そうしたら、あなたとペアでできるし」
「…!」
 
がちゃん、と耳障りな音がした。
 
カップをひっくり返さなかったのは、褒めてあげるべきかしら。
さすが、009だわ。
…でも。
 
「フランソワーズ、あのね!」
「…ふふっ」
 
くすくす笑う彼女に、ほうっと息をついて、ジョーは苦笑した。
 
「まったく…ふざけないでくれよなぁ…」
 
どっちが?
どっちがふざけてるっていうのよ?
 
いいわ、ジョー。
私はふざけてなんかいませんから。
見てなさい。
 
ぜーったい、探し出してやりますからね!
 


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