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四周目


  4   願望(原作)
 
 
振り返った003は、険しい表情の青い目に、首をかしげた。
 
「どうしたの、ジェット?まだご機嫌ななめ?」
「……いや」
「仕方ないでしょう、間に合わなかったんだもの…今度はもう少し急いでいらっしゃい」
「あのな。俺は精一杯急いだんだよ、これでもな!」
「まあ」
「…ったく、どいつもこいつも!」
「やっぱり、まだ怒ってるんじゃない…困った人ね」
「……お前も、怒れよ」
 
押し殺した声だった。
けげんそうにのぞきこむ003の目をひた、と見据えながら、002はかみつくように言った。
 
「お前が怒れば、アイツだってもっとどうにかなる!」
「…ジェット?」
「気取ってる場合か?いつもいつも、そうだ。今度は何とかなった、だが次は?何度同じコトを繰り返すんだ、アイツは!」
「アイツ……って」
「お前は、いいのか?アイツが、わけのわからないトコロに行っちまっても、いいのか?」
「…ジェット…それ」
「いいか、アイツはいつかどこかに行っちまう、アイツを本当に必要とする女が目の前に現れたら……いや、別に女でなくてもいい、ロボットだってなんだって、アイツには同じことなんだからな!」
 
003は一瞬息をのみ、やがて穏やかに尋ねた。
 
「誰に聞いたの…?グレート?それとも……」
「…そんなことは、どうでもいいだろう、俺は、ただ…お前が」
「わかった…アルベルトね?」
「……」
 
ぱっと口をつぐんだ002を見やり、003は困ったように微笑した。
 
「そうなの…心配、かけてしまったのね……」
「フランソワーズ」
「私は…大丈夫よ。ジョーも」
「……」
「そう…ね、私、泣いたりしたから……でも、もう心配いらないわ…もう、わかったから」
「……わかった?」
「ええ…わかったの。だから、大丈夫」
 
透明な視線から思わず目をそらし、002は舌打ちした。
 
わかった……だと?
何を?
 
いや。
そもそも、わかればいいってもんじゃないだろう、フランソワーズ!
 
 
 
「フランソワーズに……謝る?」
 
驚いたように目を見開き、そのまま口をつぐんでしまった009を、004は無言でただ見つめた。
重い沈黙のあと、009はつぶやくように言った。
 
「謝るって……何を」
「何を、だと?…わからないのか?」
「…参ったな」
 
心底困った表情になった009に、004は苛立ちを募らせていた。
 
参るのは、こっちの方だ。
日本の男はまるで子供のように恋人に甘えるものだ…と聞いたことがあるが、コイツのは、いくらなんでもヒドすぎる。
 
「だから、つまり…ボクが、彼女にヒドイことをした…って、君は思ってるんだよね?」
「…そうだ」
「そう…か。そうなのかもしれない。でも…謝ることはできないよ…だって、ボクは……」
 
009はしばらく視線をさまよわせ、言葉を探していたが、やがて、諦めたように深く息をついた。
 
「…ああするしか、なかったんだ。今だって、他にどうすればよかったか…なんて、思いつかない」
「なん…だと?」
「やっぱり…ヒドイ…かな?」
「…話にならんな」
 
吐き捨てるように言いながらも、004はどこかで納得している自分に気付いていた。
 
本当に、そうなのだろう。
それが、009なのだから。
 
遺跡に取り残された、孤独なロボット。
あまりにも長い年月が、彼女に「心」を植え付けた。
ただ、悲しみ…苦しむためだけの「心」を。
 
その「心」に、009は共感した。
共鳴した……のかもしれない。
だから、彼は彼女の元へ行こうとした。
彼女を、孤独から救うために。
 
「いずれにしても、つまりお前は、あのときフランソワーズを捨てたんだ……それはわかっているんだな?」
「そういうことに…なるのかな」
「なるさ」
「…そうか」
 
そうつぶやいたきり、009はうつむいてしまう。
どうにもとりつく島がなかった。
004はゆっくり言った。
 
「彼女を捨てるな、とは言わん。お前はお前の望むとおりにすればいい。だが…所詮、いつか捨てるつもりの女にすぎないというのなら…」
「……っ!」
 
不意に顔を上げ、009は突き刺すような視線を004に向けた。
が、004はひるまなかった。
 
「いいか、もしお前が、003をそういう女だとしか思っていないのなら、金輪際、彼女に触れるな。俺たちが許さない」
「ボクはそんな風に彼女に触れたことはない、一度だって!これからも……絶対に」
「な、に?」
 
暗い瞳の奥に烈しい怒りを閃かせ、009はじっと004を見つめた。
 
「彼女について、二度とそんな口をきくな」
「…ジョー」
「いくら君でも…次は、許さない」
 
何か言おうとする004を、有無を言わせぬ視線で切り捨て、009はくるっと背を向けた。
しばらくあっけにとられて立ちつくしていた004は、やがて我に返った。
怒りが胸の奥から突き上げてくる。
 
触れたことがない、だと?!
そんな風もこんな風もあるものか…!
 
