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四周目


  5   溜息(旧ゼロ)
 
 
世の中の半分は女性。
つまり、そういうことなのだから、あれこれ考えても仕方がないわ。
 
結局、いつもそう思うしかない003だった。
が。
今度ばかりはもう、どうにもならなかった。
 
 
009が偶然助け、ギルモア研究所に連れてきたその美少女は、たまたま50パーセントの確率で女性だったのではなく、それはもう、明確にはっきりと自覚的に女性だった。
そして、彼女は当然というかなんというか、003についても、彼女が「女性」であるということ以外の認識を一切持とうとしなかった。
 
少女があからさまに003を敵視すること。そして、その原因は自分への恋心…つまり「009の恋人である003」への嫉妬心にある、ということに、009はめずらしくハッキリ気付いた。
要するに、それほどハッキリした言動を、少女は003に対して示していたのだった。
 
少女は女性であるがゆえに、どーしても003に任せることになってしまう。それはどうしようもない。もちろん、一度助けた以上、彼女に迫る危険をまだ排除できない現状で、研究所から出すわけにもいかない。
009は辛抱強く少女に微笑みかける003に心で謝りつつ、とにかく一刻も早い現状打破のため、「作戦」遂行に力を尽くした。
そして僅かでも暇があるときには、少女の苛立ちを少しでも和らげるため、彼女と共にすごし、できるだけ優しくしようとつとめたのだった。少なくとも、その間、003は彼女の敵意から解放されるわけで。
 
 
「君の判断は正しかった。ただ、重要なことを忘れていたね」
 
事が明らかになったとき、慌てる009に、001は淡々と言った。
 
「君が003を『恋人』と扱ってきた事実は今まで存在しなかったのだから、そういう『対策』をとるんだったら、ちゃんと前もって003に話しておくべきだったよ」
 
そうだったのかもしれない。
とにかく、003は全ての作戦が無事終了し、少女を脅かす危険が排除されたことを確認した翌日、研究所の居間に置き手紙を残して消えてしまったのだ。
 
「つまり、003は、アニキと彼女の幸せを思って『身を引いた』ってわけだよねえ」
「何言ってるんだ、007!メロドラマじゃあるまいし、003がそんな馬鹿なこと……!」
 
言いかけた009は、自分に集まったどことなく冷たい視線にややたじろいだ。
が、次の瞬間、彼はキッと唇を噛み、手紙をくしゃくしゃに丸めてくずかごに放り込んでいた。
 
「これ、どこにいくんじゃ、009?」
「003を探しにいくんです、当たり前でしょう!」
 
ばたん、とドアが閉まった。
 
「まあ…当たり前…かなぁ?」
「…うむ」
 
ギルモアと007は思わず顔を見合わせていた。
 
 
 
ターミナル駅のコンコースでいきなり後ろから肩をつかまれ、驚いて振り返った003は、険しい表情の黒い瞳に目をみはった。
 
「……009」
「やっぱり…ここだった。君が行きそうな場所は、だいたいわかるよ」
「まあ」
 
柔らかく微笑み、003は少し首を傾げて009を見上げた。
 
「ありがとう、009…見送りにきてくれたの?」
「何を…馬鹿な!研究所に戻るんだ!」
「…009」
「あの子はもういないよ、家に帰したから。終わったんだ、003…君には本当に厭な思いをさせてすまなかった」
「厭な思いなんて……あの、009…」
「…帰ろう。久しぶりに君とゆっくり話ができると思っていたのに…」
「そんな…いいの、話なんて…わかっているもの」
「…003?」
「009…私にまで優しくしなくていいのよ…さっき、研究所に電話をしたの。ごめんなさい、あんな手紙だけだったから心配させてしまったのね。でも、博士も007もゆっくりしてきなさいって言ってくれたから」
「…ゆっくり…って。どこへ…?」
「あ。もう列車の時間だわ。009、ありがとう…行き先は電話で博士にお知らせしたから…何か事件が起きたら、連絡してね」
「003!」
 
