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四周目


  11   距離(平ゼロ)
 
 
「…あの」
「なんじゃね?」
 
…どうしよう。
やっぱりやめておいた方がいいのかなあ、と迷いながらも、ギルモアの視線に促され、ジョーは思い切って尋ねてみた。
 
「フランソワーズ、いないんですか?」
「おお…!」
 
ギルモアは初めて気付いた、というように時計を見上げた。
もう日付が変わろうとしている。
 
「そういえば、まだ帰ってないのう……」
「え…」
「ま、子供じゃないんじゃから…大丈夫じゃろう」
「大丈夫…って。どこに行ったんですか、彼女?」
「さて……?」
「ギルモア博士…!心配じゃないんですか?電車もバスももう終わってます!」
「オマエだってついさっき帰ってきたんじゃろうが。あの子のことじゃ、迎えを頼んだりするまい…のんびり歩いてくるじゃろうて」
「でも!」
「そういえば、日本人は女の子の躾に厳しいと聞いたことがあったのう」
「……」
 
何を言っても無駄だと悟り、ジョーは口を噤んだ。
 
 
ギルモアを始め、仲間達はみなのんき…というか、楽天家だ。
一緒に住んでいると、つくづくそう思う。
最近、ブラックゴーストの影は全く感じられない。そうなると、仲間達はちりぢりになり、連絡もロクにとれなくなる。
今研究所に残っているのは自分と001、003だけだ。
 
気が遠くなるほど長い時間を失った彼らを思えば、ようやく自由を手にしたのだ、と開放感を味わっている…のは、わかる。
でも、それとこれとは。
 
たしかに、本当の家族でもない自分が、彼女の帰宅を待ちかまえて説教するのは何かおかしいような気がする。
そう思って自室に戻り、ベッドに横たわってみたものの、どうしても落ち着かない。
 
パリでのようなことは、起きるはずない。
ブラックゴーストはいない。
 
これからのことはわからないにしても、少なくとも今、彼女が何か事件に巻き込まれている、なんてことはきっとないにちがいない。
そのうちのんきに歩いて帰ってくる。博士が言ったとおり。
…でも。
 
ジョーは低いうめき声をあげながら、勢いよく起きあがった。
そのまま窓を開き、身を乗り出す。
 
「…僕も、散歩するだけだから」
 
言い訳のようにつぶやき、砂浜へ跳んだ。
 
 
 
ひっそり静まりかえった無人の駅から、線路をたどって走る。
まず、張々湖の店がある街へ。
今日仕事があるとは聞いていなかったけれど、店の仲間や客と飲み会…っていうのはありそうな話だ。
日本の法律だと、彼女はまだ飲酒できないはずなのだが、グレートがそんなことを気にするとは思えなかったし、張々湖だって、店のコトとなればお客様第一!で徹底している。看板娘のフランソワーズを先に帰したりはしないだろう。
 
その晩。
その街の全ての飲食店の入り口が音もなく開いた。
気付いた店員が出て行くと、辺りには誰もいない。
首を傾げた者もいたが、大抵は軽く舌打ちをして閉め直すだけだった。
 
…いない。
と、いうことは……
 
考えても何も思い浮かばない。
もう少しいけば、もっとにぎやかな大きい盛り場に出る。
ジョーはきゅっと唇を結び、加速装置のスイッチを入れた。
 
深夜だというのに、人が多い。
触れたりしないように、細心の注意をはらって歩き、フランソワーズを探した。
馬鹿なことをしている、とわかってはいたけれど、どうにもならない。
待っているだけでは、彼女がどんどん遠ざかってしまうような気がした。
 
みんな、行ってしまう。
僕の周りの人たちは、いつの間にかいなくなってしまう。
 
教会の仲間たち、神父さま。
そうだ、命がけで一緒に戦った00ナンバーの仲間まで…いつのまにか。
…そして。
 
最後に浮かびかけた思いを、反射的に押し殺す。
堅く唇を噛みしめたまま、ジョーは時間の止まった街を歩き続けた。
 
 
 