これ以上、フランソワーズを日本に…コイツの傍らに置いておくわけにはいかない。
彼女はいつか、コイツに食い尽くされてしまう。
身も、心も。
 
いつのまにか、夕闇が色を深めていた。
強い海風が吹き付けてくる。
004は懸命に呼吸を整えた。
 
…それでも。
 
それでも、彼女は…ここにいることを望むのだろう。
コイツの傍らに。
だったら、俺たちに、何ができるというのだ。
コイツらを、ただ見守る他……一体、何が。
 
 
 
アルベルトに、叱られた…とつぶやく009を、003は目を丸くして見つめた。
 
「まさか…殴られたの…?」
「…いや」
「どうして……」
「ボクが、君に…ヒドイことをしたから」
「…ジョー」
「君に謝れって。それから、金輪際、君に触れるな…とも」
 
うつむいていた009は、奇妙な気配にふと顔を上げた。
003が一生懸命、笑いをこらえている。
 
「…おかしい?」
「ご、ごめんなさい……アルベルトらしいわ…心配、かけちゃったのね」
 
私もジェットにお説教されたのよ、と003は肩をすくめた。
今度は009が目を丸くする。
 
「お説教?君が?なんで?」
「あなたのこと、叱らないとダメだ…って言われたわ」
「……」
「優しいわね…二人とも」
「…ウン」
 
ぎゅっと抱き寄せられ、003は静かに目を閉じた。
 
「ボクは…謝らないよ」
「…ええ」
「…いいの?」
「あなたは何も間違ったことをしていないもの…謝る必要なんかないわ」
 
謝るのは、私の方……とつぶやく003を009は思わずのぞきこんだ。
 
「君が、ボクに…謝るの?」
「ええ」
「…なぜ?」
「見失ってしまったからよ…私がしなければならないことを」
「…フランソワーズ?」
「ダメね…私は意気地なしだわ。いつも間違えてばかり」
「……」
「あなたのように、強くなりたい」
「ボクは…強くなんか」
「いいえ。強いわ」
 
じっと見上げる青い瞳が、あまりに澄んで美しかったので、009はたじろいだ。
003はふと表情を和らげ、微笑した。
 
「今度は…間違えない。約束するわ……ジョー、私を許してくれる?」
「許す、なんて……どうして」
 
009の耳に、003の悲痛な叫びが蘇った。
004に言われるまでもない。自分は、あのとき彼女を捨てた。
あのロボット……イシュキックを救うために。
 
でも、他の道はなかった。
イシュキックをそのままにしてはおけなかった。決して。
 
そうとしか考えることのできない自分が、たまらなく嫌いだ…と、009は思う。
誰よりも大切な少女にあんな悲しい叫び声を上げさせ、それに耳を傾けようともしない自分。
009は低く呻いた。
 
「ボクは……君を捨てた」
「…ジョー」
「これが初めてじゃない…最後でもない。きっと」
「……」
「ボクは…何度君を捨てるんだろう?」
 
003は小さく首を振った。
深い湖のような瞳が揺れる。
 
「あなたは、私を捨ててはいないわ…一度だって」
「フランソワーズ」
「だから…私はここにいるのよ。今も、こうして……あなたの傍に」
「……」
「これからも…ずっと」
「…いいの?…君は、それでいいのか?」
 
震える声を唇でそっと塞いでから、003は009をまっすぐに見上げた。
 
「ええ。それが…あなたの願いなら」
 
そして、それは…私の願いだから。
 
 
 
「あのとき、009と一緒に…行くべきだった…と?」
「…ああ。どうかしてるぜ、あの女」
 
ウンザリしたように吐き捨てる002に、004は眉を寄せた。
 
「お互い馬鹿をみた…ってことか、つまり」
「そういうこと、だな。まあ、慣れない事はするもんじゃねえ」
「たしかに、な。それにしても、はた迷惑な奴らだ」
「…まったくだ」
 
003は、002に、極めて生真面目に説明したのだという。
 
私は…ジョーよりもずっと弱いわ。
体のことじゃないの。心の方よ。
だから、時々間違えてしまう。
 
ジョーが、あの人の所に行くのなら……私も行かなければならなかった。
きっと、ジョーも、私がそうするはずだと思っていたでしょう。
ううん、そんなこと、彼は考えもしなかったかもしれない。だって、それは…本当に当たり前のことだったんだもの。
私はそうしなければならなかったのに。
 
裏切ったのは…私の方なのよ。
私は、あのとき…意気地なしだった。
彼のように、強くなれなかった。
 
「だがよ、俺にはわからねえ…それが恋人の考えることか?どこまでもついていく…ってのは、まぁいい。だが、アイツが他の女を選んだときにも…ってのは、どう考えたって…」
 
…クレイジーだ。
 
と、002は両手を広げ、肩をすくめた。
もっともだ…と、004も息をつく。
 
それは恋人の考えることではない。その通りだ。
だから…つまり。
 
彼女は恋人ではない、ということだ。
 
恋人ではない。
アイツにとって、彼女は…003は唯一無二の…いや、自分自身とほとんど同じ存在なのだろう。
 
だから、他の女が傍らにいようと、何も変わらない。関係ない。
どんな女も、003とは全く違うのだから。
比べることなどできない。そんなことはありえない。
 
あのときの、怒気を帯びた009の声が、004の脳裏に蘇った。
 
「ボクはそんな風に彼女に触れたことはない、一度だって!」
「これからも……絶対に」
 
そういう…ことなのか、ジョー。
そんなことができると、お前は本気で思っているのか?
 
できるはずない。思い上がるな。
 
…だが。
他の道がない…というのなら。
彼女を抱き続けるため、他に術がないというのなら。
 
009と003でありつつ、互いを求めるのなら…たしかに、他に術はないのかもしれない。
何であれ、自分のためにだけに求めることを許されないさだめの俺たちだ。
それでも、なお互いを求め合い、寄り添おうとするのなら。
そのためには、二人でありながら一人であろうとするしか…そのように生きるしかないのかもしれない。
 
 
勝手にしろ。
つきあっていられるか。
 
二人、かなわぬ願いで胸を焦がしながら行くがいい。
終わらない道を。
果てることのない戦場を。
 
恋より強く、愛より深く。
そんなことができるというのなら…信じて、行くがいい。
 
 
いつか、どこかで命果てる…その日まで。


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