思わず大声になってしまった。
足早に歩き出した003は、ふと振り返り、微笑した。
 
「……さようなら、009」
 
追いかけて、引き留めることは簡単なはずだった。
それなのに、足が動かない。
 
「003…さようなら…って」
 
何が、どうなっているのかまったく理解できないまま、009は呆然と立ちつくしていた。
 
 
 
シーズンオフで、しかも平日だからか、山の温泉宿は静かなものだった。
いつもは苦手な大浴場に行ってみようかと思ったのも、宿泊客が他に誰もいないと聞いたからだった。
 
003は広々とした湯船にそうっと体を沈め、小さく溜息をついた。
このお湯は肌にいいんですよ、と笑顔で教えてくれた女将の言葉がふとよみがえった。そういわれてみると、湯の中でなでてみた腕が、いつもよりなめらかになっているような気がする。
 
そんなはずないじゃない。人工皮膚なのに…ばかね、フランソワーズ。
 
こっそり自分を叱りながら、003はまた溜息をついた。
 
「009は、あなたが好きよ…それぐらい、私にだってわかるわ…でも!」
 
ぎゅっと湯の中で両手を握り、目を閉じる。
どうしても消えない、あの少女の声。
 
「彼は錯覚しているだけよ!いつも近くにいる、同じサイボーグのあなたを大切に思う気持ちを、愛だと勘違いしているのよ…あなたも、本当はわかっているんでしょう?」
 
考えてみたことが…なかったわけではない。
でも、それは考えても仕方がないことだったから。
この体がサイボーグであることも、自分が009の「仲間」であることも、変えようのない運命そのものだったから。
だから、本当に、真剣に考えたことなどなかった。
 
「あなたは卑怯だわ、009も…!本当の恋人同士なんかじゃないのに、自分をごまかして、目をふさいで、周りを見ようともしない…!」
 
そして、あの少女は、だからこそ自分の恋が実ることなどない、ということもよくわかっていた。
たぶん、誰より傷ついたのは彼女だったにちがいない…と、003は思う。
…でも。
 
私があなたを思う気持ち。
あなたが私を思ってくれる…気持ち。
この気持ちに嘘はない。
この気持ちは確かにここにある。
だから、それに、無理に名前をつける必要なんてないんだわ。
 
でも、ときどき……どうしようもなく不安になる。
それは「愛」?「恋」?「友情」?それとも……
 
……錯覚、なの…?
 
 
 
溜息が出なくなったら……と決めていた。
それまで、研究所には戻らない。
 
003は毎日研究所に連絡を入れた…が、告げる所在地はデタラメ。
予定では3泊ほどの旅にするつもりだったのが、1日、また1日とずるずるのびている。
誰かが「いいかげんに帰ってきなさい」と言ってくれれば、帰れるのかもしれないけれど……
ギルモアも007もものわかりよく、優しかった。
 
こんなのは、甘えだわ、と003は何度も苦く思った。
私は私の運命を受け入れるだけ。
それなのに……。
また、溜息が出る。
 
自分が、何を苦しがっているのか…003にはだんだんわからなくなってきた。
苦しがる必要などないはずだった。
 
いつか……いつか、もしかしたら、009が誰かを愛するようになる日がくるかもしれない。もちろん、その相手は自分ではない。
でも、今はとてもそんな日がくるなんて想像できないし、そんな日は結局こないような気さえする。
 
だったら、それについて考えるのは、無駄なことだわ。
明日の命さえ、わからない私たちなのに。
 
さあ、しっかりして、003!
もう十分考えたわ。十分休んだわ。
しっかり前を見て…そして、帰るのよ!
 
いいこと、これが、最後の溜息よ。
これで終わりにしなければ…!
 