赤い防護服と黄色いマフラーは恐ろしく人目を引いた。
誰もいないと思って加速を解いた途端、どこからか好奇と警戒の視線を浴び、慌ててスイッチを入れ直す。そんなことが数回あった。
誰もいないと思って加速を解いたのに、見とがめらた……なんて、そもそも009としてあり得ないことなのかもしれない、とぼんやり思いながらも、どこか投げやりな気分になっていた。
 
いつの間にか、砂浜に出ていた。
月も出ていない。
暗闇に、波の音だけが繰り返している。
さすがにここには誰もいないはずだった。
 
ジョーは加速を解き、ゆっくり歩き始めた。
このまま海岸をつたって帰ればいい、と思った。
 
どこにいるんだろう、フランソワーズ。
誰と、一緒なんだろう。
 
きっと、楽しく過ごしているんだろう。
時間がたつのも……僕達のことも忘れるぐらい。
でも、それは、いいことだ。
忘れられるのなら、彼女にとって、こんないいことはない。
 
僕達のことも……時間のことも。
 
思い返してみると、フランソワーズの本当に幸せそうな笑顔なんて、見たことがないような気がした。
いつも張りつめていて…怒っていて…心配していて。
彼女はいろんなことを心配している。
僕のことも。
時々見せてくれる笑顔は「ああ、安心したわ…!」って感じのばかりだったかもしれない。
でも、ジェットなら、もう少し違うのかな。
思い切り口喧嘩した後、すっきりした…!って笑顔を何度も見ているのかもしれない。
 
それもまた幸せな笑顔…じゃないのかもしれないけど。
でも、心配されているよりマシだ。
 
いつの間にか、波打ち際を歩いていた。
小さい波がブーツを洗う。
ジョーは黙々と歩き続けた。
 
僕たちのことも、時間のことも忘れて…どこか遠くで彼女が幸せなら。
それなら、その方がいいんだ。
 
溜息をつきかけたとき。
突然、脳裏に炎がよぎり、赤々と燃え上がった…気がした。
ジョーははっと立ち止まり、暗い空を仰いだ。
 
…神父さま!
 
 
 
さすがに、ちょっと困ったな……と思いかけていた。
 
「こんな時間に、こんなトコロを一人で歩いているんだ、その気だったんだろう?」
 
その気って何よ?
と言い返そうとして、それはこの男たちの「その気」を煽るだけだと気付く。
 
男は、5人いた。
もちろん、生身の人間。
二人がポケットにナイフを隠し持っている。
 
これぐらいなら、何の問題もなく「退治」できるはず…なのだが。
面倒なのは、バイクだ。
 
今のところ、彼らの目的が自分を轢き殺すことではない…のは言うまでもない。
でも、この後の展開によっては……。
 
ちら、と研究所までの距離をはかった。
009を、呼んでみた方が…いいかしら?
…それとも。
 
男たちが襲いかかってきた。
一人をかわし、一人のみぞおちに肘を打ち込み、振り返りざま、一人に蹴りをいれる。
とりあえず、二人が転がった。
 
「…っ!」
「なんだ、このアマ…っ?」
 
これで怖がってくれればいいのだけど…と抱いた期待は、あっさり裏切られた。
男たちは混乱し、興奮してしまった。
残された三人はバイクに飛び乗り、勢いよくフランソワーズの周りをぐるぐる取り囲んで走り始めた。
 
ああ、もう…っ!
 
さすがにそこから逃げることはできない。
でも、もう少し、あの木に近づければ……
 
フランソワーズは追いつめられたふりをしながら、じりじりと移動していった。
…もう少し。
 
大きな木が枝を伸ばしている。
あの枝に飛びついて、向こうの木に飛び移って……
 
「…っ!」
 
ちら、と斜め上を見た一瞬、隙ができてしまった。
すさまじい勢いで肩に何かがぶつかり、フランソワーズはバランスを崩した。
思わずよろめいた背中をまた突き飛ばされ、砂に足を取られる。
 
「きゃあっ!」
 
倒れてはダメ…!と思ったときには、砂に叩き付けられていた。
起き上がろうとする間もなく、手足を押さえ込まれる。
こみ上げる本能的な恐怖と嫌悪感とを必死で押さえ込み、フランソワーズは素早く男たちの位置をサーチした。
 
大丈夫。
バイクを降りてくれればこっちのモノだわ。
…まず、この人から!
 
押さえつけられた腕を難なく振りほどき、起きあがりざまに一人を沈める。
 
あと二人!
一人は後ろ、もう一人は右…気を付けないと、ナイフを持ってる!
それから……え?!
 
風の気配が頬をかすめた。
同時に、男たちは鈍いうめき声とともに、砂に倒れ込んだ。
 
「…どう、して…?」
 
目の前に、鮮やかな黄色いマフラーが揺れている。
呆然と見つめるフランソワーズを、009はゆっくり振り返った。
 
 
 
二人は黙り込んだまま、ぐんぐん歩いた。
ジョーはフランソワーズの手をぎゅっと握りしめていた。
正直、力が強すぎて痛かったのだが、フランソワーズは賢明に口を噤んでいた。
 
ようやく研究所に着いた。
玄関の前で、ジョーはちょっと困った顔になり、そのまますぐにフランソワーズを引っ張って庭の方へ回った。
 
「…あの……えっ?」
 
不思議そうにジョーを仰いだフランソワーズは、いきなり抱き上げられて息をのんだ。
そんな彼女に構わず、軽く地面を蹴り、さっき開いた窓に飛び移る。
 
「…ジョー」
 
そうっと下ろされ、フランソワーズは戸惑ったように辺りを見回した。
ジョーの部屋に入ったことはほとんどない。
思いの外きちんと整理されている……というより、何もない。
 
「あの…ジョー、ありがとう…ごめんなさいね」
「……」
「その格好…もしかしたら、心配して探してくれたの?」
「……」
 
…困った。
 
全く反応しない。初めて会った頃の009のようだった。
少々の後ろめたさを感じながらも、これでは埒があかないと思ったフランソワーズは、そうっと彼から離れ、とりあえず部屋を出ようとした。
 
「それじゃ…おやすみなさ……っ!」
 
息ができなくなった。
抱きすくめられているのだと、しばらくして、ぼんやりわかった。
 
「どう…して?」
「…ジョー?」
「どうして、僕は、いつも……君も!」
「…なあに?…何て言ったの…?」
 
不思議そうに見上げるフランソワーズの亜麻色の頭をつかみ、自分の胸に押しつける。力の加減ができない。
 
「でも、君は、ダメだ!……君だけは」
「……」
「どこにも行くな…僕を離れるな!」
「…ジョー」
 
それでは、君は自由になれない。
幸せにもなれない。
心から笑うことすらできないけど……でも。
 
「僕から、離れるな…!」
 
血を吐くような声に、フランソワーズは小さくうなずいた。
 
 
 
それから、二人はいつも一緒に歩いた。
歩いているうちに僅かな間隔があくと、ジョーは必ず立ち止まって彼女を待った。
 
ギルモアはそんな二人に目を細め、心から満足している様子だった。
006や007の眼差しも優しい。
でも……と、フランソワーズは思う。
 
あのとき、彼が何を怒っていたのか…何に嘆いていたのか。
今なら、なんとなくわかる。
 
彼の傍にいた人たちは皆、彼を離れ……そして永遠に消えた。
神父も、幼なじみたちも…
彼の、母親も。
 
だから、彼はいつも怯えている。
 
もし、私に力があれば。
他の仲間達のように、自分の身を守る力があれば。
そうすれば、安心させてあげられるのに。
ごめんなさい、ジョー。
 
これでは、あなたは自由になれない。
幸せにもなれない。
心から笑うことすらきっとできないわ……でも。
 
「…フランソワーズ?」
 
いつの間にか、立ち止まっていた。
ジョーが振り返り、赤褐色のまなざしを不安げに向ける。
フランソワーズは微笑し、ごめんなさい、と駆け寄った。
 
でも、時は移る。
人も、いつか変わる。
だから…それまでは。
 
 
遠く置き去りにしてしまった兄さん。
ずっと一緒にいると約束したのに…そうしなかった私。
だから、今はあなたの傍にいる。
 
時が移り、あなたが変わるまで。
それまで、ずっと傍にいるわ。
 


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