大きく深呼吸したとき。
後ろで、砂を踏む気配があった。
……まさか。
 
003は振り返り、009をぼんやり見つめた。
 
 
 
「……なんだよ」
 
沈黙を破ったのは、009の低い声だった。
 
「なんて顔、してるんだ……君は」
「…00…9…?」
「僕たちに嘘をついて、さんざん自分勝手に遊び回って……」
「……」
 
黒い瞳に烈しい怒りの色がよぎった。
高く振り上げた手に、打たれる!と思わず目を閉じた瞬間、003は堅く抱きしめられていた。
 
「それなのに、なんだよ…!なんでそんな顔してるんだ…っ?」
「…ジョー」
「もっと楽しそうな顔しろよ!自由になりたかったんだろう?自由になって…幸せになるんだろう?僕たちから……僕から離れて、君はやっと…!」
 
009の体は細かく震えていた。
身動きもできないほど強く抱きしめられ、003は息を殺して、彼のうめくような声をただ聞いていた。
 
「どうしてだよ?僕たちが…僕が、どんな気持ちで、君を……!」
「ジョー…ねえ、ジョー」
「君が、それで幸せになれるなら……だったら…僕は…そう思って…やっと、そう思って!」
「ジョー、どうしたの?」
「どうしたのか、僕の方が聞きたい!君は、どうなってしまったんだっ?」
「……」
 
黙ってうつむく003を乱暴に突き放してから、009は彼女の手首をぐい、とつかんだ。
 
「…痛い!」
「研究所に帰るんだ!」
「…009」
「それがイヤなら、どこに行きたいのか、どうしたいのかすぐに言え!僕が連れて行ってやる!」
「…009、私…」
「早く言え…!僕の気が変わる前に……!」
「……」
「…言えよ!」
 
003はぽろぽろ涙をこぼしながら首を振った。
そんな彼女を突き刺すようなまなざしで見つめていた009はぎゅっと唇を噛んだ。
 
「…ごめん」
「……」
「本当は、僕が悪い。君に甘えて…君に負担をかけすぎた」
「……」
「許してほしい」
「……」
「…フランソワーズ?」
「ちが…う!」
 
003は泣きじゃくりながらやっとの思いで言った。
 
「ちがう…わ、あなたは…なにも…悪くない…もの」
「フランソワーズ」
「私、が、いけない…の、私、男の子なら、よかった……!」
「……っ!」
 
わけのわからない熱いかたまりが、喉もとまでこみあげてくる。
009は夢中で003を抱き寄せ、折れるほど抱きしめた。
力を加減することなど、できなかった。
 
「馬鹿なことを…!君が…君が男の子だったら、僕は……!」
 
それ以上は言葉にならなかった。
009は、ただ003をさらに強く抱きしめた。
 
もしそうなら、僕たちは、そう、きっと…もっと楽に笑い合うことができたのだろう。なんの物思いもなく。安らぎの中で。
でも……でも。
 
そんな安らぎより、僕は……!
 
 
 
ふと目を開けると、体になじんだクッションに包まれている。
隣の運転席に座っているのは、もちろん009だった。
 
「…目が覚めたかい?」
「ええ……あの」
「旅館の支払いは済ませておいた。明日の分のキャンセルもね」
「……」
「荷物も全部積んだと思うけど…」
「私……ずっと眠ってたの?」
「ああ」
 
記憶がまったくない。
息が止まるほど抱きしめられて、泣きじゃくって、そのまま…まさか、泣き疲れて眠ってしまった…のだろうか。
彼の腕の中で。
 
009は不意にクルマを停め、003をのぞき込むと、微かに笑った。
 
「少しはよくなったよ」
「…え」
「君の、顔色さ」
「……」
 
そうかもしれない。
胸につかえていた重いものがキレイになくなっている気がして、003は何度も瞬きした。
 
「研究所に…帰るの?」
「…もちろん」
 
歌うように言う。
小さく胸が高鳴るのを感じ、003はギアを入れようとする彼の左手を軽く押さえた。
 
「…009」
「なんだい…?」
「あの、どうして…わかったの?…私があそこにいるって…」
 
黒い瞳に、ふと何かがよぎった。
はっと見つめる003の視線から逃げるように目をそらし、009はほうっと溜息をつき、しばらくそのままうつむいていた。
 
「…ジョー」
 
おそるおそる声をかけると、彼は不意に顔を上げた。
息をのむほど、晴れやかな笑顔。
 
「君が行きそうな場所はだいたいわかってる。そう言ったろ?」


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